山陽本線:神戸ーー宮島口


             (1) 宮島口ー西広島 16.3K  2003年5月4日(日)快晴

 「鉄道沿線歩き潰しの旅」を1997年に始めて以来5年が経過、今の所順調に進んでいる、とは言っても、東海道本線は岐阜を過ぎたばかり、東北本線は郡山に留まり、この3月、総武本線の完歩が終了した程度で、まだ首都圏内から大きく飛び出した地域は、ごく一部を除き見られない。
 そんななか、毎年ゴールデンウィークに一堂に会してきた、学生時代の鉄道研究会の同期会が、今年は広島県の三好市に決定、その前後を利用して、標記区間などを歩いた。
 三好からキハ120型に揺られること1時間半、広島駅着が11時ちょっと前、ここで皆と別れ、宮島口駅に向った、数ある駅弁の中で、自分が一番旨いのではないかと思っている「あなごめし」で昼食にしようという希望で行ったのだが、ゴールデンウィークのそれも昼飯時、ちょっと甘かったようで、駅前の本店は大変な人だかり、1時間待ちということであきらめざるを得なかった。 

  宮島口駅  2015年5月14日
11:35 宮島口駅を出発、海側に建つ駅舎に直結の下りホームと上り島式ホームで構成、327KP立つ。
11:39 赤崎踏切(326.7K)を過ぎる、100M先で道なりに右手の国道2号線と合流、国道右手の巨大な競艇場が視界を塞ぐ。
11:48 326KPを過ぎる、国道下り線はずっと大渋滞。
11:57 阿品駅に到着、相対式ホームの橋上駅、325.3KPあり、女性駅員が1名。 
 この先進行左手の住宅街を行く、新築住宅が多い、程なく丘中に入る、線路は小トンネルに入り、国道2号線は海岸を行く。
12:11 架道橋をくぐる、324.9KPが近い、広島方70M、宮島方100Mに小トンネルが口を開ける、海から丘陵に切り込んだ小谷で、道なりに2号線に入りしばらく行き、
12:22 左手丘裾を行く線路端に出て見る、324.3K辺り、この先広電の線路沿いに進み、
12:32 地御前神社前を過ぎ、すぐ先の同名踏切でJR線の左手に、323.8K辺り。
 323.KP右手のスーパー「サティ―」、続いてJA広島病院横を過ぎ、

  阿品駅 

  宮内串戸駅
12:48 御手洗川を渡る、鉄橋(20M長)は右70M、袂にある踏切で322.6K地点だ、 
12:53 宮内串戸駅着、相対式ホームの橋上駅、322.4KPあり、新興住宅街に囲まれた新駅で、開業は1988年4月。
13:04 出発、天気最高、歩くには少々暑い
13:13 進行左手の住宅街を行き、322KPを右下切通し内に見る、100M先で自動車道が跨ぐが、線路から見ると17~18M上になる。
13:20 可愛川(25M長)を渡った所に平良踏切がある、121.400Mとあるが、最初の「1」は明らかに「3」の間違いだろう。下請けの間違いだろうが、丸投げは恐い、、、
13:33 廿日市駅着、海側に建つ駅舎側に廻る道が無く、長いホームの先まで行ってまた戻る、相対式ホーム、320.8KPあり。駅の北側はすぐ低い丘が迫る。
13:42 出発、線路右手近くに道が伸びる。
13:50 320KP立つ、右手の丘裾に新興住宅が建つ、左手やや低い土地 も住宅街で、500M程の奥行があって山となる。
14:02 観音崎第1踏切、319.2K地点、三筋川の宮島方袂に位置、右手80Mを広電、100
Mに人橋がある。
14:08 広電楽々園駅に到着、商店街があり、駅前は賑やか。

  廿日市駅
14:16 古浜第5踏切(318.35K)で線路左手に、踏切から見ると線路は宮島方約2K直線、広島方は400M崎で左カーブ、ちょっと離れ線路方向の道あり。
14:25 湯蓋第4踏切(317.8K)でまた線路右手に戻り、  

   五日市駅
14:30 五日市駅に到着、下り島式、上り片面ホームの橋上駅、駅山側にタクシー乗場、 一般駐車場のある小公園風広場あり、海側に広電駅が並ぶ、駅前に新築9Fマンション、銀行支店が幾つか。
 線路左手少し離れた道を行くが、高層マンション前で行止り、この先八幡川が横切る。
14:47 蟹原第2踏切(317.16K)で右手に、
14:52 国道2号線に入り、八幡川を120M長の橋で渡る、鉄橋は左手60Mに広電と並ぶ。
14:56 2号線右手に広島工大高校の広いグランドと校舎が見える、ここから広電とJR線がすぐ左に並ぶ、316.5KP立つ。
15:02 ゲネシスの新しい大きなビルが国道右手に目立つ、316.2KPあり、線路はこの先316KP地点で、張出した台地の裾沿いに左カーブ、すぐ国道右手に県立島井口高校が現れる、315.9K地点。15:10 広電井口停留場、315.6K辺り、ホームは千鳥式、下りホームの目と鼻の先を2号線が行く。
15:20 新井口駅着、相対式ホームがカーブの途中にある橋上駅、315KP立つ、開業は1985年3月、駅山側の丘の中腹まで大規模マンションが幾棟も建つ。この丘ちょっと傾斜がきつい。
15:26 出発、線路左手、丘裾の道を行く。
15:33 西原ゲ尻踏切(314.8K)で右手に、丘を背に8階建ての瀟洒な草津病院が目に付く。
 すぐ広電車庫が意外と広い敷地を占め、一番奥にドイツ市電が数台休むが、ちょっとくたびれた感じ、JR線は314.6~同8K辺りが相当。 
   新井口駅  2015年5月14日 
 この先は広電線路と絡みながら進み、
15:50 草津停留場、周囲はお寺・お墓が多い。
16:03 古江停留場、25M山側にある古江踏切は312.86K地点。
16:11 高須停留場、停留場の前後各1K程が直線なのは意外だった。
 ここで(JR)高須踏切(312.2K)を渡り、線路左手すぐの道に入る。  

  西広島駅
16:20 庚午踏切(311.82K)を渡りまた線路右手に、広電東高須停留場あり、広電沿いに道あり。
 程なく西広島バイパスの下を、左50Mを行くJR線共々抜けるが、間もなく
16:29 ドリームベッド工場前で線路近くの道は行止り、右手100Mの国道2号線に入る、己斐本町3丁目だった。
16:32 国道から左に入り、広電茶屋踏切(0.36K)を渡ると広電ターミナルが見える。
16:40 西広島駅に到着、平屋駅舎が海側に、広電駅から50M程、ホームは駅舎直結下り片面と島式ホーム、310.8KPあり。 




  (2) 広島ー西広島5.5K 広島ー海田市6.4K 2003年5月5日(月)快晴       

 昨夜は広島駅前のビジネスホテルに宿泊、部屋は洗面台だけ、バスは勿論、トイレも共同だが、その分広く、何よりも6階の窓から駅の様子が窺い知れるのが気に入った。 
 今日はまず西広島駅まで歩き、取って返して最低海田市まで、後は時間の許す範囲で呉線に足を踏入れる予定だ。
 そういえば昨夜駅内のビアホール食堂で1人で一杯やった帰り、寝台特急を試したらナント空いており、少々複雑な思いで購入した、ゴールデンウィーク最終日の寝台特急が前日でも空いているなんて、ブルー特急の終焉が囁かれるのも無理は無いようだ。

  宿泊は駅前の高級(?)ホテルにしました 

  広島駅 2015年5月14日
7:15 広島駅を出発、線路進行左手の道を行き、
7:26 306KPが右手すぐ道路より1.5M上に立つ、既に会社時代に数度泊ったニュー広電ホテルも過ぎ、周囲にビルは疎ら、この先、駅では山側に位置した山陽新幹線が斜めに跨いで海側に並び、程なく京橋川を渡る、在来線は右50M、鉄橋は306.3K~150M程なのを昨日確認済み。 
追記:2015年3月、307.1KP辺りに新白島駅が開業、ホーム相対式、ホーム間の連絡はいったん改札外に出る必要があります、アストラムラインが下を通る道路架道橋は、ホーム端からすぐで、307.2KP対応。

7:52 三篠橋で旧太田川を渡る、鉄橋は200M上流、307.3~30.7.5K辺り、朝の散歩をしている人も多く、この辺り都会的で洗練され、ゆとりのある雰囲気を感じた。
 渡ってすぐ新幹線高架境(823.3K)、続いて在来線も潜り、線路右手すぐ下の道を行き、駅手前の架道橋で海側の賑やかな地区に移り、  

   新白島駅(上り駅舎)  2015年5月14日


  横川駅  2015年5月14日  8:05 横川駅南口着、高架ホームは下り用片面、島式ホームは少し離れた可部線用を含め2本、北口駅舎は高架下に位置、308.3KPが岩国方に、広電の乗入れる南口が表玄関で、バス、タクシー乗り場も充実、賑わっている。
8:13 出発、南北を結ぶ自由地下通路は長さ120~130M、今は更地の頭上にかつて可部線用の可愛らしい小電車区があった。
 駅を出てすぐ斜め右に向う可部線の盛土右下を行くこと3分ぐらい、太田川放水路堤防上に出る、可部線キロ程で290M。 
 堤防からは可部線を潜れず、下の道て200M下流の橋を目指し、
8:19 新竜王橋を渡る、左手すぐを山陽本線、新幹線が行くが、方向が少しずれ、対岸では150M
程離れる、放水路鉄橋は308.6K~400M程、対岸の自動車道で線路方向に進み、
8:25 線路が河岸まで張出した河岸台地にぶつかる地点に至る、在来線は小トンネルに、新幹線は段丘を掘った切通しの中に突っ込むのを確認後、
8:31 山手第1踏切(309.35K)に出て、広島方にトンネルの坑口を見る、帰路309.12K辺りと確認。
8:48 線路海側すぐの道を行って、西広島駅に到着。
 駅内JR系軽食堂のモーニング定食で遅めの朝食後、9:13発で広島に戻り、 


     広島ー海田市

9:22 広島駅を出発、線路海側すぐの道を行って、 
9:27 愛宕踏切に至る、山陽、呉、芸備各線に加え、車両区への出入庫線があり、「開かずの踏切」のようで、両側に監視員小屋がある、久し振りに有人踏切を見た、キロ程は怪しまれそうで探せなかったが、ホーム端から200M程度。
 
 広島駅上り⑤番線ホーム、クハ115-2020 ’15.05.14
  天神川駅(上り線) 2015年5月14日   やがて広大な操車場跡にぶつかり、用地を巻く様に進む、近々大マンション群が出現する旨の案内あり、帰路車内から見ると、「立入禁止」看板もものかわ、通り抜けの自転車、歩行者が多数いた。
9:39 道なりに県道164号線に出る、南蟹屋バス停あり。
9:52 広島信金の角を左に小道に入り、線路端に出る、304.5KP立つ、広島方にコンテナ貨物駅が展開。 
 
 下りホームからの光景、上りホームがちょっと見える
9:58 304KP立つ、広島機関区があり、瀬野八用EF67型を始め、ELが何台も休む。 
 この先303.9K地点、ドブ川鉄橋(80M長)袂で行止り、橋は先刻の県道にあり、200M余はある。
追記: 2004年3月13日、304.1K地点を中心に、新駅:天神川駅が開業、ホームは相対式、上下ホームで広島機関区を挟む関係上、ホームは7~80M離れています。

 対岸の左岸は零細中小工場が密集。
10:06 府中大川を渡る、この先も164号線を行き、 
 この先302.1K辺りを中心に一時丘陵の端が線路近くまで迫るが、あとはまた後退、向洋駅近くでは山側も広い住宅街が展開する(車中より)。
10:26 突然街道右手に天然温泉「安芸府中やまとの湯」が現れる、字名は新地。
 この先は「マツダ」工場が街道沿いに約1K続く、外装に余り金を掛けない気取らない姿が見て取れた、線路がいつの間にか左すぐに近付いた。 
10:31 鹿篭踏切(こごもり:301.7K)前を過ぎる、マツダの正門に直結する為、大型車の横断が多い。 

   向洋駅

  向洋駅 
 この先線路沿いに駅まで職員通勤用の小道が伸びる。  
10:36 向洋駅着、駅舎海側、相対式ホーム、301.4KPあり、住宅街が迫る駅の山側に改札口無し、海田市方はホーム端から左急カーブ、「マツダ社員は地下道を通り交通渋滞解消に協力しよう」など企業城下町の雰囲気が濃厚だが、小さなロータリーなど、他の企業城下町駅に比し簡素なもの。
10:58 小休止後出発、線路右手すぐの道を行く。 
11:04 青崎踏切(300.75K)で道なりに県道に入る、線路左手は更地、続いて運動場がやや小高い所に隣接。
11:15 的場川西踏切にちょうど300KPが立つ。
 この先164号線からまた線路左手すぐの道に入り、
11:29 海田市駅に到着、片面ホーム1本、島式ホームが2本あって、海側が呉線用の橋上駅、298.8KPが前後からしてある筈、駅の左手に丘が近い。 
 

  海田市駅 


 この後呉線に足を踏み入れ、水尻まで7.7Kを歩き、広島に戻ったのが14時38分、後はアストラムライン毘沙門台駅近くの日帰り温泉を訪問、一風呂浴びて一杯やって、、、広島20時発のあさかぜ号に乗れば、明朝は東京だ、「今日は何だか全てが順調に動いているな、、、」と気分良くまずは可部線で大町駅に、温泉が16時より300円安くなるので、30分程温泉の近くで時間を潰したが、なにか変だぞ、第一駐車場にクルマがいないよ、、、そうです、温泉は最近廃業していました、建物、駐車場などそのままなので騙されてしまいましたが「好事魔多し」とはまさにこのことだと痛感した次第です。
 気分が落ち着くと、本日図らずも遭遇した向洋駅近くの新規開業温泉を思い出し、広島駅を挟み全く反対方向ですが、行ってみることにしました。
 



            安芸府中やまとの湯 17:00~18:10在  ¥750

場所:164号線に面しマツダ工場用地に隣接、向洋駅から徒歩10分程で行ける。線路は近いが見えず、302KP辺りが相当。 
施設:このところ都市近郊に相次いで開業する天然温泉の中規模タイプ、平屋造り、フロント前のテーブル式食堂は40人分くらい、今日は全席塞がっていた。
浴場:主浴槽は広い、他に眺望の無い露天風呂、サウナ、深い水風呂など一応揃っている、洗い場は30余。
お湯:源泉が2つ、併せると「含放射能、カルシウム・ナトリウム塩化物温泉」となる、無色、無味、無匂、特徴の無い平凡なお湯だった。
その他:ゴールデンウィークの最終日、子供連れの家族など、大勢の人で大混雑。
 2014年4月29日付で閉店となりました、首都圏にもチェーン店が数店あります。     





         (3) 神戸ー朝霧17.0K  2005年1月6日(木)曇小雨  

 昨年の4月、東海道本線の歩き潰しを達成した後は、山歩きの面白さに魅かれ、鉄道の方は疎かになっていた。しかし積雪期に入り、山は年寄りの素人が遊べる場所ではなくなり、年明けの1月初め、たまたま「ムーンライト」の指定席が取れたこともあり、神戸駅にやって来た、昨夜は殆ど満席、しかも喫煙車でやけに紫煙が充満、寝苦しい夜を過ごした。 

 神戸駅の山陽本線0KP  2014年1月10日
9:28 神戸駅北口を出発、空はドンヨリ、車内から見たビルの温度計は6℃、長時間窮屈な姿勢で乗り続けたので、足の攣りを警戒、極力ゆっくり歩くよう努めた。
9:35~9:40 高架線路右下すぐの道を行き、マンション前の小公園:新開地南公園で小休止、足の調子は大丈夫そうだ、
 時たま大型コンテナ積載のトラックが過ぎ、周囲は臨港地帯の雰囲気が漂う、微かな汐の匂いも感じる。 
9:58兵庫駅着、高架島式ホームが2本、他に和田岬線の片面ホームが、本線よりやや低い位置にひっそりと佇む、姫路方に2KPあり。
10:02 出発、高架海側は500Mに亙り旧兵庫貨物駅跡地が占め、現在は整備公団の高層マンション団地になっている。その先は「芝生公園」で、敷地沿いに和田岬線が左カーブで港方向に進む。
 この先周囲は高架線下を含め中小工場地帯となる。
10:25 改修工事中の苅藻川 架道橋
(3420M)をちょっと迂回して、

   兵庫駅
  新長田駅  10:37 新長田駅着、中2階に出改札口、ホームは高架相対式、4KP立つ。
11:02 モーニング朝食を摂った、駅前アーケイド付「新長田1番街」の軽食店を出発、30分の間に雨がポツポツ。
 高架左手すぐの歩道付き道路を行く、途中から傘を差した。
 
11:17 鷹取駅着、出改札口は階段を下った半地下部分に位置、高架島式ホーム1本、5.3KPあり、駅山側は貨物ターミナル駅が占め、多数のコンテナが山積み、隣接した鷹取工場は大地震を契機に、00年3月末をもって網干総合車両所に移転されてしまい、昔を知る者は寂しい。 

  鷹取駅
11:25 出発、依然として小雨が降続く、
 県立工業技術センターを過ぎると住宅地となり、線路左手に市営松風団地が4棟、5.7K辺り、線路は6KP先で地平レベルに。
11:49 離宮道踏切(6.5KP)で山側に、ちょと行って国道2号線に入り、 

 ☆ 2008年3月15日、6KP地点に新駅が
   開設されました。

  須磨海浜公園駅  2015年1月9日撮影
  12:01 須磨駅に到着、島式ホーム2本の橋上駅、7.5KPが明石方に、須磨海岸が目の前で、素晴らしい景色が展開するのだが、今日は海も鉛色、駅の北側に丘が迫る。
 駅の先から海岸段丘沿いに左長大カーブが伸び、上り長大貨物列車の走りを駅コンコースより楽しんで、
12:14 出発、国道と線路の間の細長い住宅街を、折れ曲る小道を辿り10分も歩くと、
12:25 結局2号線に追い出される。
12:29 右の丘下に須磨浦公園の入り口が見え、ちょっと先(8.65K対応)にはロープウェイ乗場もある。
 丘の下方を山陽電鉄が行き、JR線は国道左直下を並走 なお8KP上を関西空港建設用だろう、砕石運搬コンベアの橋が跨ぎ、沖の人工船着場へと通ずる。
12:42 9KPを過ぎる、この辺り、右手5M上を山陽電鉄線が走る、時間帯のせいもあろうが、長大編成でそこそこの乗客があるJR線に比し、何とも乗車が少なく気の毒だ。
12:48 垂水区に入る、9.46K辺り、右手に迫る丘は崖地で住宅は殆ど見掛けず、と言うか建てられないのだ、歩行者、自転車にも雨のせいもあろうが殆ど見ない、寂しい区界だ。   
13:01 塩屋駅着、山側すぐに山陽電鉄線が寄添う、相対式ホーム、10.3KPあり、海がすぐそこで、地名の謂れは昔ここで塩の採取が行われたことに因る。
13:03 出発、さらに2号線を行く、すぐ地形の関係で姫路方に偏った集落を過ぎる、景観を求めてだろう、丘の斜面にはマンションや瀟洒な別荘風住宅も多い。 
13:19 市の平磯緑地公園が国道と海岸との間に展開、その遊歩道を行く、下水処理場建設の際に整備したこの細長い公園、帰路車内から見ると11.2~12.2Kに及んだ。

  塩屋駅
13:41 山陽電鉄東垂水駅まで長い階段を上って行ってみた、2号線より30M程高く、これだけでも平地を行くJR線に分がある、しかし眺望は良かった、そういえば雨は上がり、時には薄日も射す変り易い天気となった。
13:50 また2号線に戻り、福田川橋梁(12.72K)で位置確認。 
  垂水駅 13:56 垂水駅に到着、高架島式ホーム、13KPあり、商店街が駅前まで張出し、駅前広場は無い、姫路方には山陽電鉄の出改札口も加わり、神戸方に比し賑やかだ、改札口のすぐ横に安売りチケット店があり、堂々と大阪往復乗車券など販売する様に、関西商人のど根性を見る思いがした。
14:07 神戸方改札口を出発、
14:20 丘裾を行く2号線右手にカラオケ店が建つ、帰路車内から見ると13.9K地点。
 海岸まで迫っていた丘が後退、平地が拡がるなか、前方に明石大橋の大橋脚が聳え立ち、上部は雲の中に入り霞んでいる、海の向うには4K程離れ淡路島も黒く大きく見える。   
  舞子駅連絡橋より淡路島を望む
14:31 駅手前から舞子公園の松林を抜け、舞子駅着、島式地平ホーム1本の橋上駅、15KP立つ。 
14:37 出発、駅のチョイ先で山陽電鉄線が斜めに跨いで海側に出る、15.25K辺りとなる。
14;48 山陽電鉄西舞子駅を過ぎる、この先100Mに同社の14.5KPあり。
14:53 山陽電鉄15KPを過ぎる、
 この先間もなく2号線から海岸近くを行く旧道に入る、住宅の表側は海岸なのだろうが、外からは窺い知れない、
  舞子駅  2015年1月9日

  朝霧駅 海側の国道から駅舎を見る
 旧道を1Kほど歩きまた2号線に戻る、この先も海が近く、洒落たレストランなども目に留まった。 
15:11 朝霧駅着、地平島式ホーム1本の橋上駅、17KPあり、海岸台地の裾を線路が走り、海は国道を挟んですぐ、改札口から跨線橋が通ずる、台地上をくまなく埋めた格好で住宅が展開、明石市営、山陽電鉄バスが頻繁に発着する、なかなか活気のある郊外タウンだ、台地端の駅前広場から改札口を抜けホームに下る感じが中央線豊田駅の雰囲気に酷似。



            神戸クアハウス  15:54~17:15在 ¥920

場所:三ノ宮から新神戸に通ずる大通りを加納町3丁目信号で右折、200M程の布引郵便局隣のビル内にあり、看板が出ている。徒歩15分足らず、道は分り易い。
風呂:7階の更衣室から階段を下った6階にあり、同一経営のカプセルホテルが2~4Fを占める。
開業は1984年1月とのこと、この時代に開業した温泉によくあるが、照明も暗く何か宗教的なものを感ずる造りだ。
お湯:源泉は2つ、重曹泉(34.3L分)と硼酸泉(108L/分)で、共に無味、無匂、前者はやや淡黄色で温泉らしい、重曹泉の浴槽の一部が気泡風呂になっているが、寝湯、打たせ湯等無し、水風呂は販売もしている布引の「名水」を利用。 
その他:翌日も快調に歩けたから、効能はあると見たが、、、



              三ノ宮東横イン 304号室(セミDB) ¥6,090

場所:三ノ宮駅から国道2号線を大阪方に400M程、海側に右折した右側、徒歩10分は要し、この種ビジネスホテルとしては駅から遠い方だろう、東海道線の586.35K辺りが相当。
部屋:幅2Mの寝台が入ると他に殆ど余裕が無い、壁は隣室の排水音などモロに聞こえる、しかし部屋は清潔に保たれ、ホテルの持つ多様なサービスの中で、宿泊機能しか求めない自分には何の不満も無い。
その他:自分はこれ迄チェーンホテルは避けてきたが、ここは一部テレホンカードで支払いができるとのことで、今回初めて泊ってみた、結果は前夜が車中泊、本日も相当歩いたせいか、部屋で一杯飲んで20時過ぎから爆睡、満足でした。 





         (4) 朝霧ー加古川 25.7K  2005年1月7日(金)晴曇り 

7:44 朝霧駅北口を出発、通勤通学客がバスやマイカーに送られて続々とやって来るなか、流れに逆らうかの様に歩く。
 5分程で道なりに下り坂となり、左手下を行く線路と同一面に並ぶ、台地の下も住宅街だが、こちらは小粒な住宅が密集して建つ。
7:58 新川西ガードでJR線の海側に抜ける、朝霧駅方すぐに山陽電鉄の大蔵谷駅がみえ、道路はすぐ2号線に入る、まだ太陽が出ず周囲は薄暗い。
8:06 山陽電鉄人丸前駅着、横に並ぶJR線は18.5KP地点、なお右手の丘に明石天文科学館の時計塔が望め、有名な東経135度の子午線がこの駅を通ると案内あり。  
   明石駅  2015年1月9日 8:22 明石駅着、高架島式ホームが2本、姫路方出外れに19.5KP立つ、海側に山陽電鉄の駅が並び、この時間、電鉄線からJR線に乗換える人が圧倒的に多い、海側はビルも多く都会的な雰囲気が漂うが、山側は広幅道路を隔て堀を廻らす「明石公園」として整備され、櫓も2つ残り、景観は対照的だ。 
 折角だから櫓の下まで行ってみると、さして高くもないのに眺望は良く、淡路島が正面にでんと構え、左手の明石大橋がアクセントを付ける。
 公園内の軽食喫茶店でモーニング、ガラス越しの庭園の風景もなかなか、落着いた雰囲気が気に入り、想わぬ長居をして、 
9:20 出発、お濠端の歩道を行く、程なく家老織田家の立派な長屋門を見て過ぎる。
9:29 JR、山陽電鉄のガードをくぐり高架左手に移り、150M左を行く国道2号線に入る。 
9:39 明石川を渡る、鉄橋が右手に近いが近付けず、左は250Mで海。
 この先すぐ山陽電鉄の踏切を渡る、60Mで西新町駅となる、明石駅から1.2K歩いた。
10:00 2号線が斜めにJR線を跨ぐ、線路は切通しの下5M、帰路車中より21.5KPを見る。
10:09 明石電車区への資材搬入道路が口を開ける、線路は左10M、22KPが近い、三菱モーター明石店が国道脇に建つ。
10:22 西明石駅着、地平島式ホーム3
本の橋上駅、ホーム壁にペンキ書きの23
KPあり、混雑時間帯に活躍した電車が次々と入庫するので、職員専用口を過ぎる運転士や車掌が多い。新幹線駅は駅前広場を挟み50M山側、在来線ホームのすぐ先を斜めに跨ぐ橋脚に570354Mとある。 
10:26 出発、線路右手の道を行く、たまたまEF210型1号機が、特徴のあるカーカーという力行音と共に神戸方に過ぎる。
 程なく国道2号線に道なりに合流、この先中谷第一踏切(23.7K)の近くに狭い田畑が現れる。神戸以来初めてだと思うが、、、
  西明石駅 
10:44 旧道を斜め左方向に入る、TSUTAYAなど大型ロードサイド店が線rのを背にして建つ、10:52 宮ノ先第一踏切(24.4K)で位置の確認、
 この先ユルユルと坂を下り谷八木川を大久保橋(10M)で渡り、またユルユル上って台地上に出る、線路は左50M、盛土10M上を行き、2号線は右120Mに平行。 

  大久保駅
11:10 大久保駅着、地平島式ホーム2本の橋上駅、25.5KP立つ、駅の海側は最近開発が進んだ様で、18階、15階のマンションや複合商業施設が建つ。
11:19 右手山側を出発、この先2号線は同一方向を目指すものの、線路から少々離れる様で、
11:25 まだ駅から近い柳田踏切(地下道工事が進行中でキロ程見付からず)で左手に移ってみると、広田の中に2.2M舗装農道が伸びる、左手4~500Mを新幹線高架が平行、その間は広い田んぼ。 
11:42 線路右手に先刻から目立つ存在だった打ちっ放しのゴルフ練習場が建つ、26.8K辺りで、左の新幹線高架が道なりにかなり近くなった、この辺り広い溜池が幾つか見える。
12:04 28KPを過ぎる、この200M先で線路は右カーブ、前方に迫る低い台地へと上り出す、自分も踏切を渡り、歴史のありそうな密集集落内の細道を抜けて台地上に出る、とたんに新しい勤労者住宅が多くなる。
 この先、まだ長大右カーブ途中にある線路右手すぐの道を行く、線路左手すぐを新幹線高架が平行。 
12:24 魚住駅着、平屋建駅舎が山側に建ち、ホームは相対式、29KP立つ、台地のやや下方部分に位置、駅前から放射状に緩い上り勾配道路が数本伸びる、新幹線高架が駅の海側150Mを平行。 
12:31 出発、線路右手の住宅街を約400M、
12:40 山の神第四踏切(29.45K)を渡る、左手にも住宅街の道が伸びる、サラリーマン住宅は思ったより拡がっている。
13:00 明石市清掃工場が川を背にして建ち、道は行止り、門前の田んぼの横に30.5KPが見える。同じ道を引返し、
   魚住駅 
13:04 猪之方谷第一踏切(渡らず、30.15K)まで戻り、
13:08 在来線の海側250Mを行く新幹線高架橋下(東京起点577.5K)に至り、ここで瀬戸川を渡る。
13:22 堤防を遡ること800M、鉄橋(70M長)の加古川方袂に到着、30.7KPあり、200Mを進むのに22分も要し参った。しかもこの先100Mの線路脇に溜池が隠れており、また引返す羽目に、
13:30~13:35 疲れがどっと出て住宅街の小公園のベンチで一息入れ、
 線路方向の道を適当に歩いて、
13:46  向川第一踏切に至る、31KPが立ち、線路沿いに2.2M道が伸びる。
 この先、途中線路脇に建つ東洋機械金属工場を巻くと、もう駅は近かった。 

  土山駅
14:12 土山駅着、上り片面、中線共用の島式ホームより成る橋上駅、別府鉄道土山線が1984年まで乗入れていた。姫路方出外れに32KP立つ。
 営業キロ3.1Kに100分要した、旧魚住町と二見町の境となる瀬戸川沿いに幾つかのマー大きな溜池があり、線路方向の道が曲りくねり、真っ直ぐ歩けなかったことが主因だろう。それにしても参った!
14:20 出発、ちょっと行くと国道2号線に入る、左手線路との間を明治乳業兵庫工場が占め、この先で線路を跨いで 左手に移る。
14:30 50M程の細道を介し、2号線旧道に入る、この道まだ所々に格子窓の民家も残り、西国街道の風情を感じさせてくれる道だ。
14:41 道なりに勝負下踏切で左手に、33.5K地点、平岡公民館が近い、線路は姫路方2K程直線で伸びる。
14:49 また国道2号線に入る、雪空っぽくなり、底冷えがしてきた。
14:53 長ケ林踏切(34.2K)で位置確認、線路右手400Mを平行する加古川バイパスに通ずる踏切で交通量が多く渋滞気味だ、踏切がなかなか開かないことも一因だろう。
15:01 平岡小学校を左に見て過ぎた所で斜め右へと入る、この道も旧道かも、、、 
15:13 東加古川駅着、地平平屋建駅舎が海側に建ち、駅舎直結下り片面ホームに中線共用島式ホームで構成、35.5
KPあり、駅前は賑やか、三井住友銀行もあるが、旧神戸銀行からの流れかな。
15:21 出発、線路左手すぐの道が結構長い間続き、
15:34 線路左手すぐに15階建マンションが4棟、37KP立つ、ここで線路沿いの道は行止まり、200M左を行く西国街道に入り、
15:40 風格のある野口神社が右に、 

  東加古川駅
 この西国街道、左すぐ20~30Mに2号線が平行するが、道を完全に分離したため大型車の通行も無く、寒空の下、街道歩きをする人もチラホラ、貴重な文化遺産を守った関係者に感謝したい。
 やがて別府川を渡る、橋長25M程、渡った先の堤防沿いに12階建てマンションが5~6棟、線路脇まで展開、車内から見ると38.3K辺りだった、なお線路は約1K手前の37.4K辺りから上り始める高架線となって加古川駅に進入する、2003年5月完成とのこと。
16:15 道なりに進み、県の加古川合同庁舎を左に見る、道の向いは加古川プラザホテル、この辺りから市の繁華街に入る。 
16:23 加古川駅に到着。加古川線用も含め島式ホームが3本、出改札口は高架下に、 


 もう1泊して山陽本線を歩く積りだが、加古川から姫路まで15K余を歩き潰し、青春きっぷで帰るのはきつい、それで姫路から網干までに変更した、これなら余裕を持って歩けると思う、宿泊地も姫路にした方が便利なので、昨夜泊った全国チェインン店に加古川駅から電話、16時34分発の下りに飛乗って姫路に向った。 



         播州しらさぎの湯  17時45分~19時在  ¥580

場所:姫路駅前からお城方向に「みゆき通り商店街」を終点まで歩くこと10分、2号線に面する「イーグレ姫路」ビル2階にフロントがある。
施設:更衣室は2階、裸になって1階の主浴室に下る、「城見の湯」は別階段を上った2階に。
 1階の主浴槽は8X8Mと広く、2階にヒノキ製1人用湯船が3つ、ビル内で露天風呂は無い。
お湯:主浴槽は無色透明、無匂、ちょょっとショッパイ、2階は更に真水の様だと感じたが、「茶褐色、にごり、湯の花、ぬめりがあるのは天然温泉の良質なお湯の特徴です」と断り書きがあり、しばし戸惑う。フロント前の諸元表にナトリウム・カルシウム‐塩化物温泉、74L/分、PH7.01
とある。
その他:ヒノキ風呂に浸かり、ライトアップされた姫路城を眺めると、旅情が掻き立てられる。 
 2008年5月20日、営業中止とネットにありました。 



         姫路新幹線口東横イン  313号室(セミDB) ¥5,580

場所:姫路駅新幹線口を出た所に位置、この辺りの発展は昔を知る者は只々目を見張るばかり、新しいホテルだけで3~4軒ある、以前、駅のお城側はサンルートホテル他1~2軒だったと思うが、、、
その他:フロント、エレベーター廻りの雰囲気、部屋の造作、部屋番号の付番方法、TVチャネルの番号など皆同じ、夜中に麻酔を嗅がされ、クルマでどこか別のチェイン店に運ばれて目を覚ましても、しばらく他のホテルにいるとは気付かないだろう、小説の種に利用できそう。 

    


   

        (5) 姫路ー網干10.3K 2005年1月8日(土)快晴昼から曇り 

7:15~7:30 駅ビル地下1階の少々くたびれた喫茶店でモーニングの朝食、ホテルの無料朝食もあったが、近々このビルは取り壊される予定で、短時間だが想い出のあるこの場所に来たかった。実は祖父が播但線は福崎町の出身で、姫路にも遠縁が居り、学生時代その他、この地には2~3度来たことがあり、在来線の普通姫路行:143列車(だと記憶する)に東京駅から乗り通し、終点間際、若い車掌さんにわざわざ「ご乗車ありがとうございます」と言われたことを、この駅を通るたびに想い出す。 
 在来線と新幹線高架駅に挟まれた空地で、いよいよ高架駅建設の基礎工事が始まった、在来線を海側の新幹線駅に近付け、空いた北面の土地を新駅ビル、駅前広場之拡張に充てると共に、高架化して南北往来の渋滞解消を図るという、大規模、かつ複雑な大プロジェクトで、完成後の姫路駅の様相は一変するであろう。 

 姫路駅旧飾磨港線欠取りホーム、左端に本線55KPが見える
7:32 姫路駅北口を出発、駅ビル沿いに進むと、程なく山陽電鉄線が上を跨ぎ右手すぐのターミナルビルに入る、同線も配線改良工事中で、平行して進行架線を建設中。
 新幹線高架が山側に移る地点に55.5K
Pが見える。
7:51 姫新線西延末踏切を渡る、1.3K
地点、周囲は住宅に中小工場が混在。
7:53 続いて山陽本線石の元踏切で左手に、56.2K地点、線路は約2K先まで直線、この辺り目下高架化工事中、線路左手すぐに平行する街道あり。

  姫路駅  2015年1月10日撮影
8:02 左手すぐの丘上に大観覧車の目立つ手柄山遊園地がある、56.8K地点、この少し手前より線路は地平レベルに降りる。
 後は直線線路沿いの道を行く、左手は主に住宅が散在、荒れた休耕田があったかと思うと、小工場、卸商店も現れる、この辺り線路との間に柵は無く、長大コンテナ列車、115系などの走行する様を真近に眺められ飽きない。 
8:25 西播朝鮮初中級学校の4階建校舎が左100Mに、他に大きな建物が無く目立つ、58.3K
辺り。 
8:30 姫路バイパスが横に跨ぐ、苫編(とまみ)の三叉路があり、58.7K地点、もう駅が近い。
8:37 英賀保駅着、駅舎直結下りホームに島式ホームで構成、59.5KPが姫路方に、仕上げ工事中の駅前広場を挟み国道415号線が平行、駅の山側は建売住宅が建ち、更地も数区画残る、200M先に丘が近付き、一部斜面は公園墓地として整備されている。
8:52 出発、線路左すぐの道を行く、やがて線路は右カーブで築堤に上り、前方の川を渡る準備をする。
9:09 夢前川(ゆめさき)堤防上に、200M下流を425号線が渡る。 
  英賀保駅 

  国道2号線跨線橋より
9:22 鉄橋の対岸袂に至る、帰路鉄橋が60.25~60.5K辺りなのを確認、天気快晴、日当たりもよく、堤防のベンチで暫時小休止、この辺りのマンション、住宅は洗練されたものが多く、レベルが高いように感じる、2K程先の河口にある新日鉄広畑製鉄所の大煙突から、白煙が高く昇る。
9:40 正門一丁目交差点で425号線に戻る、この辺り製鉄所の「城下町」的雰囲気が漂う。国道を歩いたのはちょっとの間で、適当に見当を付け住宅と田んぼの混在する中を行き、  
9:52 東配賦第二踏切(61.1K)前に至る、線路山側は150M程田んぼ、その先は旧い農家より成る集落が丘裾に並ぶ。 この先はほぼ東西に真っ直ぐ進む線路に対し、田んぼの向きが噛合わず、2~300M毎に線路に近付いてはまた離れ、
10:08 町田踏切(61.95K)に至る、この先は直線線路に近く道が伸びる、線路右手に近付いた丘裾沿いに結構大きな集落があり、道の左手にも比較的新しい住宅が多い。 
 ☆ 2008年3月15日、62.2K地点に新駅   が開設されました。
  はりま勝原駅 ホーム相対式 2015年1月10日
 63KPの左200M、スーパーイオンの看板が目立つ。
 63.7K辺りでは421号線が線路上を跨ぐ。
10:37 大津茂川の堤防に達する、右手の鉄橋まで150Mくらいだが、堤防に樹木が蔓延りよく見えない、左手の橋までは、川が屈曲、はっきりしないが、400Mはあるよ、、、
10:44 大津茂川を渡る、そしてまたタラタラと堤防を歩いて線路端を目指す。
10:53 鉄橋の80M先の帷子落踏切(64.3K)に至る、この先線路左手沿いに2.5M道あり、道の左手は広い田んぼと畑、線路右手は住宅街だ。
 ホーム端15M手前の踏切で駅舎のある右手に移り、  

  網干駅
11:03 網干駅に到着、上り片面、下り島式の橋上駅、65KPあり、駅の山側に商店が数軒、海側畑の中に、やけに立派なお屋敷風の住宅が数軒あったが、総じて駅周辺は思ったよりローカルムードが漂う。

 駅に着いた頃、太陽が厚い雲に隠れ急に寒くなった、これだけは予報が当ったが、昨日、一昨日と本当に変り易い天気が続いた、11時14分発の上り電車に乗ったから、網干駅にいたのはほんの11分だけになる。
 青春きっぷで延々8両の電車を乗継ぎ、川崎駅に10時間13分後の21時27分に到着、確かに長道中だが、これって新幹線開業前、ほぼ同一時間帯を走る急行:第一宮島号を姫路から利用するより、1時間ちょっと長いだけ、網干から姫路までの乗車時間を入れると、余り変らないんですよ、、、 

   



  (6) 加古川ー姫路15.7K 京口ー姫路1.7K 2005年4月5日(火)快晴 

 春の青春きっぷでは、3月末、関西本線の亀山~加太間を、ムーンライト利用の日帰りでこなし、最後に残った2回分で山陽本線の歩き潰しをしたいものとチャンスを狙っていた。一昨日取消が出て、今回は空白区間の加古川~姫路間を潰し、あとは体調次第でどこまでやれるかの風まかせとしたい、、、と比較的余裕をもって名古屋切離し車の人となるが、今夜も仕切戸の無いデッキ近くの席で、よく眠れないまま名古屋に到着、後も座れたがすっきりしないまま加古川まで乗り通した。 
9:55 加古川駅を出発、高架線左下の道を行く、程なく左手を日本毛織の大工場が占め堤防まで続く、「ニッケレポス」という系列ショッピングセンターもある。
10:10 加古川堤防上に、左350Mに2号線の橋が見える、鉄橋は400M長、39.9~40.3K辺りとなる。
10:25 加古川を渡り鉄橋脇の架道橋をくぐる、盛土線路右下に道が伸び、角に新商業施設が建つ、盛土反対側は見えないが、日本毛織印南工場が占める筈だ、SC脇のベンチで小休止、ジャンパーを脱ぐ、予報通り暖かくなりそうだ。  
   加古川駅  2015年1月9日
10:37 SC前を出発、盛土線路右下の道を行く。
10:47 出張踏切で線路左手に移る、41K辺り、加古川堤防の100M先からここまでニッケ工場が占めた、線路左手すぐに道が伸びるが、線路との間は金網、EF210、同66、115系電車、それに鳥取行DC特急も時々やって来て、楽しい歩きができる。 

  宝殿駅
11:10 宝殿駅着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、42.5KPが姫路方出外れに立つ。
 ここからは線路右手すぐの住宅街の道を行く。 
11:31 法華谷川を渡る、左手鉄橋に43.5KPが立つ、なおこのチョイ手前で2号線が線路右手に移り、この先100M
を加古川バイパスが跨ぐ。
11:40 池崎東踏切(44.3K)で左手に、線路沿いに3M道が伸びる。
11:57 線路脇を変電所が占め迂回、45.53K辺り、線路左手は田んぼ。
 この先小住宅が密集する乱開発地区に入る、行止まりも数回、途端に能率が悪くなる、抜けると5階建が10棟異常ある高砂市営団地に入り、左手に高砂西部病院が目立つ。 
12:16 曽根駅着、平屋駅舎が山側に、上りホームは駅舎直結、下り島式ホームは片側のみの使用、46.4KPあり。
12:22 出発、線路右手の道を行く、
12:25~12:40 線路端47KP辺り、住宅に囲まれた小公園があり、誰もいないし暫時休憩、女房に安全確認の電話を入れる。
 この辺り右200Mの丘裾を2号線が行き、線路左手を500M余に亙り平行する天川を挟み、その先400Mの山裾を「明姫グリーンロード」が走るなど、マーマーの景色だ。

  曽根駅  
 道なりに2号線に押出されしばらく進み、飯塚鉄鋼の角を左折、120M程行って、
13:00 また線路端に出る、ちょうど48KP立つ、新設の5M道がもう見えている駅方向に。 

  姫路別所駅
13:08 姫路別所駅着、この3月1日に開業したばかりの新駅、相対式ホーム、上りホームは駅舎に直結、48.4KP
あり、駅の海側を姫路貨物駅が占め、貨物駅沿いに新幹線高架が平行、貨物駅はこれ迄姫路駅東側に隣接したのだが、同駅周辺の立体交差化事業に伴い、当地に移転したもの。
13:11 出発、さらに線路沿いの新設道路を行く。 
13:20 49KPを過ぎる、貨車留置側線が並び、まだ貨物駅構内だ。
13:26 線路上30Mを道路橋が横切る、橋脚が高いのは新幹線高架橋を跨ぐせいだ。
13:37 線路左手に平行した天川が線路右手に移っており前進を阻み、堤防沿いに250M引っ張られ、せんぞ橋で対岸に渡る、この地点で線路と新幹線高架は左手下流150Mを行く。  
13:44 御着駅に到着、山側にある駅舎が上りホーム直結の相対式ホーム駅、50.5KPあり、狭い駅前広場にタクシーが5~6台客待ち、姫路駅を前にしてローカルムードが強い。 
13:53 出発、線路近くの住宅街を行き、
14:00 播磨国分寺跡に至る、お寺も残り、復元工事が進行中、敷地は2町四方あり、公園として整備されている。
14:10 神姫商工前バス停で2号線に入る、沿道には自動車ディーラー店が多く、線路は左300Mを行く。
  御着駅 
14:22 国道2号線が市川を渡る市川橋袂に至る、鉄橋は下流500Mと離れた。
14:32 河原の道を歩いて、鉄橋の加古川方袂に到着。
14:57 市川橋まで戻り、橋を渡って鉄橋の姫路方袂に、鉄橋は52.13~52.7K辺りとこの1月、車内より確認済み、500M進むのに35分要した、そろそろ夜行泊の疲れが出て来た。
 この先在来線の海側に張付く新幹線高架下の2車線道路を500M余進み、
15:08 阿保BLを潜り山側に、東京起点:599K533Mとある、程なく新築の市のすこやかセンター前を過ぎる。
15:20~15:27 「ロイヤルクラシックヒメジ」という教会併設の豪華結婚式場前に出る、この辺りは旧姫路貨物駅の跡地で、大半がまだ更地で残る、300M程先に播但線の高架が見える、人影が無いのを幸い敷地内で小休止。 
 これも結婚式場の「ラビーナ」の脇で播但線高架と出会う、次の京口駅まで7~800M程で、この際訪問しておく。
 一般住宅、アパート、スナックに小工場等混在する、ゴチャゴチャした、いかにも繁華街の外れといった地区を進む、国道2号線、その旧道を横切る時だけ、ちょっと辺りがスッキリした。
15:44 京口駅着、高架島式ホーム下に無人改札口があり、券売機が1台、駅横に今次大戦空襲犠牲者慰霊碑が立つ、この辺りにあった川西飛行機工場がB29爆撃機の標的になったらしい。 
15:50 出発、同じ道を「ラビーナ」まで戻り、あとは高架線右手を、裏町的な、一種雑駁な住宅地区を歩いて、
16:20 姫路駅に到着、駅前は一転、新学年が始まったばかりの希望に満ちた高校生などでごった返し、年配の自分までがうれしくなる、若いって本当に素晴らしいことだとつくづく思う、、
 まねき売店に穴子寿司の復刻駅弁が置かれ、掛紙が魅力で夕食用に購入。 
16:30 この1月に泊った東横インにチェックイン、夜行疲れで19時過ぎに就寝、一度トイレに起き、5時まで爆睡。

  京口駅前より姫路方を見る




          (7) 網干ー上郡24.5K  2005年4月6日(水)薄晴れ 

 姫路から網干まではこの1月に歩いており、今朝は網干から始め上郡を目指す、営業キロで24.5K、途中で道に迷ったりすると、駅間距離が長いこともあり、完歩は無理かもしれず、ファイトが湧く。 
  網干駅南口  2015年1月10日撮影 7:25 網干駅を出発、下り線右手すぐに道が沿う、大型車は通らないが、通勤者のクルマ、自転車が多い。
7:37 駅からちょうど1K、66KPを過ぎる、17番線まで読める留置線が横並びに拡がる、網干総合車両所はこの200M手前から始まり、上下線に挟まれる格好のため、下り線は建物、留置車両の陰になり、全く見えず。 
7:47 検修、修理棟が岡山方に伸びる、66.75K辺り、8時始業なのだろう、職員が三々五々前方に急ぐ、先刻過ぎた入庫列車の前2両は大勢の男性で満員だったが、彼等もこの中にいるのだろう。
7:55 67.3KPを過ぎる、このすぐ先で検修棟は尽き、広大な車両所もこのすぐ先で終了。
 たまたま上り寝台特急「なは」が過ぎる、ガラ空きで、「レガートシート」座席車にも人影は無く痛ましささえ感じる。
8:00 林田川の堤防上に、踏切があり67.58K地点となる、右手の橋まで500M程、例によって堤防道路は細く恐いので、下の河原に降りる。
8:17 鉄橋の岡山方袂に到着、67.75K辺り、河原が歩きにくかったこともあり10分要す。松原町下水処理場があり、かなり匂いがきつく、何故かカラスも多く、早々に退散。
8:33 村東踏切(68.5KP)で線路左手に、途中の製革工場に牛皮が何枚も積重ねられているのが珍しかった、そういえば林田川の堤防に何枚も乾されている光景も見たが、写真は撮らなかった。
8:42~8:53 線路から100M程離れた揖保南土地改良区竣工記念碑前のクローバー若芽の絨毯上で、ヒバリの囀りを楽しみながら小休止。
 
この先、農家の軒先を足早に抜けたりもしたが、右手に新幹線高架が見えるので、方向感を失うことは無く、
9:01 新幹線:龍野今市架道橋(615.3K)を潜り、続いて、
9:05 来光寺踏切(69.51K)を渡り、2
号線に入り、しばらく行って揖保川の袂に、踏切から国道までは、右手、UCC兵庫総合工場が広い敷地を占める。
9:17 揖保川鉄橋の姫路方に到着、70KP立ち、相生方袂は70.3K地点、なお2号線は80M右手を行く。  

   揖保川鉄橋から竜野駅方を望む EF210-103

  竜野駅
9:44 竜野駅着、木造モルタル駅舎が海側に建ち、上り島式ホームの内側線を捲ったため、片面ホームが山側を向いて2つ並ぶ、71KP立つ。
9:53 出発、駅右手の2号線を行けばいいのだが、駅前から感じの良い旧道があり、行ってみるもすぐ尽き、後は落着いた住宅街を行く。 
10:00 田んぼの中に路盤のみ完成した未舗装農道が伸び、入ってみる、71.5KPが近い、農道は72KPで終了、後は線路近くの歩道付新道に変り、72.57Kの池田踏切まで、その先は左に線路から離れるので、
10:17 池田踏切を渡りすぐの国道2号線に入る。線路右手沿いを行くが、この先前方に小丘が張出し、線路はその左手を巻き、国道は右手を巻いて緩い上り坂で丘中に突っ込む。 
10:32 この丘の小峠が市境になっており相生市に入る、するとすぐ左手150Mに、これまで丘が邪魔して見えなかった線路が見え出す。
10:46 2号線左にホンダプリモが線路を背にして建つ、ちょうど47KPが見える、道の右手には日産ディーラーも、左手から新幹線高架が相生駅を前にして在来線に近付いて来た。
10:59 更に2号線を進み、海側の市街地に向う相生陸橋が線路を跨ぐ、75KP立つ、ちょうど新幹線高架が在来線を斜めに跨ぎ越し、その右手に出たばかりの地点となる。
11;10 相生駅着、台地の裾を線路が行き、ホームは上り島式、下り片面ホームだが、こちらも赤穂線直通運転開始前は島式ホームだった筈、橋上駅の上に更に新幹線ホームを載せた重層構造駅で、75.5KPあり、海側にゆったりした駅前広場があるが、閑散としていた。海の方向に大クレーンが数基見える、石川島播磨造船場だろう、3Kくらいあるのかな、、、
11:30 出発、線路進行左手の道を行くが、前方に丘が近付き、程なく高架線を抜け右手の2号線に入る。 
  相生駅 
11:44 左手すぐの築堤を行く在来線を、新幹線高架が斜め左に跨ぎ越し、そのまま山中に突っ込む、帰路車内から見ると76.1K辺り、赤穂線も左150Mの山の斜面にトンネル坑口が見える。この辺り2号線は片側2車線、余裕のある造りで、米国の高速道路を想わせる。 
 2号線右手の神姫バスの車庫を過ぎ、生コン工場(76.7K対応)の先で小川を渡り、左手を行く旧道に入る、約300M幅の狭間の中央を流れる小川沿いにクネクネと曲る道で、10分ばかり歩いてまた2号線に押出された。線路は左70Mの丘裾を平行。

   相生駅 新幹線側  2015年1月10日

  ②ホームは赤穂線直通列車専用  クモハ223-6030他
12:12 入野信号で2号線と分れ、線路右手50Mに平行する小道に入る、77.6K辺りとなる、この道500M先まで真っ直ぐ。
12:35 78.5KPを過ぎる、この辺り谷幅は5~600M、田んぼと集落が続き、集落は特に左手に多い。
12:57 三田川の小さな流れと線路を左に見ながら草生した農道を行き、80KPを左に見る、
 2号線はこの辺り右手3~400M先まで離れる。 
 この先徐々に右手の丘が2号線と共に近付き、2号線は三田川を農道と共に跨ぎ、しばし一緒に並んだ後、線路も跨いで左手の丘腹に取付く、なお跨線橋下に81.5KPを帰路確認、またこの地点が相生市と赤穂市の境界となる。  
13:25 さて2号線が線路を跨ぐ地点に近付くと、ナントそこは現在補修工事中で、歩行者を含め全面通行禁止になっているではないか!
 交通誘導員によると、矢野川の橋まで行って戻って来なくてはならない様だ。
13:31 中島橋で矢野川を渡り、右岸沿いに線路端に戻る、なお矢野川は国道跨線橋近くで、しばらく一緒に来た三田川を併せる。
13:37 天通り踏切(82.1K)で線路左手に移る、右手に近い線路と左手の2号線に挟まれた細長い住宅街の小道を駅方向に進み、

   有年駅
13:50 有年(うね)に到着、感じの良い木造駅舎が進行左手に建ち、駅舎直結の下りホームに島式ホーム、山に囲まれた小盆地の静かな小駅の雰囲気を保つ、83KP、駅前を2号線が走り、大型車の走行音がすぐ近くの傾斜の険しい小山に反響してうるさいのが難点、駅右手も250Mで低い山となる。
14:02 出発、2号線を歩いたのは短区間、駅出てすぐ北に90度方向転換して上郡を目指す線路を追っかけ、右に国道373号線に入る。なお2号線は西方向に直進、船坂峠の手前までしばらくの別れ。
14:10 先刻上流で渡った矢野川を道なりに再度渡る、右手50Mの鉄橋に83.7KPあり、矢野川は下流1K程でこの辺りでは大河の千種川に合流する。
14:17 373号線から、線路右手近くの丘裾沿いに点在する農家を結ぶ小道に入ってみる、84
KP辺りだ。
14:27 また373号線に戻る、84.9K辺り、ちょうど赤穂市と上郡市の境界で、国道左すぐ下を千種川の大きな流れが平行する。
14:36 やがて支流高田川の橋の袂に至る、ここで線路と左用方面への街道が斜め右に分かれ、一方373号線は千種川沿いに直進する、鉄橋端に85.5KPが見える。
 線路は右手丘裾を長い直線で進み、一時国道や千種川と300M程離れるが、その間は広い田んぼが展開、列車の走行する様がよく見える。線路はやがて徐々に西方に長大カーブを描き、千種川を渡る準備をする。
14:56 的打踏切(86.5K)を渡り、線路右手すぐの丘裾の道に入ってみる、
15:06 馬場三踏切(87.08K)で左手に戻る、線路を見ると相生方は高田川鉄橋までずっと直線、上郡方は80M先で丘にぶつかり左カーブするのが見て取れる。
15:16 寺前一踏切(87.7K辺り)で道が広くなり、線路から少し離れて進み、
15:22 道の左に消防分署を見る、線路は右手20Mの丘裾を行くが、渡河に備え小高い所に上った。
15:27 与井陸橋に至る、88.39K辺りで、ここから鉄橋が始まり、千種川を渡る、帰路車内から見ると、88.4~88.85K辺りだった。
 さて人の渡る橋は下流に新しいのが完成している、しかしこの橋だと対岸の何も無い地区を行き、市街を全く見ないで駅に着いてしまう様だ、それで延々1Kほど上流に見える、街の中心部に位置する上郡橋を目指す。そういう訳で、左岸を北に進んだが、100M足らずの右手河岸段丘との間の細長い平地に、レストラン、スーパー、住宅が並ぶものの、活気はあまり感じられなかった。 
15:40 上郡橋を渡る、そして右岸沿いの道を駅方向に進む、なお橋の袂近くに町役場などがあり、中心街を形成しているようだが、特に行かずに過ぎた。
 上郡は千種川右岸に開けた街で、谷幅約2Kの内、400Mを千種川が占めることもあり、川沿いに細長い展開をしたのだろう。
15:56 千種川鉄橋の上郡方袂に到着、付近は住宅が3~4軒、近くまで新しい道路が下流から伸びて来ている。
16:11 上郡駅に到着、平屋木造駅舎が北側に建ち、上りホームは改札口直結、下りは島式ホーム、89.5KPがある筈だが見当らなかった、ホーム南側に留置線が4本、岡山との県境を前にして、当駅折返し列車も多く、また夜の滞泊列車もあるからだろう。 
 なお智頭急行の駅舎は別に岡山方にこじんまりしたのがひっそりと建ち、島式ホームの岡山方端を仕切った専用ホームに専用跨線橋が通ずる。
 駅の周囲は静寂そのもの、土地区画整理事業が近々行われるらしく、その旨を報知する立看板が目立つ。
 さて今夜はここ上郡に泊る積りだったが、意外なことに駅周辺に旅館、ホテルの類が無く、これから街の中心街まで戻るのも面倒で、昨夜泊った姫路のビジネスホテルに電話した。
 今夜も姫路駅の幕の内弁当と缶ビールにお酒で、ちょっと寂しい夕食を取り、20時頃には床に入るというか、瞼が塞がってきた。 




           (8) 和田岬ー兵庫2.7K  2005年4月7日(木)小雨 

 昨夜の天気予報では今日は晴天の筈だったが、朝TVを観ると予報は一転、午前中は雨らしい、それで予定を変更、急遽兵庫駅に向い、雨が降らない朝の内に和田岬線を歩き、六甲道の日帰り温泉で一風呂浴びた後、トロトロ帰京することにした。 
 和田岬線に乗車するのは1964年3月、国鉄全線乗り潰しのため訪問して以来41年振りのこと、当時同線は非電化、DD13牽く全車ロングシートのオハ301に往復とも乗車、クロスシートをただ横から縦に並べ替えた、機能主体の何ともすごい車両だったと手帳にある。今日の103系6両編成は一般車両と全く変わらず、この1本で線内ピストン輸送に当るようだ。和田岬駅まで乗車の下りは、超満員ではないが、改札口に近い前側車両は特に立客が多かった。 
 頭端式ホームの和田岬駅は無人、駅舎前を片側3車線の産業道路が横切り、地下鉄乗車口まで5M足らず、道路の向いは、海岸までの約1Kを 占める三菱自動車、三菱重工神戸造船所の工場入口、実は和田岬線の利用者は以前からこの2社の従業員が主体、平日1日の利用者は、減少傾向が続いた今も、約4千人あるらしい。



  和田岬駅
7:35 和田岬駅を出発、兵庫駅に向い線路左手すぐの道を行く。なお、和田岬線の公式営業キロは2.7Kだが、ホームの車止めが2.25K辺りで、ちょっとサバを読んでいる、もっとも初乗り区間は3Kだから、運賃に影響は無い、、
7:45 名無しの広幅踏切の左脇に「鐘紡記念病院」が建つ、シックな雰囲気を持つ感じのいい7階建の建物、昭和初期の物だろうか、同社の当時の繁栄振りが窺われる豪華な造りでもあり、保存運動が起きそうな歴史的建造物かも、、、1.65K地点。 
7:49 兵庫運河を材木橋で渡る、鉄橋が右手100Mに見える、1.5KPあり、この先程なくまた踏切で線路右手に移ると、線路端を工場用地が占め、道が時々切れる。
7:57 県営明和高層住宅の駐車場を突っ切り90M先の道路に抜ける、線路反対側は川崎重工(車両)の工場の筈だが、建物が邪魔して見えず。
8:04 北東から南西に走る阪神高速神戸線、その下を行く国道2号線を地下道で潜る、線路が0.8K地点で下を抜けるのは往路列車を利用した時に確認済み。
 抜けると景観が一転、住宅地となり、高い建物も無く空が広くなる。 

  和田岬駅ホーム
8:08 「芝生公園」に入る、公園の端は山陽本線の高架に接し、和田岬線は0.7Kから右カーブを開始、0.5KP辺りで進行左手の本線と並ぶ、線路海側は芝生公園に一番近い35階建て六角形高層マンションに始まり、旧兵庫貨物駅跡地を利用したマンション、商業施設が駅まで続く。 
8:20 兵庫駅に到着、なお頭端式ホームの先端に0.2KPがあり、要はこの和田岬線は正味2K余鹿無いということだが、何か“大発見”をした気分だ。 
 この後、六甲道駅から徒歩5~6分の温泉銭湯で、泡付きのお湯を楽しみ、大阪駅に出て、北口阪急連絡通路にある、会社時代何度も行った大衆食堂でかなり遅めの朝食を取る、北口の全面建替え計画がそろそろ表面化しており、想い出を残そうと、好物のポテトサラダなど注文、たまたま100円割引中の中ジョッキ1杯の積りが2杯、昼間からほろ酔い加減で気分良く店を出る。
 大阪から小田急線乗換の藤沢までずっと本曇りまたは小雨のなか、今日はたまたまだが、10本の電車を乗継ぎ、お花見シーズンで車内は混雑、米原から大垣、浜松~掛川など3区間は立って行った。 帰宅は20時15分。





            (9) 上郡ー和気 25.2K  2005年5月24日(火)晴

○ 山陽本線はこの1月の年明けに起点の神戸駅から始め、4月には往復共青春きっぷを利用、上郡に達した、その続きをしたいが、上郡に行くだけでも時間とそれに経費が大変、それで今回、97年10月に「歩き潰し」を開始して以来初めて、夜行バスを利用してみた。
○ 往きは神戸まで「青春ドリーム号」に乗車する、60%ほどの入りで、乗客はやはり若い男女が多い、年配者は背広姿の40代後半男性が1人、あとは最高齢の自分だけ、かといって、我々が浮いている感じは無かったと思う。車内は静かなもので、乗り慣れている人が多いようだ。
○ 座席はちょっとリクライニングするが背摺りが低く、頭を支持する場所が殆ど無く、翌朝首筋が痛んだ。しかし、カーテンが閉りお休みモードのなか結構よく眠れ、ムーライトより快適かも、、、三ヶ日ICでの運転手交代を兼ねてのトイレ休憩も気付かなかった。
○ 神戸からは普通電車で上郡に、まず行き交う列車の多くが運転士2人乗務、対して先頭車の乗客は自分の他に殆どいない、先月の大事故の影響が顕著で、4月初旬に姫路近辺を歩いているが、その時に比し、気のせいか乗客、JR職員共に皆鳴りを潜めている感じだ。   



  上郡駅
8:02 上郡駅に到着、JR駅舎に続く智頭急行の小駅舎前ベンチで朝食、次駅まで営業キロで12.8K、この駅間距離はこれまで経験したことが無く、ちょっぴり緊張。
8:28 上郡駅を出発、線路近くの道から程なく街道に入る。
8:40 智頭急行線が上を跨ぎ、千種川の支流:安室川左岸沿いに進む、JR線鉄橋は100M先の90.6K地点、この先で街道と別れ、線路近くのクローバー草道に入り、
8:53 91.5KPを見る、線路左350M、右は300Mで低い山、その間は田んぼが展開。 
 程なく右に近付いた先刻歩いた街道に合流、92KPから線路沿いの道となる、安室川も街道右下すぐに寄添う、谷幅が狭まってくる。
9:15 三菱電機系列の小工場が川と街道の間に建つ、左手すぐの線路に92.7KPあり、この手前から線路と街道は左90度回転を開始、西から南に進路を変える。
 この先また安室川を渡る、線路は少し間を置いて鉄橋を渡り、右手の山腹に取付く。
9:33 栗原架道橋をくぐる、93.6K辺り、この先右手やや小高い所を行く線路を見ながら、安室川の支流:梨ケ原川沿いに開けた谷幅せいぜい200Mの狭間を進む、この辺りの田んぼはたまたま田植えの真っ最中だった。
9:53 道の右手60M、築堤3M上を行く線路に95.5KPが見える。
10:08 幅15M程の梨ケ原左岸堤防を行くと、左150Mの丘裾を有年駅の先で別れた国道2号線が近付いてくるのが見える、この辺りから谷幅が幾分拡がり、田畑も広く、住宅も多くなる、県境に近付き、むしろ寂しい小集落を頭に描いていたので意外に思った。
10:28 右手築堤を行く線路が丘中に入って行くが、平行道は無いようで左の旧道に入る、途中落地(おうち)八幡という小神社前を過ぎる。  
10:35 相生警察署梨ケ原駐在所前に出る、続いてJA梨ケ原、保育園、公民館などが現れ、結構大きな県境の集落だった、生活の安定を感じる落着きがあり、「何をして暮しをたてているのだろう?」と余計な心配も浮ぶ。
10:50 梨ケ原宿遺跡の説明板が立つ、江戸時代よりずっと以前にこの地は交易の中心地として賑わったのだそうだ。 

  梨ケ原集落を行く旧山陽道
  船坂峠越えの自転車・歩行者専用道出入口  11:03 丘陵の反対側を抜出た線路が見え出すと国道に入る、すぐ梨ケ原踏切で、98.8K地点だ、ここまで約5K、線路は築堤上を来たため、線路観察は出来なかった。
 2号線の歩道はこの辺りペンキ書き、大型トラックの走行も多く、本当に恐い。
11:20 トンネル70M手前に船坂峠越えの脇道の標識があったクルマの通れない、j自転車・歩行者専用道で、、トンネル内歩行を覚悟していた自分は、心底ホッとする。 
11:28 舟坂峠着、眺望は利かない、ここで上郡町から岡山県芸備市に入る、なお道路はトンネル完成前の旧国道で、両端が雑草等にかなり浸食されているものの、舗装道路の形態を留めている。
11:39 旧道を下りまた2号線に戻る。
11:47 2号線から横道に入り踏切を渡る、上り線の新船坂トンネルの脇で、101.4K、2003
M長と標示あり、なお上郡方坑口は99.35K辺りなのを確認済み。 
 この先、線路進行右下に沿う道を7~800M
行って、

  船坂峠、兵庫・岡山県境  
   三石駅  12:00 三石駅に到着、小駅舎には階段を10段余、島式ホームには地下道経由階段を更に上る、102.4KPあり。
12:18 出発、間もなく道の両側は三石耐火煉瓦の工場、事務所が占め、左手の工場にはレンガ巻、年代物の味のある煙突が数本、静まり返った小さな町はこの工場で持っているようだ。
 抜けると左折、架道橋で線路左手すぐの道に移る、線路は8から9Mの深い切通しを行く。
 線路を潜り左手に来た先刻別れた2号線を街道を少し歩き、
12:40 坂を下り野谷金剛川を渡る、跨線橋に104KPが見える。
12:50 吉永町に入る、線路は右5Mの山裾を築堤で進む、左手100Mの山裾には三石駅前から続く県道96号線が行き、その間は田んぼ。
13:06 右30Mの築堤上に106KPが見える、
左手すぐを金剛川が平行、山まで80M、対岸に
「クリモト」という小工場が建つ。 
13:12 この先で96号線が右岸に移り、道なりに合流、なお、船坂峠越えをした国道2号線は、三石駅の先でまた山陽線から分れ、海岸方を目指す。
13:34 108KPを過ぎる、右の山まで100M、
左は200M、前方の平地も拡がり、空も広くなって里に下りて来た感あり。 


  吉永駅
13:55 吉永駅着、上りホームは改札口直結、下り島式ホーム、109.4KPあり。
14:00 出発、右手の歩行者・自転車専用道を行き、やがて線路を潜り左手に移る。
14:13 吉田橋(80M)で金剛川の支流を渡る、鉄橋は右100M、110KP見える、渡ると和気町に入る。
 この先4~500M同じ道を行き、110.4K地点の踏切で一時線路右手に、この辺り線路両側に平行舗装道が伸びる。
 田んぼの土は上郡でも見たが、灰色できめは粗い、関東地方には無い種類だ。
14:38 また架道橋を潜り左手の県道96号に入る、111.8K辺り。
14:43 金剛川の支流:日笠川を渡る、鉄橋は右100M、112.05K~150M長、渡るとすぐ藤野郵便局、同小学校前を過ぎる。
 この辺り金剛川が南に緩い半円状に張出し、県道も川沿いに一時線路から7~800M離れる、自分は住宅街の小道伝いに線路から離れない様努めるも、うまくいかずイライラ、
14:58 湾曲が終った金剛川と共に線路を潜り、またまた右手に移り、 
  吉永駅にて、クモハ115-323(湘南色) 2015年1月10日
15:02 金剛川堤防上に出て、和気市街に通ずる橋の袂で小休止、夜行疲れがドッと出て来て、暫時小休止。
15:08 出発、橋を渡ると住宅が多くなる。
15:20 3階建の町役場を裏手の畑と墓地の方から見て過ぎる、さらに歴史のありそうな閑谷高校前を過ぎ、
15:30 和気駅に到着、木造平屋駅舎が北側に、改札口直結の上りホーム、副本線のある下り島式ホームで構成、114.8KPあり、駅舎内に小キオスクが細々と営業中、記念のレシート目当てに、最近売り出された雑酒(¥130)を始めて購入してみる。 

   和気駅


 今夜は和気に泊る予定だったが、上郡でも経験したが、駅周囲にビジネスホテルはおろか旅館も適当なのが見当らない、ここから30K足らずの岡山なら東急、サンルートなど会社時代の出張で行ったことがあり、心配はしなかったが、試しにそう遠くない筈の温泉付観光ホテルに電話すると、朝夕付いて12,000円でどうか?ということで交渉成立、
16:05 タクシーで5分の和気鵜飼谷温泉ホテルに到着、料金は640円だった。 



      和気鵜飼谷温泉ホテル 302号室(TB) ¥11,931(2食付)+1,270(お酒)      

場所:吉井川左岸、和気駅付近から続く山並みを背にした地下1階、5階建の観光ホテル、駅から約2K旧片上鉄道廃線跡サイクリング道で徒歩30分。
ホテル:団体、グループ客向けの研修室、室内ゲートボール場等あるが、個人客でも快適に過ごせる。
温泉:地下1階にあり、露天風呂もあるが眺望全く無し、造りは観光ホテルの水準は満たしている。
お湯:無色、無味、何か匂いがするが入浴剤かも、アルカリ性単純温泉、PH9.5、ツルツル感無し、湧出量は150トン/日、湯温は39.5℃あり岡山近辺では珍しく高い方。
その他:2食とも2階のレストランで、夕食は30名の熟年グループと一緒、特産のママカリ、牛ステーキなど、同一内容なのをしっかり確認、朝食はサーブ方式だった。
 部屋の窓から、明るいうちは南2K先の山陽本線の長大コンテナ貨物列車が小さく見え、夜になると遠く国道を行く大型トラックのヘッドライトが、時々光の矢で漆黒の闇を引裂きながら進み、久しく忘れていた感傷的な気分を掻立ててくれた。 




            (10) 和気ー高島 24.1K  2005年5月25日(水)快晴   

7:10~7:30 ホテルのレストランでゆったりした気分で朝食、今日は岡山まで辿り着きたいのに、なぜか非常にくつろいで緊張を欠き、自分としては珍しいことだ、朝風呂も利いているのだろう、近くのテーブルではグループ客が上手そうにビールを飲んでいるが、さすがにそれはグッとこらえた。
7:40 和気鵜飼谷温泉ホテルを出発、今日の日差しはかなり強い。
 程なく旧片上鉄道廃線跡の「片上ロマン街道」と称するサイクリング道路に入り、これで駅近くまで行ける。なお、片上鉄道の営業廃止は91年6月のこと。
 右手吉井川堤防を背に地場ス―パーが建つ辺りで県道96号線に入り、和気郵便局前を過ぎ金剛川の堤防に上ると、前方に駅の看板が見え、歩行者・自転車専用橋を渡れば駅は近い、昨日三石駅の先からずっと一緒だった金剛川も、この先少しで吉井川に合流となる。 
8:09 和気駅に到着。
8:12 和気駅を出発、線路右手すぐの道から県道395号線に入る、天気最高、日差しが強いが、太陽が背中から差すので助かる。
 やがて吉井川左岸の堤防に上る、右手上流2.5K、山の方向に昨夜泊った温泉ホテルがはっきり見える。
8:24 115.9KP辺りから線路が左手山裾を行くようになる、右下に吉井川の清流が見え、川岸に水鳥が遊ぶ。対岸の堤防まで250M程、左岸の方が地形は緩やかで、大型トラックが走行する国道が行く。
 左岸の道はやがて道幅が極端に狭くなり、軽自動車がすれ違うのもやっと、右手に吉井川の景観が素晴らしいが、ただノンビリ歩けるような区間ではない。線路は左すぐの山崖沿い,やや小高い所を平行、人家は全く無く、歩いている人も見なかった。
8:35 赤磐市に入る。
8:40 道幅が5Mに回復、ちょうど117KP立つ、線路左手が山崖、右手下が吉井川なのは同じ、やっと美しい景観を楽しめるようになって、程なく谷幅が拡大、堤防上に道も付いた。
 左手の山崖区間は117.8KP辺りまで、その先は線路と県道の間に細長い平地のゆとりが生ずる。
9:10 パーク&ライド駐車場の端に到達、119KP立つ、駅はもう250M程先、それにしてもこの駐車場細長く、一番端に駐車した人は駅まで結構歩かなければ、、、
  熊山駅 9:19 熊山駅に到着、 小振りの木造モルタル造り駅舎が西側に、上りホームは改札口直結、下り島式ホームの小駅、119.3KPあり、静まり返った駅前には商店が2~3軒あるだけ、駅東側は山が迫り、ここも住宅が少々あるだけと寂しい。
 駅前案内図を見ると、熊山町役場など町の中心部は吉井川を渡り2Kくらい離れており、それで駅前駐車場があんなに広く設けられているのだと納得する。
9:25 出発、吉井川堤防左下の道を行く。
9:32 線路左手すぐの丘上に県立岡山白陵高校が建つ、120KPが築堤線路3M上に見える。
9:47~9:54  途中から堤防上のクルマの入れない砂利道を歩き、山陽自動車道の下を潜る、橋脚は25Mくらいある、線路は左手80Mの山裾を行く。 
 高速道の下は日陰でちょっぴり涼しく、ここで小休止、五月晴れの好天気のなか、いつもより早く疲れが出たように思うが気のせいかな、年のせいかも、、、
 また日陰の無い砂利道を行く、景色は良いのだが、照返しもあり、消耗が激しいようだ。
10:05~10:11 また小休止、線路は前方に見えてきた吉井川鉄橋進入に備え、雄大な右カーブを描き、これなら長大貨物列車の全景が収まりそうだと、暫時カメラを手に待ったが、やって来たのは115系3連、カンカン照りのなかもうこれ以上は待てません、、、
10:19 吉井川橋梁の熊山方端を道なりに潜る、122.3K地点、なお、このすぐ先で町域が左岸にまで張出している瀬戸町に入る。
10:36 400Mも下流で吉井川を渡り、鉄橋の岡山方袂にある二日市踏切に到着、122.564M地点。
 この先線路進行左手の道を行き、ホーム端まで100Mの久津山南踏切(122.82K)を渡り、
10:50 緑屋根のやや小振りな木造モルタル造り駅舎の万富駅に到着、改札口直結の上りホームと下り島式ホームの駅で、123.4KPあり、駅の南側はキリンビール岡山工場が占め、同工場の屋上看板は遠く、山陽自動車道を潜る辺りからも遠望された。
10:55 出発、線路右手すぐの道を暫時行って、
11:01 県道跨線橋が線路を横切る、線路左手はビール箱が高々と積上げられた資材置場で、広大な工場もここで終る、123.9K地点。
 この先広い田んぼが展開、幅30C程の畦道伝いに進むが、

   万富駅

  万富駅
11:18 用水を渡る橋が無く、右手の街道に押出される、広田には必ず用水が張巡らされ、100Mも離れると稲に隠れて所在が判らず、時々こういうことが起こるが、この頃は馴れっこになった。
 この辺り線路は左250Mを行き、山陽自動車道がその裾に沿う右手の丘までは500M、その間は田園地帯で、広い沃野が展開する。 
11:43 クルマではまず意識しない小サミットを越え寺地集落に入る、左30M、低い掘割を行く線路に道なりに近付いた。
11:47 池田一番踏切(126.3K)を渡り、線路左手に移る、狭い田んぼの間をくねる感じのいい小道を辿り、駅方向に進む。
12:10 藤原踏切(127.45K)で線路右手に、もう駅構内の端まで来ており、すぐ先にポイントが見えるが、駅舎まではまだちょっとあるようだ。 
12:19 瀬戸駅着、北側に小駅舎があり、ホームは上りが駅舎直結、下りが島式、128KPが立ち、駅の南側(左手)すぐに丘が迫る、駅舎内の小キオスクはシャッターを閉め営業休止中。
12:44 出発、小休止の積りが疲れが出て想わぬ長居となった、急な気温上昇に体が付いていけない、それと温泉の朝風呂も利いている。
 住宅街の道を行く、その雰囲気から岡山の通勤圏に入ったことが判る。
12:55 砂川を70M長の橋で渡り岡山市に入る、左手すぐの鉄橋に128.8KPあり。  

  瀬戸駅

   瀬戸駅
 線路右近くに平行する県道220号線を行く、ブドウ畑が急に目に付く様になった、この辺り山がずっと先まで後退、線路左手など3K先まで見渡す限り大平野が拡がる。
 新幹線高架が前方約1Kの山裾を東西に進み、在来線に近付いて来るのが見える。
13:22 130.5KPを過ぎる、約200戸の分譲住宅が右手街道との間を占め、ブドウ畑や古くからの集落に囲まれた独立団地を形成する。 
13:31 鼠窪踏切に至る、131.2K地点、この踏切上を斜め東西方向に新幹線高架が跨ぎすぐトンネルに突っ込む、小山が2つ別々に線路に迫る小狭間で、名前の通りパッとしない所だ、この先道なりに丘陵に入り、トンネルを抜けた新幹線高架を中尾架道橋(東京起点665.15K)で潜り、右手直下の側道を行く。周囲は狭い田畑とブドウ畑が主だが、途中では線路左手近くに溜池も見た、他日131.9K地点と車内から確認。 
13:53 上道駅着、相対式ホーム、132.7KPあり、昨日上郡駅を出発して以来、初の橋上駅、駅南側に小さな駅前広場があり、平行して国道250号線が行く。
14:03 出発、新幹線高架下の直線道を行く、在来線は高架左下に平行、沿道には住宅が建ち並び、先刻までのブドウ畑は姿を消した。
 日陰を歩けるとこの道を選んだら、道端の雑草に邪魔され、微妙な距離の差で、日差しの当る側に追い出され、計算通りに歩けず、当てが外れた。

  上道駅
14:22 134KPを過ぎる、ちょうどEH200-17機が上りコンテナを牽いて過ぎたが、この型式を見ると岡山に来た実感が湧く。
14:42 この先右手から丘が張出し、新幹線はそのままトンネルに突っ込むが道路は行止まり、高架線の下を進行左手に移る、岡山起点668.1K地点。
14:46 丘裾を迂回する在来線、左手から近付いた赤穂線を浜田一踏切で渡る、135.63K、赤穂線は56.95Kとなる、もう駅まで300~350Mくらいだ。 

   東岡山駅   
14:53 東岡山駅着、駅舎は両側に建ち、南駅舎に駅員が常駐、改札口直結の下りホーム、山側の上り片面ホームの間に島式ホームが1本、姫路方端に136KP立つ、山側にトンネルを抜けた新幹線高架が平行、駅前広場の造成工事を施行中。
 赤穂線との分岐駅でもあり、もっと賑やかでビジネスホテルの1軒くらいあると思ったが、ローカルムード漂う小駅だった。
14:59 出発、線路左手からすぐ右手に移り、また新幹線高架右下に沿う道を歩く。
 
 道はやがて片側2車線の広い道となり、沿道に商店、住宅が多くなり、稀に狭い畑も残る。在来線左手は昔からの町工場に、資材等ゴチャゴチャ置かれた空地や小住宅など。 
 この辺りクルマも多くなり、歩いていて余り楽しくない地区だ、樹木などの緑も急に姿を消し、埃っぽいし、、、
15:30 「代々木ゼミナール」の5階建学生寮が道の右手に、岡山とあまり関係の無いような名称で懐かしいが、一瞬ここはどこだっけ?と思う。  

  東岡山駅

   高島駅
15:35 高島駅に到着、ここまでずっと高架下の県道を来た、小駅舎は高架下に位置、ホームは相対式、下りホームの海側すぐに狭い畑が残る、139KPが岡山方ホーム出外れに。 

 さて、次の岡山駅まで営業キロで4.5K、市街地をタラタラ歩けば勿論簡単に行き着けそうだ、しかし何度も弱音を吐いてお恥ずかしいが、今日は疲れがひどく、もう平凡なコースでは気力が湧いて来ない、それで出発前自宅で地図帳を見ていて、岡山・倉敷両市境付近に「発見」、時間が許せば寄ろうとメモしておいた日帰り温泉で一息入れることにして、最寄駅の庭瀬に向かい、
16:39 岡山駅を素通りして庭瀬駅に到着する。
16:46 庭瀬駅を出発、駅は相対式ホーム、間に中線が1本、駅前は狭い。
 線路右手に近い道を行く、すぐ境川(用水)にぶつかり、近くの橋を渡る。周囲は住宅街、「この用水は総社から引かれ、江戸時代には庭瀬港にも通じていた」と案内板が立つ。
 この先線路方向に田畑が拡がる、農地改良はまだで、細くくねった畦道で仕切られた狭田は、ゴチャゴチャした感じだが、一方人間的な土の温もりが伝わってくる。

   庭瀬駅 半円ドームのエンタシスがモダン(?)
17:00 畦道伝いに田畑の中を前進、前を横切る3M高の堤防に攀じ登る、対岸まで60M、人の渡る橋は右手上流250Mほど先。 
17:17 橋を渡り鉄橋の倉敷方袂に到着、谷部川西堤踏切あり、150.85K地点。
 この先線路を左手に見て進むと、やがて物流ターミナル地区に入り、トナミ運輸の大営業所などを過ぎる、広大な敷地を擁し、岡山・倉敷の物流を担う倉庫業者も目に付く。
17:32 線路と直行する広幅道路を右折、162号線(旧山陽道)を目指す、道の右手(東側)に沿って流れる用水が、岡山・倉敷両市の境界線になっていた。西日が強くバテバテで歩みも遅いなか、7~800Mで162号線(旧山陽道)に達し、その角に建つ、
17:50 「やま幸ホテル」に到着。



    瀬戸大橋温泉「やま幸ホテル」  415号室(TB)¥5,000(RC、朝食込 他に夕食と酒¥3,145)


   やま幸ホテル  前の道は県道162号線(旧山陽道)
 場所:県道に面し、線路から北7~800Mほど、車窓からもよく見え151.7K辺りに相当、庭瀬駅から徒歩約30分。
施設:2階の常設劇場で芝居が見られるのがウリ、入浴料も観劇込みの¥2,000、入浴料のみの設定は無い、館内はスリッパ無し、素足で歩く、それだけに清掃はきめ細やかだった。
浴室:主浴槽の他、ヒノキ風呂、薬湯、サウナ、水風呂等一通り揃い、天井も高く開放感あり、朝風呂は主浴槽のみ6時から利用可。
お湯:無色透明、無匂、無味だが、飲泉個所の湯は重曹の味がした、ナトリウム-塩化物泉、マー平凡なお湯だと思う。
その他:夕、朝食とも2階の専用レストランで、夕食時は踊りの付いた演歌サービスもあり、東京では高級品になったシャコ、コリコリしたハマチなどでお寿司を楽しむ、朝はバイキング形式で、内容もしっかり。
 900円安い窓無しの部屋に入ったが、狭いこともあり圧迫感があり、少々後悔。劇団従業員の部屋にも近いようで、深夜飲み先から帰り、自販機で飲物を購入する音などで眠りを破られた。 




  

 (11) 庭瀬-中庄 高島-庭瀬 中庄-倉敷 20.4K 2005年5月26日(木)快晴   

 今日は倉敷まで行きたい、前日、高島駅で切上げており、しかも昨夜泊った温泉旅館が庭瀬と中庄駅のほぼ中間に位置、どうでもいいことだが、順序はちょっと複雑になる、まずは中庄駅まで歩くことにして、、、
7:45 温泉旅館を出発、旧山陽道を行けば道なりに中庄駅の近くまで行けるのだが、なるべく線路近くを歩くことにしており、北側7~800M離れて平行する線路端へと、昨日歩いた道を戻り、
7:56 線路に近いシモハナグループの物流倉庫脇に到着、151.7K辺りとなる。
 物流センター地区を抜けると広い田園地帯に入る、前方1Kの丘上に川崎医科大付属病院などが聳え、右手は山が大幅に後退、10K先まで平地が拡がる、線路は田んぼを挟み左80Mを行き、その先は100Mで山、山を背にして集落が展開する。
8:10 栗坂踏切(152.3K)から線路右すぐの道が伸びる。
 朝夕の通勤時間帯にしか走らない、117系8連、115系7連など、いわゆる輸送力列車の走行振りをすぐ近くに見ながら歩けた。車内には立つ人もいるが、その数は数えるほどだ。
 田んぼに混じって、先端がポツンと黄色い50C程の稲に似た植物が育つ区画が散見されるが、この地方の特産:イグサだと思うが、、、
8:33 大平田二踏切(153.9K、渡らず)に至る、途中右手の丘斜面を全て覆い尽くすかの様に、川崎医大病院、川崎福祉大、川崎・・・とグループの関連施設が建ち、学生、職員が群を成してやってくるのとすれ違う、駅から丘上の建物まで20分くらい。
8:43 中庄駅着、赤茶色レンガ調の洒落た造りの橋上駅、一見図書館の様にも見える、下り島式ホーム、上り片面ホーム、県倉敷スポーツセンターが95年にオープンしたのに合せ、駅舎を新築したとのこと。 

   中庄駅

 中庄駅から昨日ギブアップした高島駅に、相生・赤穂行は途中東岡山駅での切離しを含め、16分で到着


  高島駅は新幹線高架下にある
9:18 高島駅を出発、新幹線高架、在来線のすぐ右手に県道が伸び、この状況は東岡山から同じ、道の右手は4~5階建が並ぶ大団地、生長した樹木が緑の壁を形成、通行量が多い割には落着いた雰囲気を醸成。
9:25 市の浄化センターが右に張出し、道路はそれを巻く、139.6K辺り、巻いて戻った先にも高架下に道が続く。
9:33 百間川(旭川放水路)の堤防にぶつかり行止まり、左に新幹線高架、40M置いて在来線を潜る、架道橋に140KP立つ。
9:39~9:43 百間川を渡る、橋長200M、流れはナント6M程、歩いても渡れそう、岡山川右岸にソフトボール、テニスコートあり。 
9:46 鉄橋の岡山方に至る、キロポストは見付からず。
 この先在来線高架右下の道を行く、新幹線は右手にちょっと離れ平行。
 最初は新しい戸建住宅街を行ったが、進むに連れ高架左手に就実大学グループの大校舎群が近くなり、学生向けのアパートが断然多くなり、女子学生が所在無げに歩いている(様に見える)、開発が細切れに行われたのだろう、道路は時々曲る。 
 ☆ 2008年3月15日、140.8K地点を中心に、西川原・就実駅が開設されました。
10:01 旭川の右岸堤防道路の川の上踏切(141.13K)に至る、橋は上流180Mにある。
 西川原・就実駅 高架相対式ホーム、2015年1月10日撮影  
10:05~10:10 岡北(こうほく)大橋を渡る、新幹線鉄橋が右手上流60Mに並ぶ。
10:13 堤の外踏切(141.43K)を渡る、この踏切も左岸堤防上に位置する。
10:22 市を南北に貫く国道53号線を渡る、津山方面に通ずる片側3車線の立派な道路だ。
10:25 住宅密集地区の小道を行き、平畔踏切(渡らず、142.1K)前に出る、この先小用水沿いに小道が伸び、しばらく行って新幹線高架と一緒になる、百間川を渡った辺りからしばらく離れていた。
新幹線高架下を行く在来線、津山線を見て約700M程、古びた4階建のJR西日本岡山支社ビルを見れば、もう駅はすぐ。  
  岡山駅  2015年1月10日  10:42 岡山駅に到着、ホーム姫路方出外れに143KP立つ、この駅は四国方面を含め8つの本支線が集まり、いつ来ても忙しい感じがあり落着かない、駅ビルのトイレに寄っただけで退散。
10:53 ホテルサンルート、日清製粉岡山工場を過ぎ、電車留置線の倉敷方端に出る、144.2K
地点、この先80M、駅では山陽本線の右手にホームがあった宇野線が、築堤で本線を跨ぎ越し海側に出る。
 サンルートは1982年、出張で泊ったことがあるが、当時この辺りは何も無い寂しい場所だったと記憶する、隣接する日清製粉と共に市街化の波に取込まれてしまったようだ。 
11:05 宇野線のガードを潜る、抜けるとJR貨物岡山機関区で、事務所と右手すぐの検修庫の間に公道がある、庫からは車輪を削る甲高い金属音が聞えてくる。
11:23~11:45 農林省岡山政府倉庫前を過ぎ、広い駅構内を南北に横断する野田地下道を渡り、JRコンテナ西岡山駅事務所前の小公園に至る、事務所の先30Mに145.6KPあり。
 早くも疲れが出て、ここで休憩を取る、珍しく公園に飲み水場があり、水道水がどんどん体内に吸収されていく、暑さはかなりきついようだ。
11:56 貨物線すぐ左手の道を行き、146KPを過ぎる。
 146.2K地点に場内信号機がある、待機線は5本。
 左手すぐにオープンしたばかりの岡山ドームが建ち、新駅開設工事と併せて区画整理事業も大規模に進行中、広い更地が何区画も拡がる、この辺りは旧岡山貨物操車場だったのだが、、、
12:12 北長瀬駅建設工事現場前に出る、今年秋に完成予定と看板があるが、素人目には間に合いそうか心配だ、岡山駅内ホテルのグランビアがまだ遠望される地点で、ホーム相対式,146.8K
辺り、貨物引上げ線も伸びて来ている。

  北長瀬駅新設工事中  

  北長瀬駅  2015年1月10日 
12:23 笹ケ瀬川鉄橋の手前50Mの架道橋に達する、147.5K地点、下流200Mの橋を渡り、鉄橋の倉敷方袂(147.66K)に至るが、160M進むのに10分ほど要した。
12:36 築堤線路左下の道を白石踏切脇まで進む、147.9K辺り、しかしこの辺り中規模河川や用水がやけに多く、この先線路沿いに道が無く、
150M南を行く国道162号線(旧2号線)に入る。
12:46 久米交差点を渡る、角に大型パチンコ店が2軒、外装など関東ではちょっと例を見ない豪華さとけばけばしさにしばし圧倒された。
追記:夜にまた夜行バスでこの通りを過ぎたが、ラスベガスの大通りにも匹敵する程の派手やかさが目立った。 
12:54 県道から200Mばかり入った井筒踏切で位置の確認、148.5KP立つ、矢張り線路近くに道は見当らない。この辺りは住宅を主に中規模工場も建つが、まだ農村時代の用水路が幾つも残る。
13:07 また162号線に戻り、道なりに山陽本線を跨線橋で右手に移ったが、この長い緩勾配を上って下るのが、暑さの中応えた。
 線路左手近くを行く道を探しながら進むも、適当な道が見付けられないまま、結局、
13:19 中国銀行支店が一画を占める庭瀬交差点で左折、駅が300M程先に見える。 
13;25 庭瀬駅に到着。
 

  庭瀬駅
 岡山駅から営業キロで6.5K、これに2時間40分を要した。 終始カンカン照りのなかを歩き、調子が出なかったこともあるが、今日は夜行バスで帰ることに決めており、時間が充分あることが主因だろう、ちょっと愚図愚図すると、てき面にペースが落ちることを身を以て知りました。 
13:40 中庄駅海側の日陰のベンチで小休止、その間に下電(しもでん)バスに電話して、今宵の新宿行を予約した。
14:01 中庄駅を出発、海側線路近くの幅6M、並木道の立派な歩道をしばし進む、ホーム端から300M余、 道が左折する地点まで来て、このやけに立派な道路の存在理由を納得する、少し先にこれも豪華な倉敷スポーツ公園が見えている、道路の左折地点に155KPあり。
 先刻これまた立派な岡山ドームを見たばかりで、「いわば指呼の間に同種の豪華公共施設が並立していいものか?」と、どうしても思ってしまう、岡山市の大手生命支社に在勤したことのある友人が、「池田藩が培った岡山と、幕府の西国天領60万石を司った倉敷は、長きに亙り全ての事で競い合い、両市が一緒になれば100万都市になれるのだが、それが出来ない歴史的因縁がある」と言ったのを想い出した。 
14:22 山陽自動車道から分れた瀬戸中央自動車道の下を潜る、右手線路まで200M、左手は主に住宅と工場、少しだが田んぼも混じる。
14:27 番田一踏切(155.8K)で線路右手に、線路は岡山方に直線、中庄駅の跨線橋が見える、線路右手すぐの道を行くが、道なりにちょっと離れ、道の右手は広田となる。
15:01 157.4KPを過ぎる、ここからまた線路右すぐの道が伸びる、なおこの250M程手前から一部線路が高架線となり、上り本線を跨ぎ越し、倉敷駅山側に位置する伯備線専用ホームに支障無しに進入する配線となっていた。
15:12 倉敷翠松高校が道の右手に建つ、生徒が三々五々自転車で駅方向に、線路はすぐ左手を行く。 
15:27 159KPを過ぎる、もうホーム端まで200M程。
15:30 倉敷駅に到着、ホテル倉敷などが入居する駅ビルの2階が改札口になっており、改札口は非自動式で、ラッチに3人の若い女性駅員が張付く光景は、今となっては珍しい。
 駅左手にホテル、商業施設が建ち並び、大通りの繁華街へと続くが、駅前にある三越百貨店は最近業績不振で閉店したばかり、駅の右手はすぐナポリ公園の広い敷地が占め、駅改札口から人工地盤を通じて入場門まで行ける。 
○ 新宿行夜行バスの発車は19時50分、まだ4時間ちょっとある、バス代の10,000円にあと6千円プラスすれば、「のぞみ」に乗って、夜行バス発車4分前の19時46分、東京駅に到着するのだが、今回は夜行バス体験ということで、その点は目を瞑って考えないことにする。
○ 早めの夕食を駅ビル1階の回転寿司店で摂り、お酒が利いてほろ酔い気分となる、さらに缶ビール片手に駅前人工地盤の片隅にあるベンチでボンヤリしていると、ホームレス2人が話しかけてきた、適当に受け応えしていると立ち去ったが、どうやら自分を“新参者”とみて偵察に来たようだ、仮にこの辺りで夜を過ごすとなると、寝る場所などいろいろ“序列”があるのかもしれない。
○ 下電バス持ちの夜行バスは12~13人の乗車、他に共同運行の小田急バスが女性専用車として同時運行された。29人乗り3列シート車は初めての経験で、リクライニング角度が大きく、欧州内夜行列車のクシェタイプに相当するのだろう、そこにはJRの「ムーンライト」より格段と快適で安眠できそうな車内環境があった。

     

  

             (12) 倉敷-鴨方  19.1K 2006年11月4日(土)晴

○ 昨年5月、上郡から倉敷まで歩いて以来ご無沙汰になっている山陽本線筋を歩こうと、文化の日に続く3連休に倉敷を目指す、交通機関は結構混雑しており、「サンライズいずも」は2,3両日とも満員、夜行バスまでJR、両備バス共満員なのには驚いたが、3日夜発の小田急シティーバスに1席空があった。
○ バスは小田急が1台、共同運行の下電が2台、計3台で新宿駅を出発、車内は満員だ、電車と違って何となく落着かず、12頃まで眠れなかったが、後はグッスリ、津山近くで室内灯が点灯するまでよく眠れた。 

   倉敷駅  
8:43 駅ビル内倉敷ホテル直営の喫茶店で朝食後、駅の写真を撮って倉敷駅を出発、、
 すぐ水島臨海鉄道岡山駅前に出る、JR改札口から100Mくらい、駅前に国際学術交流センタービルが建ち、隣は「ORCHIDEE」と英語表示しか(見え)ない6階建のホテルだ。何て読むの、これ?
8:57 踏切で線路山側に移る、線路沿いに道あり、臨海鉄道997M、JRが160.33K地点。
9:08 1K程行くと住宅が行く手を遮り、また線路左手に、臨海鉄道の踏切は1737M地点、周囲は住宅に中小工場が混在、右手の低い山まで約1K、左手は平地が展開する。  
9:15 水島臨海鉄道:球場駅に到着、片面ホームの所謂棒駅で、2025M地点、海側に駅名通り野球場があり、若者の元気の良い掛け声が聞えてくる、山側には武道館がある、武道館は岡山、倉敷地方に多く、その後規模の差はあれ各所で見られた。
 臨海鉄道はこの先、西から南に方向転換して山陽本線と分れる。
9:18 近くを平行する前場二踏切(161.3K)で線路右手に移り、住宅街の道を行く。
 この後、道路は2度ほど行止まり、線路に絡みながら前進、周囲は主に住宅地だが、田んぼも点在するようになる、線形は直線で頗る良好。  
9:47 西阿知駅着、平屋建て木造モルタル駅舎が山側に、島式ホーム1本、駅前に中国銀行の支店あり、駅の海側も住宅地が展開、倉敷の次駅で一般住宅も多いが、何か古い歴史を感ずる農村集落の雰囲気が漂う。 
9:52 出発、駅を出るとすぐ線路は築堤で高度を取り始める。
 やがて西阿知小学校を右に見て過ぎ、斜め右に向う築堤を道なりに潜ると、もう高梁川の堤防は近い。
10:12 高梁川東踏切(164.4K)に至る、上下流に見える橋は、いずれも500Mほど距離あり。

   西阿知駅
10:18~10:25 高梁川を上流の橋で渡る、福山方の土の河川敷は幅70Mくらい、水量が多い。 
10:32 鉄橋の福山方端に達する、水門踏切があり、165KP地点。
 前方右手の丘陵から飛出した新幹線が、広い田んぼを突っ切る様に鋭角で在来線に近付いて来る、編成は4両の短いものあり、最初ちょっと戸惑った、天気が良く気分爽快。
10:51 線路が地平部分に降りた、166.2K辺り、この先は道が無く、田んぼの畦道をしばらく行って、
11:16 宮原踏切(167.8K)で在来線左すぐの道に移り、程なく168KPを過ぎる、新幹線高架が並び、右手の丘まで住宅街を挟み250M程、線路左手も住宅街が展開。

  新倉敷駅
11:29 新倉敷駅着、下り片面ホームに中線1本を挟み島式ホームで構成、出改札口は2階部分に位置、ちょっと離れて新幹線用コンコースがあり、ホームは3階部分となる、 乗降客の姿は殆ど見えず、新幹線開業前は玉島と称した。
11:48 新幹線コンコースの人気の無いベンチで小休止後、出発、線路左手近くの道を500M程行くと、
11:54 先に調整池が見え道が行止る、その先は広田が展開、畦道を行けば進めそうだが用水が隠れていそうだ、カンカン照りの中、手戻りを恐れ、すぐ横の土手根踏切で右手に、線路近くに道が伸びる、169KP立つ。
12:00 正午のチャイムは、右手250Mに市立玉島北中学校が建つ地点で聞いた、3階建の洒落た造りで、体育館が見えなけらばマンションと見誤るかも、、、
12:15 島地踏切(渡らず、170.3K)に至る、この辺りから古い集落に入る。
12:23 小川の袂に達する、170.55K辺り、周囲は依然として広い田んぼ、線路左手に国道2号線が近付いて来た、なお新幹線は、この先斜め右方向に緩いカーブを描きちょっと離れる、この辺り線路は高梁川鉄橋からずっと直線で来ている。
12:38 玉島道踏切(171.07K)、この先、2.3M幅の農道を行く、2号線が左200Mを築堤で進む。
12:59 線路近くのみちを田んぼを右に見ながら、どうやらこうやら竹川堤踏切まで来た、この先進行左手に移る、172.1K地点、100M海側に近代的なゴミ焼却場が立地、さらにその岡山方には広大な市民グランドが控える、この辺りが旧玉島市と金光町の境界になっている。
 この先は線路方向に流れる2本の天井川を仕切る1M幅の堤防上の砂利道を行く、線路右手90Mを行き、新幹線高架は右手400Mまでに離れた。
 この堤防上の頼り無げな小道は結局1K程続き、線路に近い小集落に入る。
13:20 八重東踏切(173.15K)に出て状況観察、この先小丘が線路近くまで張出し、線路は一時深い切通しとなる、線路近くに道は無く、進行左手を巻くしか無いようだ、周囲に住宅が多い。
13:43 金光町下水処理場を過ぎ、金光病院が線路を背にして建つ地点に至る、帰路車内から174.4
KPを確認。

13:32 金光駅に駅左手から到着、駅舎は右手にある、改札口直結上り片面ホームに下り島式ホーム、それに団体用島式ホームの外側線を捲った片面ホームがあるが、使用された痕跡は無い、駅の左手は先刻歩いた里見川の堤防斜面がすぐで、その高さは3M程、斜面中程に遊歩道もあり、ベンチが所々に。金光教大教会の大屋根が駅右手に見えており、徒歩10分とある。福山方出外れに175KP立つ。 

   金光駅 手前は使用していない団体専用ホーム
14:05 出発、里見川の左岸堤防上の道を行く、進むに連れ線路と少し離れるが、3M高いだけなのに街中の眺めが利き、線路が見える区間も多い。右手の山まで600M、その間はずっと住宅で埋まる。
14:38 右にカーブする里見川に付いて行くと鴨方川西踏切(177.1K)に至る、線路右手に沿った道が伸び、途中から里見川が道路と線路の間に挟まれるように並ぶ。
14:55 鴨方駅に到着、駅舎は山側、上り改札口直結ホーム、下り島式ホームの内側線は廃止されていた。下りホーム外側の貨物用側線跡地の先を国道2号線が行く。岡山方出外れに178.2KPあり。 
 本日はこの鴨方駅にて切上げ、泊りは倉敷として、東横インに電話するとシングルは空いているとのこと、まだかなり時間があるので、新倉敷駅最寄りの日帰り温泉で一風呂浴びてからにする。 



                  くらしき乃湯  15:25~17:25在、¥600


   くらしき乃湯
場所:新倉敷駅から広幅の大通りを北に500M余、国道2号線との交差点角を占めるショッピングセンター内にある、徒歩10分くらい、道は判り易い。
風呂場:主浴槽は3X7M、これが温泉で、他に白湯の深さ70C程の浴槽あり、眺望の望むべくもない岩風呂風露天風呂もある。偶々かもしれないが、塩素の匂いがフロントまで漂う。
お湯:無色、無匂、やけに塩辛く、ツルツル感の対極、肌にすべりの悪いお湯、28.9℃、塩化ナトリウム泉、パンフレットに温泉の説明は全く無い。
その他:フロント横の食堂で刺身定食(¥880)と中ジョッキ(¥450)で早い夕食を取った。 




     

             (13) 鴨方-福山 23.3K 2006年11月5日(日)晴

7:00 鴨方駅を出発、線路方向の道を行く、由緒ありげな大きなお饅頭屋さんがあった、鴨方は岡山池田藩の支藩の陣屋が在った所だそうだ。
 線路右手に旧道が伸び、それを行く、地図を見ると線路左側にも国道2号線が平行する。
7:06 旧道が一時線路端にタッチする、178.85
K辺り、右手に昨日も一緒だった里見川が流れ、対岸には低い丘が近い。
7:45 里庄武道館前を過ぎる、武道大会があるようで、隣接する里庄中学校生徒が清掃など諸準備に余念がない、奥には町役場も見え、この辺りが里庄町の中心部だ。線路は左350M程、少し離れたが、この先道なりにまた線路端に出る。
 
   鴨方駅

   里庄駅
7:55 里庄町歴史民俗資料館が線路を背にして建つ、181.9K辺り。
8:10 里庄駅着、細長いコンクリ製平屋駅舎が進行左手に建ち、改札口直結の下りホームと上り島式ホームで構成、駅前広場は狭い,182.5
KPあり。
8:18 出発、線rの左手すぐの道を行く。
8:30 500M程行った中坪一踏切(183.05K)で右手に、左台地上に里庄西小学校が建つ、線路はその台地の裾を進む。
8:44 永徳寺踏切(183.7K)でまた左に、築堤上を行く線路はこの先右カーブ。 
8:47 仁科会館前を過ぎる、先刻過ぎた歴史民俗資料館の庭にも郷土が輩出した逓信大臣として銅像が建ち、ちょっと寄ってみたのだが、2階煉瓦造りの立派な記念館が住宅地の中に建ち、こんな立派なものとは知らずお見それしました、まだ開館前で入れませんでした、、、 
8:50 この先国道2号線押出されるように入る、国道は線路近くに平行する丘陵の反対側の狭間を来たので、その存在を忘れていた。
 この先すぐ用水があり、渡ると笠岡市に入る、右手線路近くに道がありそうで、2号線から分れ、
9:02 今立川踏切で線路右手に、184.3K辺り、この先小住宅地区がバラバラに展開、道筋定まらず、
9:09 架道橋(184.63K)で左手に移ってみる、ちょうど白塗りの近代的工場が目立った「ローム・ワコーデバイス」の裏手に当るが、こちらも道ははっきりせず、また線路右手に戻る。
9:16 六丁目踏切(184.96K)で位置の確認、この辺りも小住宅が密集して建つ。
9:20 笠岡富岡郵便局前を過ぎる、吉祥参道とある2.7M幅の小道右手は丘が迫り、海側には住宅が密集、50M左を線路が行く、平地が狭い港とか漁村地区によくある光景だと思う。
9:46 急に右手の丘が後退したと思ったら、活気の無い商店街に入り、笠岡駅に到着、鉄筋コンクリ造り平屋建駅舎が山側に、上りは改札口直結、それに島式下りホームがある、小公園を抱く様な形で駅前ロータリーが展開、港まで200M。
 昨日右足小指にマメができ少々出血したが、それがまたぞろ痛み出す。
10:07 出発、駅舎右手の道を行くもこれはちょっとの間で、
10:12 小川手前の隅田川踏切(187.45K)で海側に移る、前方250Mに丘が張出すが、線路はそれをトンネルで抜け、国道2号線は海側に回り込み迂回する。

   笠岡駅
 丘裾の道をしばらく行くが、国道2号線に押出され、間もなく海峡の様な細長い海を見る、その対岸には広大な田園地帯が展開する。
 この辺りはかつて幾つかの島を擁する内湾だったが、笠岡湾干拓事業が1966年から始まり、現在の姿となった、干拓地の西側はJEEスチール(旧日本鋼管福山製鉄所)が占める。
10:37 道なりに架道橋を潜り、トン円るで丘陵を抜けた線路北側に出る、この辺りは取り残された内浦沿いに漁師住宅が密集して建つ。
10:47 吉浦踏切(渡らず、189.1K)を過ぎる、線路左手はすぐ内浦が喰い込む様に迫る、北にやや膨らみ三角形を行くような線路に対し、国道はその底辺を真っ直ぐ進み、最大800M程離れ、トラックなど走るのが左やや後方に見える。
10:52 金浦幼稚園、同小学校が低い丘を背にして建つ、線路右手は500程で丘陵、その間は広大な田んぼが占め、道路も丘裾を行く。 
 田中に伸びる1.3M幅の舗装農道で線路方向に進む、例によって時々小用水が隠れており、遠回りを余儀なくされたが、どうにか線路からそう離れずに前進できた。なお、この辺りも江戸(明治?)時代は海だったと確信するが、、、
11:02 五段場踏切(渡らず、189.76K)に達する、農道はこの先ちょっと行くと終了、街道に入る、右手120Mまで丘が近付き、それと共に先刻丘陵裾を行くのが見えた県道が道なりにやって来たのだ。丘の麓沿いに集落が展開する。
 進むに従い丘に仕切られた狭間が更に狭まり、県道は切通しで丘中に突っ込むが、線路右手すぐに集落沿いの小道が伸びる。 
11:27 191KPを過ぎる、右手は種瑠あくを挟んですぐ丘、線路左も80Mほど田んぼを挟んで丘、人家は絶えることなく続き、郵便局もあった。
 列車はこんな山中だが結構多い、113系や117系福山サンシャインライナー、それに103系や福塩線用の105系まで姿を現し、時々EF66型も過ぎるから見ていて飽きない。
11:47 城見小学校が右手の尾亜kを背にして建つ、191.86K辺り、線路左手の丘に先刻より国道2号線が走るのが見える。
12:01 この先丘陵が線路端まで迫り、これまで歩いた小道は行止まり、平塚の三踏切(192.57K)が小道を受け、左手を行く国道2号線に誘導されるように入る。
 ところでこの辺りで広島県福山市に入った筈だが、標識は見当らなかった、県境に付きものの峠や大河など地形的特徴が無く、人家も絶えず続いたので、他県に入るという意識が薄れてい
たこともあるかも、、、
12:07 左手高さ25M程の丘上にシャープLSI事業部の近代的な大工場が聳える、そしてこの先2号線は下り勾配が始まる、やはり峠は存在したのだった、、、

  大門駅
12:25 大門駅に到着、平屋駅舎が山側に、上りホームは改札口直結、下りは島式ホーム、地下自由通路が南北を結び、ホーム海側やや低い所を2号線が行く、海側約1K先にJFEスチールの大工場群が望まれ、前方の丘陵を従業員用高層団地が覆う。駅舎の右手は一般住宅街。12:36 出発、線路沿いの2号線を行けば簡単なのだが、右手の住宅を行ったので遠回りとなった。
12:42 194.6K辺りで線路左手に、3M築堤左下に道が伸びる、ここまで女生徒とすれ違った銀河学院の校舎が右手丘上に建つ、194.7K辺り。 
12:50 ヒジヤ踏切(カナ正当、194.93K)を過ぎる、丘陵が迫り、この先100Mでトンネルから飛び出た新幹線高架が斜めに跨ぐ。旧道はここで行止まり、左すぐに並ぶ2号線に入る。
13:00 2号線右手すぐに跨線橋があり、下を行く線路に195.6KPを確認。
 200M程先では新幹線高架が再度跨いで在来線の進行右手に並び、一見複雑な動きの様だが、地図を見ると、これはほぼ真っ直ぐな新幹線を、クランク状に在来線が絡むと言った方が適当の様だ。 
 駅の7~800M手前で線路左手すぐの道に入り、コンテナ貨物駅の状態を見ながら進み、 
13:30 東福山駅に到着、相対式ホームの橋上駅だが、駅舎は安直な造りだ、山側すぐに新幹線高架が並び、東側の広大な一画をJR貨物の福山貨物ターミナルが占めるので、住宅は結構多いものの、駅周囲はひっそり静まり返った感じ、商業施設は見当らない。前後のKPからして197.5KPがある筈だが、ホームには入らず、見付けられなかった。 
 笠岡駅手前より痛み出した右足小指のマメは、出血はしているようだが、痛さは麻痺したのか感じなくなった、福山駅まであと4.2K、ゆっくり歩いても行き着けそうだ。

   東福山駅

  「200K」の数字が見えるように撮ったのですが、、、 
13:39 出発、線路左手沿いに広幅の道あり、大型トラックの通行を考えてのことだろう。
13:43 左手に福山農協の倉庫が建つ、ちょうど198KP立つ。 
13:54 199KPを見る、周囲は倉庫、大型トラック用の車庫などが主で、隙間を新興住宅が埋める。
14:06~14:10  無名の小公園で小休止、ちょうどこの辺りから在来線も高架へと上り始める、199.8KPを確認、この辺りから住宅も多くなり、築も古い家が主体となる。
14:13 用水の手前に何の変哲も無い架道橋がある、神戸起点200Kとあるので写真を1枚。
 「福山青色申告会館」を過ぎると中小ビルも多く見るが、なかなか駅に辿り着けない、福山市街地は線路方向に長いようだ。
14:41 福山駅にやっと到着、14:50発の岡山行こだまがあり、急いで自由席券を購入、駅弁と缶ビールも手に入れ、新幹線ホームに駆け上がるが、大した上りでもないのに、右足小指のマメの痛みがひどく、ゆっくり々行きました。
 同駅は島式ホームが3本、山側の1本は福塩線専用、山陽線ホームに201.7KPが前後からして有る筈だが見当たらず、高架化は新幹線博多開業の1975年です。 
   福山駅  2015年12月25日 
 岡山発ののぞみは大混雑、始発だから1人くらいどうにかなるのでは?と期待したが、甘かった、、、列車は姫路、新神戸でもどんどん乗込み、かなりすごい状態になってきた。それで新大阪で下車、11分後に出るひかりの自由席に並んでみると、列の最後尾で危ない所だったが ①号車にどうにか席を得た、この選択は正解で、今日はひかりも超満員、熱海でやっと空席が出た程度、帰宅は20:10でした。




             (21) 福山-尾道 20.1K 2015年12月25日(金)晴

 山陽本線は’07年5月に櫛ヶ浜駅まで達したが、実は途中の福山から三原までがブランクだ。別に意図したのではないが神戸からの出だし部分は「ムーンライトながら」、岡山・倉敷区間は高速夜行バス、そして宮島以遠を広島空港まで航空機をアクセスに利用したため、中途半端の区間が残ってしまったのだ、、、
 自分も73歳を過ぎそろそろ、「歩き潰し」どころか人生の出口戦略をまと目無くてはいけない時期に入り、とにかくこの空白区間だけは埋めておこうと、24日は終日青春18キップの世話になり、延々普通列車を乗継いで福山まで来て、昨夜は駅至近のビジネスホテルに宿泊しました。  
   福山駅    7:17 福山駅北口を出発、高架海側すぐ下に道が伸びる。
7:28 高架線脚部に(神戸起点)201.7KPと記入あり、この辺り高架下に並木遊歩道が伸びる、風もなく、歩くには最適、道の左手は中規模マンションが並び、高架右手は戸建て住宅が多い。
7:39 芦田川橋りょうの袂の土手上に至る、鉄橋に203.4KP見える、国道2号線は左400M程。 
7:50 国道の200M長の橋で西詰信号に至る。
 鉄橋の尾道方袂に、備後通運営業所、荷捌き所が広い土地を占めるが、線路との間に狭い田んぼが残り、その畦道伝いにしばらく進み、
8:07 また国道2号線に入るが歩いたのはほんのちょっと、小田川東堤踏切:204.2Kで位置の確認、小川に橋があれば、短絡して国道に戻れるのに、、、 
8:16 2号線の先刻と同じ場所に戻る、上り福山方面は通勤のマイカーを中心に大渋滞。
8:21 道なりに右手の山陽本線と合流、ちょうど204.4KPあり、まだ踏切から200Mしか来ていない、要は芦田川右岸の線路周辺が、元々の水田地帯にファッションホテルが2軒建つなど、ゴチャゴチャした地域なのだ、、、
8:27 鯰乙踏切:204.91Kを過ぎる、在来線と新幹線に挟まれ、広大な新幹線保線基地が展開する。
8:48 国道からちょっと右に入り、馬場の甲踏切:206.45Kで位置確認、線路と2号線の間は広島県東部運転免許センターの試験コース、講習棟などが占める。
8:54 岩足橋北詰信号のT字路を右に、県道54号線に入る。 
8:58 水越郵便局を過ぎる、この先すぐ風格のある済美橋跨線橋で在来線を跨ぐ、KPは見えなかったが、もう駅まで300M程だろう。
9:07 備後赤坂駅着、県道の左50Mに平屋建駅舎が、上りホームは改札口直結、下りは島式ホーム、KPは見当たらず、県道の右は住宅地の帯が50M幅であり、すぐ低い樹林の丘となる。
9:17 出発、線路進行右手すぐに道あり。
9:21 滑石踏切:207.83K横で、県道54号線に吸収される、この先県道が線路右手すぐを行く、線路左手すぐの福山中学校、同高校は208.2K辺り、あとは住宅、畑などあって丘まで300M、県道右手は80M位で小山が連なる。 
9:33 宮前乙踏切を過ぎる、208.5K地点、ちょうどEF66133号機が牽く上りコンテナとすれ違う。
9:43 西大道踏切:209.34Kで位置確認。

  備後赤坂駅
 

   備後赤坂駅
9:48 神村町二区バス停(とも鉄道)を過ぎる、集落があり、線路左手に小学校が見え、その先の山腹を行く2号線が見え隠れする。
9:54 大日乙踏切:210.1Kで位置確認、線路左150M程、30M高の山腹を2号線が行く、神村町三区バス停がすぐ先。この先2号線は斜め右に線路と県道を跨ぐ、210.5KPのちょい先だ。
10:06 211KPを過ぎる、右手は25M高の丘を背に立派なお屋敷あり、線路左手も狭い休耕田があってすぐ低い山。  
10:12 高屋丁踏切:211.4Kを過ぎる、神山小学校が近いようだが見当たらず、ちょっと手前より住宅が多くなり、市街地に入ったようだ。この先、県道右手に3階建ての福山西署を見る。 
10.26 「松永駅入口」の案内に従い、左に200M程入って、 
10:30 松永駅北口着、上り片面、下り島式ホームの橋上駅、212.4KPあり。 
10:44 北口を出発、線路すぐの4M道を行く、道は212.87K辺りで行止まり、道なりに斜め右に入り更に住宅街を行く、道は時々行き止まるが、左手に架線柱が見え隠れ、迷うことはない。 
10:58 西町小代踏切:213.25Kで位置の確認、踏切横に福山消防団松永分団の小屋あり。
 この先川があるらしく、線路は2.5M盛土上を行き、周囲は新興住宅地に変る、平行道が切れ、松永中学校前まで行って線路端に戻ったりして、 
 
   松永駅北口  

   松永駅南口
11:10 本郷川鉄橋の福山方袂に至る、鉄橋は90M長、人橋は右手上流200M先に見える。鉄橋は前後からして213.85K辺り。 
11:20  今津橋を渡り、鉄橋の尾道方袂に。
11:27 剱川橋梁の袂に、鉄橋に213K947Mと記載あり、人橋は鉄橋の傍らにある、この先線路右手の住宅街を行き、
11:34 また藤井川の福山方袂に到着、鉄橋は90M長。人橋まで右300Mもある。
11:43 鉄橋の尾道方袂に到着、214.3KPあり、この辺り以前はデルタ地帯の田んぼだったのだろう、川が続け様に3本も控え、ウンザリ、、、 
 この先住宅街に入り、
11:58 立体交差の自動車道で線路を潜り、進行左手に移る、214.9K辺り。
12:02 東新涯2踏切:214.97Kで位置確認、この先は3M盛土左すぐ下の道が伸び、
12:09 東尾道駅に到着、相対式ホームの橋上駅、前後からして215.3KPある筈、駅は96年7月の開業で、ポイント、絶対信号機無しの停留所扱いの駅。   
    東尾道駅
 さて本日は営業キロで6.5K先の尾道駅で切り上げる予定、時間は充分あり道も分り易い様で、気持ちに余裕が出て、駅前交番近くの縁石に腰掛け、持参の缶ビールとスナック菓子で小休止。
 天気最高、風も無く気持ちが良い、人は殆ど通らない、この駅は結構広い駅前広場を擁するが、ベンチが無いのが難点、、、  

   東尾道駅
12:40 出発、2.5M高盛土左下に道が伸びる、
12:58 大田川東踏切で線路右手に移る、216.44K、100M程行って大田橋東詰信号から国道2号線に入る。
13:12 山波(さんば)踏切:217.24Kで位置確認、なおこの手前300M位から、線路に近い旧道に入っている。右手の2号線はやがて旧道と線路を跨いで一足早く海側に移る、217.4k辺り。
13:26 道なりに西浜踏切:218.09Mで、線路左手すぐを行く先刻分かれた2号線に戻る。 
13:32 218.4KPを過ぎる、ちょうど左に尾道造船所の大クレーンが数本、周囲を圧倒して立つ地点だ、「AFRICAN TURACO]と船名の入った巨大貨物船がほぼ完成途上、直線を多用した愛想無しの形状で、何か特定品を積載する特殊船だと思うが、、、
13:35 倉の内新涯踏切:218.58Kで位置確認、ここで造船所の写真を撮る。 

 219KP付近より、駅は画面の左先で見えない  
13:43 219KPが右手盛土上に、この先60M、高速道路が50M上を左手海峡の先に見える因島へと向かう。
13:53 尾道大橋入口信号に至る、しまなみ海道が海とは逆に右手山の方に分岐、ちょうど219.5KP立つ。
14:05 220.2KPが右6M高の盛土に見える、R300の注意喚起の結構大きな黄色看板もある、尾道駅の東側は山が海岸まで迫り、山肌に沿う線路はカーブがきつい。
14:12 千光寺下バス停(長江口)を過ぎる、220.7KPあり、右手すぐ急傾斜の山上にそれらしき建物が見える。
14:17 尾道郵便局(本局)が国道左手に面する、221.1KPあり。
14:30 尾道駅に到着、駅舎は海側のみに、周囲の駅よりやや大きいが平屋建て、下りホームは改札口直結、上りは島式、222KPが三原方ホーム端に立つ、左はすぐ港、ホーム山側は住宅街、福山方は山が近く、80M高の山上にお城が見える。

   尾道駅
  さて予定通り本日はこの尾道駅で切上げる、駅近くから適当なホテルがないか注意していたが、見付けられない内に駅に着いてしまった、それで以前、広島のホテルがどこも大学受験生で満室の時、やっと泊れた三原駅近くの「三原ターミナルホテル」に電話をすると空いており、三原駅に向う。広大付属三原小学校を見下ろす部屋に泊った記憶があり、目指すホテルはすぐ見付かった。しかし何か変だぞ、建物はあるのだが、黒・青など何色か用いて、若者向けに派手に塗りたくってあり、しかも入口は閉ざされ人気が無く、少なくとも営業していない様だ。しかし先刻確かに尾道駅から電話しているので、移転したのかとも考え、とにかく駅南口に戻り、リュックから携帯を取出す、と殆ど同時に、ホテルの看板がすぐ先に見えるではないか!自分が07年2月に泊ったのは「三原ターミナルホテル」、今回尾道駅から電話したのは「三原ステーションホテル」でした、廃業したターミナルホテルを検索すると、ステーションホテルがヒットするのではないかと思うが、真相は如何に、、、
               

          三原ステーションホテル:407号室(SB) ¥4,930                              

場所:駅前大通を港方向に向ってすぐ、徒歩5分足らず。立地条件は最高。
建物: 建付けは良いが築25年は経過、処々に劣化が散見される、部屋も当時の水準だから、リニューアルはされているが、何せ狭い、トイレも斜めに設けられ、テレビもベッドの上から見るしかない。近々全面的改装が迫られそうだ、、、
その他:フロントでは品の良い、いかにも経営者一族然とした老女が応対したが、「間違えて」予約したことは黙っていた。夜は20時には就寝、3時にトイレに起き、その後もウトウト、駅前なのに館内は静かだった。なお三原駅は、会社時代の記憶は全く無い、確か、機関車の付替え、団体用の弁当、お茶の積込みは機関区のあった隣の糸崎駅だったと思う。 




           (22) 三原-尾道 11.5K 2015年12月26日(土)晴

    三原駅  12月25日  7:04 三原駅南口を出発、三原駅は高架島式ホームが2本、233.2KPがホーム岡山方に。
 駅前を行く国道2号線旧道を進む、「浮城東通り」と案内あり、出だしは左すぐ上を在来線、やや上を山陽新幹線が平行、なお、今日は昨朝より寒く、チョッキ、マフラー、軍手を着用する。
7:16 東町第1架道橋(新幹線:760.175K)で位置確認、この先新幹線はすぐ海側に張出した山に突っ込む、山裾を行く在来線は232.45K辺り。 
7:22 道なりに東町踏切:231.97Kを渡り、旧道をさらに進む、踏切のちょい手前に三菱重工の広幅の正門が2号線に面し、踏切右手は同社労組の事務所。沿道には下請け(?)会社の事務所、会計事務所などが民家に混じり、重工の企業町の雰囲気が濃厚。
  この先、車両留置線を何本も跨ぐ歩行者専用歩道橋上に出てみる、90M先に231KP立つが、もう駅ホームの内、渡った先はこれも大きなホワイトセメント会社の工場、2号線を挟んだ左手に4階建ての三菱病院が周囲を圧倒して聳える。田舎の街並みに三菱関係の施設だけが際立つ、、、  ここは重工の機関車製造工場として鉄道ファンには周知された存在、かつて当地で製造された蒸気・電気機関車は多い。
7:42 糸崎駅着、平屋駅舎は山側に、海側は留置線が10本以上、民家は全くない。ホームは島式ホームが2本、旧国鉄広島・岡山管理局の境界駅でもあり、運転上の要衝駅で、当駅で折返しとなる列車は上下線とも多い。
    糸崎駅 平均乗車人員は1000名を切って久しい
    クハ115-1139 糸崎駅 12月25日  7:48 出発、線路に近い旧道をさらに進む、230.6KP辺りから広大な駅構内の写真を撮る。
8:00 230.5KPを過ぎる、2号線の左4M上に、糸崎小学校が建つ、この地点で、あれだけあった留置線も姿を消し、上下線の間に中線が1本のみ、駅構内の最東端だ。この先、線路と2号線に面して建つ細長の住宅街との間の細道を、民家の裏手を掠める様に抜け、
8:04 糸崎東踏切:230.25Kを渡り線路右手すぐの6M道に移る、なお2号線は線路左手に留まり、急勾配上りで線路を跨ぐ準備をする。
8:11 兼藤(かねとう)踏切で位置の確認、229.79K、この先線路と密集小集落の間の細道伝いに100M余、線路左手はすぐ傾斜の急な山。 
8:13 川西踏切:229.67Kに至る、糸崎八丁目10番、ここで右80M、海寄りに移ってきた2号線に入る、「これより2.3K、大波の時通行禁止」の表示あり、国道右手はすぐ海原で景色が良い、ちょうど朝日が昇ってきた時間で眩しいが、、、
 このまま2号線で行けるかと思いきや、すぐ先の神社横に集落内を抜ける間道が伸び、229.4K地点の小踏切まで繋ぎ、そこから2号線に入る。 
8:26 229KPが左1.2Mに立つ、線路左手はすぐ山の急斜面、右手すぐの大海原を挟み、3K位先だろうか、島影が重なる、国道には歩道も完備、気持ちよく歩けるのだが、大型トラックの通行も多く、その走行音は人の心を苛立たせる、、、
   糸崎駅構内は広い、230.5K辺りより

  228KPの脇から2号線を挟んで島影を望む 
8:34 228.5KPが左1M横に、線路左手は相変わらず山の急斜面、この辺り高規格道路が山腹を行き、高さは35M程、道路は新しく、橋脚のコンクリはまだきれいな白色。
8:40 228.1KPを過ぎる、ちょうどこの辺り、山腹を行く高規格道路の工事は中断、大きなブルーシートが山の斜面を覆う、完成後は海原を眼下に納めながらのドライブを楽しめるだろう、、、菜の花が咲く小さな段々畑の見える228KPの脇で、2号線のすぐ先の海原と島影を入れて写真を撮りがてら小休止。 
8:52 「鉢ヶ峰」とある標識横から3M旧道が伸び、入ると即刻クルマの走行音から解放される、このちょっと手前から右手海との間に、新興住宅の帯が挟まるが、夜など大型トラックの走行音が気にならないか、人ごとながら心配だ、少し行った赤石2踏切で227.39K、踏切横に山を背にして古くからの小集落が展開する。
8:58 観音寺下信号でまた2号線に戻る、80M先の和木1踏切で227.02K、線路左手、山の斜面に住宅と狭い段々畑が展開する。 
9:07 226.5KPを過ぎる、国道右手にパーツタイヤ店、線路左手すぐにも平行道路が伸び、住宅街が現れる、その先は山が近いが、そろそろ市街地の端に入った様だ、、、
 

    228KP脇から三原方を望む、 

   226.3K地点、そろそろ市街地の端に入った
  この先暖かくなってきて、内畠バス停にあったベンチで小休止を兼ねチョッキを脱ぐ。
9:20 226KPを過ぎる、福地バス停が近い。
9:25 2号線のバイパスが右に分岐、225.55K辺り、上り坂で程なく線路を左に跨ぐこの高規格道、再会するのは松永駅の2K程大阪寄りとなる。
9:33 福地浜1踏切を過ぎる、225.04K, この辺り、国道と海との間に屑鉄処理工場が数軒集まる。
 この先、東畑岡踏切:224.56Kで位置確認、国道右手は小舟が繋がれた小漁港、線路左手の狭い平地に10軒ばかりの漁師の小住宅が張付く。
9:44 吉和交番前を左に60M入って、一本松踏切で位置確認、224.15K、線路近くに道は無く、また2号線に戻る、完全に市街地に入った。
9:51 尾道商業高校が国道右手に、広いグランドで野球部員が練習中、国道左手は農協がやっている看護学校、海抜2.7Mの表示あり。
 この先国道と分れ左手に、適当に歩いて、 
9:58 古浜(こはま)踏切:223.45Kで線路左手近くの道に移る、沿道に古くからの民家がずっと並び、
10:13 岩通踏切:222.47Kで位置確認、222.4K上を南北に自動車道が横切る。尾道は山が海岸近くまで迫り、このような南北に通ずる幹線道路は珍しい。

10:16 祇園町3踏切:222.3Kで線路右手に移る、もう尾道駅は近い。
10:24 線路を背にしたルートインホテル前を過ぎる、このホテルは駅からすぐなのに気付かなかった、判っていれば三原には泊らなかった筈で、人生にはイロイロ偶然のなせる業が生ずる、、、
10:25 尾道駅に到着、上り岡山行は25分の発車、反射的に体が動き、青春きっぷにデイトを入れてもらい、地下道で上りホームに駆上がり、発車間際の電車に乗込むとドアが閉まった。 
    尾道駅   12月25日
    
 今日は尾道市近郊の日帰り温泉でくつろぎ、東京から櫛ヶ浜駅まで自分の足で繋がったささやかなお祝いをした後、利用したことの無い新尾道駅から新幹線で帰宅する積りだったが、青春キップにデイト印を入れたからには、損をしない程度に利用しなくては、、、幸い、岡山、相生、姫路各駅での連絡は頗る良く、順調に米原まで来てしまった。途中岡山で23分の間合いに、緑の窓口で時刻表を繰り、名古屋からひかり号を利用、小田原駅経由帰宅することにした。しかし、缶ビールを2本飲むと気が大きくなり、奮発して米原駅から新幹線利用に変更、帰宅は20時ちょっと前になった。