伊勢鉄道・紀勢本線・参宮線

        伊勢鉄道
:河原田-津 2004年12月21日(火) 

 お昼頃、ネットの空席情報を観ると、「ムーンライトながら」は小田原席だが1枚空きが出ており、急いで近くの私鉄系旅行代理店に行き確保する、実は昨日の朝も同じことをしたのだが、その後天気予報が変り、寒気が居座るとのことで、「広大な平野で寒風に吹かれ風邪を引いても、家族に馬鹿にされるのがオチ」と無駄にした経緯がある。もっとも今夜の席は12番、後から2番目席で、停車駅毎に、373型広幅のドアから冷風が容赦なく入り込み、ちょっと参ったね、、、
 さて、ムーンライトの指定券は1枚¥510、5%の手数料では、代理店にとって迷惑以外の何物でもない、カウンターの女性連にはたまにケーキの差入れなどしてご機嫌を取結んでもおり、この頃は自分の偏屈振りに呆れたのか、結構愛想良くしてくれるのは有難い。

  伊勢鉄道:イセ103 四日市駅 2009年5月15日
7:19 河原田駅舎前を出発、伊勢鉄道の島式ホームはJRより高い築堤7M上にあるが、これは前方に鈴鹿川が控えるため、ホーム四日市方に3.5KPが立ち、ホーム端からR600左カーブが始まり、上り勾配で鉄橋へと進む。
 すぐ神戸踏切でJR線の左手に、駅から500M余の地点、先刻来見えていた街道が線路を跨ぎ越した辺りに階段の上り口がある、少し早いが通勤時間帯の様で、四日市方面にひっきりなしに車列が続く街道に入り、
7:33 鈴鹿川を街道で渡り終える、99年5月、関西本線沿いに歩いた際は、300M上流の細い橋を渡った。 
7:38 伊勢線鉄橋の津方袂に到着、4.4K辺りで、河原田方袂は3.95K辺りだ。この先街道は歩かず、左手下の住宅街の細道に入り、鉄橋の先から複線になった盛土に近付くも進行右手に道は無く、盛土左手下の平行道を行った。
7:56 5.5KPが盛土5M上にある、キロポストがしっかり整備されているのは有難い、線路右手に鈴鹿の山々が遠望され、左手は見渡す限り広大な田園地帯が展開、1K先の国道にクルマの列を見る。
 この先盛土線路は真っ直ぐだが、平行道は断続的で、一時右手の道も行き、老人ホームを過ぎて左に戻り、駅の手前100Mで、近鉄鈴鹿線を踏切で横断、 
8:21 鈴鹿駅に到着、ホームは高架相対式、7.4KPあり、駅員1名配置、駅の左手はすぐ田んぼ、右手に住宅が少々、高架駅の存在は周囲の情景に合わない、右手7~800M、近鉄駅の周囲が中心街となるようだ。
8:28 出発、盛土の進行左手を行くが、すぐ右手また左手と、目まぐるしい。
8:39 鈴鹿架道橋(8009M)に至る、この先も平行道は長続きせず、往ったり来たりの繰り返しだ、なお線路はこの手前7.9K辺りまで鈴鹿川鉄橋から直線なのを、帰路車内より確認。 

  鈴鹿駅
8:49 安塚橋梁(8.7K)に至る、左手を安塚団地が占め、4階建が10棟あった、団地を過ぎても新興住宅街が続くが、どれも開発は小規模で、混在する田んぼの畦道も歩いて、
9:03 山の神踏切(9.5K)で位置確認、ネットによるとこれが伊勢線唯一の踏切とある、この先、線路右手は目隠しとなる樹木の並木を挟み、AGFの大工場が占める、左手にも中規模工場が建つ。

 玉垣駅(伊勢鉄道本社棟) 
9:16 玉垣駅着、細い地平島式ホームには、進行左手を占める伊勢鉄道本社2階建事務棟脇から、跨線橋で連絡する、10.5KP立つ、 本社はあるが駅員はいないようだ。ホーム両側に留置線が各数本、新車100型を含め4両が休む。
9:28 出発、しばらく進むと前方の台地からサーキットカーの走行音が聞え出す。
9:37 11KPが左手に、線路両側は住宅地だが、この先すぐ、左手はゲートボール場、続いて洪水調整池が展開,その辺りから線路はまた盛土上を行く。
 そして11.6KPチョイ手前では、水道道路付近で貯水池の堰堤造成工事中で、右手の畑地に移るが、線路沿いには進めず、250M程先の自動車道路をめざし、 
9:51 野田団地入口で街道に入る、新しいキリスト教会が建つ。
9:58 街道は程なく左カーブ、道なりに線路を跨ぐ(12.2K地点)と、線路方向の道があり、
10:06 鈴鹿サーキット稲生駅に到着、ホームは相対式、12610Mと標示あり、駅の北側はすぐ台地の樹林、果樹園で、橙の夏みかんが色を添える。
10:12 出発、進行左手からすぐ右手に、台地の果樹園沿いにしばらく進み、13.1Kで道なりに左に、旧い集落を辿るクネクネと曲る感じの良い道だ、この辺り台地に浅い谷が入込み、地形は複雑だ。
 13.9K地点で再度右手に移ると、右やや後方に緑色のサーキット場大観覧席が見え、走行音も一段と大きく聞える、谷は段々開けて来て、広い田んぼも展開するようになる。
 線路近くの道が無いなか、道なりに一時線路から300M程離れ、また戻って、 

  鈴鹿サーキット稲生駅

  徳田駅
10:48 徳田駅着、広田の中の高架相対式ホーム、14.6KPあり、もう次の丘陵性台地が前方に控える。急に冷たい強風が吹き始め、雲も出てきた。
 この先進行左手、古い集落伝いに進み、
11:03 中ノ川を渡る、鉄橋は右100M、15.1K
辺り(車内より確認) 
11:11 台地中に入る線路に沿う道は無く、川下に歩き、台地上の天栄中学を巻く坂道に入って、
11:22 線路を跨ぎ(15.7K)、進行右手に移り、
11:28 中瀬古駅着、地平相対式ホーム、16.2KPあり、低い丘陵性台地の麓に位置、駅の左手は少し低く樹林になっている、右手は低い丘上に三重交通で分譲した「太陽の街」に通ずる小広場が面し、団地居住者用のスーパーなどある。
 駅から400M位、丘上に緑色の屋根など洒落た外観の鈴鹿国際大学校舎が目立つ。
11:50 出発、すぐY字路となり、右は「太陽の街」団地、近鉄線千里駅に1Kちょっとで行けるようで、左に入る、こちらにも戸建て住宅が並ぶが、丘の傾斜地で道がくねり、すぐ方向感を喪失、適当というか滅茶苦茶に歩いて、 

  中瀬古駅

  伊賀上野駅
12:03 千里ヶ丘トンネルの津方坑口脇に出る、小高い所で見晴らしが良く、広田の向う400Mに駅が見える、なおトンネルは16.7~17.03K辺り、帰路車内より確認。 
12:13 進行左手に道が伸び、伊勢上野駅着、この区間単線でホームは珍しく片面、なお千里ケ丘トンネルも複線用地を単線で使用中、ホームから鈴鹿国際大学、千里ケ丘団地が良く見える。
12:20 出発、すぐ田中川にぶつかり、250Mほど下流の橋でクリア、前方の低い丘を上る、ほんのしばらくだが、クルマの少ない景色の良い樹林帯の道を行き、 
12:30 跨線橋に出て位置確認、20M下に18.1KPが見え、線路は真っ直ぐ、駅のホームは勿論、トンネルの坑口などよく見える。
 この先河芸町の「町民の森」を過ぎる、常緑樹を中心に良く整備された立派な森で、人影が無いから一層深い森の感じがする。
 道なりに丘下に至ると、線路もまた右手に見えて来て、線路右手に町役場を見て過ぎ(19.1K)、
12:49 歩行者・自転車専用架道橋をくぐる、19.3KP地点、この先も線路近くに道が伸び、 
12:58 河芸駅着、ホームは千鳥型相対式、ホーム出外れすぐに20KPが立つ、駅右手は新興住宅地、左手は広い田んぼで200M先を国道が平行、その辺りに昔からの集落が控える。
 左膝が痛む、歩いているうちに痛みが取れる様なものでは無さそうだ、夜行電車で窮屈な姿勢で寝たのが原因かな?
13:03 出発、駅舎のある進行右手を行くが、道は長続きせず、何度か高架線路に絡みながら道筋を変えて進む。
13:19 21KPが右手すぐ上の高架線路に立つ、左350Mを国道が行く。

  河芸駅

 東一身田駅 
13:32 22KPを見る、疲れが出て、ペースが明らかに落ちてきた、風の冷たさを感じる。
13:42 志登茂川を渡る、「JA全農みえ}が建つ、線路は左100M程、22.7KPを車内より確認、この先高架線の左手に移り、
13:50 東一身田駅着、高架片面ホーム、用地は相対式ホーム分を確保、23KPあり。
13:54 出発、線路左手からすぐ右手に移ると右から1M盛土の紀勢本線が近付く、特急や快速が通る伊勢鉄道線の方が、今となっては格上だ。
 
 時刻表を見ると、14:41発の「快速みえ」があり、今日中の普通列車での帰宅を考えると どうしてもこれに乗車したい、津駅まで営業キロでちょうど3K、痛む左足に鞭打ち、先を急ぐ。  
14:05 右手すぐ盛土上に24KPを見る、この先(24.3K地点で)伊勢線と紀勢線は完全平行するので、紀勢線の中新田架道橋を潜り、先刻から広田の先に見えていた国道に入り、次に道なりに旧道に移ると、線路右手すぐを行くようになり、
14:21 25KPを見る、線路左手は昔風の工場が構え、4M幅道路の右手はすぐ住宅だ、もう前方駅の手前に、海側から紀勢本線を跨いで山側に移る近鉄線電車が頻繁に走る。
14:31 駅近くでは、近鉄線沿いに歩いて、山側から津駅到着、山側改札口の管理は近鉄が行っているようで、駅員は近鉄職員だった。伊勢鉄道は改札口直結、JR2番線の四日市方を占める小欠取りホームで①番線となる。 

  伊勢鉄道:津駅①ホーム、イセ103  2014年8月7日
 河原田~津まで営業キロで22.3Kを7時間12分要した、自分の平均歩行時速は、途中線路観察をして、駅の写真なども撮ると、大体3.5Kとなり、ほぼ計算通りで歩いている。今日は途中に大きな川なども無く、その点は助かったが、稲生から先では小丘陵の峠越えが数回、夜行電車泊に加え左膝の痛みもあり、いつもより疲れがひどい。
 帰路の接続は概ね順調だったが、津から自宅最寄駅まで7両の電車に乗車、8時間24分を要し、到着が23:06、昨夜の出発が23:21、ほぼ24時間の壮絶(?)バトルでした。




      紀勢本線:津ー亀山 15.5K  2004年12月27日(月) 

 前回の伊勢線訪問より1週間が経過、またまたムーンライト号にキャンセルが出た、今回取れたのは2号車、名古屋まで通しの指定席で、しかも車輛中央部の8番席、これだと途中駅の客の出入りも殆ど無く、熟睡していたところ、熱海から引継いだ若い車掌に起こされた、平塚から乗車した自分は
確かに検札は受けなかった、年配の車掌ならこういうことはしないのだが、ここで腹を立てて苦言を呈したりすると、またお休みモードに戻るまで時間を要し、結局損になるので、黙ってこらえる。自分の顔に一瞬浮んだ筈の怒りに、このお利口さん車掌は多分気付かなかったと思う。

   津駅  2014年8月7日
8:00 津駅のJR地平改札口を出発、線路とビルの隙間の細道をちょっと行き、右手の道に出る、ちょうどキハ40系4連がホームに入って来た、冬休みの車内はガラガラ、気動車の長編成普通列車を見るのは久し振り、旧国鉄型は堂々とした走りで頼もしい。なお駅ホームに15.4KPあり。
8:11 大谷踏切(15.1K)で亀山に向い線路左手に、この先15KP地点で近鉄線が上を跨いで海側から山側に移る。
8:23 三軒踏切(14.07K)を過ぎる、この先100M、伊勢鉄道線が右手に分岐、古参の紀勢本線は真っ直ぐ広田の中を進む。 
8:38 そば屋踏切(13.3K)で右手に、100M程先の一身田中学前を過ぎると、早朝練習中の運動部員の姿が見える、
8:48 森踏切(12.63K)でまた左手に戻る、右手200M、やけに立派なお寺が見える、
8:51 試験場踏切(12.6K)で線路右手に、ここまで一時線路右手の用水を見る堤防の道も歩いた。
 この踏切の先で“伊勢別街道”に入る、東海道関宿から分れ、伊勢街道の江戸橋を結ぶ道と、案内あり。 
8:58 一身田駅着、駅員1名配置、ホームは相対式、12.1KPあり、駅舎の造りもお寺に合わせなかなか立派、こじんまりしているが駅前広場もある、なお紀勢東線では津~一身田間の通過人員が一番多いと聞く。
9:06 出発、ホームすぐ先の踏切で線路左手に移り、伊勢別街道を行く。ちょっと先にやけに大きな常夜燈が立つ、何でも、近江八幡の商人が伊勢神宮に寄進するべく運んできたが、重くてどうにもならず、この地に寄進したとのこと。9:15 街道を津方面に戻る様に、国道橋跨線橋(11.7KPあり)を渡りまた右手に、この辺り線路近くを行くが、道は長続きしない、、、
   一身田駅 

  一身田駅
9:29 11KPを過ぎる、この辺りから広かった田んぼが段々狭まって来て、程なく志登茂川を渡る、鉄橋は右手すぐ、10.74K地点、この小川が先週伊勢鉄道:東一身田駅手前で渡った川とはちょっと気付かなかった、この先線路は上り勾配、左にカーブ。
9:45 10KPを過ぎる、周囲は台地上の畑地。9:51 野田踏切(渡らず、9.63K)、50M長の安全側線が伸びる、進行右手に小集落あり、この先9.2K地点で新しい跨線橋が上を跨ぐ、左手に大きな老人介護センターが建つ。
10:02 大里踏切(渡らず、8.77K)、線路右に砂利道が伸びる、この先は人家も無いようだが、兎に角(ここ迄来たのだから)もうちょっと行ってみる。 
10:13 8.2KPを盛土5~6M上に確認するが、もう樹木が茂る丘陵が立ち塞がり、線路沿いに前進は不可能で、
10:20 先刻の大里踏切まで戻る、570MX2の無駄足だが、まだ体力は残っており、意に介さず。
 帰路車内から見ると、8.2~7.6Kまで、一身田に向い左手を流れる小川(志登茂川の支流)沿いに小谷を垣間見ながら、樹木が鬱蒼とした丘中の狭間を進み、平行道は無く、道路は東側、線路から1K余離れて進みこの難所(?)を抜ける。
 まず右手を行く自動車道を求めて適当に歩き、 
10:35 丘中の畑、住宅など全く無い交差点に出る、「豊里ネオポリス」とある小看板を頼りに左折、
10:49 道なりに跨線橋を跨ぎ、7M下に7.6KPを確認、この先も線路方向には踏み跡を含め道は全く見えない。クルマも時々過ぎるだけ、人影など全く無いよ、、、
11:03 亀山・芸能ICの三叉路に至り、右手に亀山方向に入る、結構大きな新谷口調整池が丘下に見え、戸建住宅が丘上に展開、なかなかの団地だがバスの停留場は見当らず、クルマが無ければどうしようも無い所のようだ。
11:15 県道649号を下り、また住宅が姿を消すと、亀山市に入る、市境の部分だけ、道の両側に中規模工場場が各1つ建つのがちょっと奇妙だ、亀山市に入ると途端に道幅が2.5Mと半減、その後もせいぜい3M程だった。
 やがて右手70M、低い丘裾沿いを行く線路が見え出し、6K地点で道なりに線路右側に移り、
11:26 下庄駅に到着、ホーム相対式、5.6KPあり、ホーム左手は台地の裾、右手は街道が平行、丘も近い。
11:31 出発、線路右手すぐの街道を行く、線路は左手の丘沿いに進む。
11:37 5.1KPを過ぎる、この辺りから右手に広大な田園地帯が展開、斜め右手前方に遠望するのは四日市市街だろう。線路は田んぼには降りず、丘裾を行く。
11:40 左カーブする線路を追っかけ小道に入るが、やがて畑中で行止り、右手を流れる中の川の右岸堤防を行く、左岸には国道306号線が平行。 

   下庄駅

   三ツ寺町界隈の旧道
11:55 中の川を渡り、306号線から分れてすぐの街道をちょっと行き、程なく備後瀬架道橋(4.06K)をくぐる、なお線路は架道橋の手前で中の川を渡り、今度は右手丘裾に取付く、
12:03 鈴鹿農協昼生支店を過ぎてすぐ旧道に入る、この辺り線路は右手80M、やや小高い丘裾を行く。
12:16 三ツ寺町という集落に入る、往時の往還の面影を残す民家に風情を感ずる。 
12:27 やがて旧道左手を並行して来た中の川を渡り、しばし右岸堤防上を歩き、
12:37 旧道が県道28号線に合流、大きな溜池あり、すぐ安知本郵便局を過ぎると、緩く長い上り坂となり、
12:44 小峠を越える、線路はこのサミットを阿野田トンネル(1.97~1.71K)で越え、中の川水系から鈴鹿川水系に入る、帰路この区間を車中から見ると、周辺は人家など全く見当たらない深い山の中で、例えば3KPは浅い切通しの中、周囲は竹藪、常緑樹の林で、人家は全く見当たらない。
  
 峠を超えると段々人家が多くなり、
13:07 道なりに鈴鹿川を渡る、近くを平行する鉄橋は0・67~0.45K辺り。
13:10 津街道第二踏切(0.322M)を道なりに渡る、もう駅構内に入っており、すぐ先まで亀山駅から複線になっている、引続き津街道第一踏切(59.6K)で関西本線を渡り、線路沿いにちょっと歩いて、
13:16 亀山駅着、前回訪問したのは1999年だが、商店街はその時よりもさらに寂しくなったと思う。 

   亀山駅





      
紀勢本線:津-六軒 13.6K 2005年1月18日(火) 

 ムーンライトながらから名古屋で亀山行始発列車への乗換えも、昨年暮れからこれで3回目、この列車はいつも女性車掌が乗務、またいつも先頭車に、途中から早朝部活練習の女子高校生が河原田駅まで乗込む、いつも同じ顔ぶれで、その屈託のない顔も覚えたが、相手は自分を何をする人と思っているのだろう、多分おしゃべりに夢中で、意識の対象外だろうとは思うが、、、

   津駅 キハ486502  2014年8月7日
8:07 津駅を出発、進行左手に道が伸びる、商店街のビルは線路に背を向けて建つ。
8:12 6階建、JA三重ビルの前まで来た、右手すぐに吉田山踏切(渡らず、15.86K)あり。 
8:23 三重県警ビルを右手に見る、新館は8階建て、左は安濃川の流れ、川沿いの歩道は途中から自転車専用道に変る。
8:33 安濃川を自転車道で渡る、90M長、鉄橋は右手250M、17.07K辺り、右岸に小公園あり、すぐ架道橋(17.15K)をくぐり、進行右手に出て、
8:40「旧津中学校跡」の記念碑がある市立西橋中学校前を過ぎ、
8:49 (近鉄)津新町駅着、駅舎に繋がる片面ホームに、日常使用する島式ホームあり、駅前広場に三重交通の路線バスが発着、6階建の商業ビルあり、他に15階建てのマンションを系列不動産会社が建築中。JR線は17.8Kが対応。
8:52 出発、進行右手を行き、やがて岩田川を渡る、鉄橋は左200M、18.3KPあり、この先すぐ津工業高校前のT字路を左折、
9:08 近鉄踏切、続けて小学校踏切を渡る、18.5K地点、この先は小用水沿いの舗装農道を行く、右手50Mを線路が平行。周囲は田んぼと勤労者住宅が混在する地区だ。  

  近鉄:津新町駅  2014年8月21日
9:17 阿漕駅着、なかなか風情、風格のある木造駅なのだが、整備状態は悪い。駅舎直結の片面ホームに上り島式ホーム、19.2KPあり、駅周辺は住宅地、駅前に商店街無し、ただ4階建の小児科クリニックが目立つ程度。
9:26 出発、線路左手駐車場の中を抜け、久居街道踏切(19.43K)の先で、左手の国道23号線に入る、片側3車線の交通量の多い立派な道路だ。 
9:49 斜め右に分岐する旧道(?)に入り、すぐ垂水踏切(20.16K)で線路右手に、東雲寺バス停周囲は住宅が密集する古くからの集落。

   阿漕駅 
10:02  21KP立つ、線路は1K先まで真っ直ぐ、津方も500M直線だ、この辺りから新興住宅街も出現、都市の郊外風景となるが、田んぼも一部残る。
10;26 22.6KPを過ぎる、100M程先の天神川踏切を渡ると広大な田んぼが展開、300M
左を23号線が行き、ジャスコなど大型商業施設が線路に背を向け、国道沿いに並ぶ。
 広い田んぼの中の舗装農道伝いに何度か道を換え、ホーム手前の踏切でまた右手に移り、 
10:39 高茶屋駅着、駅舎は進行右手、改札口直結の上りホーム、下り島式ホームは外側線路を撤去、23.4KPあり、屋根付小型貨物駅跡にトラックが数台駐車、駅舎の右手100M、常緑樹の茂る低い丘が近い。
10:43 出発、進行右、線路近くの道を、
10:50 24KPを過ぎる、線路左手は田んぼ、道の右手は5M程高く、住宅が並ぶ、その裏手は低い丘。 
11:00 第一木造踏切で線路左手に移る、24.64K地点、前方500Mに青塗の長大鉄橋が見え、堤防は高さ10Mと高い、沿道は広大な田んぼ、純農村地帯だ。

  高茶屋駅  2014年8月7日

   キハ11-1、外側線も復活、2014年8月7日 
11:08 雲出川の堤防上に出る、右手の鉄橋まで500M近く、左の橋でも350M程、冷たい風の通りがよい中、あそこまで歩くかと思うとウンザリだする。
11:12 雲出川鉄橋の袂に到着、25.15K辺り、橋長400M、左岸は葦原が占め、流れは対岸に片寄る様に見える。 
11:25 雲出橋の袂に到着、線路へ500M、海岸寄りの23号線まで450M程の新橋、歩道も3Mと広い、橋の袂の小公園に、「往時はここが伊勢街道の宿場町として賑わっており、参宮鉄道の開通までは、何軒かの旅籠も残っていた」と案内があった、今はその痕跡も全く消え、広い田んぼに変っている。

   キハ48-6803 於:高茶屋駅  2014年8月21日
11:29~11:34 橋を渡り、また堤防をノロノロと進み、
11:40 鉄橋の伊勢方袂に到着、25.55K辺り、建設省の河口起点のキロ程があり、橋から鉄橋まで680Mもあった、上流1K先に架かる白い橋は、多分近鉄線の鉄橋だろう。
11:48 第一甚目踏切(25.97K)で線路右手に、ここから線路右手すぐに22.5M道が伸びる、線路は松坂方に500Mは真っ直ぐ、
11:55 26.5KPを過ぎる、右手は500M先のセメント工場まで広大な田んぼ、左手も300M
田んぼ、この辺りも純然たる農業地帯だ。  
12:02 27KPが田んぼの120M先に、線路左手は小工場、この辺りから一般住宅も目に付く様になるが、総じてこの先も主に田園地帯が続き、
12:29 田中の狭い土の畦道伝いに三軒家踏切(28.8K)に至り、線路左手に移る、線路沿いに道が伸びる。
12:34 六軒駅着、簡素(過ぎる)小駅舎があり、ホームは相対式、29.1KPあり、駅舎側は小集落と田んぼ、右手もすぐ広大な田んぼが7~800M先まで展開、駅の跨線橋から、前方約1K先、近鉄線が右から左に斜めにJR線を跨ぎ越すのが見える。 
    六軒駅 




   六軒ー多気13.4K 松阪ー上ノ庄4.2K 2006年3月20日(月) 午後雲

 これまで3回の伊勢線・紀勢本線方面の歩き潰しは、全て定期ムーンライトの前夜泊を利用した、しかし回を重ねる毎に歩行開始時間が遅くなり、普通列車でその日中に帰宅せねばならない自分としては、たとえ僅かでも時間は貴重で、それで今回は多客期のみ運転される輸送力臨時便の空席を狙っていた、車輛は189系、373系より経年は古く、リクライニング度も申し訳程度だが、何よりもデッキ付きで気密性が確保されているのは夜が冷たいこの季節、有難いこと。また加えるに名古屋からの亀山行が1本早い接続になるので、スケジュールにゆとりが持てる。
 なおこの3月18日の定例ダイヤ改正で、111系、103系が首都圏から姿を消した、どこもかしこも231.233系の通勤型ばかりとなり、興趣が湧かない。
 

  六軒駅より津方面を望む  2005年1月18日
7:53 六軒駅を出発、線路端を歩きホーム出外れ80Mの津屋城踏切で左手に、参宮線事故の遭難者慰霊碑が脇に建つ。
 いったん海方向に250M行って、線路方向に進む道に入る、角に百五銀行、六軒郵便局あり、
8:05 三渡橋を渡る、線路右手150Mを行く、橋の手前に松阪市の標識あり、この先三渡川踏切(29.67K)で線路右手に、5M道を行く。
 JR線は左200M余り、近鉄山田線が右300M、いずれも田んぼを挟み道路と平行する。 
8:11 亀山起点30KPを過ぎる、この少し手前から線路右手すぐの農道に入った。
8:22 上を近鉄山田線が跨ぐ、30.35K辺り、右手の山まで2~3K、空気が冷たく澄んでおり、山の姿が一際きれいに見える。
8:32 大正踏切(渡らず、30.97K)を過ぎる、右手100M、田中に米の庄小学校が見える、ここから田んぼの畦道が4M舗装農道に変る。
8:40 第一条踏切(渡らず、31.63K)に至る。
 さて、右手から名松線が近付く、同線の上ノ庄駅は分岐点から1.4K程で行ける、逆に松阪駅まで2.8Kは完全平行、この際一緒に歩いておこう。
8:45 紀勢線踏切から畦道も交え100M行き、名松線の久米踏切(幅2M、2.81K)に至る。ここからは線路進行左手、田んぼの畦道を進み、
9:04 二級河川堀坂川を渡る、鉄橋は25M長、3.7KPあり、渡ると左手すぐに近付いた県道松坂久居線に入る。  
9:09 上ノ庄駅着、片面ホーム、4.2KPあり、平野の真っ只中に位置、県道沿いに小集落がある、最近松阪市と合併したとのこと。
9:21 出発、ほぼ元来た道を歩いて、
9:46 両線が並ぶ塚本踏切(32.1K/2.5K)に至る。 
9:51 近鉄観光バス車庫前を過ぎる、2.2KP
対応、この7M先で線路を跨ぐが、これまで広い田んぼだったのが、急に住宅地に変る。
10:03 33KP/1.6KP地点、ここで線路右手すぐの道が行止まり、右の街道に入る、左70M、田んぼを挟み近鉄線が行く。
   名松線:上ノ庄駅 
10:06~10:11 川井町2号公園で小休止、1.48K辺り、時折寒風が強く吹くが、体が温まり眠気が出てきたので却って有難い。
10:18 線路右手100Mの街道に入る、街道手前に消防本部が目立つ。
10:25 御厨橋を渡る、鉄橋左80M、33.9KPを帰路車内より確認、この先御厨本町郵便局チョイ先を左折、大口踏切で距離確認、もう駅は見えている。 

    松阪駅 
10:41 松阪駅着、片面ホームに島式ホームが2本、34.6KPあり、駅舎と繋がる三交百貨店の他、第三銀行、黒川木徳証券(4階)のビルがあり、駅前広場もマーマーの広さ、何となく余裕を感じさせる街だ。
10:50 出発s、進行右手を行く、35.05K地点で国道23号線が真横に跨ぐ。
11:03 松南東三踏切(渡らず、35.22K)で位置確認、興和紡績清生工場が建つ。
11:06 大淀踏切(35.37K)に至る、この先広大な工場跡地が行く手を塞ぐ、地図を見るとここも興和紡績工場だった、右に200M、街道に入り工場を巻く。 
11:17 工場跡地の反対側に出る、垣鼻踏切(35.8K)あり、平行する近鉄線に列車が頻繁に走る、この近鉄線、ちょうど36KP地点で分岐、そのチョイ20M先に東松阪駅あり。
11:20 大津踏切(36.23K)先の東松阪駅
11:36 金剛川鉄橋(25M長、36.6K)の袂に至る、人の渡る橋は右(上流)約250Mに、渡ると広田の中に砂利道が伸びる。
11:48 今度は幅4Mの用水が行手を遮り、また右200Mの橋を渡って戻る破目に、その先はバイパスの旧道を行って、
11:55 下村踏切(渡らず、37.26K)で位置確認、もう400M位だろうか、駅跨線橋が見える。 

  近鉄:東松阪駅
    徳和駅  12:02 徳和駅着、相対式ホームの無人駅、37.7KP多気方に、ホーム上を左斜めに道路が跨ぎ、これって伊勢電鉄の廃線跡だろう、駅前に2階建アパート、進学塾などあるが、田んぼが大勢を占める。
12:14 出発、線路右手に小道が伸びる、
12:20高田踏切(37.82K)で道が行止り、左手に移る。
12:28 第三高田踏切(渡らず、38.26K)、この先線路は築堤を上り、前方の低い丘に分け入る、道路も新しい6M「県営ふるさと農道」が途中まで平行、 
12:38 大柿架道橋(39.05K)、右手、低い丘上に戸建て住宅が並ぶ、サラリーマン用のマーマーの団地だ、しかし道がはっきりせず、更に左手を進み、
12:47 上立踏切(渡らず(39.46K)に至る、ここで丘が後退、狭い田が取って代る、この先調整池があった,39.7K辺り。
12:53 浦川第一踏切(39.8K)、この先田畑も無くなり、道なりに松林に入り,心細い歩きが10分くらいあったが、
13:02 広い道に出た、クルマは通らないが「ふるさと農道」と案内あり、ホッと一安心。
13:10 丘陵を下り、山添町の集落に入る、前方800Mに櫛田川の堤防が見え出した。 
13:22 やっと線路が見え、100M歩いて山添第三踏切(渡らず、40.7K)で位置を確認、この先神山神社を右に見る、なおここまでの1K、線路は丘中、住宅は勿論、田畑も見ない山深い所を来たのを、帰路の「快速みえ」車内より確認。
13:30 櫛田川鉄橋(250M)の脇に、41.7KP
が見える、人の渡る橋は200M上流、大きな堰の上に歩行者・自転車専用橋あり。
13:52 多気駅着、跨線橋で連絡する島式ホームが2本、42.5KPが駅舎脇に立つ、駅舎は西側、駅東側は田んぼが展開、右手も駅の手前まで田んぼだった、駅前から西に商店街が真っ直ぐ200M程伸びるが、人影が無く静まり返っている、前方に丘陵が近い。 
   多気駅  奥の建物は伊勢運輸区




      参宮線:多気-伊勢市 15.0K 2014年8月7日(木) 薄   

   クハ185-207  於:名古屋駅  前夜のムーンライト号ではよく眠れなかった、10号車は9号車と合わせ20名程の男女大学生グループが乗っており、若いし、ちょっと皆で笑ったりすると、静かな車内がその度に騒がしくなる、また前の席は小学生の男の子とその多分お爺さん、停車駅ごとにホームに降りて写真を撮ったり、寝付く気配は全く無い、、、
 しかし不思議なことでもあるが、「日光や箱根ぐらいしか知らなかった自分の子供時代に比べ、この頃の子は恵まれているなー」なんて思いがよぎり、この頃あまりこういうこどでは、カッカしなくなった、人格が練れたよりは年を取っただけのことだろうが、、、  
8:13 多気駅を出発、駅舎に隣接する伊勢運輸区の事務所を過ぎるが、乗務員宿泊施設もあり、この時間、係員の出入りが目立つ。程なく県道119号線に入る、線路は左100M、蒸し暑い日で歩き出し5分で汗が噴き出してきた。     キハ11ー5  於:多気駅  2016年9月10日
8:24 第一東池上(いけべ)踏切:43.02Kで左手に、踏切周囲に新興住宅が少々、周囲は田んぼ、50M先に場内信号機3本、紀勢本線と参宮線の分岐点だ。
8:29 写真を撮って出発、そのまま真っ直ぐに進む参宮線左すぐに道が伸びる。
8:34 池上踏切:0.95Kで右手に、この辺りには古くからの住宅が建つ。この先左手に近い線路との間に樹林が介在。 
8:47 小広い平地に出ると、土羽茶屋バス停(多気町民バス)あり、80M先に同名の踏切があり、行ってみると1.8kPあり、なお参宮線の踏切にはキロ程表示が無い。
9:03 この先は先刻駅近くから歩いた県道に入り、土羽裏踏切:2.4Kで位置確認、たまたまやって来た下り回送を撮る。 
9:19 外城田駅着、片面ホームの停留場、3KP立つ、左手は狭田と何か果物の樹林を挟み、50Mで台地裾、右手は広田が展開。
9:27 出発、3.1K地点からは線路右手に3M
道が500M程先まで伸びる。
9:34 前川踏切:3.76Kで道なりに左手に、
   外城田駅 9:47 保育所前踏切:4.7KP脇に、で位置確認、周囲は上田辺茶屋という集落が展開。
9:52 羽根踏切:513Kでも位置の確認、この辺りはゆとりを感ずる落着いた集落が道の右手やや高いところに展開、左手はやや低く、広い田んぼになっている。
10:00 東山端下(やまばた)踏切:5.8Kで線路右手に移り、住宅街の道を行く。なお踏切の先、県道は前方の樹林で覆われた小丘を巻くため左カーブ。
10:16 田丸踏切:6.8Kを過ぎる、踏切左手は先刻県道が巻いた小丘が迫り、丘上は田丸城址だった。 
10:20 駅直前の踏切を渡り、進行左手に建つ田丸駅着、ホームは相対式、下りホーム伊勢方に7KPあり。なお田丸は紀州徳川家の付家老久野氏1万石のお城があった所だそうだ。
     

   田丸駅
   キハ75-504他 田丸駅にて 10:39 出発、線路進行左手を行き、外城田川橋梁:7.28Kを過ぎたら、線路から左に離れ、  
10:48 玉城病院前を過ぎる、この先往時の参宮海道に入る、民家に街道の雰囲気を残すような民家もあるが、松並木は戦時中、航空機用の松根油製造の為、伐採してしまったとのこと。
11:08 上地踏切:8.8KPあり、街道は線路右手に移るが、左手すぐにも2.2M道が伸びる、道の左手は主に田んぼ。
11:15 十軒家第二踏切:9.2K、で右手すぐの同様の道に移る、線路両側は田んぼ、先刻の参宮街道が段々近付いてくる。    
 
  11:27 上り「快速みえ」を撮って、9.75K地点を出発。
11:32 10K地点で道が行止まり、線路に近い参宮街道の旧道に移る、この道結構長く続いて、
11:43 掛橋踏切:10.88K、で左に、もう駅構内に入って200M程来た、往時、団体列車の留置線があった名残だろう、駅構内はやけに広い。
 
11:45 宮川駅着、相対式ホーム、11.1
KPが有る筈だが確認できず、上りホーム側は道を隔て鬱蒼とした神社の杜、駅前タクシー乗場なども広く、往時の面影を残す。
11:58 出発、進行左の住宅街を行き、
12:11 宮川橋梁の多気方袂に、これは宮川(ひ)橋梁という小川の鉄橋(35M長):11.78Kで、すぐ引返す。
12:16 宮川橋梁:458M長の多気方袂に、12K128Mとある。
12:19~12:24 鉄橋100M上流の宮川橋を渡る。

   宮川駅
   山田上口駅 12:33 高向(たかぶく)踏切:12:95K、で位置の確認、13KP上を自動車跨線橋が跨ぎ、次駅はそのすぐ先に見えている。 
12:42 山田上口駅着、ホームは相対式、駅右手に密集住宅街があり、駅入口が判らず到着が遅くなった、ホーム左手は横浜ゴムの大工場が占める。 
12:52 出発、線路右手50Mの6M道を行く、道の両側は不燃性モルタル造りの住宅、商店などで段々数を増す。またJR線左手に近鉄線が近付く、本数、編成両数は圧倒的に多い。
13:03 奥川町踏切:13.95K辺りからは線路右手すぐの2M高柵で仕切られた小道を行き、 

  

   伊勢市駅

13:07 14.25K辺りの踏切から1本横のアーケード街に入る、活気は余り振わないが、商店街が結構長く続いて、
13:18 伊勢市駅着、駅舎はお伊勢様のある北側のみ、駅舎直結の片面ホームに下り島式ホーム、多気方端に14.9KPあり、海側鳥羽方に向け伊勢車両区が控える、 

 





        

         参宮線:伊勢市-松下 8.7K 2014年8月21日(木) 

 ダメ元でトライした「ムーンライトながら号」指定席をゲット、参宮線の完歩をせんものと、2週間前と同じダイヤで伊勢市駅までやって来た。当然ながら歩行開始時間は40分ほど遅くなったが、前回は営業キロでちょうど15キロ歩いており、今回残ったそれは14.1K、完歩には自信があったのだが、結果として5.4Kも残してしまった!前回と異なり、汐合川鉄橋で列車撮影をしたり、二見ヶ浦駅から先の山越え区間の迂回があったが、何よりも潮気を含んだ多湿度下の長時間歩行に、前夜車内泊もした老人の体が対応しかねた、ということだろう。 
8:57 伊勢市駅を出発、線路を背にして建つJTB伊勢支店を見て、吹上町踏切:15.3K、で位置の確認、この伊勢支店への鉄道電話が旧天鉄局亀山からの手動交換で、函館交換の洞爺支店などと同様、なかなか繋がらなかったことを想い出す、1966
~68年頃のことです、、、 

   キハ11-112 於:伊勢市駅
   近鉄宇治山田駅  9:04 近鉄宇治山田駅に到着、駅ビル内は豪華な造り、きれいに磨き上げられているし、、、
9:16 高さ1.6M、チャチな架道橋前に出る、15.5KPあり、この100M手前で、近鉄高架線がJR線を跨ぐ、この先、線路右手の小住宅密集地区を何度か小道を繋いで前進、
9:21 勢田川橋梁袂に至る、15.73K、人橋は左50Mにある、しかし渡った先は県立伊勢工業高が占め、
9:35 工業高正門前に出る、校舎を始めテニスコートなど、広大な用地に沿い200M
程線路方に戻り、   
9:41 大町踏切:16.21K、で右手に移るも線路はすぐ右カーブ、先の様子が読めない。9:48 第2電車架道橋:16.73K、横に至る、右手すぐに三重交通バスの営業所があり、旧市内線とその車庫の跡だろう、今日は先を急ぐ。
9:54 西川橋梁:16.94K、で線路進行左手に、この先線路左手は田んぼが占め、畦道に成長した稲穂が出張り、所々水たまりもあってジュクジュクして、非常に歩きにくい。

   多気起点17.5K付近を行く上り快速みえ
   五十鈴ヶ丘駅 10:08 松尾踏切:17.5KP、に辿り着く、この先は線路右手、田んぼを挟み舗装小道があり助かった、警報器が鳴り出し、写真を撮った、駅はもう近い。 
10:20 五十鈴ヶ丘駅着、片面ホームの停留場、17.9KPあり、駅海側は「御師」という佃煮屋さんの製造工場があるが、あとは田んぼが展開。
10:26 出発、線路右手近くに道が伸びる、しかしこの道程なく行止り、ちょっと迷った後、小台地を整備した瀟洒な戸建て住宅の多い新団地に入り、 
10:44 小公園内の「前山古墳」に至る、せいぜい7~8M高だが、下に田んぼ、五十鈴ヶ丘駅などを見晴らせる、団地の先は鬱蒼とした樹林なので、直下の線路へと下り、
10:48 7M盛土線路の踏跡伝いに左手下の小道に入る、その先も畦道から2.7M農道と進み、
10:58 内宮踏切前に出る、18.92K、この先も田んぼの畦道~砂利農道伝いに前進、
11:03 汐合川鉄橋の60Mほど手前まで迫る、この先は背の丈程に育った雑草が生い茂り前進不能、堤防沿いに迂回、やっと砂利小道を見付け、

    五十鈴ヶ丘駅


   キハ75-103+キハ75-3他
11:08 汐合川橋りょうの伊勢市方袂に到着、19K346Mとある、景色がマー良いので、休養も兼ね列車撮影をしようと小休止、蒸し暑さが尋常で無く、熱中症にならぬよう気を遣う。程なく下り快速みえがやって来た。
11:24 出発、200M下流(海側)の汐合橋まで堤防の草砂利道を進む、渡るとすぐ右斜めに入る6M旧道がある。
11:37 Y字路を右に入る、線路は右200M
程の低い丘裾を行く様だが、非電化路線は架線柱も無く、生い茂った夏の樹林に邪魔され、見通しは全く利かない。   

  
11:50 森ノ下踏切:20.74Kで線路右手に、この5分程前に2F山田原公民館前を過ぎた。11:58 鳥羽第二踏切で左手に移る、21.22K辺り、もう駅はすぐ見えている。
12:02 二見ヶ浦駅着、島式ホームには無人駅舎から地下道で連絡、ホーム伊勢市方に21.4KPあり。 中国、香港など、個人観光客の姿が目に付くのが新しい体験。

   二見ヶ浦駅
 
  12:23 小休止後出発、線路はこの先、前方に立塞がる音無山(標高約110M)の山裾をトンネル(21.9~22.3K)で抜けるが、国道は海岸近くを迂回し、線路近くに平行道路は全く見当たらず、海岸へと伸びる大通りを行く、海まで約500M、沿道には修学旅行の中・高校生を対象に、中規模旅館と土産物屋さんが並ぶ。
12:43 夫婦岩に到着、写真を撮る。若い頃添乗で何度か来たが、写真を撮ったのは初めて。
12:49 道なりに鳥羽方面に通ずる国道42号線に入る、国道は二見ヶ浦の辺りをトンネルで抜けとり、その坑口が近い。 

12:55 江川橋(70M長)で江川を渡る、渡ると国道は江川沿いに右カーブ、海から分れ線路方向へと進む。
13:08 国道から90M程入り、切先踏切:23.35K辺り、で位置の確認、江川を渡る鉄橋がすぐ先、23.3KPが鉄橋中央部に、先刻渡った国道の江川橋は1K程下流になった。 


 
 この先国道には戻らず、線路海側に近く平行する農道を行き、道なりに、
13:20 松下駅に到着、ホーム片面、23.7KP
あり。    



← 松下駅、江川を渡った先の音無山はトンネルで抜ける。
     
  
 まだ鳥羽駅まで営業キロで5.4Kある、名古屋から小田原まで無停車の(ジパング割引が利く)ひかり号で帰宅するには、次駅までなら行けそうだが鳥羽駅までは無理、いずれにしても、完歩にはもう1回の訪問が不可欠となった。今朝、伊勢市駅を出発した時は、参宮線完歩は確実だと思ったが、、、人生、何が起こるか分らない、たまたま10分後に上り列車が来るのが、せめてもの慰めでした、、、      旧三重交電車形バス 伊勢市駅前 
       





           参宮線:松下-鳥羽 5.4K 2014年9月9日(火) 

 先月下旬、もう少しのところで参宮線の完歩を逃したことは、たとえ海岸地区に特有な異常な蒸し暑さが影響したとは言え、常に自分の頭の中に「借り」として残り、早々に精算したいという思いがあって、月末新宿に出た時、チケット店で「3回分:¥7,500」の青春キップも購入、機会を伺っていた。
 しかし主に天候のせいで出番が無く、1回分は宇都宮近郊の日帰り温泉訪問に使用したものの、本日9日に至り、もう全くあとが無く、追い出されるように出掛ける羽目に、、、
 自宅最寄り駅で始発電車に乗れば、14時ちょっと前に松下駅に到着、90分あれば鳥羽駅まで歩けると踏んで、アクセスとして普通列車の10時間の旅はうんざりだけれど、名誉挽回のトライをした次第です、、、 
   キハ11-112 松下駅ホームより  2014年8月21日 13:58 松下停留場を出発、100M行った23.8K地点から、前回もお世話になった国道42号線に入る。右手すぐの線路は7~8M高の樹林の山崖沿いに進む、天気は良い。
14:08 24.5KPをすぐ右に見て過ぎる。
14:15 池の浦バス停(三重交通)、「黒真珠の病院」と書いた看板を出した建物が道の左に、どういう意味か判らない、、、 
14:18 道なりに跨線橋で線路右手に、下に25.3KPがあり、その先100M、駅も見える。
 左手に近い筈の線路は、常緑樹の昼なお暗い樹林に隠れて全く見えず、注視すると微かな踏跡がホーム方に、夏草が生い茂るなか、道を外すと海に続く湿地に足を取られたり結構苦労して、
14:27 池の浦シーサイド停留場に到着、片面ホームは進行右カーブ、25.4KPあり、ホーム下迄海が迫り、右手も狭い潟が入り込み、小舟も数隻係留される、駅名の由来となった大型観光ホテルが小湾の対岸の海崖上に聳える。なお当駅に至る小道は先刻の跨線橋脇から入るようだが、現在停車する列車は皆無で、入口を判らないように偽装している。 

   池の浦シーサイド停留場
    池の浦シーサイド停留場 14:33 出発、あちこち迷った往路と異なり、簡単に国道に戻る。
14:41 国道左すぐ4M下の線路に26KPを見る、線路左手はすぐ海だ。
14:43 鳥羽IC信号前に出て左折、右手近くにトンネルの坑口があるが、ICはこのトンネルを抜けた所にあるらしい。信号から120M程で鳥羽市に入る旨の標識あり。
14:50 道なりに国道が近鉄線の下を潜る、左200M程先ではJR線が潜るが、帰路車内より26.85K辺りと確認する。 
14:58 遊病院前踏切:27.17K辺り、で位置の確認、国道の右手は国立鳥羽商船高専が広大な用地を占め、左手の海岸にも練習施設があった。この辺り、国道は片側2車線、中央に分離帯を設け、幅広でなかなか豪華。
  やがて観光旅館がチラホラ見え出し、
15:20 左の海手に廻る国道から分れ、案内に従い線路脇に下る、国道跨線橋下に28.8KPあり、もうホーム端まで200Mくらい。 
 
     鳥羽駅 15:27 鳥羽駅に到着、広幅の頭端島式ホームが1本、山側の広場に多分もう1本ホームがあったようだ、ホーム一番改札口方に29.1KPあり。
 なお左手海側に隣接する近鉄線鳥羽駅の方は、列車の発着頻度、編成両でが圧倒的に勝り、乗降客も格段の差があるのが一目で判る。 
 列車待ちの30分に電話を掛け、松阪駅前の某全国チェーンビジネスホテルに予約、明日は紀勢本線を多気駅から歩くことにした、これについては別項を立てる。