信越本線 高崎ー横川ー軽井沢

       (1) 高崎ーー北高崎 2.4K   1998年9月1日(火) 年休 曇り

 この区間はこの日、上越線を八木原まで歩いた際、ついでに寄るような形になった。というの両線は高崎駅から結構長い間共に真北をめざし、1.2K地点で信越線が西に方向転換、そのまま北に進む上越線と分れるが、カーブを抜ければもう北高崎駅は見えており、この際一緒に歩いた方が効率が良いのだ。
9:17 高崎駅北口出発、右手60Mに新幹線、一段低く信越上り高架線を見ながら進む。沿道は最初あまり活気の無い商店が主だが、段々住宅が多くなり、そのなかで東小学校、ハローワークなどが目立った。 
 カーブが始まると線路に押されるのか、西方に真っ直ぐな道はなく、何度か筋を変え、駅近くになって線路際を占める新島女子学園沿いに進み、
 信越本線:北高崎駅  10:00 北高崎駅着、相対式ホーム、2.3
KPあり、かつての汽車旅時代の名残を留める木造小駅舎が渋川街道踏切脇に建ち、高崎方の駐輪場隅にも改札口があり 、駅員1名が詰める、これは先刻過ぎた女子学園通学生の便を図ってのことだろう。


   (2) 北高崎ーー安中  8.2K  2000年3月18日(土) 快晴  
 信越本線は98年9月、上越線を八木原まで歩いた時、ついでに寄った北高崎で止まったまま、前々から気に懸っており、本日その続きをせんものと再訪した
8:47 北高崎駅を出発、線路進行左手の住宅街を行き、程なく紡績踏切で右手の榛名街道に移る、2.7K地点だ。
街道を歩いたのはちょっとだけ、中学校を過ぎ住宅街に入り、やがて田んぼも現れる。 
9:18 烏川の堤防上に出る、下流100Mを鉄橋が行くが、人様の渡る橋が見えない、遠くに1つ見えるが、あそこまで1Kくらいあるよ、、、いささか気落ちして持参のバナナ等で朝食、天気は最高。河川敷が緑地運動公園として整備され、遊歩道もある、周囲はテニスコートや梅林。
9:47 国道18号線で新君が代橋を渡る、唯一雪を頂いた浅間山や榛名連峰の眺めが良い、高崎観音も1K先の丘上に見える。なお鉄橋は3.9〜4.2K地点と帰路確認。
 渡ってまた線路端を目指し、旧道沿いの豊岡集落に入り、郵便局、小学校と過ぎ、P&G,マックスファクターの工場が建つ辺りで線路右手に移る,駅はもうすぐだ。
10:30 群馬八幡駅着、下り島式ホームの内側には線路が無かった、6.3KPあり、駅左手は配管が所狭しと張巡らされたプラント工場が占め、このため南側に駅出入口は無い。

10:39 出発、進行左手の道を行き、コカコーラ工場を過ぎ(6.8〜6.9K)、住宅街に入る。左300M、河岸段丘の裾を碓氷川が流れる。
7.4K辺りより田んぼの中の農道となり、真っ直ぐに進めない、線路は右手河岸段丘沿いに敷かれ、丘上には新興住宅が並び、クルマも走る。
                信越本線:群馬八幡駅 →
11:12 板鼻踏切を道なりに渡る、8.2K地点だ、この先線路は左に大きくカーブ、程なく碓氷川を渡るが、鉄橋近くに道は無く18号線に入る、この道は烏川を渡ったとき以来久し振りだ、主要河川を渡るとき、国道などに世話になるのはいつものことだ。 
11:17 板鼻郵便局前を過ぎる、この辺りが旧中山道板鼻宿の中心らしい、水量豊かな碓氷川に橋は無く、この宿場は往時大変賑わったとのこと。 
11:37 街並みが尽きると鷹ノ巣橋交差点に出て左折、すぐ碓氷川を渡る、街外れで鉄橋を渡った線路より1Kほど上流にあたり、渡ると中宿という集落に入る。ここから視界が開け、前方の山の斜面全てを覆って、巨大な鉱山施設が建つのが見える、東邦亜鉛工場で、山の麓に安中駅がある。 
11:53 さらに18号線を行き、安中駅に到着、優雅な木造平屋駅舎を持ち、駅舎直結上りホームと下り島式ホーム、その内側線路が捲られているのは前駅と同じ、高崎方に10.4KPあり、数本の貨車留置線にトキを中心に貨車が20両ほど休む。 
駅前バス停に10人余の熟年男女ハイカーが集まっている、聞いてみると首都圏では最近名が知れている
「秋間梅林」に行くのだという。バスはナント4分後の57分が定刻、これだと現地に2時間ほど滞在、
“最終バス”で帰れるそうだ、こんなタイミングの良い接続は滅多にあるものでは無く、歩き潰しは次の機会
にして、ちょっと遅れてやって来たバスに乗った。
                            安中駅と東邦亜鉛製錬所
    秋間梅林     市営コミュニティーバス(アークバス受託)


   

 15時過ぎに安中駅に戻る、次の磯部駅までちょうど8Kあり、ちょっと中途半端な時間になってしまった。歩き潰しは次の機会に回し、上信電鉄南高崎駅最寄り不動かくれの湯で汗を流し、帰宅した。

           高崎市:不動かくれの湯  15:50〜16:50在  ¥700


 不動かくれの湯
場所:上信電鉄南高崎駅(高崎から0.9K)から徒歩5分足らず、高崎駅から徒歩20分、温泉の大きな看板が駅からよく見える。
建物:浴室は1階と2階に分れ、毎日男女が入替る、本日は2階が男性用、ジャクジー、打たせ湯、サウナ、水風呂など、狭いが一応揃っている。
お湯:薄茶色で湯船の底がボーっと見える、無味、無臭の単純泉で、ロビーでは飲泉が可能、辛いというか甘いというか、、、 39.1℃。
その他:住宅街の温泉銭湯、休憩室、飲食設備などは庶民的、高崎観音温泉の方がお湯としては良いと思う。
05年に一度廃業したが、また名前を変えて復活したと聞く。



      (3) 横川ーー軽井沢 (11.2K)  2001年7月20日(金) 晴 

 夏の青春きっぷ解禁初日の今日、1年半振りとなったが信越本線歩き潰しにやって来た、このところ暑い日が続き、少しでも涼しい所がいいだろうと、これまでの順序に構わず横川から碓氷峠経由軽井沢を目指し、旧アプト線ルートを辿ってみた。 
 横川駅は木造平屋の小駅舎につながる片面ホームを主として使用、他に島式ホームがあるが、外側線に特急あさま9両編成が静態保存され、留置が長いのか塗色が流れ落ち出し、可哀想。

 横川駅 湖水祭りキャンペーン中
 8:34 横川駅を出発、これが自宅から普通列車で到達可能な一番早い時間となる。
駅前は「峠の釜飯」で有名な荻野屋の駅弁売場、小食堂、それに民家内の小規模な駅弁博物館まで揃え、逆に他は何も無い。実は改札口を出たのは今日が初めてで、「こんなに寂しい所だったかな?」と思った。
      クモハ107ー115 横川駅 2011年5月  なお、島式ホームに29KPが張付き、駅周囲の山は険しく、谷も狭まり、これより山間に分け入る雰囲気が漂う、標高387M、これから600Mほど登ることになる。
この先軽井沢連絡のJRバス乗り場があって、横川鉄道博物館出入口となるが、まだ開館前、柵越しに「峠のシェルパ」ことEF63型機やDD51などの姿を見て進む。関所跡にちょっと寄った後、遊歩道に入る、旧上り線が舗装され、下り線は線路は勿論、架線も残る。 
 9:02 右手に赤レンガ造りの旧丸山変電所を見る、現在シートに覆われ改装工事中、30.8KPあり。程なく霧積川を渡る、鉄橋に25M、31,255Mとある。
9:18 町営日帰り温泉の裏手に到着、31.7KPあり、温泉はこの3月に完成したばかり、丘下を行く国道18号線沿いの坂本宿まで7〜8分くらいだろう。
 さてこの先遊歩道はアプト式時代の短いレンガ積みトンネルを数本抜ける。所々コンクリで補修されているが、創業時代の馬蹄形断面を持つ小振りトンネルには、先人の苦労が随所に偲ばれた。
 
  旧丸山変電所 (写真は2011年5月撮影)
 やがて左手に碓氷湖を見下ろす、今日はたまたま湖水開きで、漁業組合など関係者が出て、マスの掴み取りなどイベントの準備中だった。
9:57 めがね橋先のトンネルは封鎖されて先に進めず、50M下の旧国道18
号線に下りる。
下から見上げるめがね橋は、小れんがをよくもここまでと思うほど丹念に積み上げたアーチ形の橋桁・橋脚より成り、、今となってはもう芸術作品の域に達しており、訪れる人の心に訴える。 
 この先18号旧道を、中尾川(碓氷川の上流部の別名)が刻んだ深い谷の左岸山腹を遡る。ブナ、ケヤキなど大木が生い茂り、川面は全く見えず、瀬音だけが上ってくる。
 右手上を行く旧線路も、うねりの多い山肌を避け、隧道と橋梁でほぼ直線状に峠をめざし、たまに顔を出すだけ。
 国道に入るとC41標識を見る、CはCURVEの頭文字で曲線区間を示す、このCがナント184まであるのだから参る!直線区間は30Mと続かないということだ、、、
 結構深い山中を黙々と上る、人家は全く見かけないし、人とも会わない、暑さが段々利いてきた。 
10:40 国道右手30M上に白い建物が見える、変電所のようで、多分あれが熊の平信号場跡だろう、取付道路がある筈だが見当らない、或いは来訪者を避けるため故意に消してしまったのかもしれない、C78辺りだった。
 10:53 18号線と新鮮線路跡がごく短区間並ぶ地点に出る、C93辺り、線路端に通ずる保守工事用隧道前で小休止10分、なおこの先線路跡はサミットを過ぎるまで全く姿を現さなかった。
11:44 標高800M地点、C129。
12:11 標高900M地点 C152。

 18号線サミット付近より横川方を望む、 12:37 国道のサミット(碓氷峠)に達する、長野県軽井沢町の標識あり、C184地点。
 この手前でちょっとの間横川方の展望が開け、先刻霧積川鉄橋辺りで見たゴルフ場が眼下に小さく見えた、直線で5〜6Kくらいかな、、、なお本当の碓氷峠はここから県境沿いに200Mほど登った地点にある、時間的には充分だが、この暑さではちょっと行く気になれなかった。
 なお、ここまで出会った人は熟年夫婦1組だけだった。
 下りにかかり、程なく山から抜け出たばかりの新幹線と在来線線路跡が真っ直ぐ西方に伸びるのを見る、その先を辿れば1Kほど先、やや下方に軽井沢駅も見えている。
 線路を今度は進行左すぐに見ながら、急に幅広かつ平坦になった18号線を行き、
13:01 新幹線が到着したばかりで、下車客で雑沓する軽井沢駅に入る、そのまましなの鉄道改札口脇の荻野屋そばコーナーに直行、天婦羅そば(¥450)の濃いめの汁の旨かったことといったら、、、
  
 軽井沢14時発のJRバスで横川駅に戻る、先ほど前を過ぎた新ピカの日帰り温泉に行きたかったが、バスはしばらく無い。もうあそこまで往復歩く気力は無く、そのまま帰宅することに。  
 しかし高崎線の冷房の利いた涼しい車内で缶ビールを飲むうち体力が回復、北本駅最寄りの楽市楽座温泉に寄って汗を流した。
 今日の東京の最高気温は33.6℃、横川周辺もそんなものだったろう、よく行ってきたものと我ながら感心!

 軽井沢駅JRバス乗り場
    

       安中ーー横川 19.1K  2001年9月1日(土) 晴

 この7月20日、少しでも涼しい所がいいだろうと、横川から碓氷峠経由、軽井沢まで歩き、首記区間が残った、それで本日、その空白区間を埋めようと、安中駅にやって来た。
 横川行は前回と同じスジ、しかしあの時は夏休み、それが学期初日の今朝は211系6連の“輸送力列車”、乗客の大半は高校生で、それも安中で殆どが下車、改札口を出るのに丸々5分を要した。
 出掛けのTVニュースは、新宿歌舞伎町飲食ビルの大火災で、若い女性従業員を中心に11名(最終的に44名)が焼死という、何とも
 痛ましい事件を報じており、6時前に過ぎた山手線新宿ガード辺りでは、靖国通りに停車する多数の消防車、パトカーの姿が見えた。
8:11 安中駅を出発、あんなに多くかつ騒がしかった男女高校生群は、預けてある自転車に乗ったり、迎えのバスなどであっという間に消えてしまい、駅前はすぐ元の静寂さを取り戻し、一時の騒擾がうそのようだ。
  さて線路はこの先、碓氷川右岸の主に田園地帯を進み、平行道路も近くにある。しかし安中市街は進行右、幅が狭く細長い台地上に展開、また旧中山道も市街地を通る、自分も線路からは離れるが、歴史のある安中市街地を抜けて次駅を目指そうと思う。
8:18 駅前を行く18号線にちょっと入り碓氷川を渡る、橋長100M、前日の雨で増水、流れは速い、
すぐY字路があり、左の旧中山道に入る。
9:00 新しい安中市役所前に出る、ここに至るまで旧道からちょっと寄り道、奉行屋敷、お長屋の
見学もした、案内板が充実、効率よく歩ける。 





9:23 同志社大の創設者として知られる新島譲の生家を訪れる、台地の南端に位置し、15M下に
碓氷川と広い田んぼが展開、その対岸を行く信越線の列車もよく見える。下の低地には人家が殆ど無く、出水に備えてのことだろう。碓氷川の流れは速く、力強い瀬音がここまで上ってくる。
 なお5〜600M離れた線路は13.4K辺りだが、車中から見ると、上から見下すようにはっきりはせず、台地もそれ程高くは感じず、建物が多過ぎてどこがどこだが特定しにくい。 
9:46 群馬銀行原市出張所を過ぎると杉並木があり、100年杉も数本残る、かつては日光の杉並木と並び称されたとのことだが、、、
 原市郵便局の辺りは旧街道の雰囲気が色濃く残っている、安中の街には旧家も多く残るが、全体としての手入れはそれ程ではなく、ちょっと期待外れだった。
10:12〜10:26 原市公民館公園で小休止、樹齢100年余の桜を始め樹木が多く、風がさわやかで心地よい。この辺りから市街地を外れるが、さらに旧中山道が(意外と長く)続いた。
10:51 18号線の郷原信号に出る、角にドライブイン「中山道」がある。ここで南に磯部駅方向に曲がる、道はやがて切通しの急な下り坂となり、碓氷川に近付く。
11:02 碓氷川を渡る、渡った先が磯部温泉街で、大小10軒ほどの旅館が狭い所に建つ。
 軽井沢まで線路が伸びる前の明治20年代、ここは“温泉避暑地”として当時の要人達に愛されたと観光協会の案内板にある。小さな旅館街を抜ければ、すぐまた道は上りだし、
 
 
   磯部駅前
11:12 磯部駅着、木造平屋駅舎があり、ホームは相対式、中線は撤去され、17.5KPあり、海抜210Mとある。
安中より営業キロでちょうど7K、その間に75Mも登ってきた。
11:32 出発、磯部煎餅本舗を過ぎ、線路右手の住宅街を行く、この道、安中駅より線路近く田園地帯を来た道だ。
11:44 松井田町に入る旨の標識あり、沿道には人家が絶えない。
12:14 道なりに線路左手に、20.7K地点、台地が近付き、線路は7〜8M下、掘割を進む、碓氷川も近い筈だが流れは見えない。
    
12:47 松井田駅着、下り片面、外側線撤去の上り(元)島式ホームより成る橋上駅、駅員1名、22.7KPあり。ホーム周囲の地形は複雑で、下りホームは掘割の下3Mに位置、これは横軽新線開通に併せ複線化、スイッチバックの廃止が行われ、その際、旧駅から1K東に移転したためだ。
 集落から離れており、駅前広場に人影は全くなく、駅の周囲は寂しい。

13:00 線路右手近くを行き、中瀬大橋で碓氷川を渡る、名前の通り川の中央に中瀬があった。左手150Mを基礎部分だけレンガ積みの鉄橋が渡る、まだ駅を出て100M位。
 やけに立派な松井田町役場を過ぎ、隣の勤労者体育センター前で小休止、実はここが旧松井田駅所在地だった所だが、その痕跡は何も見付けられなかった。
   松井田駅                               

 
 松井田駅が小さく見える、左隅は松井田町役場 13:26 西松井田駅着、島式ホーム1本の橋上駅、松井田駅まで線路は真っ直ぐ、駅の跨線橋が見える、24KPが横川寄りの草むらに隠れる。
駅は松井田駅の移転で不便になった住民の請願により、1965年に開業、東西に伸びる旧スイッチバック線の交点に位置するとのこと。

この先いよいよ谷幅が狭まり、碓氷川、線路、高速道路に18号線など、期せずしてその狭間に集まって来る。
13:37 製糸踏切で線路右手に移る、24.4K地点
ちょうど左手に妙義山の鋸歯のような特徴のある尾根筋が望める場所だ。
駅から続く旧道を歩いたが、18号線が信越線を斜めに跨いで25.4K辺りで左手に移り、さらに地平に
下りて線路左手に寄添い、26.7K辺りで一時旧道も合流する。また碓氷川は道の左下50Mを流れ、谷も深くなってきた。
14:12 旧道沿いに建つ臼井(この字を使用)小学校を過ぎる、ちょうど27KPが立つ地点だ。
14:25 第十五中仙道踏切で線路右手に、27.9K地点、線路はこの先すぐR400の左カーブを開始、横川駅に進入する。
14:40 横川駅に到着、駅前は狭い、歩いて来るとこれでも谷がちょっと開けた平地に感ずる。 

 今日は前にパスした日帰り温泉に行く予定で、バス便は少なく歩く覚悟はあった。それが時刻表を見るとナント10分後に熊ノ平行があるではないか!勿論有難く乗車させて頂きました。

      くつろぎの郷:
峠の湯 15:10〜16:35在 ¥500

 
この4月に開業したばかりのピカピカ町営日帰り温泉、アプト式「めがね橋」をイメージした外部装飾は、知らない人には判りにくいかも、、木材の地肌を生かした内部造作はしっくり訴えるものがあり、居心地が良い。
場所は横川駅から遊歩道「アプトの道」を2.7K、徒歩40分くらい、バス便は少ないが、乗れば玄関前に着く。
浴室は主浴槽の他にサウナ、打たせ湯、水風呂がある。露天風呂は裏手に位置し、眺望はすぐ下の信越線跡と霧積川対岸の丘陵に
展開するゴルフ場くらい。
お湯はやや黄緑気味、やや塩辛く無臭、結構ツルツル、ヌルヌル感があり、水準以上のお
湯だと思う。ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物温泉。 
 
  この温泉はお湯の質もさることながら、休憩室・浴室前の待合せコーナーから見る、妙義山の眺望が素晴らしい、この景観を愛でながら、中ジョッキ2杯を、ほぼ満員の畳敷き休憩室で飲んで、16時50分発のバスで横川駅に戻った。バスは往きと同じ、JR関東小諸営業所の車だった。