常磐線:土浦ーー日立
(5)常磐線 土浦ーー羽鳥 22.7K 1999年9月4日(土) 薄曇り
この夏の暑さは半端でなかった、自分の場合、7月17日に成田線沿線を歩いて以来、全くどこにも出かけず、青春18きっぷの購入もしなかった。本日やっと機会を得、意気揚々と土浦駅にやって来たのはいいが、足が早くも弱っており右足の甲が痛む。この間、プールには7〜8回通い、体調を整えてきた積りだが、鍛える筋肉が異なるようだ。 |
土浦まで乗ったのは15両編成の高校生通学列車、ここで11両が切り離しになるのだから、改札口に上る階段など高校生で一杯、階段を上るまでに5分を要した、通勤者と違い急ぐ者は誰もいない。
8:17 土浦駅出発、街をまだ見たことが無く、駅前大通りをお城の方に行ってみる、落着いて清潔な中層ビル街がしばらく続き、高校生が大挙して過ぎるなど、何となく独立地方都市の雰囲気を感ずる。
駅から15分で亀城(きじょう)に到着、9万5千石の土屋氏が長らく治めたが、今は城門と櫓を残すだけ、濠を幾重にも回らした平城で、犬を連れて朝の散歩をするなど、市民に愛される公園になっている。
城の北側を行く国道125号線に入る、ここまで霞ヶ浦沿いに来た街道で、常陽銀行、警察署などがある。
さらに5〜600M歩くと、労働金庫の脇に短いホーム跡と線路敷きが残り、国道で分断された西側にも線路跡が伸びる。これが土浦駅の先500Mで左に分岐した、旧常総鉄道筑波線の廃線跡だ。筑波までサイクリング道路として整備されているらしいが、いつか歩いてみたい。
この後すぐ自分も線路の方向に軌道修正を図り街道を右折、程なく立派な市民会館前を過ぎ、その北側の住宅街の道に入り、広い国道もちょっとだが歩いた。
この辺り線路の東側は、上限線に挟まれて勝田車両センターの支所があり、留置線、検修線が水戸方に伸びる、64.4〜65.6K辺りが該当する。
程なく道幅の狭い旧街道に入ると、道なりに線路に近付く、旧い住宅が多い木田余(きだまり)西バス停では線路まで100M、変電所前バス停で線路端に出ると、周囲にハス畑が多い。この先ずっと線路近くを進む。
9:37 道なりに少し上り、土浦市神立町に入る、道の左はすぐ林で、電車が来ないと寂しい場所だ、この辺り歩道が無く道幅も狭くて恐い。台地上に出ると道が広くなり、歩道も設備、栗林などが現れる。この街道が県道141号なのを、道路標識で知った。 |
9:59 神立駅着、西側に地平木造駅舎、改札口直結の下りホーム、上りは島式、水戸方に70KPが立つ。この駅は周囲に大工場も幾つか、朝など下り後部車両に乗ると、この駅で通勤者がドッと下車、驚いたことがある。
さらに旧道を行く、すぐ道なりに踏切を渡り右手に、踏切脇で三井の大マンションを分譲中、3LDKで2,900万円、駅から5分で歩ける場所だ。
この先工場が多くなり、平成ポリマー、東京製綱と過ぎる、後者は大工場で、広大な敷地の片方が線路と接し、神立駅から貨物専用線が通じている(いた?)。 |
常磐線:神立駅 2011年8月14日 |
県道から線路方向へと分れる道がそろそろ現れてもいい頃だが、注意していたが見付からず、段々目的地から離れていく感じ、周囲は小住宅と畑地、畑地は途中から手入れの良い栗林に変る。
11:10 穴倉小学校東三叉路に達する、自分としては初めて線路方向に進む道を見付けた感じ。なお穴倉地区は純農村地帯、主に畑と栗林に囲まれ、農家の造りはどれも立派、高塀で囲まれ屋敷林を擁し、お屋敷と呼べるような家ばかりなのが印象的。 |
11:30 今度は県道221号を西に歩き、大塚十字路に出る。この十字路に至る道が東京製綱の近くから分岐するのだと思うが、どうして見逃してしまったのかなー?2.5K損をした。
台地の端に位置する大塚集落も戸数が多いが、家の構えは穴倉に敵わない。台地の端に出ると15M下に田園地帯を見晴らし景色が良い。
12:15 台地下の三村羽成子三叉路に至る、広田の中、左手400Mに築堤を下る線路も見え出し、進むに連れ両者は近付く、右手500Mに霞ヶ浦も見え、この辺りの広い水田もその一部を埋立てて造成されたことは明白だ。
12:27 沼のように流れが止った恋瀬川を渡る、座椅子のような小型ゴムボートを浮かべ、ブラックバスだろうか大物釣りに興ずる男性が数人。恋瀬川鉄橋は75.8〜75.9K辺りとなる。
下り列車からこの区間を見ると、東京製綱の大工場を右に見た後、人家は勿論畑地もすぐ失せ、高浜の水田地帯に下るまで約3K、線路の両側はほぼ樹林と原野だけ、道らしき道は見当らない。水戸街道もこの辺りでは西に4〜5K離れて進み、歩くとなるとなかなか難しい区間なのだ。 |
常磐線:高浜駅 |
12:42 高浜駅着、霞ヶ浦側に木造駅舎が建ち、上りホームは改札口直結、下りは島式、下りの場合、この駅で特急退避をする普通は多い、石岡方ホーム出外れに76.5KPが立つ。ホーム左手は広い水田が展開、その先に筑波山がきれいに見える、10Kくらいある。
駅近くの高浜神社の案内によると、高浜に奈良時代国府が置かれ、都からの旅人は霞ケ浦を渡ってこの浜に上陸した。また江戸時代にも水運の要衝として栄え、この地の物資は15日要して江戸に運ばれたとのこと。 |
駅出てすぐの鹿島街道踏切で左手に、道なりに台地上に出る。見晴らしが良くなり、先刻過ぎた大塚集落が田んぼの先に見え、まるで入江の対岸を眺めるような感に捕われる。
線路から離れるのを警戒するも適当な道が無く、118号線を1.5Kばかり、石岡簡易郵便局まで来た、右の小道に入ってみると緩く下り、ちょっと先に線路が見えてホッとした。線路は鹿島街道踏切の先で左カーブ、台地の間の狭間伝いに上って来たのだ。線路反対側の切立った台地上には新しい郊外住宅が並ぶ。 |
14:05 石岡駅に到着、山側の木造モルタル平屋駅舎に直結の下りホーム、上り島式ホーム、80KPあり。
駅の東側を鉾田に通ずる鹿島鉄道の島式ホーム、木造車庫、留置線が占め、塗替えが終了した旧国鉄42000型を筆頭に、今となっては古典的車両がゴロゴロ、30年前の懐かしい光景が展開する、しかしホームに人影が殆ど無いのが 気になるねー、、、
50日振りの歩き潰しで張り切っている筈だが、疲れが出てきた、切上げるとすればここ石岡だが、疲れた足を引きずり、もう一駅頑張ることにする。 |

常磐線:石岡駅 2011年8月2日 |
駅ちょっと先の陸橋の袂を左折、すぐ線路方向に伸びる国道355号線に入る。
なお水戸街道は土浦で常磐線と分れ、石岡駅手前で常磐線にタッチはするが、そのまま北東方向に去り、水戸駅の先まで会うことはない。常磐線は神立、高浜、羽鳥、友部と水戸街道の恩恵を受けない町村を回って水戸に至るとも言えよう。 |
沿道の風景は単調で退屈、どんどん進みたいが足がついて来ない。
15:20 園部川を渡る、幅3M程度の霞ケ浦に注ぐ小川だが、この川が石岡市と美野里町の境界に当る。355号線もここまで下ってまた次の台地に上り、羽鳥に至る、園部川鉄橋は83.4K辺り。足が痛み川岸で一休み。
15:30 常磐自動車道の下を抜ける、この道も友部には寄らず水戸方面に直行する。
15:55 台地上に出て、横浜ゴムの大工場を右手に見て過ぎる、工場裏手が線路に接することは確認済み、もう1K歩けば駅の筈で、ちょっと元気になる。
市街に入り羽鳥小学校前を過ぎる、体育館が道路に沿って建ち、中の様子が見て取れる。住宅が多くなり、石岡からずっと続いた歩道がなくなった。 |
常磐線:羽鳥駅 |
16;15 羽鳥駅着、改札口直結下りホームに上りは島式、86.5KPあり。
小集落が駅舎側にあり、浜ゴムを始め大企業の工場が周囲に幾つかある。駅の東側は石材加工場が占め、大きな石が多数置かれる。若木の桜が植わる小公園も並ぶ。
羽鳥の地名は、この辺りに機織りを業とした服部部が居住したことに拠るようだ。
今日は神立駅の先で道に迷い、暑さもあって参った、しかし終ってみれば営業キロで22.7Kを歩き、格好はついた。足は痛むが達成感があり、帰りの缶ビールがおいしかった。 |
(6)常磐線 羽鳥ーー赤塚 22.8K 1999年12月11日(土) 快晴
冬の青春きっぷ有効期間内となり、これまで費用の関係で控えていた片道100K圏が、また手の届く範囲に入った。この夏の猛暑がたたり少々停滞している「歩き潰し」だが、この冬はちょっと頑張らなくては、、、今日はその第1回目として、現時点での重点目標になっている常磐線を訪れた。 |
8:45 羽鳥駅を出発、線路左手すぐに道がある、道の左手は「キリスト兄弟団聖書学院」という修道院(?)の塀が続く、中で共同生活が行われているようだが、ひっそりして動きが無い。
700M程来た87.3K地点で、前にカゴメの工場が建ち、籠目踏切を渡っても、線路沿いの道は無さそうで、カゴメと聖書学院に挟まれた道で線路から離れ、道なりに前回石岡から世話になった355号線に入る。入るとすぐ八郷町の標識があり、カゴメ工場は手前の美野里町域に収まっている。
程なく結構大きな八郷病院を過ぎると歩道が無くなり、トラックの通行が多く気を遣う。沿道は畑地と樹林を基調とした農村地帯で、少々退屈してくる。
野谷という集落を過ぎるが、知らないうちに岩間市にそれも相当深く入っており、羽鳥駅を出発した頃から見えていた80〜100Mの低い山が、左手300Mと近くなる、意外と低地を行く常磐線で山を見るのは、筑波山を別にすると珍しい。
昔のままの古い建物で、「役場時代」の雰囲気が色濃く残る市役所を過ぎ駅に。
なお今日は必需品の腕時計を忘れ、時間の記入ができない、「歩き潰し」を始めて2年が経過、慣れてきたせいで、多少気の緩みがあるのかも、気を付けなくては、、、 |
常磐線:岩間駅 |
10:07 岩間駅着、相対式ホームの間に中線が1本、ホーム水戸方出外れに92KPが立つ。駅舎脇に小公園、集落は駅の左手が大きく、右手にはいったん駅を出て踏切で連絡。
駅前に立つと正面に愛宕山が目立つ、標高258M、海原に突出た半島の先のような山で、存在感がある。頂上に愛宕神社があり、ドライブウェイも通じ、頂上から岩間市街の眺望が良い。
10:22 出発、さらに355号線を行く、線路は右手300M、築堤上を行き、その間は広い田んぼが続く。 |
友部町の標識があり、この先すぐY字路となる、自分は右に友部方向に行くが、笠間市に通ずるバイパスも同じ355号を名乗る、町の標識まで羽鳥駅から9495歩だった。友部方向の道に歩道は無いが交通量も段落ち、気にならない。
コンクリ橋脚だけが完成、目下取付道路を建設中の北関東高速道を潜る(?)、なお線路を跨ぐのは95.9K辺り、その先すぐの涸沼川鉄橋は96.1K地点となる。
大沢跨線橋を渡りここで355号線から分れ、切通し右上の道を進む、道の右手は麦、白菜などの畑で住居は少ない。この切通し沿いの道は長く、1.5Kは続いた。
線路反対側に野球場があるのは98.1K辺り、住宅が多くなった。
駅の200M程手前で右急カーブ、左からまっすぐ駅に進入する水戸線と合流して友部駅に、常磐線が後から建設された「新参者」であることがよく判る。 |
12:00 友部駅着、モルタル駅舎が海側に、駅舎直結上り片面ホームに、水戸線用を含め島式ホームが2本、山側に貨車入換え線が4〜5本ある、98.8KPあり。隣接してセメント製造会社、日本たばこ産業の工場が立地、JR貨物も駅を構える。
駅前に結構頻繁に路線バスが発着、帝産オート系列の茨城オートというバス会社だ。
駅前から線路近くを平行して街中を行く道がある、商店が途切れ住宅に変り、さらに500Mで道なりに線路に添う。 |

常磐線:友部駅 |
常磐線100KP、写真下手で済みません、、、 |
住宅が消え、広い田んぼの中に出ると1K先まで見通せる、EF8118牽くコンテナ貨物が過ぎた
日暮里起点100KP(キロポスト)が電柱の陰に隠れるように立ち、写真を撮る。
100.7K辺りより上下線の間が開く、自分は右手の上り線沿いに歩いた。
この先上下線が2Kに亙り100Mほど離れる、戦時中に急造された内原操車場跡とのことだが、現在そこは主としてJR系列の日本レストランにより、有機実験農園として利用され、ネギなどが栽培されている。 |
宍戸踏切の先で行止り、林の中の小道に入る、周囲が栗林に変り明るくなる、枯葉をバリバリいわながら歩き靴が沈む、やがて畑の端に出てまた下り線路の脇に出る。この間約250M、ここで友部町から内原町に入った、ここまで来るともう次の駅が見える、1K位あるかな。
道は途中から舗装道路となり、102.6K辺りから上下線が一緒になる。 |
13:27 内原駅着、下りが改札口直結片面、上りは島式ホーム、駅舎の壁にペンキで103.5KPとある、駅前広場は無く、ホーム東側に小公園あり、羽鳥駅から21,520歩だった。
内原は広い水田に囲まれた駅、200M先にJA内原支店、内原郵便局があるくらいで、他には何も見当らないようだが、、、
広い田んぼに盛土をしした50号線は新道で、歩道には白塗りの手摺まである、線路は右手200Mを行く。なお線路は駅を出て100Mも進むと、人家が無くなり広田の中に出る。 |
常磐線:内原駅 |
桜川という小用水を渡る、線路はやや遠くなり右手300Mを行く、鉄橋は105.25K辺りとなる。
標識があり水戸市に入る、羽鳥駅から25,098歩、この先すぐ加賀井町交差点で左手の国道50号線に道なりに入る。
常磐自動車道ICの下をくぐり、程なく常磐自動車道の下もくぐる、なお線路がその下をくぐるのは108KP地点、抜け出ればファミリーレストラン、自動車ディーラー店が沿道に並ぶ。
一度高速道の側道伝いに線路に近付いたが、線路沿いに道が無く、また国道に戻らされる。水戸駅が近いせいか、駅の周辺は住宅、小型マンション、それに商店が多く、道路の開発がチグハグなのかもしれない。
15:12 赤塚駅に到着、下り片面ホーム、上り島式ホーム、島式ホーム内側線は上下線からの進入が可能、109.5KPあり。
駅舎はこの11月21日、橋上駅に生れ変ったばかり、駅前地区も併せて整備中で、鉄骨を組み終ったばかりの大型商業店舗が見え、他にも建設中のビルがあって、大型クレーンが稼働中だし、トラックも出入りして落着かない。羽鳥駅から30,957歩だった。 |
(7)常磐線 赤塚ーー東海 20.7K
(1)鹿島臨海鉄道 水戸ーー東水戸 3.8K
1999年12月31日(金) 快晴午前一時小雨
’97年10月に鉄道沿線を歩き始めて以来、これで3回目の大晦日となるが、その3日全てを歩いたのだから、自分もかなり暇人だ、、、
今日のスジは先週水戸線の歩き潰しをした時と同じ、号車も同じ最後部、しかし、大晦日の今朝は雰囲気がガラリと変り、日暮里から佐貫まで乗車は自分1人だけ、佐貫乗車の男性が土浦で下車すると、また石岡まで1人となる、この間、いつも神立で降りる工場勤務のサラリーマンも今朝は全く姿を見せず、調子が狂ったのだろう、乗車車両の記入を失念した。 |
8:29 赤塚駅を出発、進行右手の住宅街を行く、駅の右手は昭和産業の工場跡があった所で、大型商業施設を建設中の左手に比べ、ずっと静かだ。
天気は曇り空、内原辺りでは天気雨だった、、、
沿道は旧い農家も見るが、全体としてはサラリーマン住宅が多い、水戸行のJR関東バスも通る道だが、大晦日だからなのか、交通量は少ない。
9:04 小公園の前で線路沿いの道は行止り、右手台地上を占める常磐大学の方向にいったん築堤線路から離れる。台地上には畑や林もあり、やけに犬の鳴き声が響き渡ると思ったら、茨城県警察犬訓練所の表札があった。建物は樹林に囲まれ見えない。
9:20 銀行の角で国道30号線にちょっと入り、道なりに偕楽園の西端から遊歩道を下ると、左手から線路が近付いて来た。
9:45 偕楽園(仮)駅に到着、偕楽園の中心部のある台地の裾に設けられた下り片面ホームのみの停留場で、113.5KPが立つ。 |
偕楽園より千波湖を望む、下を行くのは常磐線 |
線路右手、用水の様な桜川沿いに遊歩道が伸びる。左手偕楽園から続く台地上には低層マンションが建ち、その裾を常磐線が行く。
10:28 美都里橋で桜川を渡る、水戸駅まで500Mと案内があった。
10:40 水戸駅南口に到着、以前貨物ヤードがあった所は、広い更地になっていた。水郡線、鹿島臨海鉄道も発着、ホーム構成はなかなか面白いが長くなるので省略。
お目当ての一つだった「2000年記念オレカ」は売切れでした。 |
10:49 北口を出発、すぐ水郡線踏切を渡り(290M地点)、続いて歩行者用跨線橋で線路右手に、116KPあり、また桜川の堤防上の道を行く。
11:11 116.85地点、鹿島臨海は既に高架に上っており、117.2K辺りで桜川を斜めに渡りその右手に出る。
11:18 自分も117.5K辺りの根川橋を渡り右手に移る、常磐線はこの先150M、6号線の下をくぐる。
橋を渡ると茨交浜田営業所がある、広い敷地が路線バス全盛時代を偲ばせる。この先小街道風の道あり。 |
水戸駅方面を望む、左が鹿島臨海鉄道、116K地点 |
さてこの先、線路沿いに流れる桜川沿いに歩けば那珂川岸に至り、下流1Kほどの勝田橋を渡ってまた対岸の鉄橋袂まで戻るのが、いつもの自分のやり方だ。しかしこの那珂川は川岸を浸し満々と水が流れ、河川敷が全く無く、そのせいか堤防を行く道も無いようだ。
それで勝田橋に至る途中の吉沼信号から600M程で行ける、鹿島臨海鉄道の東水戸駅に寄った後、また取って返して勝田橋を渡り、そのまま勝田駅を目指すことにした。これだと後日同鉄道を歩き潰す際、手戻りが無くて済む。 |
右手200M,高架上を行く鹿島臨海鉄道の高架を見ながら進む。線路までは広い田んぼ、駅が見えてきたので、細道に入ること300M、
11:50 東水戸駅着、無人の小駅だが交換可能、水戸駅の島式ホームは、JR上り特急用ホームが1線を占め、拡張余力が無く、運転間隔維持のためには、この駅での交換が必須である。駅の周囲は広い畑で、人家がパラパラ。たまたま小雨が降ってきて風が通ると寒い。
12:14 途中まで同じ道を戻り、那珂川を勝田橋で渡りひたちなか市に入る、なお800M上流を行く鉄橋は118.3〜118.7K辺りが相当するのを、帰路車内から確認。
しばらく広い田んぼの中を行くが、台地の中に突っ込むと、沿道に最初自衛隊の車両整備工場が、次いで日立自工の工場が現われ、どちらも規模は大きく、圧倒される感じだ。
線路も盛土線路で田園を突っ切り、119.4K辺りから切通しを上り、120KPのチョイ先で右手に日立工機の広大な、公園のような工場を見る。
道なりに茨城交通の踏切を渡る、ちょうど同鉄の1KPが立つ、そしてここから突然道の両側がアーケード付きの商店街に変る、7〜800Mもあっただろうか、こんなに大きな街とは知らなかった、日立工場と自衛隊の存在が多分に影響していると思う。 |
常磐線:勝田駅 2011年8月14日  |
12:56 勝田駅着、改札口直結の上りホームと下り島式で構成され、上りホームの水戸方に、阿字ヶ浦線の欠取りホームが続く。山側には留置線が数本、東海方ホーム出外れの踏切は121.4K地点。
駅の山側はすぐ日立の研究所(?)があり、静かな雰囲気に包まれる。
駅まで来た商店街の道の続きに入る、もう商店は少なく、空地まである、この辺りは自衛隊基地、日立の工場を向いて商売をしているのだろう。
浜道公園の角を左折、線路端に出る。
勝田電車区は122.1K地点から始まる、線路脇に道が伸びる。 |
13:26 電車区端のコロナ踏切で道も行止り、122.7K地点、駅から来た道に入る。沿道は自動車販売店、家族向けレストラン、ゲーム店など、若い小奇麗にしたサラリーマン層を見掛ける。
13:47 茨城交通勝田営業所を過ぎる、ここの敷地も広く、かつての余裕を示す。
佐和駅舎が山側にあるのを知らず、連絡道など無く、ホーム出外れ、125.6Kの踏切で駅に戻る。 |
14:17 佐和駅着、昔の汽車旅時代の雰囲気も残す木造駅舎が山側に、ホーム相対式、日暮里から125.3K地点。
この辺りから天気快晴となり、風も止んで歩きやすくなったが、ちょっと遅すぎた、実は那珂川を渡るときなど、寒風にやられて結構参った、、、 |
常磐線:佐和駅 |
駅近くは地元の人の住宅が建ち、線路に近い道は小刻みに曲がる。その先新しい勤労者住宅が線路沿いに伸び、この大きな戸建て団地、いつ行き止るかと案じたが結構長く続いた。
さらにその先の台地上に、日立系の会社が開発した「さわの杜」という、線路との間に70Mの緩衝地帯を設け、小公園を中心にその周囲に住宅を廻らすという、米国式の一段余裕のある住宅団地が現れたのは意外だった。場所は127〜127.3K地点、駅から2Kあり、クルマの利用が前提だろう。 |
東海村に入った辺り、畑作が主で、屋敷林は立派 |
この団地のすぐ先に東海村に入る旨の標識があり、周囲の景観は一転農村地帯のそれに変る。林や広い畑の中に、2〜3軒固まって点在する農家を結んで細道が伸び、線路は右手100Mを行く。
15:19 道なりに「船場」という、およそ周囲の景観と合わない名前の集落で、2車線のしっかりした道路に入る。
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15:42 東海駅に到着、駅舎はやけに立派で、ガラスを多用して西日にピカピカ光る、橋上駅でホームは下りが片式、上り島式、130KPあり。
海側に大型スーパーと銀行がある。
この東海村、人口は高萩市よりも多いと聞いたことがある、ご存じ、「日本の原子力村」として知られ、先刻の最初ミニゴルフ場かと思った米国風住宅団地も、海外経験者も多く住み、需要があるのかもしれない。
赤塚駅から33,294歩だった。 |

常磐線:東海駅 |
(8)常磐線 東海ーー日立 16.9K 2000年8月26日(土) 晴
8:59 東海駅を出発、線路進行左手沿いの県道を行くと途中から幅が狭くなる、この辺り国道が2本、線路の東西を平行するが、どちらも2〜3K離れ、途中から浅い掘割りを進む線路近くに道は無いようだ。15分も歩くとそろそろ畑が多くなるが、まだ一般住宅も絶えない。
途中農家と畑の中に迷込み15分ほど損をした、今日は雲が低く風も無い蒸し暑い日で、早くも疲労感が出てきた。
9:43 やっと台地下の広い田園地帯に出た、800M先に鉄橋が見える、なお線路が掘割線路から台地下の築堤上に躍り出るのは132.3K辺りとなるのを帰路車中から確認。
9:54 やっと久慈川堤防上に出る、さて自分の地図帳に記載があった「留橋」が見当らない、よく見ると立札があり、「老朽化して危険の為除去した」とある、おいおい、800M下流の245号線まで行かなければならないの? 鉄橋は450M長、133.4〜133.8K辺りが相当する。
10:20 国道の橋の袂に到着、がっかりしてタラタラ歩いたので時間を要した。
10:30 渡って日立市に入り、また堤防沿いに線路脇に戻る。
10:44 線路右下すぐに道路が伸び、茂宮川を渡る、左手すぐの鉄橋に134.7KPが見える、この川も結構大きく、鉄橋も170Mくらいあるかな、、、
10:51 久慈街道踏切脇を過ぎる、135K地点、この先久慈町市街地となり日立電鉄の小踏切を渡る、同鉄道の久慈浜駅が近い筈だが、暑さで戦意喪失しておりパスした。
この先農協久慈支所、久慈浜郵便局など過ぎ、日立電鉄線を再度道なりに渡り、日立エンジニアリング本社前を過ぎる、なお日立電鉄線が山側から海側に常磐線を跨ぐのは、136.7K辺りとなる。 |

常磐線:大甕駅 2012.3.29撮影 |
11:34 大甕駅着、ホーム相対式、137.2K
Pあり、駅舎は海側、駅前広場よりやや高い所に建つ、山側に接して日立電鉄ホームがある。
駅まで来た道の続きを行くが、徐々に線路から離れるようで、泉神社の境内に入り軌道修正を図る、神社手前になかなか風格のある「泉倶楽部」という建物があったが、多分日立グループの幹部用検修・保養施設だろう。
12:03 泉前踏切で線路左手に、138.2K地点だ、この先は線路近くを進む道があった、沿道は住宅街、そして自動車教習所も、、、 |
12:46 第2金沢踏切で線路左手に、140.7K地点、この先は線路右手すぐに小道があり、
12:50 141KPを過ぎる、ここから線路は浅い掘割に入り、右手やや線路と離れて街道然とした小道を行き、自由跨線橋を渡って駅に。 |
13:10 常陸多賀駅着、下り片面、上り島式ホーム、142KPあり、海側はすぐ広大な日立製作所多賀工場が占める。
13:29 出発、商店と住宅の帯を挟んだ線路近くの道を行くと、やがて日立健保組合の運動場、室内体育館、プールなどが線路を背にして並ぶのを見る。
13:52 野際踏切(143.6K)で右手に、ここにも日立の大工場がある、程なく日立電鉄線を渡り、国道245号線に入る。 |

常磐線:常陸多賀駅 |

日立電鉄デハ2003他 於:JR新鮎川踏切 |
14:02 道なりに新鮎川踏切(144.2K)に至る、ちょうど144KPの立つ地点が日立電鉄の終点鮎川駅で、そこから引上げ線がこの踏切まで伸びている。
さらに245号線を進む、なお車中より常磐線で初めて海を見るのは、この先144.5〜144.7K辺りとなる。
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14:15 国道右手に続いた海崖が急に切れ、鮎川を渡る、線路は左30Mの盛土上を行き、海は右手100M、川水は意外ときれいだった。
川を渡ればまた道の右手が低い海崖をなり、住宅の帯が伸びる、海の眺めは良いこと請け合いだが、強風をまともに受けるだろう。
14:26 創価学会日立会館が右手に、流石海を見晴らす格好の場所を占める。
この先146KP地点に跨線橋がある、左手の台地上に日立の日立工場、研究所などが建ち、駅も800Mくらい先に見えている。 |

鮎川河口付近より日立駅方向を望む |
この先線路右手すぐに小道が駅まで伸びる、線路は最初掘割区間を行き、駅近くになると築堤上に出る。
14:45 日立駅海岸口に到着、駅舎直結の上り片面ホームに下り島式ホームを持ち、山側に貨物留置線が5本、その先にコンテナが多数積まれ、隣接する日立セメント工場には引込線も伸び、専用貨車も10両ほど休む、EF8184が入替作業中、147KPが上りホームの下に立つ。
なお海岸口は駅舎と同一平面にあるが、ずっと賑やかな山側口は台地の縁に位置、ホームよりは階段を上って連絡する、日立グループのおひざ元だからか、20台ほど並ぶタクシーは全て黒塗りだった。 |
今日はやけに蒸し暑く参った、帰路は座れたものの、土浦を過ぎると隅田川の花火見物に行く浴衣姿の娘さんなども乗り込み混雑、缶ビールを飲んでウトウトしながら帰るあてが外れ、柏駅で下車、柏天然温泉「ゆの華」の水風呂に飛込んで火照った身体を冷やしてから帰宅した。 |