赤羽線・埼京線・川越線

    (1) 赤羽線:池袋ー赤羽 5.5K 埼京線:赤羽ー戸田 6.8K

                                   1997年11月23日(日) 昼から快晴

12:58 池袋駅北口を出発、池袋には会社時代、2回通算8年いたことがあるが、活動範囲は夜を含め殆どが西武デパートのある東側、駅反対側には立教学園隣の豊島税務署以外、足を踏入れる機会は少なく、新しい土地を歩いているのと変らない。
 線路沿いの広い通りを行く、左に風俗店ビルが並び、明るい陽光の下で見るこの種建物は、何か不細工できまっていない感じがする。
 首都高が上を覆う川越街道を渡り(0.7K)、小住宅密集地を進む、この辺りJRと東武東上線がぴったり並走、さらにその右手は池袋電車区が、都心部では珍しくなった堀の内(地上)踏切(1.05K)まで続いている筈だが見えない。
13:20 東上線北池袋駅着、1.2KPあり、東上線は駅出ると左カーブして消える。
線路右手の住宅街に移り、クルマがやっと通れる小道を行き、突然桜並木の大通りに出て、 
13:30 板橋駅着、駅舎は赤羽方端に、出入口は1個所のみ、島式ホーム1本、1.7KPあり。 
旧中山道をちょっと行き、脇に都営三田線の新板橋駅がある川越街道を横断、急階段を下り石神井川を渡る、線路は切通しと鉄橋(2.4KP)で小谷を一跨ぎする。
また台地上に出ると東京家政学園が線路左手、2.8Kから300Mほど続く。
線路沿いの道を行けば駅は近い。

 赤羽線:板橋駅  2011.08.31

 赤羽線:十条駅  2011.09.28 
14:06 十条駅着、駅舎は赤羽方東口にあり、地平相対式ホーム、3.5KPあり。
線路方向に300M続くアーケイド商店街は、買い物客が多く活気があった。商店街が尽きると環状7号線を渡る。 
14:20 高架線路近くの北区自然ふれあい博物館前の公園で小休止、4.4KP対応。
 住宅街を行き、やがて4.7K辺りで右から近付いた東北本線(12.4K)と並び、600Mほどで駅に。
14:40 赤羽駅西口に到着、高架F・G番線を使用、5.4KPと13.1KPがホームを挟んで存在。
線路に沿った師団坂を上り、星美学園正門前に出る、案内板があり戦前はここに工兵大隊が駐屯、その跡地にこの学園が建てられたとある。東北新幹線と埼京線が学園敷地下をトンネルで抜けるに際し、最後までもめたことを想い出した、赤羽台トンネルは13.7K辺りから550M長となる。
道なりに歩き台地の端に出ると、トンネルを抜けた新幹線列車が走るのが見えた、なお、赤羽駅から先のキロ程は、東北本線のものを引継ぎ、赤羽線との継続性は無い。 
15:09 台地を下り高架下の北赤羽駅着、新河岸川上に設けられた駅の周囲はまだ未開発で、小さな駅も全く目立たない存在、ホームから東北本線の鉄橋が500M下流に見える、14.8KPあり。
 高架線進行右下の事業所などが並ぶ単調な道を行く、緑が殆ど無い地区だ。

  埼京線:北赤羽駅  2011.11.09

    浮間舟渡駅  2016.8.06 15:30 浮間舟渡駅着、16.4KP、荒川と新河岸川に挟まれた細長い土地の一画に位置、総武線の平井駅周辺を想わせる。
 高架右手の道は堤防を背にした第一硝子工場前で行止り、左手の17号線に。 

 荒川を国道17号線で渡る、秩父の山々が今日はくっきり姿を見せる、右に荒川鉄橋(600M長、17.5K地点)が寄添う、荒川の流れはこの辺り埼玉県側に片寄り、都側は逆に河川敷のみ、橋の両側に無人交番が建つのは、多摩川、江戸川などと同じ。
 対岸の埼玉県に入ると、戸田競艇場を左手に見る辺りで国道が高架右手に抜ける、17.8K地点、その先、見当を付けて高架線に近付き、 
  埼京線:戸田公園駅  2011.11.09  16:11 戸田公園駅着、18.6KPが赤羽方の壁に記入されている、この線のKPは全てペンキ書きだ、競艇場があるせいだろう、改札口は中2階に位置、規模も大きい。 場外券売場が高架下にあり、レースが終了、改札口に向う人の群に逆らうかの様に歩く、この種のゲームに興ずる人達の顔には遊びを終えた爽快感が見られず気になる、単独行動者が多いのは自分と同じ。
 この先複々線用地なのか、騒音緩和帯なのか、広幅の未使用地が伸び、高架右下には側道もあって、歩くには都合が良い。
16:30 戸田駅着、赤羽方に20KPあり。 





         (2) 埼京線:戸田ー大宮 11.2K 1998年1月31日(土)快晴

     戸田駅  2016.8.06 11:35 戸田駅を出発、前回この駅まで歩いた高架下の側道をまた行った、殆ど人と会わずに次駅に到着。  
 
11:54 北戸田駅着、高速道との交叉の関係だろう、ホームは3階レベルにあり、エスカレータで下を見ると恐いくらい、21.4KPあり。
高架左手下の道を行く、日本食堂の大工場があり、社名入りのトラックが何台も駐車、顧客の分散化が判る。 
この先すぐ東京外環自動車道をくぐる、線路は新幹線共々その上を跨ぐので大変、21.8K辺り。
高架下が駐車場や小倉庫からパチンコ店などに変ると、間もなく次駅に。
12:29 武蔵浦和駅着、武蔵野線との連絡駅、島式ホームが2本、快速への連絡が可能、23.7KPあり。
  埼京線:北戸田駅  2011.11.09
 駅の大宮方から「花と緑の散歩道」が始まる、桜並木がありお花見時はきれいだろう、舗装も柔らかく歩きやすい、沿道に垢抜けた住宅が並ぶなか、やがて別所沼公園に入る、広い池を中心にした静かな公園で、ここで小休止。
 少々線路から離れたので、軌道修正して駅に。

 埼京線:中浦和駅 左に貨物連絡線が見える 2011.11.09
13:00 中浦和駅着、島式ホーム、25KPあり、ホーム大宮方端を武蔵野線の貨物連絡線がここも斜めに抜け、武蔵浦和駅付近に雰囲気がよく似ている。
この先は高架左手すぐにJRが設けた私道がある、天気が良く近在の人が散歩を楽しんでいる、犬を連れた人も多い。
13:22 南与野駅着、26.7KPあり。
さらにJR私道が続き気楽に歩く、気分に余裕ができ、次駅を目前にして公園で日向ぼっこ、すぐ近くを新幹線列車がひっきりなしに通るのも魅力だ、天気も最高、つい長居をしてしまった。
    南与野駅   2016.8.06
13:52 与野本町駅着、島式ホーム1本、28.3KPあり。
この先も高架線横に道が伸びるが、案内図を見るとちょっと寄り道すれば市庁舎があり、行ってる、市役所横には9600型SLが静態保存されていた。
市役所から北方向に歩き、駅を出て一時東方向にカーブした高架線脇に道なりに出て、

 埼京線:与野本町駅 2011.11.09
    39685号機 於:与野市役所前、右は国道17号線 14:12 北与野駅着、大宮方の壁にペンキ書きの29.4KPあり。駅周囲は大型高層マンション、スーパーが建ち並ぶ機能的で明るい街、いかにも若夫婦の趣向に合いそうだ。
駅を出ると線路右手の景観が一変、高い塀に囲まれた突貫工事現場が現れる。  

    北与野駅  2016.8.06
 内部はよく見えないものの、大型クレーンも15台は入っており、土砂を満載したダンプカー、資材を積んだトレイラーが行き交い、各建設会社のプレハブ事務所、出入口検問所の係員の数も半端でない、旧国鉄大宮操車場跡地利用の大プロジェクトが進行中なのだが、その規模の大きさ、それに騒音に圧倒された。 
 なお、新幹線高架はそのままなので目立たないが、埼京線は駅を出るとすぐ下り始め、1K
ほどで地中に潜り、大宮駅地下ホームを目指す。
 高架線左手下の道を行ったが、大宮駅近くまで与野市の地番が続いたのは意外だった。
駅が近付き、クルマの絶えない信号の無い道を苦労して渡り、構内端に廃車解体待ちの地下鉄乗入用モハ300系数両を発見!この電車自分が入社した頃、自分と同じく(?)ピカピカで、これに乗って大手町界隈を闊歩したものだったが、、、
14:50 成田空港行JR関東バスが停まる大宮駅西口に到着。




    (3) 川越線:大宮ー日進 3.7K 1998年5月10日(日)薄晴れ 
          

 この区間の川越線は、大宮地下ホームを出発した後1.3K辺りで掘割区間に顔を出し、1.5Kで右手の高崎線と並ぶ、線路左手はまだ広大な大宮工場構内で、留置線にパンタ、窓ガラスなど全ての艤装品を外され丸裸にされた、103系電車などの痛ましい姿を見ることも少なくない。
 2.5〜2.6Kで上を東北新幹線が斜めに横切った後、続いて国道17号線の下をくぐり、3KP辺りでここまで一緒に来た高崎線と分れ、住宅街を左長大カーブで北から西南西に進路を変えた地点が3.5KP辺り、もう駅は目の前だ。
日進駅ホームの大宮方に立つと、高崎線列車の走行音が引切り無しに響き、宮原駅とは1Kほどの距離だ。木造平屋駅舎が進行左手に建ち、大宮起点3.7KPあり。


   (4) 川越線:日進ー武蔵高萩 23.3K 
1998年11月15日(日)快晴

 川越線は半年前、高崎線の宮原駅まで歩いた時、ついでに日進駅まで歩いたのが最初だが、その時は高崎線から別れ、住宅街を5〜600M歩いただけであっという間に駅に到着、写真も撮らずそのまま電車に乗って帰ったので、その意味では本日が訪問初日とも言える。

  川後線:日進駅 2011.10.30
7:59 日進駅を出発、駅前大通りをちょっと行って右折、線路方向の道に入るともう住宅街となる、商店街はごく小さい。
 程なく主に左手に田んぼが多くなる、休耕田の荒地も目に付く。
8:20 新大宮バイパスの下をくぐるが、歩道が曲っており時間を食った、この辺り線路方向にしっかりした道が無く、6KP地点で進行右手の旧道に入るまで、2度踏切を渡った。
 旧道に入ると屋敷林を擁する大きな農家が並ぶ集落をしばらく歩き、快適な朝の散歩ができた。
 段々一般の勤労者住宅が多くなり、駅手前で駅舎のある線路左手に移り、 
9:00 指扇駅着、相対式ホーム、7.7KP、日進駅と異なり駅前広場があり、荒川河川敷に幾つかあるゴルフ場の送迎マイクロ、タクシーが停まり、この時間日曜ゴルファーで賑わう。
 線路方向にしばらく行くと堤防が遮り、上ると広大な河川敷が展開、グランドや畑、そして樹林まである、川面は全く見えず、洪水に備えたいわゆる高水敷だ。
9:15 人の渡る橋は上流500Mにあり、堤防上の高木踏切を渡る、8.4地点。
 サイクリング用の小橋が2本も並び、16号線に入る必要は無かった、最初荒川を、次に入間川を渡るが、橋下はちょうどゴルフ場として利用され、プレイヤーの動きがよく見え、退屈しなかった。     
  川越線:指扇駅  2011.10.30
9:40 橋を渡り終える、線路は下流800Mまで離れていた、クルマを避け堤防内の畑沿いに歩く、畑は市民農園ではなく、農家の手による本格的な耕作だ。途中過ぎたゴルフ倶楽部からは、対岸のフェアウェイまで専用の渡し船があった。
9:55 藤川踏切に到着、9.76K地点で、延長1.3Kの長い鉄橋だったが、川幅はいくらも無く、広い高水敷が占めるのは前述の通り。
 倶楽部の脇を過ぎ築堤線路下を行くが、右手には適当な道が無さそうで、架動橋で左手に。
10:00 10KPを右手築堤上に見る、この先10.6K地点にある踏切から川越電車区構内が始まり、電車区内を柵越しに見ながら進む、左手は広大な田園地帯が堤防下からずっと続く。
10:26 11.8K地点の踏切で電車区敷地は終了、あとは職員専用と立札のあるクルマの入れない細道を300M歩いて駅に。  
 
  川越線:南古谷駅 2011.10.30
10:34 南古谷駅着、相対式ホーム、12.4K
駅舎は進行左手、指扇駅とよく似た構成だ。
区画整理事業が完成したばかりで、西武バスが停まる駅間には更地も数か所、まだこれからの地区のようだ。
 線路左手近くの自動車道を行くとやがて広田中の農道に変る、前方2K、台地上に川越市街が見え出す。
11:10 今は小川の様な新河岸川の堤防上に出て、そのまま線路右手に抜けて橋を渡る、天気が良いので小休止。
11:30 出発。
 この先すぐ15KPを過ぎると線路は右急カーブで台地の中に入り、左手から近付いた東武東上線の下を抜け、続いて国道16号線を東上線と並んでくぐり、約600M平行して川越駅に進入する、自分も一時線路から離れ、住宅街の道を台地上に出て16号線を横断すれば、あとは線路両側に道があった。
 なお国道16号線との交叉地点は15.3K地点となる。 

  国道16号線跨線橋より川越駅方面を望む  

    川越駅西口
11:54 川越駅着、地平島式ホームが2本、16KPあり、この駅より先の高麗川方面へは、列車は全て乗換えとなる。橋上コンコースは「小江戸」と称される街並みを見ようと訪れた人々で大賑わい。 
 川越からは進行左手を行く、以前こちら側には何も無かったと思うが、今は立派なビルが並び、特に金融機関は駅南側に集中するようだ。
 西武新宿線の歩行者専用踏切を渡ると、急に閑静な住宅街となる、右手の線路は切通しに入り台地を下るが、この辺りの風景は中央線の西国分寺駅付近のそれに似ている感じ。12:26 今成三叉路、ここから県道川越・日高線に入る。線路は住宅の帯を挟み右手近くを平行(それで、西川越駅はやがて現れる筈と安心していた、、、) 
 川越駅には以前、この街では有名な日枝神社での後輩結婚披露宴を始め、何度か来たことがある、当時は未電化のローカル線、東上線の8000系もお世辞にも立派とは言えないが、キハ35系では如何ともし難く、両社の差は圧倒的だった。しかし電化後15年経過した今、東上線の方が乗客はやや多いもののその差は殆ど無くなり、両社合せた旅客数の伸びは顕著なものがあり、川越の街の最近の目覚ましい進展ぶりに寄与すること大なるものがあろう。
12:40 入間川を渡る橋の袂に到着、ここで初めて西川越駅を行過ぎたことに気付く!行過ぎたのは4〜500M,、戻ることも出来たが、なぜか気が進まず、そのまま前進することに、、、
12:45 入間川を渡り終える、3時間ほど前にこの川を渡っており、何かヘンな気持ちだが、入間川はこの辺りでは北に向って流れ、川越市を巻いた後また南に向きを転じ、指扇駅の先で荒川と合流するという少々複雑な経路を取る、確かでないが、流路改修があったのかも、、、
 なお下流150Mを行く鉄橋は、19.17〜19.45K
辺りとなる。
 この先斜め右、線路方向に旧道が伸び、行ってみる、住宅街に入ってから何度か道を変え、 

  西川越駅 2011.11.05
  川越線:的場駅 2011.11.05 13:17 的場駅着、ホーム島式、高麗川方端に21KP立つ。
 Y字形ポイントすぐ先の踏切(21.16K)で線路右手に移る、線路と道路は500M先の高速道まで直線。
13:40 関越自動車道の下をくぐる。
ずっと線路にぴったり添った道が右に分れていくので、22.2K地点の踏切で左手に移り、また県道日高線に入る。
 途中、霞ヶ関という街を過ぎる、川越市役所、霞ヶ関小学校、中学校、農協などが県道の両側に集中して建ち、駅から少々離れるがなかなか活気がある。  

14:10 街の中心から500Mほど県道を行き、笠幡駅に到着、ホーム片面、23.8K地点。
 さらに県道を進む、線路は右手30Mを平行、その間には感じのいい農家などが建つ、道の左手は主に田んぼ、狭い茶畑も点在、また有名な霞ヶ関カンツリー倶楽部などゴルフ場も幾つか、案内看板も目立つ。
14:32 圏央道が上を横切る、25.3KP地点、このちょっと手前で日高市に入った。
14:56 県道を右折、100Mばかり立派な桜並木通りを行き、武蔵高萩駅に到着、相対式ホーム、高麗川方に27KP立つ。
 結局この区間は線路沿いの道は無い様で、全て県道に頼った。 

  川越線:笠幡駅


 クハ103−3003他 於:武蔵高萩駅 2000.3.05
 下り電車はもうホームに入って上り電車の到着を待っており、急いで切符を買い、駅の写真も撮らずに高麗川、立川経由で帰る、接続は非常に良かったが、それでも2時間近く掛り、16:時45分に帰宅。
 
 この駅の開業は、戦雲低く垂れこむ昭和15年、近くに旧陸軍航空士官学校があり、昭和天皇のご行幸も数度あって、この様な小駅に貴賓室が設けられている。内部を拝見することはできないが、車寄せ、緑の瓦や白壁に、他の駅には無い品格を感じる。 
   
 行過ぎた西川越駅には13年後、東武東上線の歩き潰しをした際、東上線川越市駅から歩き寄ってみました。
 県道:川越・日高線からせいぜい20M位しか離れていないが、案内表示があるわけでもなく、片面ホームも住宅の陰にひっそりと佇み、駅前に小広場はあるが商店は全くなく、住宅街に溶け込んだような小駅だった。これではちょっと何かに気を取られたりすると見逃してしまうのかもしれない。 



     (5) 川越線:高麗川ー武蔵高萩 3.6K 2000年3月5日(日) 曇り

 今日は八高線の北藤岡から児玉駅まで歩き、同線の歩き潰しも、残るは毛呂から金子駅だけとなった。そうなると川越線に残る首記区間が気になり、帰路高麗川駅で下車、一駅だけ歩いて川越線の「完歩」を達成した。
15:00 高麗川駅を出発、線路進行左手を200Mほど行って踏切を渡る、この先すぐ川越線は大きく右カーブを描いて八高線と分れる。 カーブの関係で一度左手にちょっと移ったが、
15:15 役場前踏切(29.7K)でまた右手に戻る、なお高麗川駅終点の30.6KPはホーム大宮方にあった。
 線路は29.8K辺りから直線となり、それが駅近くの27.3Kまで続く、線路左手(北側)の旧陸軍飛行場跡は、整然と区画され、学校、病院などが建つ。
 市役所通りを行き、市役所、銀行などを見て、県道15号、川越・日高線にぶつかり左折、線路は左手250Mほどを平行する筈だが見えない。
15:36 三角山バス停を過ぎる、ここから斜め左に伸びる道がある、沿道は住宅と茶畑、樹林など、茶畑は広く、出荷用の本格的なものが多い。道なりに線路に沿った時は、もう駅が近かった。
15:50 武蔵高萩駅着、高麗川駅から5,891歩だった。   


    (追加) 日高市:まきばの湯訪問   2007年3月8日(木) 晴一時雲出る
     10:55〜12:30 入浴、 〜13:30 昼食、

  川越線:武蔵高萩駅   この4月はJR移行後20周年に当る、これを記念して春の青春18きっぷが5回分8,000円と大幅割引して売出され、これだとこれまで勿体無くて使用できなかった近間にも気軽に利用可能で有難い。

 今日は新装なった武蔵高萩駅を訪問、そこから少々歩くが、温泉ファンの間で評判の首記日帰り温泉を訪問した。
 駅は想ったより瀟洒な姿に生れ変り、屋根の緑や白壁など、旧駅舎を知る者にとっても充分共感できる雰囲気を漂わせていた。   
場所:駅近くの県道:川越・日高線を川越方に、20分ほどで圏央道にぶつかり、側道を右(南)に1Kほど、そば屋の角を左折すると南小畔川の左岸に出る、さらにちょっと行った対岸の駐車場が温泉の裏口にあたる。所要は約55分。
施設:建物は内外装とも丹念な造り、それは自分のような素人にも判る。廊下、トイレの板張りも丁寧で、見えない所にも気を配る。
浴場は天井が10Mと高く、開放感がある、前面のガラスが大きな主浴槽は、源泉掛け流しのせいか収容は10人ほど、大岩を配し、塀が高い露天風呂も湯船の広さは同じだった、洗い場は25、各々に大理石の仕切壁あり。
 
 まきばの湯: 浴場は建物の左部分を占める
お湯:やや白濁、かすかな金気臭があり、甘塩辛い、マーマーのお湯だ、ここの良い点は施設の隅々にまで気を配り、入場者に温泉・食事・買物を可能な限り最高の環境で楽しませるための配慮が感じられることだ。入浴料が¥1400(入会金¥200含む)と高く、すいていると思ったら、ツアー客も含め結構人が入っており、「温泉レストラン」では、年間5万食出るというトンカツ定食(¥1600)を食したが、さすが豚肉加工専門業者の経営ではあり、キャベツ共々おいしかった。
帰りは川越線の笠幡駅に出た、名門:霞ヶ関カントリークラブの正門前を過ぎ、26分で到着。  



    39692牽くセメント専用列車 指扇ー日進 1965.10.5

    96型牽く下りセメント専用列車 指扇ー日進 1965.10.5

    キハ35108+17288 指扇ー日進 1965.10.5
 

  29680機  於;指扇駅  1965.10.5

   59674機牽く貨物列車 高麗川ー武蔵高萩 1966.3.13 
   キハ3016(857D) 指扇ー日進 1965.10.5