清 水 港 線 清水ー三保(廃線跡) 8.3K
2002年1月12日(土) 快晴
清水港線の乗り潰しは1965年4月、北陸旅行の帰りに寄った。当時、同線には4往復の列車が走り、清水駅8時発の次は16時10分、最終列車が18時前という凄いダイヤで、北陸旅行の予定はいつもの様に大まかだったが、帰路、清水駅16時2分着の急行「いこま」に乗車することだけは、事前に決めていたことを覚えている。
客車3両をDD13が牽き、スハ32307の車内に収まり、超難関路線を克服した満足感でのんびりしていたら、帰路の折戸駅で男子高校生の大群が乗込み、1人だけの門外漢は圧倒され、写真を撮るどころか、窓外の景色を見る間もなく清水駅に到着、気付いたら牽引機の番号も記入漏れの有様だった。
東海道本線の歩き潰しは、他線に比べ遅れていたが、今日はやっと静岡駅に辿り着けそうだ。しかし その前に清水港線の廃線跡を歩いてみたい。
同線は短い臨港貨物線が、その先の工場街まで、太平洋戦争時の工員通勤線として延長されたような路線で、沿線風景も単純だが、前述の通り列車本数が少なく、かつ朝夕に偏り、乗り潰しをする人には、“難関路線”として有名だった。
8:50 清水駅北口を出発、線路右手近く静岡方向に伸びる商店街を行き、
8:57 歩行者専用の真砂踏切で海側に移る。
なお清水港線片面ホームは、本線ホームから離れた静岡寄りだったと思うが、今は跡形も無い。
清水港線が通ったと思しき方向に歩いていくと、程なく曲線の感じで明らかに旧線路跡と判るサイクリング道路が現れ、これで一安心、左手すぐの高架自動車道沿いにしばらく進む。
9:15 清水合同庁舎を右150Mに見て過ぎると、間もなく清水マリーンパークに到着、案内板によると旧清水港駅跡で、地面の敷石は旧駅プラットホーム石材の転用だそうだ。
海上保安庁の専用埠頭を過ぎ倉庫街に入ると、パイナップルの段ボール箱が山積みされていた、この辺り線路跡は見当たらない。
9:35 国道150号線の羽衣橋(80M長)を渡る、船舶通過のため橋桁昇降が可能な鉄道橋は撤去されていた。
橋を渡るとすぐ国道の左、海との間を「静清浄化センター」が占め、また線路跡利用のサイクリング道、遊歩道も平行する。
左の写真は奥が清水駅方面、この地点の60M先に旧巴川駅があり、スハフ42形客車などが留置されている。
9:52 旧巴川駅着、この駅も広い構内を有した筈だが、現在は清水市の有力企業:鈴与倉庫の倉庫用地の一隅で、入換用小型ディーゼル機、旧形客車スハフ422015、これも廃線になった旧清水市内線の65号電車、それに腕木式信号機が屋外留置されていた、保守状態は悪く、特に客車は屋根が朽ち始めており、「こんな保存ならしない方がいい、、」と思う鉄道ファンも多いだろう。
10:10 駒越田子重前バス停(こまごえたごじゅう) 、この先で線路跡は小半島の地形に沿って左カーブ、右は日本平方面となる。
ホーム跡は中央、団地の日陰に入り見難い10:18 旧折戸駅着、駅の周囲は小公園になっており、右手5号線に面し、5階建て市営団地が2棟建つ、ここの構内も結構広い。左手は入海で、その約2K先に清水市内がよく見え、右手にはでっかい富士山が聳えるが、ちょっと霞んでいる。
この先も大きな富士山と向合いながら遊歩道を進む、国道の右手が住宅街になったせいか、土曜の好天のせいか、遊歩道を散歩する人が格段に多い。
ケヤキの枝中に白く見えるのはキズではありません、正月の凧です、、、しかし狙い所のはっきりしない下手な写真(ばかり)で済みません、、、
10:45 旧三保駅に到着、この駅跡も小公園になっているが、ホームを残しているのが特徴、通運業者:清水運送の入替小型機、DB152も屋外保存中。
ここまで、清水駅付近からずっと遊歩道が続き,キロポストも無いので、気楽な歩きを続ける内に、何となく終点まで来てしまった感じ、メリハリをあまり感じない歩き潰しだった。
駅前公園で小休止後、清水エスパルスのグランドまで行き、静鉄バスで清水駅に戻る。今日は市の成人式が行われるようで、晴着姿の高校同級生グループが、いかにも楽しそうに語らうのが、ほほえましかった、、遊歩道はここで終了、この先国道を15分で清水エスパルスのグランドに至る