総 武 本 線
          

            (1) 東京ー市川 15.4K 1997年11月9日(日) 快晴
   

  新日本橋駅 2022年6月18日  9:58 JR大手町ガードを出発、高架線右手下の道を行く、道の右手は日立などの入居する日本ビル。
 程なく日本橋川を新常盤橋で渡り江戸通りに入る。
10:08 新日本橋駅着、日銀本店が近く、周囲に地方銀行の看板が目立つ。
 さらに江戸通りを道なりに進み、

 10:20 馬喰町駅着、ホームは海面下21.7Mに位置する。
 駅から300M程で、御茶ノ水駅方向から流れてきた神田川にぶつかり、道なりに総武緩行線浅草橋駅に至るが、川の手前で右折、程なく両国橋で隅田川を渡る、1930年、荒川放水路の完成まで荒川本流だっ、上流250M程を総武緩行線が行く。
 なお線路は駅出るとすぐ22.5‰に始まり、33.4‰に至る急勾配で登り始め、緩行線の北側に廻って程なく、両国駅ホーム下り方出外れで緩行線と完全平行、錦糸町駅に至る。

  馬喰町駅 2022年6月18日
   両国駅 2011年2月10日 10:40 両国駅着、快速線は両国駅には停車せず、そのまま錦糸町駅に至るが、沿線を歩くとなると、両国駅に寄らないのも分りづらいので、このような整理方法を取りました、、、、
 なお、緩行線ホームは高架島式、北側に一段低い地平片ホームが あるが、往時臨時海水浴列車の発着で賑わったことを知る人は、もう少なくなった。

 国技館、江戸東京博物館沿いに進み、ガードで高架線海側に、近くに平行する京葉道路に道なりに入る。
11:10 錦糸町駅着、ホームは快速、緩行用高架島式ホーム各1本、緩行ホーム両国方に5KPあり。
 
 さらに京葉道路を進む、何の変哲も無いあまりパッとしない 商業ビル街を行く、十間川(47M長)を渡るのは5.6K辺りだが、気付く人は勿論いません、、、
   錦糸町駅  2011年6月5日
   亀戸駅  2011年7月3日    11:27 亀戸駅着、高架島式ホーム1本、6.2KP
あり。
 亀戸の商店街は天満宮のある駅北側が賑やか、高架進行左手を進み、東武伊勢崎線と短絡する亀戸支線沿いに行き、踏切を渡って、
11:45 亀戸中央公園に入る、公園ベンチで小休止、持参の菓子等食べる。トイレ手洗い場を占領、下着などの洗濯に余念の無い路上生活者が数人。
 丁度7KP辺りから始まり、高架線が公園西側の仕切り壁の様に、緩い左長大カーブで旧中川鉄橋を目指す。
12:15 出発、蔵前橋通りに押出される様に入る、 
12:25 旧中川を渡る、鉄橋は93M長、7.5KPあり、12:34 平井駅着、8.2KPが千葉寄りに、駅周囲の商店街は小規模。 

 密集住宅街を高架線沿いに行き、高い堤防にぶつかり、また蔵前橋通りに押出され、
12:42 荒川中川を平井大橋で渡る、200M下流の鉄橋は626M長、中央部に9KPあり。渡ると新小岩公園を右下に見て進み、次駅はもう近い。   

   平井駅 2016年2月11日
   新小岩駅  2014年8月28日 13:05 新小岩駅着、緩行、快速用島式ホーム各1本、地平出改札口の先を少々掘下げた半地下式、駅北側は雑然としており、2〜3軒の小商店が勝手気ままに突出、道を塞ぎ、狭小広場に自転車溢れる。 
 北口商店街を行くとすぐかつての新小岩操車場跡地が展開するも塀やシートで覆われ、建屋など全面取壊しの最中だが、内部は窺えず。
 北側にどんどん張出す操車場跡地のため、一時高架線路から200M程離れたが、また道なりに戻り、
13:25 都営バス折返し所隣り、東新小岩公園に入る、住宅団地も近い、ここで小休止。
13:40 出発、程なく蔵前橋通りに戻り、中川放水路を渡る 下流の鉄橋は120M長、12KPあり。
14:05 小岩駅着、商店街を始め街並みは、快速の停車する前駅より大きい、美容院などの看板にハングル文字も見られ、韓国の匂いも少々。
 高架線の進行左下すぐの小道を行く、途中高架下の狭い空地で、町内会の寄合いだろうか、料理など持ち寄って酒盛りの真っ最中、下町の雰囲気が濃い。
 なお線路は小岩駅出て約350M、柴又街道を跨ぐとR800の右カーブを千葉街道チョイ手前まで約500M南東に描き、野球場が何面もある江戸川河川敷に飛出す、鉄橋は410M長、千葉方端に14.7KP。
 後は蔵前橋通りから国道14号に変った道を進み、
14:45 市川駅に到着、15.4KPを確認。  
   小岩駅  2011年7月14日





     (2) お茶の水ー両国ー(錦糸町) 4.3K   1997年11月28日(金) 薄曇り

8:50 お茶ノ水駅を出発、駅出てすぐ始まる淡路坂を下り、外堀通を左に入り、昌平橋信号で緩行線高架線路に戻るが、もう次駅迄400Mくらい。

 なお線路は駅出ると30‰上り急勾配で地下鉄丸ノ内線を跨ぐのが0.15K、続いて神田川を渡るのが0.3K辺り、昌平橋で0.6K辺りだ。

 

   御茶ノ水駅  2010年3月22日
  秋葉原駅  2011年2月10日 8:56 秋葉原駅着、お茶の水駅から営業キロで900Mだが、0.8KPがホーム千葉方、ホーム端すぐの昭和通り架道橋上に1KPがある、、、
 高架線下の道が次駅まで続き、 
9:11 浅草橋駅着、駅周辺は東京の問屋街地区、大阪船場街程ではないが、独特の下町的、庶民的な雰囲気を感じる。
 高架南側下の道を隅田川の手前まで、そこから道なりに右折、南に250M、神田川を渡り靖国通りに入る、あとは9日に歩いたばかりの両国橋を渡り、今日はチョッピリ道筋も変えて、
9:25 両国駅着。
なお隅田川鉄橋は171M長、2.3KPが鉄橋中央に。

   浅草橋駅 2010年12月1日

  

                  

              (3) 市川ー幕張本郷 14.2K 1997年12月31日(水) 快晴

 


   市川駅 2012年1月9日
11:30 市川駅を出発、進行左手、高架線を50M右手に見ながら、住宅街の道を行く。この辺り庭に松の木を擁した、落着いた戸建住宅が多い。 
11:53 本八幡駅着、高架島式ホームが1本、千葉方に17.5KPあり、駅前広場は狭く、数台のバス、タクシーが窮屈そうだ、、、
 さらに進行左手の道が伸びるが、市川市街に比べると、家の規模も大衆的、道幅も狭くなり、クルマの通れない区間もあった。 
 やがて真間川という運河然としたドブ川にぶつかり、右手の高架線路方に押出され、川と一緒に線路を潜る、丁度駅から1K地点、潜った右手はプランタンの商業施設。
 すぐ真間川を渡り、高架線を左手近くに見ながら市街地を500M余、
 

  本八幡駅 2011年7月14日
  下総中山駅 海側 2017年4月4日 12:18 下総中山駅着、高架島式ホームが1本、ホーム中央辺りに19KPあり。駅北側は一転光景が様変わり、中山法華経寺の門前町の雰囲気が漂う。
 この先は高架進行右手直ぐ下に、自動車道が次駅まで伸びる、専用歩道が道両側に整備、途中から左手のみ柳並木となる。
12:34 右手から近付いた地下鉄東西線の高架を潜る、ちょうど20KP地点だ。
 この先、高架線が地平部に降り、
12:41 橋上駅の西船橋駅に到着、ホーム東京方端に20.5KPあり、総武本線は地平島式ホーム2面3線、AB番線は共用となる、武蔵野線、地下鉄東西線等との接続駅で、駅の規模は大きいが詳細は省略します。 
 西船橋から先も、線路右手すぐに道が伸び、頻繁に行き交う緩行、快速電車の走りが満喫できるが、「ホテル北ウィング」を過ぎた21.7KP辺りから線路は左カーブ、それに追随する道は無く、少々線路から離れ適当に進むと、京成線高架化と周辺の区画整理事業が大規模施行中の、ゴチャゴチャした地区に迷い込み、程なく京成本線を地上踏切で渡り、京成船橋駅前に出る。追記:JR線が京成本線を潜るのは22.65K辺り、完全高架化は2006年11月でした。
   西船橋駅(山側) 2011年7月10日
  船橋駅(海側) 2011年12月31日 13:15 京成駅と80M程離れた船橋駅着、高架島式ホーム が緩行、快速用に2本、23KPあり。
 この先、進行右手線路近くの細道を行く、右手はラブホテルの裏口が続き、「満室」のランプも多く、何か足早になり、いい年をして恥ずかしい、、、
 抜けると右手に京成線が走る、「広域河川改良工事」中で、電車は全て徐行、適当に見計らって左手のJR線へと方向修正、ここも密集住宅街で、何回か道筋を変更、程なく台地にぶつかりマンション横の専用階段を借用、登り切ると左下の掘割りをJR線が行く、右手に峰台小学校、掘割り左手は市立船橋高校、甲子園野球で結構有名だが、グランドは小さかった。もう次駅迄300M程、この区間船橋駅から直線だ。 
13:55 東船橋駅着、1981年10月開業、電車が半分程顔を出す位の掘割りに島式ホーム1本を設けた、半地下の橋上駅、24.8KPあり。ホームの海側はすぐ広い畑が展開、商店は山側に3〜4軒。 
13:58 同駅を出発、さらに線路左手の小道を行く、たまたま、先刻市川駅迄乗車のクハ111−1505編成が、成田空港から折返して来たのに再会。
 道の周辺は畑中に思い思いに建ったような戸建住宅が散在、道は何度も折れ曲がる、直線線路は一度短区間、地平部に出るものの、浅い掘割りの中を進んだ。

   東船橋駅  2012年1月4日 広場は訪問時畑でした
14:23 習志野(旧津田沼)電車区の入出場信号が立つ26.4KP地点に至る、海側西北西に1K近く突出す同区に配属車は無く、電留線として利用。
14:27 津田沼駅に到着、島式ホーム3本の橋上駅、ホーム東京方端に26.5KPあり。
 この先は線路右手(海側)を行く、駅前千葉工大正門の門柱は、旧鉄道連隊本部時代の物とのこと。広々した大学用地を過ぎれば、程無く上を新京成線が跨ぎ越すが、27.31K辺り(と後日確認)。
 道なりに菊田神社に裏手から入る、平安時代創建の同寺は当時、潟に囲まれた小島にあった。隣りの菊田水鳥公園を抜けると、京成千葉線が右手すぐ、なお、公園南側に近い京成津田沼駅には寄らず、JR線27.5KP辺りが相当。

  津田沼駅 山側  2016年2月17日
  津田沼駅  クロ484ー4他「華」編成 2004年4月25日  
 京成千葉線沿いに400M程、道が無くなり押出される様に跨線橋で山側に、なお京成成田線が200M程先でJR線を斜めに潜るが、28.25K辺りとなる。
 線路山側に結構広いクルマ道があり、北東へ進路を変えた京成本線を跨ぎ、幕張電車区への単線出入庫線を加え5線になったJR線路端に戻ったまでは良かった、もう次駅まで800M位、気楽なもんだ、、、
 しかし線路が掘割りに隠れたこともあり、北東方向へ足を踏み入れ、花咲1〜2丁目辺りをグルグル廻って30分の損をして、
15:45 幕張本郷駅に到着、京成千葉線との共同管理駅、JRは島式ホーム1本、29.5KPがホーム津田沼方に。

   

     
         (4) 幕張本郷ー千葉 9.6K 
1998年2月28日(土) 薄曇り

  11:44 幕張本郷駅出発、駅山側に隣接する幕張車両センターの留置線を13本も、跨線橋の緩い坂道で下り、進行左手の平行道に入るとすぐ京葉道路を潜る、29.9KPを確認済み、商店街は短く住宅街となり、道なりに線路に近付き 、フェンス越しに車両センターを見るが、センター用地は延々次駅まで続き、途中趣味誌でお馴染み、165系お座敷電車も見えた。
 なお線路は次駅まで、30.5KP辺りでちょっと下ってすぐ上るが、用水でもあったのかな?この辺り広大な畑地が急激に住宅地に転用されつつある。
12:17 幕張駅着、島式地平ホーム2本の橋上駅31.6KPあり、なお少々ずれて京成千葉線ホームが並び、ホーム新津田沼方端に31.3KPあり。
 更に進行左手を行き、程なく花見川(印旛放水路)を渡る、32.2KPあり、京成線鉄橋は海側200M先に、川岸にサイクリング道あり。
 この先は台地上の住宅街に出て、線路近くの道を時々筋を変えながら駅に、花園2丁目辺りは新興のマーマーの明るい戸建住宅街だった。

  幕張駅  2012年1月4日
    新検見川駅 2017年4月4日  12:44 新検見川駅着、橋上駅、島式ホーム1本、線路は1.5M程掘られたレベルを行く 、これは同駅の標高が16.5M、前駅より9.8M高いためだろう。
 この先は南口の方が「セイユー」等もあり賑やかそうだが、線路を右に見るクルマの通れない小道を行き、やがて道なりに畑地が幾らか残る地区に入ると、梅の花の匂いも漂う。
 その先、大変大規模な小仲台団地の整備された散歩道を行き、
13:10 東関東自動車道を潜る、なお線路が抜けるのは34.5地点、帰路車内より確認。
 小仲台小前を過ぎ、排水調整路沿いの散歩道から広幅の市道に入り、マンションも多くなり、 
13:31 稲毛駅到着、快速、緩行が各々高架島式ホームを持ち、出改札口は地平部にある、東京駅方に35.7KPあり。東口には20台分にきっちり整備されたタクシー用駐車場もあり、長谷工の大規模高層マンションが、鉄骨を組上げたばかりの状態で聳える。
 この先駅前案内図では、進行左手(西側)高架沿いを、日本たばこ産業の広大な工場(?)が占め、海岸側の高架線沿いの道を行く、途中から高架左手すぐに樹林並木が見えだし次駅まで続いた。内部は覗けぬが、これも広大な千葉大学のキャンパスで、地図を見ると南北はちょうど正確に1Kある、なお、次駅までずっと高架線だ。

  稲毛駅 2022年6月14日
   西千葉駅  2012年3月7日 14:03 西千葉駅着、高架島式ホーム1本が海側にあり、北側を総武快速線が通過、37.7KP(東京起点)あり、なお駅周辺は高架線を低めに抑え、出改札口は半地下部に位置する。
 駅前のクルマの多い道を行き、途中から線路すぐ近くの小道に入る、線路を隔てる塀がジュラルミン製の頑丈な造りに変り、警戒が厳しくなった(?)
 小さな建物に大きな党名看板を載せた見覚えのある景観が見え出し、駅が近くなったことを知る。
14:30 千葉駅に到着、駅前風景は様変わり、まず懸垂式モノレールが、地上4〜5Fのレベルを頻繁に出入りする。



        
 (5) 千葉ー佐倉 16.1K 1998年10月25日(日) 快晴

 「鉄道沿線歩き潰し」も、昨年10月26日に東京駅から五反田駅まで歩いて以来、ちょうど1年が過ぎようとしており、これまで全て日帰りで歩き、今日が51回目、歩行距離は数字に追いかけられるのがいやで計算していないが、500Kは優に超えているだろう。1周年のお祝いは特にせず、いつもの様にその時々の状況に流され、適当に間際になって決めた区間を歩く。 
  東千葉駅 2018年4月10日 8:55 千葉駅を出発、ホーム佐倉方に39KPあり、左すぐに線路を見て、上空を千葉モノレールの高架桁が覆う道を行く、道路右手はずっと先まで有名な栄町の歓楽街が占める。
9:06 気付いたら東千葉駅着、狭い所に無理に嵌め込んだ様な橋上駅、島式ホーム1本、留置線が数本、営業キロで900M、39.4KPがあり、まだよく見える千葉駅の端から400M程度。自分が学生時代の頭端式千葉駅、及び鉄道管理局はこの辺りにあった、駅北側に小住宅が密集、南側は栄町歓楽街に続くラブホテル、小料理屋など。 
 北側住宅街を線路を右手すぐに見て進む、マンションも所々に建つ、線路はやがて盛土上を行く。 
 大規模な「高品マンション」が左に、線路は右手すぐ盛土の上、線路反対側の台地上にもマンションが見えるが、ここら辺りが住宅街の端で、この先は田んぼと休耕田が転じた草やぶが占める、駅から徒歩30分くらい、以前は細長い狭間の全てが田んぼだったのだろう。
9:36 道は保線工事用の取付け細道に変り、上を京葉道路が跨ぐ、41.25K辺りだ。この先盛土線は小高い所を行き、法面の樹木が成長して、ハイキング道を行くような感じだ。
 しばらく進むと小谷の奥に農家が1軒、行止りも覚悟したが、幸い台地上に出る小道が続き、程なく樹林の先に畑と住宅が見えてきて一安心!
9:45 2車線道路に出て千歳橋バス停を過ぎる、線路は右手、切通しの中を行く筈だ。
 やがて左横からモノレール線が近付き、線路を跨ぎながら左急カーブ、すぐ線路と並んで駅に。

 総武本線:都賀駅 2011年12月11日
9:58 都賀駅着、島式ホーム1本の橋上駅、42.8KPあり、モノレール高架桁は旧式のせいか図体が大きく、大家のJR駅は目立たない存在、駅の両側に中小ビルが幾つか。 
 線路進行左手の住宅街を行き、
10:20 44.15K地点の踏切で右手に、この先も線路近くに道があり、やがて新しい分譲地に入る、この辺り広い台地上に小規模住宅が並ぶ。
 住宅街から外れ、周囲がしばし農家と畑地に変る、この辺りが千葉市と四街道市の境界らしく、竹藪に囲まれた土の道の感触をしばし味わった、線路は左に近い。
 今度は次駅方向に分譲住宅街が現れ、これが結構長く続く、周囲の雰囲気は都市近郊の他の住宅地と何ら変るところが無い。
10:50 四街道駅着、下り片面、上り島式の橋上駅、千葉方端に46.2KPあり、留置線が千葉方に2本。
11:06 線路左手の道を進み47KPを過ぎ、程なく下り坂となり「つくし座」という結構大きな分譲住宅地に入る、右手すぐ有刺鉄線越しに線路が走る、御茶ノ水起点47.2〜48.1K辺り。
住宅団地が尽きると道路も行止り少々慌てるが、人がやっと通れるような架動橋があり、水溜りに注意しながら線路右手に移る。 
 「郷土の杜」と看板のある台地の裾に道が伸び、左手は線路、その反対側も台地が近い、この道は500M近くも続き、ハイキング気分で歩いた。
  四街道駅 2018年4月10日 
道なりに線路に近付く、右手の田んぼが段々広くなる、天気最高、柵が全く無い線路を近郊113系を主流に、新型217系、成田空港エクスプレス、それに183系特急も加わり、見ていて飽きない、こういう場所が段々姿を消しつつあるのは残念だ、、、 
東関東自動車道の下を抜ければもう駅は近い。
11:57 物井駅着、ガラスを多用した新しい橋上駅、階段が45段なので老人には気の毒だが、、、相対式ホーム、50.5KP立つ。西側はすぐ樹林に覆われた丘、東側は田んぼを埋立てた更地、その先は広い田んぼ、敬愛大学の校舎が250Mほど先に見える。
 線路右手近くの農道を行く、刈入れを終えた田んぼに人影は無い。1K先に行く手を遮るかの様に低い丘が連なり、線路は真っ直ぐ突っ込んで行く、トンネルの口が小さな点で見える。
12:35 鹿島川を渡る、鉄橋は右手200M、60M長、52.1K辺り、丘陵まで500Mほど。
 総武本線:物井駅 2011年12月11日
遠く見には丘の急斜面の鬱蒼とした森に見え心配したが、崖にはつづれ折れの道が付いており、上に出ると新興住宅地が現れ樹林もそこで消え、一安心、大崎台4丁目とあった。
適当に住宅街の道筋を変えながら進むと坂道となり、丘陵下の平地に下る、トンネルを抜けた線路も左手に近くなる。
佐倉機関区を左に見ながら巻く、既に使用されていない様だが、正門には「佐倉機関区」の表札も掲出、職員宿泊所としての利用はあるのかもしれない。 

 総武本線:佐倉駅 2011年12月11日
13:05 佐倉駅着、島式ホームが2本、千葉方端に54.6KPあり、駅舎は西側、台地の裾に位置、台地上の市街中心部には坂を上る、温泉付きマンションが建設中だが、駅周辺に大きなビルは無い。
なお、物井から佐倉の間で、キロ程数値の調整があるのだが、長くなるので省略する。
 帰りがけに佐倉の街を少し歩いた、JR線と京成成田線に東西から挟まれた緩斜面の台地上に、今は広い庭園に囲まれ、旧城主の屋敷や老人専用高級マンションが数棟建つお城跡、近くの武家屋敷街、それに京成成田駅に近い簡素な市役所などを見た。
JRと京成線の駅は2.5Kほど離れる。 



        (6) 佐倉ー南酒々井 4.0K  2000年3月2日(木) 年休 快晴  

 佐倉から先、総武本線と成田線は約3Kに亙り完全平行、その後、各々南酒々井、酒々井駅を目指す。車内から見る光景は住宅街に広大な田んぼが占め頗る平凡、重複歩きは避けたい。
 それで今日はまず、総武本線57.5K(成田線:2.9K)辺りまでの平行区間を歩き、ここから東に転じて台地に入る総武本線の南酒々井駅までをクリア、折返して分岐点近くに戻り、成田線沿いに酒々井駅〜成田駅を目指す予定を立てた。
 なお両線の分岐状態を見ると、複線で空港エキスプレスも通る成田線から、「本線」とは言うものの、細い線路1本の総武線が大きくカーブして別れていく雰囲気は否めず、平行区間の記述も、成田線の項に詳しい。
 今日は夕方、会社の同期生と飲む予定があり、距離的にもこの程度が望ましかった。
8:27 佐倉駅を出発、総武本線54.6KP、成田線0KPはそれぞれホーム千葉方にある。
9:15 浅間踏切で線路右手に移る、57.2K地点、この200M先から両線は緩い分岐を始めるが、殆どへ移行しているとも言える。
9:25 2.93K地点の踏切を過ぎ、線路はいよいよ東に向きを転じ、成田線とお別れ、築堤を左に見ながら広田の中、500M先の丘陵を目指す線路を追う。  
9:36 58K地点にある踏切に、ここはまだ平地の端だが、この先線路は両側が樹林の深い切通しに入り、農家が点在する田園風景は一変、一時的だが山中の雰囲気を味わう。

 総武本線:南酒々井駅  2000年5月4日 
 9:40 南酒々井駅に到着、島式ホームの無人駅、駅前に民家が5〜6軒、商店は無い、駅裏手は鬱蒼とした樹林、寂しい駅だ。
 直ちに引返し、先刻の総武、成田両線の分岐点に戻り、今度は成田線の酒々井駅、そして成田駅を目指す。


          (7) 南酒々井ーー成東 17.6K  2000年5月4日(木) 晴

 今日はまず成田から下総松崎まで歩き、その区間だけ残っていた、成田線の常磐線乗入れ区間の歩き潰しを完了、更に標記区間に足を伸ばした。4月に入って水戸線、八高線の歩き潰しが完了、このところまた、やる気モードになった。 
10:35 南酒々井駅を出発、進行左手、線路近くの道を行く。
10:42 道なりに踏切で線路右手に移る、59KPあり。すぐ南関東自動車道をくぐり右折、しばらく行ってから左に、小台地を上って下り、田んぼの中の農道:上勝田線に入る。
線路は左60M、盛土の上を進む、この先また畜産農家の多い小台地上に出るなど、この辺り同じ地形は続かない。
10:59 2車線の県道に合流、線路は左手すぐ切通しの中を行く、先刻の踏切を渡らなければ、この県道にもっと早く入ったようだ。  
11:07 八街市の標識を過ぎる、台地の上で、畑、住宅、林など、線路は左手すぐ。
11:16 榎戸駅着、1ホーム相対式、駅員1名、61.6KPあり、台地上に位置する。

 県道はこの先線路から離れるので、線路左手の道を行く、ゆったりした新住宅が広い区域に亙り展開したのは意外だった。
12:00 お昼のチャイムは富山地区聞いた、駅から1.5Kほど、途中小休止したので、大して進まない、ここまで線路近くを来た。 
 63.6K辺りから右手すぐに線路が並ぶ、1K先まで直線で、113系の走りを堪能できる。

 総武本線:榎戸駅
 総武本線:八街駅 12:15 64.5KPを過ぎる、この350M先の八街西街道踏切で右手すぐの道に移る、もう駅はすぐ。 
12:26 八街駅に到着、改札口直結の上りホームと島式ホームから成る結構大きな駅で、改札口も自動化、隣接する大きな農業倉庫がかつての隆盛を伝える。駅前広場に千葉交通のバスが5台も待つ。
 この先線路進行右手の道を行く、小さな商店街が尽きると小住宅の多い住宅街となり、何度か筋を変えながら可能な限り線路近くを進む。
 やがて台地の畑中に入ると、線路は左手すぐ、掘割の中に入っていた。この辺りも小台地と田んぼが占める小谷が互い違いに噛み合い、ほぼ規則的に現れる。成田地区もそうだったが、千葉の丘陵地帯に特有の地形だ。
12:58 畑の中、旧道と思しき感じの良い道を来て、道なりに先刻も歩いた成東酒々井線に出た。
13:13 道なりに台地を下り、67.7K地点の踏切を渡る、この辺り街外れで、葬儀場が建つ。県道は丘裾を行き、線路は右手80Mに平行、その間は細長い田んぼだ。
68.9K辺りから、台地裾を行く線路下に農道が沿い入ってみる、途中線路右手に張出した田んぼ沿いの道も歩いたがこれは400しか続かず、また左手に戻りさらに1K近く歩いて、
14:04 日向駅着、1相対式ホームの無人駅、71.1KPあり。

県道を行き、弓手踏切で右手に、71.7K地点 
この先線路右手すぐの道が伸びるが、右手作田川の対岸にも丘裾を行く道があり、車を避けそっちに、途中、無人の加茂神社で、推定樹齢500年の大杉も見学。線路は左150〜200Mを行き、天気はいいし、快適なハイキングが出来た。
14:40 千葉東金道路が30M上を横切る、この辺りで成東の広野に入ったようだ。
  総武本線:日向駅

 総武本線:成東駅 駅舎左横に記念碑の大石がある。
15:16 川沿いの道が行止り、湯坂踏切から、先刻別れた線路沿いの道に入る、74.4K
地点だ。
15:34 ずっと線路沿いに来て75.5KPを過ぎる。
15:45 成東駅に到着、改札口直結の上りホームは銚子方が欠取られ、そこに東金線が着発、下り銚子方面は島式ホーム、76.2K地点、駅前にタクシー10台、八街よりちょっと大きな街のようだ。
駅舎の横に「魁」という大石が置かれ、明治期に鉄道導入に尽力、夭折した、この地の有志を讃えている。



            (8) 成東ーー干潟 21.9K  2000年10月14日(土) 晴

8:07 成東駅出発、2週間前に東金線沿いに大網方から歩いており、ちょっとだが(逆方向に)同じ道を行き、駅から300M、成東踏切で進行左に、なお東金線はこの先すぐ右カーブ、本線と分れる。
 国道126号線の左すぐ、交通量の少ない旧道を行く、沿道には落着いた地の人の住宅が並び、左手に40M高の丘陵が連なる、雰囲気の感じられる道だ。
8:40 早船という集落で国道に合流、ビニールハウスが多く、イチゴを主体にトマト栽培も、イチゴ卸売店も目に付く。
8:52 早船第一踏切で線路右手に、79.5K地点、この先小道が線路に沿って伸びる。線路も一直線だが、2Kくらいあるかな、結構長い。
 前方上空を成田空港に着陸する大型機が、もう機種の車輪を出して横切る、5〜7分おきに現れ、木更津に比べ高い所を飛ぶようだが、、、 
9:24 81.5KPを過ぎる、この先25Mにある踏切で左手に。                    
9:27 松尾駅着、ホーム相対式、非自動改札口、81.9KPあり。
駅西側の丘上に松尾高校が建ち、その時計台が成東駅近くからも目立った。 
9:35 駅構内のY字形ポイントすぐ先の踏切で右手に移る、82.1K地点。
しばらく行った道路跨線橋の100M先が、ちょうど航空機着陸航路の真下となる。
9:51 ずっと田中の舗装小道を来て、成東まで乗った列車が銚子から引返して来たのに会い、写真を撮った。
 総武本線:松尾駅 

 113系上り 松尾ー横芝間 最後尾クハ111-1093
10:10 踏切で線路左手すぐの道に移り、三水鉄工の工場横を過ぎる、84.1K地点。
 84.5K地点で久し振りに右カーブ、成東から先、海抜10M以下の平野の端を行き、線形は良い。
10:20 キハラなど地元の大型スーパーが数軒並ぶショッピングセンターを過ぎる、裏手を線路が行く。 
10:27 駅を目前に駅舎のある右手に移り、横芝駅着、島式ホーム2本、但し上りホーム海側の架線は撤去されていた。86KPが成東方に立つ。駅山側はセメント工場が占め、側溝などを製造。
10:42 柴山川を渡り光町に入る、鉄橋は右手120M、50M長、
10:50 線路左手に移る、87.1K地点、やがて光町宮川集落で道なりに国道126号線に合流、線路は右手すぐを行く。
11:07 線路右手すぐに細道が平行、クルマが少ないのでそちらに移る、88.5K地点。 
 89KP辺りは畑地、農家、牛舎が占めた。
  総武本線:横芝駅

 総武本線:飯倉駅
11:29 踏切の関係で100Mばかり戻り飯倉駅に到着、ホーム片面、銚子方に90KPあり。
駅舎は現在建替工事に入ったばかりで、形ばかりの仮プレハブ駅舎があるだけ。地元スーパーの駐車場が駅前に迫る。
先刻の踏切を再度渡り、線路右手近くを行く。
11:48 91KPを過ぎる、右手500Mほど刈入れが終った広田が展開、左手に住宅が並び、その250M先に丘陵が連なる、平野の端、丘陵沿いに進む状況は成東からずっと同じ。
12:01 92KP地点で線路左手に移る。
セメントサイロの横を過ぎるともう駅は近い。 
12:19 八日市場駅着、相対式ホーム、93KPあり、JR関東バスが停車中、成田駅に路線があるようだ。
12:32 駅前の小公園で休憩後、出発。
12:37 線路右手に、まだY字ポイントのチョイ先で、93.4K地点だ。
右手は途中に用水を挟み、300Mばかり田んぼが拡がる。
12:55 94.7k地点の踏切で左手に移り、国道126号線に入るが、200Mほど歩いただけでまた右手に戻る。
13:12 今度は750Mばかり歩いてまた線路左手に、95.7k地点、126号を1Kばかり行った。

  総武本線:八日市場駅

 総武本線:干潟駅 126号線が駅前を平行
13:26 川魚専門割烹店が角にある交差点を線路方向に斜め右に入る。この道思ったより長く続き、沿道は畑地に加え植木栽培が盛んなようだ。
13:34 97.3k地点の踏切で右手に、この踏切
の前後2K、線路は一直線、国道を行けば簡単なのだが、なるべく線路近くの道を行こうと思うと、こういうややっこしい進み方となる。
13:45 駅手前250Mの干潟踏切で駅舎のある進行左手に、前駅から6回目の横断だ。
13:50 干潟駅に到着、ホームは改札口直結の下りホームに、海側の線路が捲られた上りホームの構成、98.2KPが立つ。


       (9) 干潟ーー松岸  18.5K  2001年12月20日(木) 快晴
8:39 干潟駅を出発、朝方は上り列車との交換も多く、ここまでの所要時間も日中より10分余り多い。
 駅前を行く国道をちょっと行き、線路にやや近い住宅街の旧道に入る。近くにある県立技術専門学校の生徒と一緒に歩き、また道なりに国道に合流、立派というか少々派手な5階建て結婚式場が角に建つ。
9:07 干潟大橋を渡る、鉄橋は右手200M、左手の丘陵はかなり後退、その間3Kほどあるだろうか、肥沃な大平野が展開する。この地域、江戸時代初期に大規模埋立てが行われたとのこと。
 この先市の野球場など体育施設が線路との間を占め、ちょうど100.5KPが立つ。運動場と線路との間に道路が伸びる。
9:31 101.5KPを過ぎる、この辺りは住宅と田畑が混在する地区だ。
9:49 旭新道踏切で線路右手に移る、102.7K地点でもう駅はすぐ近い。 

 総武本線:旭駅
 9:52 旭駅着、ホーム相対式、103KPあり、成東より街の規模は大きそう、5Kほど離れた海岸にある簡保の宿の大型送迎バスが待つ。
10:00 出発、線路に近い県道:旭銚子線を行く、前方まだ5Kはあるだろうか、行く手を塞ぐような低い丘の連なりが見え出す。 
10:22 網戸下宿バス停(千葉交通)、この辺り県道が南に膨らみ、線路と700Mほど離れる、沿道の農家は皆2M高の塀を回らすが、広い畑の土を守るためかな?
10:29 旭市から海上(うなかみ)町に入る、地形的な特徴は無い。
10:48 広原交差点を左折、300M余歩いて飯岡駅着、ホーム相対式、105.7KP、駅舎内に展示施設が併設され、駅の山側に小型農業倉庫、海側はロータリーを挟み5階建て町営団地と信金の支店が見える。
10:56 出発、結構人家が密集した住宅街を行く、なお線路はこの先に迫る丘陵越えのため、築堤上り勾配で高度調整を計る。
11:07 築堤下をくぐり左手に、106.5K辺り、道が広くなり近くに海上町役場が建つ。
線路はそのまま丘陵に突っ込み、107.2Kから650Mと長い蛇園トンネルに入るが、道路は丘を左手から巻いてループ状に上って行き、丘上の鶴巻小学校前に出る、丘上は畑、ビニールハウスなどで、眺望は利かない。
また同じ様にループ状に丘を下り、 

  総武本線:飯岡駅

  総武本線:倉橋駅
 11:47 倉橋駅着、片面ホームの無人駅、108.6KPあり、駅近くには住宅が10軒ばかり、丘中の寂しい小駅だ。なお車中から見ると、トンネルを出た線路は主に切通しでこの駅まで下っている。
12:02 小休止の後出発、線路進行左手近くに県道があるが、切通しを多用する線路に比べ、丘陵の中カーブが多い。
12:20 道なりに線路右手に移る、110.2K地点、なお踏切の手前で銚子市に入った。
常緑樹の立派な杜を擁する猿田神社を過ぎると、猿田の集落が始まり、
12:34 猿田駅着、ホーム相対式、111.2KP、この駅は学生時代、SL列車の写真を撮りに来たことがある。地元の人にも殆ど会わないような寂しい場所に半日余り頑張り、泣きたくなるような、青春の甘酸っぱい気分を味わったことを今でも想い出すが、駅舎を始め何から何まで変ってしまい、全く新しい場所に来てしまった感あり。12:47 踏切で左手に、111.9K地点、近くのキャベツ畑で熟年夫婦が黙々と作業中、彼等は帰路16:30頃、辺りが薄暗くなったなか、まだ畑に出ているのが車内から見えた。
12:57 丘中の寂しい小踏切を過ぎる、112.5K地点。 

 総武本線:猿田駅
周囲の丘陵は標高40M位、線路は切通しと築堤で地形に関係なくほぼ直線で進み、道路は小さな谷川と共に丘裾を辿る。途中、旧くは海崖だった地形を利用、戦国時代の小豪族:海上氏が治めた中島城跡もあった。 
13:23 丘陵下の平野に下りた、一転、広田が展開、電車の走行音が聞え、見ると進行左手約1K先に成田線の電車が走っている。この先線路に絡みながら架動橋を2つくぐる、この辺り見事なキャベツ畑を中心に、身が太くておいしそうな銚子大根の畑も見掛ける。
14:00 114.9K地点の踏切に達する、この先総武線沿いの道は見当たらず、200Mほど迄近付いた成田線の踏切で進行左手に出る、佐倉起点60.5KPあり。
車の走行音が気になる国道356号線を行く、線路は右手150Mに平行、なお総武、成田両線が完全平行となるのは115.3K地点だ。
途中海上神社の細長い参道も歩いて、
14:29 松岸駅に到着、改札口直結の片面ホームと島式ホームで構成、成田線下りから総武線成東方面への乗換えは同一ホームで可能、116.7KPが銚子方にある。 




 猿田駅付近 C5755牽引 1964年12月30日

 猿田駅付近 C58166牽く上り列車 1964年12月31日

 猿田駅付近 C58157 牽引貨物列車 1964年12月30日




            (10) 松岸ーー銚子 3.2K  2003年3月16日(木) 晴

 今月は東海道本線の歩き潰しが名古屋地区に達し、ムーンライトながらに既に3回乗車、さすがにいささか疲れてきた。それで今日は首記区間を歩き、総武本線全線の歩き潰しを達成、あとは銚子電鉄で犬吠崎の日帰り温泉を訪問、少し体を休めようと思った。 

  総武本線:松岸駅 2001年12月20日
9:01 松岸駅を出発、線路進行左手、国道356号線を行く。
9:10 国道はクルマが多く、踏切で右手に移る、117.2K地点、線路は駅からずっと直線。 
舗装農道を行く、線路は左300M、周辺は広大なキャベツ畑、上空でヒバリが囀る。
9:30 また線路左手に戻る、118.6K地点、このまま進むとヒゲタ醤油の工場となり、道は行止まり、工場内には貨車7〜8両が収容可能な専用ホームもあったが、使用されていない。
9:37 千葉交通車庫が左手に、この先の119.2K辺りまで、留置線が4本、駅から伸びて来ているが、まだ駅まで4〜500Mある。

  総武本線:銚子駅
9:49 いったん道なりに国道に出て、銚子駅に到着、改札口直結の片面ホームに島式ホームが1本、銚子電鉄側にも留置線が伸びる、119.7K地点、駅弁は販売中止になっていた。観光協会の展示室が入居するが、広い駅舎を使いあぐねているようだ。 

この後、銚子電鉄線を終点の外川まで歩き、犬吠崎温泉にも寄ったが、詳細は銚子電鉄の項を参照して下さい。




  キハ2849 銚子駅 1963年4月11日