相   模   線



 (1)  橋本ーー社家 21.7K  1999年2月13日(日) 快晴
天気予報が「明日は冷たい風が強く吹き、ゴルフをする人はプレイに難儀するでしょう」とまで言ったので、いつでも止めて帰れる、現時点では自宅から最も近い未訪問区間の相模線を、目的地として選んだ。 


 7:35 橋本駅を出発、横浜方に向い線路右手すぐの道を行く。右手は日本金属工業の高塀が続き、中を覗うことはできない、この工場の敷地は広い。
 7:44 日金踏切に至る、駅から900M、32.4K地点、ここで線路は右カーブして横浜線と分れる。昨年9月横浜線沿線を歩いた時、ここまで逆方向に橋本駅へと歩いた。
線路の両側に道があるが、自分は右手の道を選ぶ、道の右手は工業団地が続く。 
やがて前方を国道16号線の跨線橋が横切る、31.6K辺り、国道下の潜り抜けはできず、上って下り、今度は線路左手の道を300Mばかり、駅直前の踏切で駅舎のある右手に移る。

 8:04 南橋本駅に到着、島式ホーム1本、地平駅舎から跨線橋で連絡、31.3KPあり。
駅周辺に商店は少なく、飲み屋が数軒ある程度、中小マンションもあるが、総じて寂しい駅前だ。
線路右手すぐに道あり、沿道にはNECの流通倉庫や中小工場が続き、線路は徐々に、広く平坦な台地から樹木の多い丘陵地帯に入って(下って)行く。
陸橋で線路左すぐ上の道に移る、河岸段丘の端を行くから見晴らしが利く所が多いが、相模川は見えない。丹沢の山々が雪を被り美しい、丹沢には結構行っているが、この角度からだと、山の名はさっぱり判らない。
線路は丘崖の上から下へと、時々切通しに入って高度を下げていく、要は登山ならトラバースしている感じだ。車内からだと深い樹林の中を行く雰囲気も味わえ、相模線束の間のハイライト区間だ。
20M下の広大な平地は幅4〜5Kくらい、三菱重工など大工場、それに大企業の研究所然とした建物も多いが、矢張り畑地が主力だ。
左手に7階建が10棟以上ある大団地が現れる、三菱重工業の従業員寮だ。崖下7Mを行く線路に29KPが見え、下の平地までさらに10Mはあった。この大団地、車内からはよく見えず。
えのき神社前で道が行止り、架動橋をくぐり線路右手に、この先道なりに下り上溝の住宅街に入る。
上溝は旧相模原町役場があっただけに、旧い街の雰囲気も残り、駅近くでは歴史とゆとりを感じさせる立派な門構えの住宅も見掛けた。
 8:47 上溝駅着、駅は線路が台地から段丘崖伝いに下った平地の高架上にある、街の規模は大きいが,ホームは片面1本だけ、茅ヶ崎方出外れに28.3KPあり。
この先線路は右カーブで築堤を下る、直線だと勾配的にきついからだろう。線路沿いに道は無く、第四〜第一まである田尻架動橋のうち3つをくぐって線路と絡みながら進んだ。
 
 相模線:上溝駅、2011年7月22日撮影






  相模線:番田駅、2011年7月22日撮影 
 9:17 番田駅着、駅舎は進行右手、ホームは島式1本、26.9KPあり。
 
この先線路右手近く細長い住宅街を挟んで2車線道がある、駅近くを起点とする県道で歩道もあるが、近くに砂利採取場があるようでダンプカーが多く、砂埃を巻上げ我が物顔に走る。しかし次駅まで約2K、結局この道の世話になった。
9:47 原当麻駅着、近代的な橋上駅だが改札口はまだ非自動式、島式ホーム1本、24.8KPあり。
 なお「当麻」とはアイヌ語で沼地を意味し、駅付近に小川が流れるのを見ると、その解釈も成り立ちそうだ。 

さらに2車線県道を行く、道なりに段々河岸段丘の端に押出され、相模川の流れ、その先に近付いた丹沢の山々を眺めながら歩く、大山と三峰山の姿もはっきりしてきて気分爽快、天気も最高、「北風が強い!」なんて気象庁もいい加減なことを言うなよ、、、 
 
 相模線:原当麻駅、2011年7月22日撮影
 途中「八景(はっけ)の棚」という見晴台が街道横にあり、そこのベンチで一休み、すぐ下の平野に広大な田園地帯が展開、山々の眺望も勿論最高。

10:20 下溝駅着、片面ホームの無人駅、23.5KPあり、目立たない小駅舎が佇む。
10:26 街道が道なりに線路を渡り左手に、駅が200Mほど後方に見える、実は先刻駅の入口に気付かず、ここまで来て引き返した。
この先徐々に線路は街道共々相模川から一時遠ざかる。
駅から2Kほどで新磯高校前に出る、街道はちょっと線路から離れ、右の小道に入ってみたが、程なく線路端に出る、もう完全に丘陵地帯から下の平野に下り、丹沢の山々も遠くなった。
 10:58 相武台下駅着、島式ホーム、ホーム右手はすぐ広田が展開、その先に丹沢の山々が見える。駅前に1軒ある寿司屋は閉まっており、他には特に何もない寂しい所だが、米軍座間キャンプが占める左手の台地に、往時は帝国陸軍士官学校があり、この駅も一時は「陸士前」と称した。座間キャンプを挟み小田急相武台前駅には2K足らずと近い。
線路から少し離れ左手を平行する用水沿いに道がある、桜並木もありお花見時はきれいだろう。
 
  相模線:相武台下駅


 11:29 入谷駅着、駅舎は無く片面ホームだけ、ホームの周囲は広い田んぼ、左(東)の台地上まで300Mほど、そこにある小田急座間駅まで7〜800Mと近い、
たまたま到着した205系500番代4連から下車したのは1名、乗車は無かった。
入谷駅の標高は27M、橋本駅は140M、両駅間は14.4K、片勾配で結構下りて来たものだ、、、
広い畑中の農道を行く、1Kも行くと300Mほど先に見えた台地がすぐ近くに迫る、17KP地点までは農道を繋いで歩き、その先500M、16.5KPまで線路脇に細道があった。
  相模線:入谷駅
この先線路は台地の裾を行く、台地には線路に触れんばかりに小住宅が建ち、線路右手は団地で、その間に小用水が流れる。団地と用水の間に3M幅の空き地が伸び、「耕作禁止」の立札に構わず家庭菜園などに利用され、この家庭菜園ナント250Mほど、16.26K地点の小踏切まで続いた。ここから一般道路となり、300Mで駅に。
12:24 海老名駅に到着、島式ホームの橋上駅、ホーム橋本方出外れに16KPあり、小田急、相鉄の海老名駅が小田急の車庫を挟んで100M離れて並び、跨線橋で結ばれる、
当駅は設置要望が前々からあったが、民営化直後の1987年9月、やっと開業した。小田急、相鉄のある東口に比べると開発は手付かずと言え、ホーム右手は商店も住宅も疎ら、広い畑が展開する。

12:30〜13:00 駅から近い海老名市文化会館で昼食、ピアノ発表会があるようで、着飾った出演者らしき子供がやけに目に付く。
大きなガラス窓を通じ丹沢山塊の眺めが良く、すぐ近くを205系オンリーだが電車も走り、生ビール片手に気分が良くなった。
13:00 出発、すぐ横浜厚木線に出て道なりに踏切で線路右手に、15.2K地点、線路との間にマンション、事務所など建つ。程なく茅ヶ崎街道にぶつかり左折、線路も同様に左折、相模川の流れに方向を合わせる。                                                    
 相模線/小田急線:厚木駅 2010年10月18日撮影  13:21 厚木駅着、上を東西に跨ぐ小田急電鉄管理駅で、ホームは片面、茅ヶ崎街道に面し駅前広場は無い、ホーム両側に側線があり、内1本は小田急線のガードをくぐり先まで伸びる。
なお厚木駅の手前まで海老名駅から相鉄の旧貨物受渡線が伸び、現在は同社の車両留置線として使用、新車の授受などこの留置線を通じ行われる。
 さらに茅ヶ崎街道を進み、踏切で左手に、14KP辺り、しかし街道は線路からちょっと離れるので、右手の脇道に入ると線路端に出た、道はやがて広い畑中の小道に変るが、この先思ったより長く伸びた。
13:52 下柳原踏切を渡り線路右手に出る、12.6K地点、この先遊歩道が相模川の堤防上へと伸びる、河川敷が海老名市の運動場、公園として整備されており、大山、三峰山の眺めが良く、特に後者は名前の通り、峰が小さく3つに分かれているのがはっきり見て取れる、初めて見たがこの角度の三峰山は新鮮だ。
東名高速道の下をくぐり、駅すぐ手前の踏切を渡り駅に。この間300M足らず。
14:14 社家駅に到着、白塗りの平屋駅舎はコンクリ製だが、建築は戦前、ホームは島式、11.5KPが立つ。集落のある駅右手に8階建マンションが隣接、左手は広い田んぼが展開する。
ちょっと早いが本日はこれにて終了、橋本から営業キロで21.7K、ちょうど36,000歩だった。帰宅は15:37、天気は終始最高の状態を保った。


        (2) 茅ヶ崎ーー寒川 5.1K  1999年7月8日(木) 晴

 この日は大船から始め平塚まで歩いた、同市は七夕祭りの真っ最中、仙台市のホンモノは見たことが無いが、どうしてどうして平塚の七夕も素晴らしかった。この先大磯へと歩くと七夕の思い出が薄れてしまいそうで、あとは相模線をちょっと歩いて切上げることにした。もっとも途中、205系の走行シーンが真近で見える健康ランドがあったりして、人生なかなか予定通りには進まない。


12:32 茅ヶ崎駅北口に立つと広幅の大通りが北に伸びる、相模線の西側500Mを行くこの通りをそのままそのまま歩けば、道なりに寒川駅に至り話は簡単だが、今日はまず横浜方に歩き始める。なお相模線は茅ヶ崎駅に3本ある島式ホームの山側DE番線を使用。
12:40 新町踏切前に出る、茅ヶ崎起点550M、線路は駅出てすぐの左急カーブで北に針路を転換しつつある最中だ。、なおこの半径107M曲線が国鉄最少とはものの本で知っていたが、車内から見るととてもそんな感じはしない、曲線改良をしたのかも、、、
線路の左手を進むと東海道にぶつかる、大型商業施設サティ―が一際群を抜いて目立つ辺りだ。
東海道で相模線を跨ぎまたすぐ線路右手の小道に下る、小出踏切(950M)を渡る時、駅が前方に見えた。
 相模線;北茅ヶ崎 2005年5月17日撮影  12:55 北茅ヶ崎駅着、地平小駅舎に島式ホームが1本、ホームはちょうど1.3〜1.4KPの間に収まる、駅舎の隣に正門がある東邦チタニウムの工場がホーム左手全てを占め、鶴見線にこんな駅があったことを思い出す。 右手はあまり開けていない住宅地、この駅の海抜は4M、海寄りの茅ヶ崎駅は8Mで、どうなっているのだろう?
駅を目の前にして健康ランドが線路脇に建つ、温泉ではないがこれだけ線路に近い入浴施設に出くわすと、そのまま通り過ぎるのは勿体無い、当然電車の走りっぷりも見える筈だし。

        茅ヶ崎:湯快爽快 1999年7月 8日(木) 13:00〜13:40在 ¥430  
                            2005年5月17日(火) 11:15〜13:15在 ¥900

 駅前のスーパー銭湯だが、電車で来る人は少ないようだ、ここは市役所からも500Mくらい、クルマの方が便利だろう、広い駐車場もある。
1階は靴箱、駐車場、2階はフロント、休憩室、浴室などが集中、広い主浴槽、薬湯、ジャクジー、打たせ湯、サウナ、水風呂など一通り揃っている。石造りの露天風呂は狭いせいもあるが、混んでいて入らず。
フロント横の食堂、ロビーから前を行く電車の走りが見られ、小児が嬉しそうに指を差す。
追記:
その後この場所の地下1500Mから温泉が湧出したと聞き、2005年5月再訪問しました。
                        2005.517撮影
施設内容は殆ど変っていないようで、主浴槽も白湯のまま、ただ露天風呂を2.5X7M程度に拡張、
「源泉掛け流し、循環加熱」と表示が出ている。お湯は無色透明、ちょっと石油匂、結構塩辛く顔がややしみるほど、ナトリウム塩化物強塩泉とあった、料金は¥430〜¥900になっていた。         





14:00 北茅ヶ崎駅を出発、線路右手に近い小道を行くと、程なく道なりに線路から少し離れ、
14:10 円蔵小学校横を過ぎる、その先小商店が数軒あり、お客さんで賑わう、なぜと思う間も無く団地の中に入る、ケヤキなど樹木も成長し、かなり年季の入った落着いた雰囲気の大団地だ。普通この規模の団地だと周囲は住宅地だと思うが、ここは畑が混在する。
交通は神奈中バスが乗入れ、直接茅ヶ崎と結ぶ、北茅ヶ崎駅から700Mほどだが、頻発運行のバスの方が格段に便利だと思う。
団地の北側を掠める新湘南バイパスの高架線沿いに西方向に歩き、
14:36 西久保第2踏切に出る、2.7K地点、線路左手に道がある。
 相模線:香川駅 14:44 香川駅着、片面ホーム、改札口昨年の3月だからまだ新しい。は自動化されていた。

14:50 駅から100M先の踏切で線路右手に、3.5K地点、線路左手に道があるのだが、地ビールの店の広告があり、今日は健康ランドのお湯にも入ったし、遊びモードに入っており、一杯飲みたくなった。洒落た造りのビアレストランで玄麦をつまみに地ビールを試す、ビールをやけに貴重品のように扱うのが気に入らないが、1杯(250m位)¥500だからこんなものなのかな?1杯では足らず2杯飲んで退散したが、このビールかなり利きました、、、
15:25 茅ヶ崎北陵校前を過ぎる、海抜12Mの高台に位置し、隣に西方貝塚跡があったが、今はただの畑になっている。見晴らしの良い所で、かつては台地の下まで海だったらしい。
15:32 坂を下り小出川を渡る、東海道線が馬入川の手前で渡る時とは違い、川幅は7〜8Mしかない、鉄橋が渡るのは4.3K辺りとなる。この辺りで線路近くの道となり寒川東中横を過ぎ、

15:44 寒川駅に到着、橋上駅舎に島式1本、5KPあり、駅舎は寒川神社を模し、相模線の駅舎としては群を抜いて立派だった。架線を取り外した留置線が2本、ホーム西側に伸びる。 




  (3) 社家ーー寒川 6.5K  寒川ー西寒川 1.5K
  
    1999年7月10日(土) 快晴薄晴
今日は家でゆっくりする積りが、家の前で東電の工事が始まり、まず道路を掘り起す軽機の騒音がひどく落着かない, 2日前に歩いた相模線が、西寒川支線も含めちょうど8K残っており、昼から出かけるには最適の距離と、これ幸い逃げ出した。


13:27 社家駅を出発、線路近くを平行する県道46号線を行く。
道の左手は約1k先の低い台地まで広い田んぼが展開、右手は住宅、中小工場などが殆ど間断なく続き、その裏手は線路がすぐ、車中から見ると住宅、工場の裏側を見ながら走り、さながら工場の引込線を行く感がする。
13:36 有馬高校前を過ぎる、大げさに言うと「水田の中に浮かんだ学校」のように見える。
13:45 駅手前の有馬踏切で駅舎側に回る、10.16K地点。






  相模線:門沢橋駅  13:49 門沢橋駅着、ホーム片面、10KPあり、小駅舎はJR経営の売店になっており、服装など往時の国労タイプの雰囲気を残す、そろそろ貴重になりつつある駅員がトマト、キュウリなどを販売する、荷物になるのを構わず少し付き合ったが、1束\130、家では好評だった。
線路右手の小道を300mほど、また左手を行く県道に戻る。
14:04 寒川町に入る標識あり、この辺りから線路は県道からやや右手に離れて進むが、金網越しに線路を見る道があった。
14:12 倉見駅着、島式ホーム1本、コンクリ製小駅舎は社家駅にそっくり、猫の額のような駅前に自転車が溢れる。
駅出てすぐ新幹線が上を跨ぐ、8.4K地点、この辺りの高架線はちょっと低めで、列車が通過する際の迫力は一段と大きい。
14:21 また県道46号線に入る。この先沿道は工場地帯となり、段ボールのレンゴー、河西工業など大工場が並ぶ。
程なく県道がY字形に分れ、自分は駅方向に行く旧道に。
  相模線:倉見駅
  相模線:宮山駅 14:34 宮山駅着、有名な寒川神社へはこの駅が最寄りだが、駅舎はチャチ、片面ホーム、7.2KPあり、駅から相模川は西3〜400Mと近い。
神社に向う、線路から少し離れた左手にこんもりした松林が見え、格好の目印となる。
14:45 寒川神社で参拝。  
寒川駅から神社へ通ずる参詣道を行く、途中町営50Mプールなどがある健康センター脇を過ぎる、町の浄水場も相模川寄りにあり、こちらは電車からもよく見える、この辺り短区間だが、線路と相模川は近くに並ぶ。

15:08 黒塗りの大鳥居の傍の大門踏切で線路右手に移る、5.74K地点で、渡ると町が造成したサイクリング道路が南南西方向に伸びる.

ここから1984年3月末に廃線となった西寒川支線を歩きます!


 踏切脇に案内があり、サイクリング道路は長さ900M、昭和60年完成とあった、その時植えられた沿道の並木は既にかなり成長、周囲の景観を一段美しいものにしている、
終点近くの左手には一ノ宮公園もあり、150M程線路がバラスト共々残され、かつてこの線を走ったキハ17系、キハ30系の姿が瞼をよぎる。





15:20 西寒川駅跡に到着、寒川町長の手になる「相模海軍工廠跡(西寒川駅)」と彫られた石碑が置かれている。
自分は1965年5月、“乗り潰し”で、運転本数が少なく乗り残した同支線を訪問、片面ホームに停車中のキハ10形2連の写真を撮ったのを覚えている、当時は簡素な駅舎があり、他は砂利山と少し先の日東化学工場以外、目に付くものは無かった。現在、ホームの右手は普通の住宅街になっている。1日4往復、首都圏から利用可能な日中運行列車は2往復だったと思う。

また同じサイクリング道路を引返す。
  寒川町サイクリング道路


 相模線:寒川駅、線路右の空地は支線の線路跡
15:45 寒川中学校を右に見て過ぎ、参道を行過ぎて軌道修正をして、
15:56 寒川駅に到着、社家駅から12,600歩だった。








 (左の写真は2011年7月23日撮影



   
 キハ1049+1062 於:西寒川駅  1965年5月17日