(1) 常磐線 日暮里ーー綾瀬 7.7K
1998年2月11日(木) 建国記念日 快晴
地図で見ると一目瞭然だが、常磐線の起点駅日暮里から次の三河島まで、線路は北東に進むのが最短だが、逆の北西方向に出発、直ちに長大右カーブを描くこと180度近くに及び、田端操車場から来た連絡線と合流して三河島駅に入る。
以前は田端駅でスイッチバックしていたのを、1905年日暮里駅を開設、東北本線からスルー分岐が可能なように改めたのはいいが、こんな線形になってしまったのもやむを得ないのかと思う。 |
12:03 日暮里駅起点276Mの金杉橋踏切を出発、常磐線は手前200M辺りから東北本線と分れ始め、まだこの地点では100Mと離れていない。この踏切を過ぎると線路は築堤に上る。
住宅密集地を右急カーブで進むため、線路沿いの道はあり得ないが、線路から少し離れれば道は幾つもあり、自分は折れ曲がる小道を辿って、消防庁の小さな職員寮、グランドが狭くて気の毒な荒川十中などを過ぎ、カーブを通過し終った高架線を左上に見る広い通りに抜けた。 |
日暮里起点0.3K地点 2022年6月4日 |

三河島駅 2015年5月4日 |
12:25 三河島駅着、地平改札口が北千住寄りに1個所のみ、島式ホーム1本、1KPあり。なお常磐線の0KPは、日暮里駅常磐線ホーム、三河島方に立つ。
高架線右下すぐの住宅密集地内の小道を行くが、そのうち右手のやや広い道に押し出され、明治通り、続いて日光街道を渡った所で、高架左すぐ下の小道に入って駅に。 |
13:00 南千住駅着、高架島式ホーム1本、3.3KPあり、営団日比谷線駅が東側に近接、東北・北海道方面の貨物輸送を担う隅田川貨物ターミナルの広大な敷地が駅の東側を占める。
高架左手の住宅、マンション、工場が混在する地区を進むと、徐々に日光街道へ吸い寄せられ、街道で隅田川を渡る。鉄橋は右350M、鉄橋長128M、3.9K辺りだ。
|

常磐線:南千住駅 |

南千住駅 2011年7月17日 |
京成成田線千住大橋駅から、同線伝いに常磐線方向へと軌道修正、沿道は住宅密集地で、高架下の大部分が住宅として利用され、表札も出ているのに驚く、500Mほどで常磐線と平行する遊歩道に入った。
頻繁に行き交う変化に富む電車を見ながら駅に。 |
北千住駅 2011年7月24日 |
13:45 北千住駅着、下り片面、上り島式の地平ホームを「ルミネビル」が蓋い、2階に改札口がある。日暮里方に5KPあり。
大通りをちょっと行き旧日光街道に入り、荒川方面に進む。賑やかな商店街で、途中の横山家前には、「幕末、将棋隊が敗走する際付けたという刀傷が残る柱がある」との案内が。
14:05 荒川の土手に上る、天気が良く人が大勢出ている、鉄橋(449M長)は右7〜 800Mくらい離れた。自分もここで小休止。 |
14:21 荒川を日光街道で渡る、街道はこの先東武鉄道共々日光を目指し、自分は東方向の道に入り、離れてしまった常磐線を追っかける。やがて東武線の下をくぐるが、その手前が同線と常磐線の交差地点で、常磐線6.7K地点だ。さらにもう1K歩き、途中で首都高速6号線をくぐり、 |
14:57 綾瀬駅着、高架島式ホーム2本、7.7KPあり、折返し列車用中線1本へは、両側AB番線から乗下車可能、下り線の端に北綾瀬支線用切欠きホームあり。高架下には東急ストア他商店、飲食店が入居、北口は道を隔てイトーヨーカドーのビルで、なかなかの賑わい、駅前広場が無くなおさらそう感ずるのかも、、、営団管理駅なので、JR駅とは雰囲気が少々異なる。
左膝が痛み、本日はこの駅で切上げる。 |

綾瀬駅 2011年7月26日 |
(2) 常磐線 綾瀬ーー北小金 14.3K
1998年4月11日(土) 快晴
10:45 綾瀬駅を出発、高架線の進行左下の自動車道を行き、程なく千代田支線の下をくぐる、営団綾瀬車庫への出入庫線を利用した2.1Kの営業路線で、結構利用者も多い。ちょうど試作6000型3連がやけにゆっくり高架線を渡った。
終始常磐高架線を右近くに見ながら進み、途中で足立区から葛飾区に入った、沿道には中小のマンション、一般住宅が絶えない。 |
11:14 亀有駅北口着、都営、東武バスの乗り場が4つ、京成バスが発着する南口の方が、イトーヨーカドー、三菱銀行などあって賑やか、高架島式ホーム、9.8KPあり。
南口商店街を抜け環状7号を渡ると、その先は小工場と住宅が混在、やがて中川堤防上に出る、橋は鉄橋から500Mも南に離れる。
対岸の鉄橋袂に戻るが道が無く、ガードで北側に抜け、高架直下の2M細道を行。、人と自転車しか通れず、左手は高塀が邪魔して何も見えないが、300Mで塀が切れ、そこが三菱製紙の大工場なことが分った。
線路が錆び架線の無い工場引込線を渡ると商店街に入る。 |

亀有駅 2018年11月11日 |
常磐線:金町駅 2011年7月26日 |
12:17 金町駅北口着、盛土上に島式ホームが1本、12KPあり、勿論南側を常磐快速線が走る。この駅も京成金町線が発着する南口の方が人影が多く、商店街も立派なアーケイドを構え、風格のある老舗店も多い。
水戸街道を渡ると住宅地に入り、抜ければ広大な金町浄水場に行当り、その敷地沿いに進み、
12:30 江戸川の堤防上に出る。快晴のなか持参のバナナなどで軽い昼食、歩き始めて半年、自分の場合、「歩行中はあまりたくさん食べない方が良い」ようだ。 |
13:00 水戸街道は新葛飾橋を渡る、先刻の中川と違い鉄橋は進行左手に近い、なお鉄橋は406M長、日暮里起点12.7〜13.1K辺りとなる。
橋上では自転車は数台見掛けたが、歩行者は唯1人、それもリュックを背負った街道歩きとはっきり分る服装をした男性だった。 |
対岸の松戸市に入ると、急に畑地が多くなる、ちょうど上谷切ICの新設工事中で、迂回を強いられた。
右手に松戸電車区留置線が垣間見える辺りで、6号線から左丘裾の小道へ入り、常磐線方向に、丘上に千葉大の園芸学部が見える。
なお松戸電車区は駅から南南東に1K余、丘陵内に位置、出入庫線の分岐は14.8KP辺りとなる。
この先金網越しに列車走行を見る細道を行き、旧水戸徳川家屋敷がある、丘上の「戸定公園」に寄る。明治末期のこの地の生活振りを撮った写真に見入った。 |

江戸川を渡り千葉県松戸市に入る |
常磐線:松戸駅 2011年8月8日 |
14:29 戸定公園から徒歩10分、松戸駅に到着15.7KPあり、地平島式ホーム3本、他に新京成も島式1本、実は松戸駅前を歩いたのは今日が初めて。なお同駅の海抜は5.2Mと意外に低く、東京の下町駅と大差ない。
松戸駅から進行右手すぐの道を行く、新京成の踏切を渡り、線路を金網越しに見る歩行者専用道も行き、やがて水戸街道に入る、街道は一時駅から東に1Kと離れたが、また線路に近付いて来た。 |
14:59 北松戸駅着、地平島式ホーム1本の橋上駅、17.7KPあり、駅西側に松戸競輪場が近い。
さらに水戸街道を進む、街道右手に近い台地は高さ20Mくらい、線路左手はやや低く、住宅地が主で畑地も少々。6号線は馬橋駅入口信号から北東方向に進路変更、また線路から離れる。 |
北松戸駅 2022年6月4日 |
15:24 馬橋駅着、橋上駅、島式ホーム1本、常磐快速線(通過)を挟み、流山電鉄のホームが並ぶ、日暮里方出外れに19KPあり。
東口駅前広場は狭く、タクシーが10台もたむろすると、歩行が窮屈だ。
線路右手に2車線道が伸びるが、600M手前で小道に変る、クルマも通り、電車の走行を楽しむどころではない。
新松戸駅東側は一部台地が迫るからか、改札口も無くゴチャゴチャした未整理の地域だった。、 |
常磐線:馬橋駅 2011年8月8日 |
常磐線:新松戸駅 2011年8月8日 |
15:52 新松戸駅着、改札口は西口のみ、連絡地下道がある、地平島式ホーム、上を直角に跨ぐ武蔵野線は相対式ホームを構え、乗換客が多い。駅前商店街は狭い場所に小商店が密集、活気があるように感じた。
進行左、線路すぐの道を行くと、左より武蔵野線の高架貨物連絡線が現れる(完全平行となるのは21.3K地点)、この辺り、住宅街外れの窪地で、いわゆる文化住宅が多い。
やがて急斜面の台地が立ち塞がり、道路は行止り、台地上まで急な階段があり、高低差20Mはありそう。 上れば高台にまた住宅街が展開。 |
16:16 右下すぐに掘割を行く常磐線を見ながら歩き、北小金駅に到着。浅い掘割内に島式ホーム1本、22KPが立つ。駅は南口が格段と賑やか、人工地盤で連絡するビルに大型スーパーが2軒、上層階はスポーツ施設や共同住宅など、北口は小商店が数軒あって、すぐ住宅街が迫る。
なお北小金の駅名は「小金」だと小金井などと紛らわしく、「北」を付けて区別したようだ。埼玉の東松山市などと同様の事情があったようだ。 |
常磐線:北小金駅 2001年11月25日 |
(3) 常磐線 北小金ーー取手 15.4K
1998年7月18日(土) 快晴
5:20 起床、天気は良い、夏場に入り、気温の上がらない内に歩こうと、早めに出発、常磐線は北小金駅に向う、起床後家を出るまで、少々時間を取り過ぎる、今後の反省材料だ。 |
7:45 北小金駅を出発、線路左すぐの住宅地を行き、程なく下の広い田園地帯に下る。線路は築堤で前方の次の台地へと一っ跳び、築堤右の平地は一般住宅がぎっしり埋める。
道路は田園の左手をかなり遠回りして、また線路端に戻るが、草の小道が築堤脇で小川を渡り、線路と共に直進、前方の台地に上る。
線路右手から移って来た水戸街道を渡り、ほぼ線路沿いに住宅、低層マンション街の道を進むこと約1K、 |

南柏駅 2022年6月4日 |
8:15 南柏駅着、島式ホーム1本、24.4KPあり、西口小広場を囲み、小さなビルに商店が数軒、女子高が近いらしく、ベンチでお化粧に余念のない生徒も数人。 東口に行くと、駅前広場はあるがあとは松戸信金があるくらい、開発はまだこれからだ。
線路に近い左手の道を行く、住宅、マンションが並ぶが、畑も多く残る。
東武野田線が右手から常磐線を跨ぎ越し、道の左手に寄添う、26.15K地点、そして300Mも行くと道なりに野田線の右手に移り、歩行者専用跨線橋で常磐線も跨ぎ、ビルの間の小道を駅に向う。 |
8:58 柏駅に到着、地平島式ホームが2本、取手方に27KPあり、隣接して東武野田線の頭端式島式ホームも2本。
柏高島屋の入る駅ビル2階に乗下車口が別になった改札口があり、東武野田線も発着する大駅だ。デパートは他に丸井、そごうとあり、一部は人工広場で駅と結ばれ、広場の下はバスターミナルになっている。
柏そごうの裏手を過ぎ線路左手に移る。代々木ゼミの前を過ぎると、受講生が数名開門を待っていた。
住宅街のゴチャゴチャした道を行き、やがて水戸街道に押出されるように入る。 |
.jpg) |
|
玉姫殿の西欧風教会前を過ぎる、近頃のは結構細部まで丹念に真似て造ってある、隣接する結婚式場は線路掘割に面し、車窓からも見える。
さらに水戸街道を進み、手賀沼に注ぐ大堀川を渡り、
9:39 道なりに北柏駅裏手に到着、島式ホーム1本の橋上駅、29.2KPあり、駅南口の広いロータリーに東武、阪東の路線バスがノンビリ休む。
駅の南側は遮るものが無く、線路は駅を出て柏方左方向に90度近い大カーブを描き、その先柏市街、駅周辺のデパートなどが、跨線橋からよく見える。 |
なおこの駅から手賀沼は5〜600Mと近い、そもそも「柏」の地名は、昔舟運が栄えた頃の「河岸場」が転化したというのが定説の様だ。
さらに6号線を行く、駅近くに広大な更地が存在するが、これは柏と安孫子両駅の貨物設備を統合した貨物ターミナルの跡地で、命は短かった。
500Mも進むと右手に住宅地が現れ、時々道筋を変えながら線路方向に歩く、やがて右手の線路
に近付き、静まり返って薄暗い安孫子市保存緑地に入る。
日立精機の工場は広大な敷地に樹林が育ち、保存状態も良く公園のよう、ここまで来れば駅は近い。駅の左手は窪地になっており、ちょっと下りまた上る。 |
常磐線:我孫子駅北口 2011年8月2日 |
10:17 我孫子駅着、成田線が分岐、緩行線の折返しホームもあるため、島式3本、片面ホーム1本の大駅、31.2KPあり。弥生軒の立食いそば屋がホーム上で営業、以前は駅弁も扱い、掛紙に「放浪天才画家:山下清画伯」の絵が、彼が働いていたよしみで用いられていたのを思い出す。 我孫子駅は南口の手賀沼側が一段と賑やかで、駅前広場が整備中、ホーム数は多いが、商業地としては柏に数段の遅れを取る。
線路右手の商店街はすぐ途絶え、お屋敷街に入った辺りで、線路左手すぐの道に移る。 |
成田線は進行一番左側を行くが、32KP辺りで右手の常磐線を斜めに跨いで去る、駅から900Mほどの並走だった。
さらに住宅街の道を右手の線路を見上げるように進む、コンクリ護岸の小川を渡る辺り、周囲の土地はちょっと低い。
先刻から見えていた低い丘にぶつかり、その裾沿いに線路に近付くが、船橋方面に通ずる県道の先は線路方向の道が無く、この県道に入り、100M長のトンネルで天王台車両基地の下を抜ける。 |
抜けると明るい新興住宅地で、東武系列の阪東バスが走る道を駅方向に進む。
11:22 天王台駅に到着、島式ホーム2本の橋上駅、緩行線は我孫子以遠朝夕のみの運転で、日中は快速線ホームが使用される、34KPあり。駅の開業は1971年と比較的新しい。
線路右手を300M、広幅の跨線橋で左手に移り、階段で下の線路沿いの道に入る。住宅街の一画にある小公園で小休止、さわやかな風が吹き助かる。
新しく分譲されたばかりの地区に入る、利根川に近付くと土地はやや低くなる、所々まだ空地も残り、広々とした田園地帯であったのもそう遠いことではないと想わせる。
線路は盛土上を行き、線路反対側にNECの近代的大工場が建つ辺りだが、何も見えない、工場が建つのが35.5K地点なのは車窓から確認済み。
12:15 利根川の堤防に出る、広い河川敷を利用してゴルフ場があり、クラブハウスも見える、これから渡る大利根橋は上流400Mほどにある。
12:32 利根川を渡り終える、大利根橋は片側2車線、下りはノロノロ運転、橋上では例によって誰にも会わず。なお鉄橋は735M長、36.1K〜37K辺りが相当。
橋を渡れば取手駅(西口)は近い。 |
12:38 取手駅西口着、JR部分は地平島式ホーム3本の橋上駅、37.5KPあり。駅西口は東急ストア他幾つかのビルと人工地盤で連絡するが、駅前繁華街は狭い。関東鉄道は島式ホームが山側に並び、その上に小振りの駅ビルが建つ、ビルにツバメが巣を作り、周囲を飛回る光景に何かほっとしたものを感ずる。
木造駅舎の建つ東口は下り方端の地平部分にあり、現在駅前広場を造成中、東西連絡の地下道があるが、他所者には判りにくい。
この駅北側に低い台地の裾が迫り、南は利根川だし、複雑な場所に位置する。 |
常磐線:取手駅 2011年8月2日 |
(4) 常磐線 取手ーー土浦 26.4K
1998年10月11日(日) 快晴
8:40 取手駅東口を出発、改札口はホームより低い所に位置するが、ちょっと進むとホームを見下ろして進み、やがて低い台地上に出る。
常磐線は駅を出ると右R400の大カーブで台地を抜け平野部に出る、線路沿いの道もやがて左2M上を築堤で進む線路を見る。なお、関東鉄道は駅出るとすぐ左急カーブ、丘裾沿いに上っていく、常磐線38KPが60Mくらい右手に見える。
道が線路からちょっと離れ井野団地を右に見る、5階建てが50棟余りある大団地で、駅からちょうど1Kばかり歩いた。線路反対側には麒麟ビールの大工場が見える。
屋敷林を擁する旧い農家が続く地区を抜けた辺りから道が細くなり、住宅街を何度か曲がり、旧水戸街道(県道229号)に入る。
9:10 川戸沼バス停、田畑、住宅が混在する地区だが、ハートピア老人病院、東取手病院が目立ち、これ等は車窓からも望める。線路から500Mほど離れてしまったが、この先旧街道は道なりに線路に近付いていく。
9:34 陸前浜街道踏切を渡り、旧道から国道6号線に入る、41.8K地点、利根川を渡り、そのまま駅の西側を北上してきた現在の水戸街道だ。
自動車メーカーのショールーム、中古車センターなどが多い6号線を1.5Kほど歩き、駅に。 |
常磐線:藤代駅 2011年8月2日 |
9:55 藤代駅着、広々と開けた平野の中の駅で、相対式ホームの間に中線が1本、43.5KPは土浦方に立つ。
なお駅の500Mばかり手前に地上交直切替地点があり、線路標識があるが、詳細は省略する。
駅近くは大和ハウスの高層マンションが2棟建つくらい、旧藤代宿は北側(進行左手)に近い。
10:10 住宅街を行き、程なく小貝川の堤防上に出る、思ったより大きな川で、鉄橋は170M長、44.3K辺りとなる。橋は上流400Mの6号線まで無い、渡れば次駅までもう1Kくらい。 |
10:30 佐貫駅着、下り島式、上り片面ホームの橋上駅、45.6KPあり、駅手前の線路脇マンションの屋上に、赤塗りの大きな水貯槽タンクが載り、これが遠くからも目印となる。
竜ヶ崎線の短いホームに隣接して、旧型客車を台車付きのまま横付けにした軽食堂がある。旧国鉄時代の労務対策を引きずった感が強い事業で、係員の服装からもやる気は伝わらない、客車もそろそろ塗替えが必要で、民営化後10年、どうにかならないものだろうか、、、 |

佐貫駅 2014年3月 |
線路左手の住宅街を行く、右手の新築したばかりの戸建て団地脇も通り、46.5K地点の踏切でまた左手に戻る。この辺りどの家もこの5〜6年に建てられたようだ。
10:57 6号線に入る、左手はすぐ牛久沼で、景色が良く気分も良くなる、沿道にはドライブ客相手の大きなうなぎ屋さんが多いが、湖岸には建物は殆ど無く、釣り船も出ていない。
線路は右50M、街道よりもやや高く、盛土線路が台地の裾を行く。
11:22 49KPが立つ、この辺り線路と街道はずっと平行してきた。この先線路は切通しに入り、台地の上へと進む、途中、線路反対側の浅い谷を住宅が全て埋めつくすような地区もあった。 |
11:40 牛久駅に到着、下り片面、上り島式ホーム、中線1本、汽車駅の雰囲気をホームに残す橋上駅、50.5KPあり、西口はイトーヨーカドーが入居したマンションなど商業施設が多く、取手よりは活気があるようだ。また道行く人も都会的で、湘南地方の郊外駅のような雰囲気も持つ。
線路東側すぐ、住宅街を行く道に入る、牛久の住宅街は一区画の面積が広く、広幅道路に並木の樹木も育ち、小公園も適当に配置され、住宅環境は良好だ。
12:16 52KPを過ぎる、まだ線路端の道が続き、52.5KP地点で台地の端に出る。 |
常磐線:牛久駅(東口) 2011年8月2日 |
次の台地まで、刈入れの終った広い田んぼを挟んで約500M、台地裾に近く小野川の流れも見える。
左100Mを行く線路はこの谷間を築堤で一跨ぎ、小野川鉄橋は53.3K辺りとなる。
自分は田畑の間を縫って進む細道をハイキング気分で歩き、対岸の台地上に建つ小・中学校の前を過ぎ、道なりにまた線路端に出た、反対側を6号線が行く。この辺りまだ一昔前の農村の雰囲気が味わえ、懐かしかった。
道はとある農家の前で行止り、しかしその先薄暗い竹藪の中に細道が伸び、思い切って中に突っ込む、しっとりした土の感触を味わいながらこわごわ進むが、実はこの道200M位しかなかった。
突然視界が開け、造成が終ったばかりの広い更地が現れる、プレハブ事務所の看板で、JR東日本が開発中の「びゅうパルクひたち野」だと知る、200M先に近代的な大駅舎も見えている。
やがてここにも多くの住宅が建ち並ぶだろうと思い、写真を撮った。 |
「びゅうパルクひたち野」から見るひたち野うしく駅 |
12;58 ひたち野うしく駅着、つくば万博開催時の臨時駅が昇格したもので、駅舎などを新築して98年3月に開業したばかり。島式ホーム2本の橋上駅、54.5KPあり、特急列車の退避も多い、2階の広くてきれいなコンコースからは、筑波山が遠く霞む。
旅客の影が殆どないのは当然として、先行投資にせよ、ややバブル的な豪華さを持つ。
駅前には住宅整備公団の入居した、窓が全くない(様に見える)全面青く反射する近代的なビルも建ち、その2階にイタリア料理店があるが、客の姿は全く見えなかった。 |
この先未開発の樹林、原野が多く、線路沿いに道は無いようで、駅西側に拡がる宅地造成中のだだっ広い野原の間の小道を抜け、国道6号線に出る。
13:20 中江一里塚を過ぎ、ここから土浦市に入る、そして荒川沖南区交差点で、斜め右方向に入る道があり、約1K歩いて駅に。 |
13:45 荒川沖駅に到着、相対式ホーム、中線1本の橋上駅、ホーム出外れ上野方に57KPが立つ。駅東(右)側は日立セメントのサイロと引込線が占める。西口は常陽銀行、土浦信金などあり、目下区画整理工事のたけなわ、駅前広場を中心に新しい街作りが進行中だ。
なお「沖」とは海の先のことと思っていたが、「本村から遠い所」という意味もあるようだ。
この先も線路近くに道が無いようで、ゴチャゴチャした駅前住宅街をちょっと迷った後抜け、学園東大通り入口信号で水戸街道にまた入る。 |
常磐線:荒川沖駅 |
14:20 荒川沖駅から約2K、嵩久保地区はロードサイドショップが多く、その中の一つ、「ネオジオワールドつくば」というやけに大きなゲームセンターのレストランで生ビールを注文、小休止。
14:40 さらに水戸街道を行く、街道は線路の東700Mを行き、この間隔は土浦まで殆ど変らず。
15:04 花室川を渡る、ここから広幅のバイパスが斜め左に分れる、本来の街道は前方の田園地帯に一時下り、見渡す限りの田んぼの先に、右手築堤上を進む線路が見えた、花室川の鉄橋は60.4K辺り。
15:20 国立霞ヶ浦病院入口でY字路を右に旧道に入る。坂道を下り桜川を渡ると下流の匂橋まで堤防上を遊歩道があり、670Mと案内がある。なお第1桜川鉄橋は63.4K辺りとなる。
匂橋を渡ると歓楽街が出現、規模は意外なほど大きく、土浦市の経済力を裏付ける。お兄さんがそこここに立つなか、足早に去り(本当です、、、)、抜けると銀行、保険会社など、有名会社の支店が集まる地区に入り、程なく、人工地盤で駅と繋がる大スーパーが入るビルの前に出た。
|
常磐線:土浦駅 2011年8月2日 |
15:55 土浦駅に到着、島式ホームが2本、中線1本、留置線が少なくとも3本湖側に残り、貨物コンテナが2段積みにされて多数並ぶ広い敷地が隣接、63.8KPあり。
駅ビル2階が改札口、人工地盤で幾つかのビルと連絡、湖側は貨物駅が占め、閑散としている。
今日は営業キロで26K余歩いたが、これはこれまでの最高記録となる。歩き潰しを始めて1年、この頃脚力の充実を意識して、内心うれしい。
モハ415-701に乗車、松戸で緩行線に乗継ぎ、帰宅は18:55
|