水 戸 線
水戸線は首都圏から比較的短時間で行けるローカル線だが、自分との関りは殆ど無い。乗り潰しは学生時代の64年8月末、ゼミ合宿の帰り、高崎に出て両毛線と一緒に訪問した覚えがあるが、後半部分の水戸線は、連日の寝不足で通過しただけだったかもしれない。
この線の歴史は古く、東海道本線が全通した1889年、早くも小山から水戸までが全通、首都圏から水戸への直行ルートとして活躍した、しかし6年後に常磐線が土浦から友部に延び、友部から先も常磐線と称することになる。沿線に都市らしき都市を持たないその後の同線は、貨物輸送の衰退もあって、地味な存在に甘んじることになった。
水戸線(1) 小山ーー下館 16.2K 1999年9月18日(土)曇り時々小雨
前日の予定では両毛線の伊勢崎周辺を歩く積りだったが、天気予報は曇り、これでは赤城の山々の眺望は適わないだろうと、平野部を走る水戸線に変更した。予報通り下館の手前で傘をさすことになり、その先真岡線に足を伸ばすことはできなかった。
クハ411‐1532 小山駅水戸線ホーム 2012年6月18日8:55 小山駅東口出発、今日は土曜日、ゴルフ場の迎えのバスで駅前広場は大混雑。
水戸線はホームを出てすぐ左急カーブで視界から去るが、東京方に出発するのも意外だし、お愛想なしにすぐ東北本線から分岐するのも、この規模の支線としては、本州では珍しい線形だと思う。
線路を金網越しに見る平行道路を行く、駅近くには飲み屋街もあったが、すぐ住宅、事務所街となる、カーブも小山起点0.85K辺りで収まり、その先直線線路が道路共々伸びる、
線路反対側にも平行道路があり、1.85K辺りから畑地も多くなる。
ちょうど2KPが立つ地点から昭和アルミニュームの工場敷地となり、体育館、社員駐車場など含み2.8K地点まで続き、その先は小さな田んぼと樹林が行く手を遮り道路は無い、そのまま直線で突っ切る線路を横目に、左に新興住宅地を300Mほど、県道264号線に入った。国道4号線高架が南北に横切る手前で栃木県小山市から茨城県結城市に入る。
そろそろ次駅も近いだろうと、右に小道に入って見る、周囲は畑地と農家の純農村風景に一転、程なく第1小田林本田踏切脇に出る、4.16K地点、まだ駅は見えず平行する道路も無いようで、また264号線に戻った。
10:07 城西病院という大総合病院を過ぎる、続いて大煙突が立つアルミニウム再生工場前に出る、回収されたアルミ缶が2M四方の塊に圧縮されて積上げられている。
この先で初めておかしいと感付き、再度線路方に進む道に入る、結城西小前を過ぎると線路端に出たが、KP(キロポスト)は既に5.8Kを示し、地図を見るととっくに小田林駅(4.9K)を過ぎており、むしろ結城駅が近く、引返すには距離があり過ぎそのまま進むことにした。先刻のアルミ工場近くで右折すれば良かったのだが、、、
線路左手すぐの立派な遊歩道を行く、道の左手は住宅街、300Mも行くと小用水があり、橋が無く遠回りしてまた線路端に戻ったが、もう結城駅は近かった。
“乗過ごし”ならぬ“歩き過ごし”をした小田林駅訪問は、次に水戸線を歩いたこの年の12月23日、友部から羽黒まで歩いた帰りに実現しました。
片面ホームの無人駅で、駅前に結城中学校が建つ。
駅脇の踏切を渡る自動車道を北に進む、沿道は住宅に白菜、大根などの畑が混在、先方に見覚えのあるアルミニウム工場の大煙突も見える。500Mも行くと県道に出る、付近に駅への案内標識など全くなく、これでは通り過ぎるのもしょうがないかな、、、同じ道を駅に戻った。
線路は結城方に真っ直ぐ、交換を終えた小山行が、突如ポツンと本線上に現れ、段々大きくなってこちらにやって来た。
小田林駅 1999.12.23
結城駅 2013年10月30日10:41 結城駅に到着、新しく完成した橋上駅、地平ホームは水戸方が片面、小山方は島式で、6.5KPあり。
駅からは線路右手すぐに道があるが、山川街道踏切(6.96K)で行止り、右手近くの国道50号線に入る。
なお結城駅構内は広く、今は使用していないが、この踏切直近まで貨物側線が2本伸び、かつての隆盛を偲ばせる。
11:10 東結城駅着、小島街道踏切が片面ホーム脇を横切る、8.27K、結城駅前のスーパーの屋上看板がまだ見える。
さらに50号線を行き、田川を渡る、2Kほど下流で鬼怒川に合流する1級河川で、流れが速く水はきれい。鉄橋は8.9K辺り、長さ50M長。
やがて50号線が新旧道に分岐、左の旧道で鬼怒川を渡る、鉄橋は左300M、9.8K〜500M
長(帰路車内より)、下流100Mをバイパスが渡る、下校高校生の自転車と時々すれ違うが、歩いている人はいなかった。
橋を渡ると程なく川島交差点があり、左に折れて駅に。
東結城駅 2013年10月30日
川島駅11:54 川島駅着、駅舎直結の片面ホームに、水戸方面島式ホーム、キオスクは閉鎖中、これまでよく持ち堪えたものだ、駅前小広場にタクシーが3〜4台。駅南側はセメント工場と日立化成の下館工場が占める。
12:18 小休止後出発、住宅街の道を行くと間もなく畑が混じり、道なりに自動車道に入る、11.7K地点で線路左手に、しかし道は線路から離れ出し、小道を見付け軌道修正を図る。
線路端の広い畑中を抜ける細道、最後の300Mは草露でズボンを濡らしながら歩いた。
やっとのことで、先刻から屋根上の十字架が目立った教会/幼稚園の前に出ると、そこがもうホームの端だ。
しかし駅舎は線路の反対側、踏切は駅の水戸方で、駅舎到着まで少々時間を要した。
玉戸駅13:01 玉戸駅着、片面ホームの無人駅、12.6KPあり、駅舎はログハウス風だが、今にも降り出しそうな天気のせいもあろうが、黒ずんで陰気な感じもする。
下館市民病院の大病棟が、水戸方右手100
M、やけに広い駅前広場の先に建つが、この時間ひっそりしている。駅の開業は1988年6月と新しい。
線路右手すぐの道が500M余も続く、沿道は中規模工業団地で、道路工事用の防護フェンスを製造する工場などが並んだ。
やがて道なりに50号線に入る、タイミング悪くこの頃から小雨が一時強くなり、傘を差さざるを得なくなるが、大型トラックがブンブン飛ばし怖い、濡れるのを構わず小走りに急ぐしかなかった。
50号線は広田の中を真っ直ぐ突っ切る水戸線を斜めに跨ぎ、次に大谷川を渡り、下館市の北側を巻いて水戸方面を目指すが、途中、駅方向に分岐する道が無く、線路から500M離れた地点まで持って行かれた。なお50号線と線路の交叉地点に14KPが立ち、大谷川鉄橋は14.8K地点なのを帰路車中から確認。
佐川急便の配送センターの角で旧道に入り駅方向に向う、神明近隣公園の水飲場で濡れた服
などを拭いたが、既にぐしょ濡れで効果は無い。住宅街に入ると真岡線の踏切を渡って駅に。
14:05 下館駅着、地方鉄道線とはいえ、真岡、常総の2線も発着する要衝駅だけに、帰宅高校生を中心に数段乗降客が多い。ホームは水戸方面駅舎直結片面、小山方面は島式、常総鉄道は南側に島式ホームを有し、真岡鉄道は水戸行片面ホームの一部を欠き取って使用。小山起点16.2KPあり。
もう少し歩こうと思ったが、いつ降ってきてもおかしくない空模様で、八千代町の日帰り温泉に行くことに。
常総鉄道の下妻から古河行きのJRバスに乗換えるのだが、駅から離れたバス停を駅員は知らず、探すのに一苦労、帰宅は22時10分。
クハ411-1531 下館駅 2012年6月18日
水戸線(2) 友部ーー羽黒 17.4K 1999年12月23日(木) 快晴
青春18きっぷを利用、常磐線の羽鳥から赤塚まで歩き潰したのがこの12月11日、当然次は水戸駅を目指したいが、その前に水戸線に「寄り道」したのは、やはり同線が常磐線開業前、東京から水戸に至る唯一のルートだったことが影響している。
友部駅ホームに立ち上り方を見ると、出発してすぐコセコセ(?)と左カーブで水戸線から分岐する常磐線と、水戸方から入線したままの姿で堂々(?)と友部を出発、そのまま真っ直ぐ小山方面へと駆け下る水戸線の姿が、同線が東北本線から分岐する小山駅の状況と全く正反対で興味深い。
8:20 友部駅を出発、水戸線用ホーム小山方出外れに、小山起点50KPが立つ。
ホーム近くの踏切(49.9K)で線路山側に、秩父セメントの大きなサイロが4つあるが、どうも使用さ
れていないようだ。
8:30 線路から100M離れ平行する県道193号線に入る、広い構内に修道寮もあるキリスト教会を
過ぎると、台地を下り広い田園地帯に入る、左に築堤上を行く線路が見える。
宍戸駅8:49 県道の友部高校入口を左折、宍戸駅到着、片面ホーム、駅員1名配置、お正月を控え駅の壁を磨き上げていた。
この先次の笠間まで約5K、線路沿いの国道を行けばわけないが、天気は最高、宍戸の街も見たくなり、駅直近の石岡街道踏切(48.55
K)を渡る。
9:01 宍戸小を過ぎ三叉路前に出る、左は石岡方面、これを右折して涸沼川沿いに市街地から離れる。左手丘裾では橋脚を立て、小谷など一跨ぎする自動車道を建設中、この辺りの丘陵に宍戸国際CCがあり、会社の偉い人がメンバーで、何度か行ったことがある。
涸沼川浄水場に至る坂道に入る、この道いったん細くなり、構わず進むと寂しい人里に出た、道が集落の農家を結んでくねる、その曲リ具合に、何とも言えぬ人肌の温もりを感ずる。
やがて道なりに右手に線路が見え出し、線路反対側に国道が沿う、案内があり、この道が昔の笠間・石岡街道とのこと、どこからが街道だったのか判然としないが、この道を歩けて、というかこの道に迷い込んで本当に良かったと思う、天気も最高だった。
9:48 手越踏切を過ぎる、46KPあり、この先も線路と絡み合いながら進み、
10:18 踏切で線路右手に平行してきた国道に入る、45.1K辺りだ。
10:35 道の右手に「芸術の森公園」があり、その小丘の芝生で小休止、広い公園に人影は少ない、ここは土地柄、焼物を主体とした公園で、焼物体験コーナーもあった。
随所にある工房、焼物取扱店を冷やかしながらブラブラ歩き、
11:16 笠間稲荷、日本三大稲荷の一つで、お正月の初詣客は茨城県で最大とあった。
駅に続くもう1本の大通りを行く、法務局、簡易裁判所などある、笠間稲荷から離れ、駅に近付くにつれ賑やかさが失せる典型的な参詣道だった。
笠間駅11:35 笠間駅到着、中規模駅前広場に面しタクシー^営業所がある。駅舎直結の水戸方面片面、小山方面島式ホームがあり、平屋木造駅舎はやや大きめ、43.3KPあり。
駅から田んぼの畦道状の道を行道なりに市の老人ホーム辺りで旧道に合流、しばしこの旧道を行く。
両側低い丘の幅300Mほどの谷合の左丘裾を線路と街道が行き、右手いっぱいに広田が展開する。
12:10 国道50号線と道なりに合流、この先しばらく水戸線と並び小山方面を目指す。
水戸線:稲田駅
12:32 稲田駅着、相対式ホーム、明治30年、花崗岩採掘業者の某氏が地所を提供、貨物駅が開設されたと、駅前記念碑にある。40.2KPあり、駅員1名の小駅だが、キオスクがあるのが珍しい、昼休みに入ったおばさんが駅員に挨拶してクルマで帰て行った。
この先は旧道が伸び、沿道に石屋さんが多く、灯篭、観音様など並ぶ。旧道が途切れ途切れに残り、ちょっと広い道になったかと思うと、また旧道に戻るパターンを何度か繰り返したのち、茨城中央農協西山内支店の角を左折、
13:25 福原駅着、改札口直結の下りホームと上り島式ホームの小駅、37KPが立つ。線路南側は低い山陵が迫り、2.5Kほど奥に山容の優れた山が見える、吾国山(518M)で、当駅からこの山を経由して常磐線の岩間駅に至るハイキングコースがある。
線路により近い県道64号線を行くが、この道は線路を渡り土浦方面に向い、途中から線路近くの小道に入る。
13:37 駅近くでEF8198牽く、安中の東邦亜鉛工場行き、トキ、コタキ専用貨物が過ぎた。
福原駅 2003年4月16日
14:00 右手やや小高い所を進む50号線に戻る、この先右手より尾根筋が近付き、その一番低い地点を線路が切通しで抜ける、線路から国道まで約20M、その上崖のてっぺんまで50Mと深い。
やがて「峠」という小食堂が建つサミットが現れ、岩瀬町に入る。右手の山砂採取場が剥き出しの岩肌を顕わにして痛々しい。
線路は峠を抜けると左カーブしながら下り、広田の中を直線で1.5Kほど、その先は集落の陰に隠れ見えない。
なお峠の標高は75M、35.1K辺りから200
M続く水平区間がサミットで、水戸線の最高地点となる。
福原駅より望む吾国山
峠の前後約1K余の助走区間は当時の重量貨物列車にも十分対応可能な 最大10.5‰に抑えられているのは立派。
14:10 また旧道に入る、50号線は峠の狭隘部分の短区間を歩いただけ。
また住宅が多くなる、峠下には意外なほど立派な門構えの農家が並ぶ地区もあった。
田畑が展開する里に下ると、線路沿いの道が駅の方に伸びる。駅から近い羽黒小学校は新築の3階建、グランドも広い。
「峠」から羽黒駅方面を望む、線路は左手麦畑の陰
14:35 羽黒駅着、島式ホームが1本、跨線橋に立つと直線線路が1.5K先、尾根筋の一番低い所を目指すのが見え、山の中腹に取付く50号線を行くクルマが小さく模型のように見える。
ここから望む羽黒山は標高250Mほどの低山だが、優しい姿で里人に語りかけるようにも見え、、写真で見るよりずっと大きな頼りがいのある存在だった。
帰りは前述の通り、前回訪問できなかった小田林駅で下車、付近を散策して
駅の写真も撮り、次の電車で小山経由帰宅した。
水戸線(3) 下館ーー羽黒 16.1K 2000年4月8日(土) 晴
この時期は決算期、零細関連会社といえどもそれなりに忙しく前夜は残業、その後同僚と飲み、帰宅は23:20、いつもなら家で遅寝を決め込むところ、あいにく今日は親戚の来宅が予定され、自分の居場所が無く、前から外出を予定、青春きっぷも1回分残してあり、二日酔いだが出掛けた。
8:30 ひっそり静まり返る下館駅前を出発、二日酔い気味でモーニングコーヒーを取ろうと喫茶店を探すが見当らない、鉄道が3社も集まる街だが、少々買いかぶり過ぎたようだ。
郵便局、続いて市役所前を過ぎる、線路は右手60Mを平行、やがて勤行(五行)川を大和橋で渡る、鉄橋は右手200M、50M長、16.9K辺りとなる。右手斜め前方に霞む整った山容は筑波山だろう、10K位あるかな?
駅前から続いた大通りは下館警察署の角で行止り、ちょっと離れ線路方向に伸びる農免道がある、線路は右手250Mtp離れた、広い田んぼには、袋入りのモミを背負い歩き回る人がいる、細い管伝いに種モミがシャカシャカと快い音をたてて田んぼに落ちる。
9:05 農道が小貝川にぶつかるが橋は上流600M先、ふて腐れて歩き出すと250M先に幅2.2M、制限2トンの木橋が隠れておりニンマリ、なお小貝川鉄橋(70M長)は下流500M、18.5K地点と車中より確認済み。
後は楽勝かと思えば、その先小沼が控え、沼沿いに上流に歩くしかなく、結局本来渡るべき橋の近くまで持って行かれ、小道を見付けてまた線路端に戻る羽目になった、この広田の中の小道歩き、二日酔いの体には応えました、、、
9:48 第2真壁踏切脇に出る、20.3K地点、この先線路左手すぐに道あり。
近くの蓮沼バス停横の民家に、3軸ボギーの荷物車が置いてあり、ビックリ、昭和5年川崎車輌製、同33年長野工場更新の銘板付きだが、番号は不詳、あまり嗅ぎ回れない雰囲気だったので退散、案内板などは無し。
10:17 新治駅着、駅舎直結の水戸方面ホームに小山方島式ホーム、22.4KPあり。
10:30 同駅出発、線路進行左手すぐに道が伸びる。
10:37 大国街道踏切で右手に、22.8K地点、この先線路から離れ、台地上に出ると静かな農村風景が展開、周囲は広い麦畑、穂はまだ30C程度、樹林も処々に混在。
当初左手200Mに見えていた線路は、いつの間にか林の陰に消えていた。
水戸線:新治駅
大池、対岸を水戸線が走る、11:08 人工の溜池:大池に到着、線路が対岸250Mを行く、結構広い池だ、 今日はやけに風が強く、カメラを構えても揺れる。
先刻の道に戻り、林の道に入ると、中規模工業団地が現れ、石材工場では直径3Mの大歯車を持つ電動鋸が、石材を切断する様子が見え、迫力が伝わる、傍らの石材置場には巨大な大理石や見たこともない淡いピンク色の石がゴロゴロ。
水戸線:大和駅沿道に石材工場が多い道は、駅が近付くと桜並木となり、県道に入れば駅はもうすぐ。
11:45 大和駅着、片面ホームの無人駅、日中は通過する列車も多い、25.9KP、開業は1988年。駅の北側は全て樹林が占め、駅前は住宅が数軒、商店は見当たらない。
12:07 7分咲きの桜の下でスナックなど食べ小休憩後出発、ホーム脇の踏切(26K辺)を渡り、すぐ県道に入る。
12:15 岩瀬町長方信号で国道50号線に入る。
12:37 案内があり斜め右へと旧道に入り、鍬田バス停先でさらに小道に入る、すると線路が近接、住宅街を2〜3Mの築堤で抜ける線路近くを駅に。
13:00 岩瀬駅着、改札口直結下りホームに島式上りホームの駅、29.6KPあり。なお駅南側の常総筑波線ホーム跡は小公園として整備されている。
水戸線:岩瀬駅
羽黒方向にかなり疲れた商店街が伸び、それが尽きると住宅街となり、
13:21 30.5KPを過ぎる。ここから道は徐々に線路から離れ出す。
13:27 道なりにまた国道50号線に戻る。角に小さな印刷工場が建つ。
50号線は線路から少し離れるので、左に行けば桜川公園に通ずるとある角を右に曲ってみる、程なく達した西友部踏切にちょうど32KPが立つ、しかし住宅街の線路すぐ左の道は200Mくらいしか続かず、また50号線に入る。
14:23 羽黒駅に到着、下館駅より26,815歩、自分の歩幅は65Cくらい、下館から羽黒までの営業キロが16.1K、大体こんなものだろう、、、
乗り潰しの日の記憶は殆どありません、ゼミ合宿の帰りで居眠りをして過ぎたとばかり思って
いましたが、稲田駅で下車、ちゃんと写真も撮っていました。 撮影:1964年8月29日
C58271牽く小山行上り列車
C58292牽く下り水戸行、稲田駅付近
D51牽く上り貨物列車 廃車が近いのか煤け番号不詳