南  武  線

          (1) 川崎ー平間 5.3K 1997年11月2日(日) 晴

 この9月満55歳になって関連会社に移籍、急に暇になった。しばらく戸惑っていたが、取敢えず先週末から、健康維持を主目的にウォーキングを始めた。別に確たる構想など無く、ただどこかを歩けばそれで良かったのだが、どうしても生来の趣味の鉄道の方に目が向いてしまい、今日は品川駅から歩き始めて多摩川を渡り、川崎駅まで来た。この先どうしようかと思ったが、南武線沿線を歩き、疲れが出た所で打切り、登戸駅経由、自宅のある小田急線某駅まで帰ることにした。

    川崎駅西口は狭い  2017年4月25日
13:45 川崎駅を出発、南武線沿いに歩くのなら西口だが、道がはっきりせず、そのまま東口から出発。
 500Mも行くと東芝情報システムビルがあり、右折して柳町架道橋を潜る、5.7K辺り。 
 この先線路山側は東芝柳町工場の広大な用地が占め、南武線はもうしばらく東海道本線と完全平行、本線19KP地点で右R280の急カーブ、東芝工場沿いに進み、1.2K地点から京浜第2国道を跨ぐため上り勾配、そのまま高架線で次駅に至る。
  
 架道橋の先は、東芝柳町工場を左に見て進む、途中工場の地形に沿って左折するが、尻手駅までの約1K、道の左手はほぼ全区間工場、川崎駅横から多摩川方向に展開する堀川工場といい、川崎が東芝の企業城下町なことがよく分る。
 なお両駅間の営業キロは1.7K、線路は東芝沿いに三角形の2辺を行く、西口駅前から始まる県道町田線を行けば、線路は見えないが約1.2K、道なりに真っ直ぐ歩けばよい。
 
 ← 中央の県道を真っ直ぐ行けば尻手駅に至る。
14:20 尻手駅着、途中疲れで休みちょっと遅くなった。駅は川崎方面が片面、立川方面は浜川崎に通ずる支線があり、島式ホーム、川崎駅西口から始まる県道:川崎町田線が高架ホーム下を抜けている。 
 

    尻手駅  2017年4月25日
    矢向駅   2006年4月20日 14:28 出発、尻手より向河原駅まで4.9K、線路は北北西方向に真っ直ぐ、楽勝かと思いきやさにあらず、道路が全て北北東に向いており、微妙に噛合わない、小住宅の間の一般道を、線路を左手に感じながら何度も小刻みに筋を変えて進み、
14:45 矢向駅着、駅舎直結の立川方面片面ホームと島式ホームで構成、中原電車区完成前はここに電車区があり電留線が残り、現在も朝夕に当駅発着電車あり。車掌区もあり滞泊電車も多い。

 この先次駅の鹿島田にかけ、南武線の西側はかつては広大な新鶴見操車場が展開、入換SL機が走り回る姿が楽しめたのだが、今はそのよすがも無く、三井不動産系の高級マンション、オフィス街に生れ変っていた。なお品鶴線を行く横須賀線の姿は250~300M西、ビルの間に目を凝らすと、時々見えます。 
   クハ205-28 矢向電留線  2013年1月3日
   鹿島田駅  15:05 鹿島田駅着、相対式ホームの 橋上駅、4.2KPあり、横須賀線の新川崎駅まで250Mくらいで行けます。ここまで矢向駅から立派な新しい道が完成していました。
  もう一駅頑張り、主に線路西側に張付いたような道を行き、一時、文化住宅街の自転車がやっと通れる細道を抜けたりもして、
15:22 平間駅に到着、小駅舎が東側にある相対式ホームの駅、4.2KPあり。

   平間駅  2017年4月25日
  
    クハ16505  於:平間駅  1963年2月20日  




        (2) 平間ー登戸 12.0K 1997年11月24日(月)快晴

 10月末以来時間が許せば毎週末、健康維持のため 鉄道沿線を歩いている、終了後の快い疲労感、ビールのおいしいこと等、プラスの効果が多い筈だが、生真面目な自分のこと、段々くせにならないかと心配だ、、、それで今日はカメラを敢えて持たないで出掛けました。

   平間駅ホーム端の跨線橋より新川崎方を望む 
11:54 平間駅を出発、次駅まで1.3K、線路進行右手近くに平行道が伸びるが、この区間南側5~600Mに多摩川の流れが近付き、確か堤防上にサイクリング用の遊歩道もある筈で、行ってみることに。
 対岸の東京都側にはグランドがいくつも並び、楽しそうな歓声も流れて来る、キャノンの大きな研究棟(?)も見える、今日の天気は最高。上流2K程先の鉄橋を渡る新幹線・横須賀線の列車が段々ハッキリして来た辺りで、向河原駅へと堤防を離れる。 
12:28 向河原駅着、駅舎は南側、相対式ホーム、6.5KPがホーム川崎方に、なお、線路南側一帯を占めるNEC工場勤務者のため、朝夕のみ専用改札口を開設、何でも戦時中ここの駅名は「日本電気前」だったそうです、、、 
 
 出だしは線路右手に近い住宅街の小道を行く、線路左手は、400M北側を平行する品鶴線際まで全てNEC関連施設が占め、関係者以外入れない。
 さて次の武蔵小杉まで700M、線路は駅出ると程なくR400を主体に時にR300台も含め、品鶴線・新幹線下を抜ける7.2K地点まで、計500M近くに及ぶ左長大カーブを描く。

   向河原駅  2017年4月25日

   武蔵小杉駅   2016年4月5日
 途中、小公園までは線路近くの道、その先少々道筋を変えて「南武沿線道路」に入り、横須賀・新幹線、それに綱島街道を続け様に抜け、最後に東急東横線を潜って、
12:48 武蔵小杉駅着、ホーム相対式、前後からして7.5KPある筈だが見当らない。 
 2010年3月、横須賀線が連絡駅を設け、両線ホームは320M長の連絡道で結ばれた。
 線路はホーム出るとすぐ20‰勾配で、第3京浜国道手前の11.2Kまで続く、3.9K長の高架線に駆上るが、その完成は90年2月。

     クモハ11244他 武蔵小杉駅  1963年2月8日
    C12248牽く登戸発定期貨物  武蔵小杉駅付近 1963年
 
   武蔵中原駅  2016年4月5日
 高架進行右手すぐ下に、全区間南武沿線道路が伸び、それを行って、
13:20 武蔵中原駅着、ホームは島式2本、9.2KPが川崎方に、内側線2本は中原電車区への出入庫線として利用、ホーム多摩川側は富士通の大工場・研究所などが占め、利用客の大半は同社の従業員、他線への乗換えは無いが、次の武蔵新城駅と並び乗降客は多い方だ。
 なお高架化の完成と共に、駅の位置を川崎方に200M程移動させている。
  
 電車区は高架線南西側沿いの地平部にあり、9.7~10.1K辺りとなる。留置線は一番西側端が⑨番線だった。
 配置車両に浜川崎支線用の2連:3本が含まれ、常に101系等、一段古い型式車が充当されるので、ファンの間で話題となる。 

   武蔵中原電車区  2016年4月5日
 
   武蔵新城駅  2016年4月5日
 武蔵中原駅からも南武沿線道路が完全平行、高架線の反対(西)側を占める中原電車区を過ぎると、250~300Mで、
13:43 武蔵新城駅に到着、高架島式ホームの川崎方に10.5KPあり。駅周辺、特に西側は飲食店が多く、安キャバレーの類いも目に付き、夜になると下請け会社の工員さん達を中心に賑わう。
 高架線は駅を出るとすぐ下り始め、11.17K
辺りで完全に地平部に降り、第3京浜国道下を潜るのが11.2Kとなる。
 この先は線路反対側に富士通ゼネラルの工場、続いて洗足(女子)学園の小中高の校舎、グランドなどを見ながら、更に南武沿線道路を進むこと1.2K程、 

   クハ16537他17M車6連、武蔵新城ー武蔵溝ノ口 1963年6月9日
14:10 武蔵溝ノ口駅着、地平島式立川方面ホームと上り片面ホームが多少ずれて向い合い、12.7KPあり、下りホームの南側に留置線が数本、以前はこの先旅客数が段落ち、当駅折返し電車も多かった。駅前には最近丸井始め大型商業店が開業、人工広場も完成、東急田園都市線の延長以来、益々賑やかになりつつある。 

14:42 あまりの変り様に、あちこちブラブラしたら時間が経った。さらに線路進行右手近くに平行する南武沿線道路を行く。

    武蔵溝ノ口駅  2014年2月3日
    津田山駅  2014年1月26日 14:55 津田山駅着、ホームは島式1本 、13.9KPあり。近くの丘陵に川崎市の斎場があり、駅周辺には石屋さん、「法事」と明記した料理屋さんが目に付く。
 
 なお駅近くに低い丘を整地して大型スーパーが建つが、その辺りは自分の学生時代、粘土の採取場で、一日1回、C12が牽く無蓋車ばかりの小貨物列車が入線、粘土積載車を空車と交換する作業が行われ、当時としても珍しい光景だった。

   今日は出荷は無し、C1241が単機で戻る  1963年 
 

   ED161牽くホッパ車専用貨物  津田山ー久地  1963年



   久地駅  2014年1月26日
  線路右手近くを行く南部沿線道路はまだ続き、
15:15 久地駅に到着、35年前、自分の学生時代、相対式ホーム両側が田んぼだったことを想い出す、今はスーパーストア、小ビル等も建ち、当時の光景は全く姿を消した。
 駅舎の写真を撮っておけば良かったが、当時フィルムは貧乏学生には貴重品、ありふれたオンボロ(?)駅舎にカメラを向ける若者は少なかったと思う。
     クハ16525 久地駅 1963年2月16日

   C1241牽く登戸発小貨物列車  久地ー宿河原 線路右手は梨果樹園

   宿河原駅 板硝子工場は大型マンションに転用
 更に南武沿線道路を進むが、久地から先は線路右手200M程と離れる。
15:23 東名高速の下を潜る、線路が抜けるのは15.3KP地点。「川崎市縦貫IC絶対反対」の立看板が数個、こんな狭い所にICの土地が確保可能かな? 
 玉幼稚園を過ぎたら左折、同園の研修農場と称する唯の畑を過ぎ、梨畑、植木栽培場などの間を縫い、跨線橋で駅舎のある南側に、なお、駅北側は日本板硝子の工場が占め、住宅の入り込める隙間も無い。 
15:37 宿河原駅着、下り片面ホーム、上りは島式、外側線は貨物列車用、電留線も数本張付く、16.2KPあり。

   ED161牽くホッパ貨物が登戸駅を出発 1963年7月 
  
 南武沿線道路を行けば道なりに登戸駅下りホーム横まで行けるが、進行左ちょっと離れた小用水沿いの桜並木道を行く、お花見時は見物客で賑わう道だ。
16:07 登戸駅着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、17.3KPあり。多摩川の流れがすぐ近くまで迫り、その分住宅街の発展がままならず、小田急との乗換駅で乗降客は多いのに商店街の発展は遅れている。 

   登戸駅  2010年12月9日




    

        (3) 登戸ー南多摩 8.2K 1997年11月30日(日)薄曇り

 満55歳で関連会社に移籍、健康維持の為鉄道沿線ウォーキングを始めたことは既に述べたが、今日は早くも7回目、今週末はちょっと疲れており、また天気も厚い雲の塊が断続的に常に流れ、出そびれたこともあり、自宅から近い標記区間を軽く歩こうとやって来た。 

  クハ205-130 登戸駅 2014.1.26 
13:11 登戸駅出発、次の中野島までも、南武沿線道1本で行けるが、この辺り自宅から近く土地勘もあり、今日は進行左手の道を行く。 まず駅出てすぐの吉沢石材店を過ぎる、奥多摩から切出した石材を加工販売する石屋さんが、登戸には何軒もあったらしい。 この先登戸東商店街に入り、今は寂れ辛うじて当時の風格を残す商店を何軒か過ぎ、井出家前に、かつては多摩川を往来する筏から通行料を徴収する運上所の差配を任い、裏庭はテニスコートに変ったが、樹木の幹の太さに旧家の隠然たる力を偲ぶ。 

   クハ16225 登戸駅 1963年4月5日  ②番線は折返し電車用の中線 
  

   中野島駅  2016年2月19日
 少々線路から離れてしまい、瀟洒な川崎市多摩区総合庁舎を横目に、登戸小学校前を過ぎ、梨果樹園や畑の中を縫う道に入る、無人スタンドの色鮮やかな 柿の実が目に染む。
 なお線路右手を行けば、多摩水道橋から来る県道下が17.8K、18.4K辺りカリタス第二から同第三踏切までの200M余は、同名の女子学園が占める。
13:53 中野島駅着、ホーム相対式、営業キロは19.5。
 ホーム端を踏切で横切る大通りが駅舎を掠め、川崎信金の先、中野島中学入口を右折、線路左5~60Mの細道を行く。
 新川、生活用水に汚れた三沢川という小用水を繋いで、住宅、畑の混在地区を進み、
14:15 稲田堤駅着、ホームは相対式、ホーム登戸方から中直島駅跨線橋が見える。
 まず、200M程離れた京王線駅を目指し、商店街を行く、案内標識もある。
14:20 京王稲田堤駅着、新宿に直通するので、利用客は南武線駅より一段多い。 なお、南武線が京王線下を潜るのは21.2K。 この先急に近付いた府中(川崎)街道に入り、セブンイレブンの先、地形的に全く特徴の無い所で東京都となり、更に400M程進み、   
   稲田堤駅 2017年5月7日

   矢野口駅
14:38 矢野口駅着、ホームから京王線ガードが遠望される、22.5KPあり。
 駅のチョイ手前より南多摩駅までの約4K、周辺区画整理を伴う、連続立体化工事が始まり、前段として線路付替工事を施工中。
 線路進行左、旧川崎街道を行き、中間地点の踏切で右手に移り、
15:03 稲城長沼駅着、駅舎は進行右手、ホームに24.2KPあり、以前複線区間が当駅までだった関係で、小留置線が数本残り、折返し電車も結構あるが、高架化後はどうなるのだろう?この地方の中心的存在で、商店街は落着いた雰囲気を醸す。
 線路左手の川崎(府中)街道を行く、前方に河岸段丘が近付き、平地が無くなり、いやでも多摩川を渡らざるを得ない感じ、、、 
 線路は駅から直線、南多摩駅手前でR300の左カーブ、抜ければ駅だ。 

  稲城長沼駅 まだ区画整理中、 2018年4月30日
    南多摩駅  1998年2月21日 15:25 南多摩駅着、商店街は殆ど無い、相対式ホーム連絡跨線橋から、新宿副都心群の高層ビルが遠望される。多摩川が昨夜の雨で増水、茶色く濁って流れるのも見て取れる。ホームに25.5KP立つ。小駅舎は進行左手に。

 この先線路は左手に迫った多摩丘陵の裾を500M程進み、平地の尽きる26K辺りでR400右カーブ、多摩川を渡る、鉄橋長503M、府中方袂に26.6KPあり。丘の斜面を整地して中規模工場が立地、下の単線を行くED16型牽引のホッパ専用貨物の写真を撮ったことがある。工場は確か岩崎通信機だった筈だが、富士通に名称が変っていた。
    クモハ11112他 南多摩駅付近 1963年5月26日 

    クハ16461他  多摩川鉄橋南多摩方 1963年4月28日  





     (4) 南多摩ー立川 10.0K 1998年2月21日(土)薄曇り       

11:34 南多摩駅を出発、ホーム端の谷戸川踏切で進行右手に、線路沿いに小道を進み、かつて単線時代,ED16型、11・72系旧型電車の走行振りを想い出しながら、鉄橋の袂近くまで行ってみた。サントリー資材置場の先は通行不能、それでも突然丘から飛出すように現れ、南武線に並び多摩川を渡る武蔵野貨物線の高速貨物列車の迫力を実感することが出来た。
 人馬の渡る是政橋は下流500M、小道を繋いで橋の袂に、目下上流に腹付けで、斜張橋の新橋がまさに完成間近、橋の斬新さが周囲を睥睨する。            2013年6月23日→

 (新)南多摩駅 小駅舎等そのまま利用がにくい 
 是政橋を渡ると、堤防沿いに「多摩通り」が伸るが、新橋工事で通行止め、チョイ先の市営住宅団地内に入り、人工せせらぎを擁する散歩道も利用、線路を目指し、やがて架道橋を潜る。 
 「大東京卸売センター」、続いて広大なサントリー武蔵野工場を左手に、広幅の直線道を行くと、道なりに線路にぶつかり、接してすぐ中央自動車道が跨ぐ、高速が線路を跨ぐのは27.4K辺り。 
 あとは第2都市遊歩道と称する自転車・歩行者専用道が伸び、右金網越しに線路を見ながら進むこと650Mで駅に至る旨、案内があった。
   府中本町駅 広場下に線路が通る 12:25 府中本町駅着、駅舎前に人口広場が造成され、専用歩道橋を介して東京競馬場に繋がる、南武線上下ホームの間に武蔵野線島式ホームを抱き込む構成、立川行は地平片面、川崎行片面ホームは半地下に設置、ホーム中央に27.8KPあり。 
12:30 出発、進行左手、住宅街の小道を適当に歩く、線増で高さが異なる線路は、前方すぐの台地の壁(これも河岸段丘かも)沿いにR300左カーブで北北西に進路変更。
 跨線橋近くの高安寺沿いにちょっと、歩行者専用橋で左手に戻る、28.5KP、府中第3小学校前に出た。もう駅はすぐ、なお駅間は900M。
12:45 分倍河原駅着、相対式ホームが台地崖下に、28.7KP、多摩川方はすぐ東芝の研究所ビルが目立つ存在、商店、住宅街は台地上にある。28.8KP上を京王八王子線が横切り、駅管理も京王、JR社員はいないようだ、 

12:50 出発、進行左手の住宅街を行くも、途中の踏切で右手に移る、周囲は畑を中心に住宅が混在する地区。

   分倍河原駅
   西府駅  2013年6月23日  13:06 新府中街道を跨ぐ、線路は左手に近い、29.8K辺りとなる。
 この先30.09K地点の小踏切で左手に。
 
 ※09年3月14日、畑中に西府駅が開業、ホーム相対式の橋上駅、30.0KP立つ。

13:20~13:28 西府町公園で家から持参のバナナ等で昼食を兼ね小休止、日が陰り寒くなった。 
 この先も線路近くを進み、甲州街道を横断、線路が街道下を潜るのが30.7KP地点。
 
 線路方向の道を求め、甲州街道を西に100
M程、まだ農村風景をどうにか残す畑と農家の小道に入る、この辺り屋敷の隅に、先祖の墓を個別に設ける農家も数軒、この光景がいつまでも続くことを願う。
 西谷保踏切:31.3Kで線路右手に移り、
13:37 谷保駅着、駅前に小ロータリーあり、都会的な洗練さが、10分前の屋敷墓等の農村風景とごく自然に共存するのが面白い。
 相対式ホームの橋上駅、31.5KP立つ。中央線国立駅は、駅前通りを真北に1.8K程だ。
   谷保駅  2011年10月25日

   クハ204ー100他6連 谷保駅付近 13年6月23日
13:40 出発、さて次駅まで営業キロで1.4K、進行右手すぐに平行する直線1本道が利用可能、ほぼ中間地点に国立市役所、続いて児童公園があり、周囲は整備され、歩道も並木道になって遊歩道的だ。  
13:56 矢川駅着、前駅と同じような橋上駅だが、駅周辺の賑わいはやや落ち、ホームは島式、33KP立つ。 
 さらに線路右手すぐの道を行く、沿道に都住宅局の団地が展開、子供の立入防止の為だろう、コンクリ塀が設置され、電車の姿がほぼ見えなくなったのは残念。
 この辺り35年前、周囲は広大な麦畑で、訪問した5月、ヒバリの囀りで煩さいくらいだった。今も麦畑が切れ切れに残るも、ヒバリを養う程の広さはとても望めない。
 団地が尽きると放置自動車が20台程遺棄され、プレート・タイヤが外されたり、窓ガラスが割られ、惨憺たる状況のなかを過ぎる。このすぐ先で立川市となることも原因の一つだろう。

  矢川駅 2013年6月23日



  クモハ11270他 33.3K辺り、盛土で高度を稼ぎ、立川市境の一段高い台地に入る 
   西国立駅 2015年12月14日  やがて立川市立第3中学の前に出て、線路から離れ、広い用地を巻くように進むが、この学校沿いの道が、国立・立川両市の境界になっている。 
 創価学会立川支部前に出ると、もう駅は近いが真っ直ぐの道が無く、よそ者には分り難い。
14:22 西国立駅着、ホーム相対式、小駅舎に隣接して日食中央がやっている立食いそば屋があり、立ち寄った。1980年頃まで、今は更地になっている駅隣りに、ED16型機ばかり10両位擁した小機関区があったことも影響?
14:40 出発、旧機関区跡の広い更地を迂回するのに手間取ったが、駅から10分も行くと、先刻から走行音が聞こえた中央線電車が近くなる、トヨタ系の日本自動車学校のある辺りだ。
  左カーブが34.5KP辺りから、羽衣踏切:34.6Kで左に移り、小規模マンション等多い地区を何度か道筋を変えながら進むと、代々木ゼミの辺りからは広い通りに出て、 
15:00 立川駅南口に到着、目下JR系駅南口ビルの新築工事が大々的に進行中。なお、南武線・中央線が完全平行状態になる地点に35KP、中央本線36.9KPあり。
  立川駅南口  2011年10月25日


      

        尻手支線:八丁畷ー尻手1.1K 1997年12月14日(日)        

 今日は横須賀線を南武線の武蔵小杉駅~鶴見駅まで歩き、とって返して、東海道本線を川崎駅方向に、南武線との分岐点である19KP付近まで、その先川崎駅までは省略して、また鶴見方に500M程戻り、旧東海道に面する八丁畷駅にやって来た。標記区間を歩くためだが、説明がマニアックになり、誰の興味も惹かないこと請け合いで、これで止めます、、、 
 南武支線:八丁畷駅(京急管理駅)  2019年2月24日 15:05 八丁畷駅出発、高架線路に近い右手密集住宅街の小道を行くが、程なく川崎自動車教習所が行く手を遮り、それを巻いて鶴見方に約100M、広い道に出て並木踏切: 19.58K、を渡る、東海道、京浜東北線を渡る「開かずの踏切」で、交通渋滞中。
 なお、南武支線の跨線橋は0.8KP、橋の5M川崎方に東京起点19.4KPがあり、跨線橋までずっと自動車教習所が占めた。
 渡ると、道の左手は日野自動車の広大な横浜工場、これが400M位続いた。
 徐々に南武支線に近付き、、EF641003牽く石灰石専用ホキ貨物列車とすれ違った。
15:23 第2京浜国道を横断、右手の高架線は0K193Mとなる。
15:27 尻手駅着、支線ホームは南武下り島式ホームの外側を使用、101系の数少ない活躍場所として、鉄道ファンの間では有名です、、、 
   尻手支線の0KP、反対側が南武下り線となる 




     尻手支線:八丁畷ー浜川崎3.0K 1998年3月29日(日)晴  

   八丁畷駅 JR線は正面階段を上る
9:56 駅前の南北に通ずる自動車道を行くと、道なりに程なく高架線を潜り、途中から線路右手近く、密集住宅街の小道に入る。おばさんが2人、金だらいでキムチを作っていた、、、
 道が徐々に線路から離れるので適当に左折、右手に川崎高校を見ながら行くと、既に地平に降りた線路にぶつかり、 
10:10 川崎新町駅着、川崎駅の雑踏からそう遠くないのに、可愛らしい小駅、駅員が1名。南武支線沿いに貨物専用線があり、コンテナ貨物の長いのが、尻手方に過ぎた。
 この先線路沿いに、始めの100Mは手作りの温もりを感ずる遊歩道的な小道を行き、その後も線路近くの小道を時々筋を変えながら進む、周囲は密集戸建て住宅街。
10:20 小田踏切:2.7K辺り、に至る、道路の中央部に小田バス停あり。
 なお16年3月、この踏切を挟み千鳥型ホームを造成、小田栄駅が開設された。 

   川崎新町駅  2019年2月24日
 小田栄駅 2019年2月24日踏切を軸に千鳥型ホームが  踏切の先を更に進むと東小田小学校にぶつかり、これを左に見て巻き、工場街に入るも程なく、 
 三菱石油工場の広大な塀沿いに、浜川崎駅とは反対方向に4~500M持って行かれ、高速横羽線下の国道に出る、大型トラックの走行音が凄まじく、鶴見線が海側すぐ近くに沿うが、存在感は全く無し。
10:40 浜川崎駅着、南武支線は行き止りの頭端式ホーム、一見島式ホームに見えるが、これは 貨物専用の尻手短絡線とのこと。
   南武支線:浜川崎駅  2019年2月24日

        



                      鶴  見  線

 昨年10月に始めた「歩き潰し」も、今日で25回くらい、営業キロで250キロはいったと思う。今日は南武支線の残余区間をこなし浜川崎駅に至り、続いて鶴見線に足を踏み入れる。同線の乗り潰しは1982年の1月末、矢張り南武支線を乗り潰し後、この浜川崎駅から扇町方に開始したのだが、「大工場地帯を縫う引込線風の沿線風景」としかメモが無い。当時既に貨物輸送は凋落、営業係数は450近辺を彷徨っていた様だ。 



           浜川崎ー扇町 1.3K 1998年3月29日(日)晴  


10:45 浜川崎駅を出発、さて次駅までは700M、浜川崎貨物ヤード沿いに三角形の底辺を行くような道があればベストだが、見当たらない。
 それで先刻駅まで世話になった国道を、右に日本鋼管の高塀を見て約300M、浜町信号で右折、県道101号線を同じNKK沿いに海の方向に、途中、広幅の構内道路が見渡せ、中を抜けたかったが諦めたゲートが見えた。
 日曜のせいか道に人影は無く、クルマも時々見掛ける程度、三井埠頭行市営バスが10分置きくらいに行き交う。
11:05 昭和駅着、改札口横が昭和電工工場のゲート、簡素な小駅と威圧感もある立派な門構えが対照的だ。 
11:10 出発、道路はすぐ二股に分れるが、R200カーブで右手に進む線路と共に三井埠頭方向に進み、400M程で三菱石油の研究所ビルがあり、そこが駅になっている。
   昭和駅
11:17 扇町駅着、単式ホーム、7KPあり、貨車留置線が7本、ちょっと行けば行き止りとなる。
 なお昭和~扇町まで、営業キロは600M、まさに工場引込線を行くような感じだった。
11:37発の電車で浜川崎駅に戻る、休日ダイヤは、この時間帯は1時間に1本、写真を撮ったり、駅観察をしたり、タイミングとしては最適だった。
 電車は浜川崎まで時速37~38Kしか出さなかった。 
   扇町駅ホーム、クハ103-565他



      

     浜川崎ー武蔵白石ー大川2.6K 1998年3月29日(日)晴  

   浜川崎駅 鶴見線ホーム 2019年2月24日 11:37 浜川崎駅出発、先刻南武支線沿いに来た際過ぎた横羽線下の国道を300M近く鶴見方に戻り、
11:45 道なりに竹の下踏切:4.86K、を渡る、道の左手は日本鋼管の広大な敷地の西側の端に当る。
11:51 駅手前の武蔵白石踏切:4.3K、を渡る、右手は富士電機の大工場。 
11:54 武蔵白石駅着、相対式ホームに4.1KPあり。小駅舎が山側に。

 さてこの駅から大川支線が分岐するのだが、96年4月、支線用ホームが廃止され、お隣の安善駅が乗換駅となり、電車はこの駅の脇を通過して大川駅に発着することになった。 
 
 線路にピッタリ寄添う広幅の道を行く、線路右手は日本鋳造のこれも大工場だ。
   武蔵白石駅  2019年2月24日
   大川駅 12:09 大川支線:大川駅着、駅近くに三菱化工、その先の日清製粉工場まで引込線が伸びる、ちょうど昼休みの時間だが、工員さんの姿はほんの少々、配達先を探しウロウロする、出前のオートバイの姿も。 
 電車はしばらく無いので、また元来た道を引返し、
12:25 武蔵白石駅に戻る。なお、大川支線の営業キロはちょうど1Kです。


              武蔵白石ー浅野ー海芝浦ー(浅野) 2.0K       

12:26 武蔵白石駅を出発、さらに線路右手近くを平行する自動車道を進み、
12:32 安善駅着、島式ホーム、少々古びているが、なかなか風格の有る駅舎だと思う、この間、前駅より600Mだった。
 さらに線路右手の道を進む、
12:44 横浜市自由公園に入る、野球グランドも数面、芝生部分も広く、家族連れが多い、浅野駅から100M程だが、駅より先行したのは、トイレに行きたかったから、、、

  
  浅野駅:芝浦支線③④ホーム 2019年2月24日   浅野駅ホームの浜川崎方に接する末広第一踏切:3.04K、続いて芝浦支線末広第二踏切:0.16K、を渡り、あとは支線線路を左手に見ながら、広幅道路を7~800M、
13:11 新芝浦駅着、相対式ホーム、下りホーム下まで運河が来ている。
 
 
  

  新芝浦駅 
   新芝浦駅より海芝浦方を望む、右手は東芝工場構内  この先は左下の運河沿いに東芝工場構内を800M、終点の海芝浦駅に至るが、駅脇の立看板に明記されて居る通り、構内は立入禁止だ。82年の「乗り潰し」の際は、職員線用の改札口を前にして、到着電車でまた引返したことを想い出す。 
 電車はこの時間帯、田舎のローカル線並で、また同じ道を引返し、
13:28 浅野駅に戻る。 
13:30 同駅出発、再度自由公園に入り、南側で接する横羽線下の国道に出てしばらく行き、左折して、 

  浅野駅  2019年2月24日 入った左陰に③④ホーム



           浅野ー鶴見 3.0K 1998年3月29日(日)晴

  13:49 弁天橋駅着、前駅との営業キロは600Mとこの間も短い、細い島式ホーム、2.4KPあり。
 この駅はまさにNKKの為にある、海側に造船工場と関連会社のエンジニアリング部門、線路端には2階建の労働組合事務所、それに富士銀の出張所がある。
 線路右手に伸びる道を進むと、程なく小振りの弁天橋電車区が左に、配置は黄色の103系3連ばかりだが、構内は曲線の感じなど、どこか中堅私鉄の面影を残す。
 電車区を過ぎてすぐ北に右カーブ、高速道を潜り、戸建住宅街を抜けると商店街となり、急に雰囲気が一転、といってもこの間、200Mくらいしかない。

14:10 鶴見小野駅着、相対式ホーム、1.6KPが浜川崎方に。
 線路を左に見てしばらく行くと、鶴見川堤防上に出る、アーケイド形の屋根が特徴の次駅を見ながら上流に100M程、臨港鶴見川橋を渡って戻る。
 なお鶴見川橋梁は144M長、橋梁左岸に1K028Mと記入あり。
 

  鶴見小野駅  2019年2月22日

  国道駅  2019年2月22日
14:32 国道駅着、相対式曲線高架ホーム、 ホーム沿いに駅の縦断通り抜けが可能、通路の両側には大衆飲屋等並ぶが、日曜で休業店もあり、照明が極端に暗いのが、少々気になった。
 駅名に違わず、ホーム鶴見方下を第一京浜国道が通る。 
 国道駅の先は、鶴見線高架左下の細道を行き、程なく京浜急行の簡素な高架線に出会い、壁に沿って鶴見方に行くと,地下道で東海道本線を潜る2車線道が横切る、その脇に歩行者用の小跨線橋があり、東海道本線を跨ぎ、400M程で駅に、22.1K辺りとなる。
14:48 鶴見駅に到着、なお鶴見線は22.2K辺りで、本線を西から東に斜め急角度で跨ぎ、鶴見駅北端に割込んだ様な相対式高架ホームに進入する。  

 鶴見駅高架ホーム 左地平部に京浜東北線ホームが