高崎線(1) 大宮ーー宮原 4.0K (大宮ー日進 3.7K 
      1998年5月10日(日) 薄曇り
今日はちょっと疲れ気味、出発は昼過ぎとなり、北浦和から始め、大宮から高崎線に入ったが、なかなか調子は上らない。宮原駅まで来て、あとは同駅のすぐ手前で分岐する川越線の日進駅に寄り、打上げとした。


 14:45 大宮駅西口を出発、かつては国鉄大宮工場以外何もない所だったが、今は押しも押されもせぬビジネス地区として発展、大きなビルも目に付くようになった。
しばらく進むとJR大宮工場を右手に見て、高い塀沿いの直線道路となる、直線といえば、高崎線は大宮から(新幹線高架と共に)3K近く真っ直ぐ、逆に東北線が結構早い段階で右手に分岐する、これを意識する人はどれだけいるかな、、、
途中、ED4011、D51187機が保存展示されていた、D51機は同工場製造の1番機だそうだ。
15:07 新交通システム大成駅着、営業キロで1.5K、まだ右手は大宮工場構内が続き、青や黄色の103系電車が6両、床下機器を取払われた姿で解体を待つ。
新幹線高架は、大成駅手前から道路の真上を進むようになる。
やがて国道17号線上に出て、左カーブで新幹線高架をくぐって来た高崎・埼京線を道なりに跨ぐ、なお新幹線をくぐるのは2.5〜2.6KP辺りだ。
線路を跨いだ最初の交差点で国道左手下の住宅街に入り、高崎線方向を目指し、宮原1丁目踏切を渡る、大宮起点3K207Mとある。埼京線は3K辺りで左カーブ、この地点ではもう見られない。
線路進行左手すぐの道がある、柵は形ばかりで低く、電車の走行を真近に見ることができるのはうれしい。6〜700Mで駅に、沿道は流通倉庫、そして住宅街となる。

 高崎線:宮原駅 2011年8月31日 
 15:38 宮原駅着、橋上駅、島式ホームが2本、上下線とも快速、特急など追越しができる、ホーム大宮方に4KPが立つ。
この後近くの埼京線日進駅まで行き、17時40分に帰宅。 

   高崎線(2) 高崎ー新町 10.5K (倉賀野ー北富岡 3.6K 
    1998年9月4日(金) 曇り朝方小雨
今週火曜日に下車したばかりの高崎駅に、また休みを貰ってやって来た、例年今頃は管理職が遅れの夏休みを取る季節で、来週も休みが入る予定。
さて同線2回目となる歩き潰しは、順序通りの歩きになっていない、割安な青春切符が使える間は、可能な限り自宅から遠い所を歩きたいからだ、青春きっぷも今日で3回目、押詰ったがどうにか消化できそうだ。



  9:22 高崎駅北口を出発、駅キロ程は74.7K、駅の近辺はバス停も含め人影が殆ど無い。
上信電鉄線沿いに進み、簡素な造りの同社本社前を過ぎ、広幅の国道121号線に出てすぐ単線踏切を渡る。
 9:41 新幹線高架を道なりにくぐる、なお線路が下を過ぎるのは73.95K地点、この辺りは高崎機関区構内が73KP辺りまでを占め、線路が長大左カーブで東京方面に方向転換を計る地点だ。
 しばらく国道を行く、沿道は住宅と小規模事務所など。この道を行けば話は簡単だが、17号線が上を跨いで線路の左手に移った先で、線路を求めて細道に入り、佐野小学校前を過ぎると線路が見えてくる。
 左手を行く線路横を歩いた区間は僅かで、そのうち草ボーボーの広い更地が線路との間に介在する、旧国鉄用地が処分を待っているようだ。
 道の右手には建築中も含め、新興住宅が何軒かずつ固まって建ち、その間には元からの畑が今は切れ切れに残る。
 やがて細道は行止り、近くにいた若者に聞くと「歩くなら行ける」とのことで、前夜来の雨でグチョグチョの畦道伝いに前進、150Mで次の広大な住宅開発区域に至る。
 この辺り、住宅開発は小規模業者によるいわゆる乱開発で、全体の調和が全く考慮されず、おまけに農地に特有な用水が張巡らされ、道路連絡を妨げる、取付道路も各々の業者が最低限のものを用意するようだ。
 線路の反対側は高崎貨物ターミナルの広大な用地の筈だが、どうなっているか全く見えず詳細は不明、車窓からの光景を思い出しながら進むしかない。
 10:20 キリンビールの大工場が線路反対側に見える辺りを過ぎる。
 そのうち昔からの住宅地に入り、駅の近いことを知る。新興小規模乱開発住宅地と、その間に残された田畑を歩いている内に次の駅が来てしまった感が強い。
10:29 倉賀野駅着、JR貨物が管理する客貨両用の橋上駅、そのせいか駅舎外観の感じは硬い、自動改札機は無し。長い島式ホームが2本あり、上り外側ホームで信号待ちの、石油タンク車を牽くEF64型機を見ることがある、上野方に70.2KPあり。
駅の進行右手(西側)を進む、駅前に商店は殆ど無く住宅街に入る、間もなく畑も現れ、道がさらに細くなったが、やがて広い道に入りちょっと行くと、
10:48 三叉路に出る、案内板が立ち、ここから日光例幣使街道が始まるとのこと。有名な街道だしちょっと歩いてみたかったが、グッとこらえ右手の道に入る。

 高崎線:倉賀野駅 2011年8月31日
 11:07 高崎線を陸橋で渡り17号線に入る、陸橋からは高崎亜鉛など、一時代前の黒ずんだ工場団地が見えた。なお線路は69KP地点から上野方に上下線が少し離れ、烏川を渡る準備をする。
 11:15 烏川を渡る、鉄橋は約400M長、100Mほど上流を、上下線が100Mほど離れて並ぶ、68KPあり。
 橋を渡ったら細道に下り、上下線をくぐって道なりに線路進行右手に出て、電子関係の新しい中規模工場が並ぶ地区を過ぎ住宅街に入る、住宅数は意外と多い。
 11:35 八高線北富岡駅着、ホーム片面の無人駅だが、ホーム高崎方端に信号詰所があり、職員2名の姿を確認、信号要員のようで、「乗車券は車内で購入してください」との案内板があった。駅は高崎線と離れること50M程度、66.6K辺りが相当する。
倉賀野駅からここまで、八高線は高崎線と線路を共用するが、詳しくは八高線の項で述べた方がいいだろう。
第弐十弐踏切を渡り高崎線の進行左手に出る、66.7K地点、しばらく進むと道は行止り、左の国道17号線に入る。 
  
 八高線:北藤岡駅、 ホーム先で高崎線に合流





 高崎線:新町駅 2011年8月31日
12:00 道なりに関越自動車道の下を過ぎる、線路がくぐるのは65.2K地点だ。
この先、国道と線路の間にあった畑や住宅が消え、両者は一時共に寄添ったり、近くを平行するようになる。

12:14 新町駅着、内側が使用中止の下り島式、上り片面ホームが跨線橋で結ばれた地上駅で、ホーム大宮方出外れに64KPあり、自動改札機の設置は無い。

  
まだ時間も早いが、今日は最初の方雨に降られ、それに昨夜飲み過ぎ調子が今一つだ、当駅で切上げ、早く日帰り温泉に行って暖まりたい。5分後に電車があり、タイミングがいい、、、  





高崎観音山鉱泉:錦山荘  1998年9月4日(金)
場所:観音山山頂近くの山腹斜面に建つ、市内循環バス、洞窟観音バス停下車、坂を上って玄関まで約5分。
バス終点の観音山山頂から下り坂を10分で来れる、帰りは高崎駅まで歩いたが、50分要した、道は市街を展望した後なので分り易い。
施設:山の急斜面に建つ木造旅館で上信電鉄の経営、日帰り温泉というより旅館の日帰り温泉部門といった感じ、山の緑が濃いのも風情がある、崖をちょっと突出た展望台は、板の隙間から下が見えマジ恐い。 
浴室:山の斜面に突出すような感じで浴室が設けられ、市街の眺望は観音山からのそれと変らない、主浴槽の他にはジャクジー、サウナなど何もない、収容は10人くらい。
お湯:無色透明、無味、ちょっと硫黄の匂いがする、15.4℃とある鉱泉を加温、メタ桂酸含有により温泉規定に合致、なかなか良いお湯だと思う。
休憩場は50人は楽に入る大広間で、これも旅館の宴会場を想わせる、モリうどん、イワナ塩焼きで遅い昼食としたが、料理はしっかりしていた。



    高崎線(3) 宮原ー北鴻巣 20.3K  1998年9月19日(土)
 
 9月初旬は青春18きっぷを利用して高崎・東北・日光線など、首都100キロ圏を集中的に歩き、「歩き潰し」の範囲がかなり広まった。これからまた近間の活動に戻るが、近頃、この「歩き潰し」が自分のライフワークになるのではないか、、、」と思うことがある、あせらず、着実に続けて行きたい。







 8:05 宮原駅を出発、線路を低い柵越しに見ながら、左手すぐの道を行く、115系15両編成が頻繁に通り、これだけ近いとちょっと怖いくらいだが、「自分はこの電車のモーター音を聞きながら会社時代を過ごし、そして卒業しようとしている、、、」とこの頃つくづく思うことがある。
 8:16 5KPを過ぎる、そして第3原市踏切で線路右手すぐの道に、周囲は住宅地だが、狭い畑も混じり、ネギの甘い香りが漂う。
 8:34 6.5KPを過ぎる、この先線路は左カーブ、同時に線路端の道も行止りになり、住宅街を何度か道を変え、片側1車線の県道164号線(旧中山道)に入る。
 横浜ゴムの大工場が線路沿いに建つ辺りでは、通勤ラッシュの交通渋滞が見られ、その先、宮原駅からもネットの先端が見えた巨大ゴルフ練習場を過ぎると旧市街に入り、幾らか残る宿場町の面影をちょっぴり楽しんで駅に。
   9:02 上尾駅着、上り片面ホームと下り島式ホームの橋上駅、但し2番線は上下線から入線が可能。高崎支社管内で平均乗車人員が最高の駅だそうだ。
東口駅前広場は200坪ほどかな、それを囲んで調和を取って同色系で揃えた商業ビルが数棟、内1つは東武ホテルが入居。
 さらに164号線を行き、
 9:30 北上尾駅着、相対式ホームの橋上駅、下りホームと道一つ隔て県立上尾高校が建つ。既に開発された地区に後から駅を開業したためか、バスは入って来ない。
さらに旧中山道を進む、線路脇に道がある区間もあったが、ここは旧街道歩きを選択。 高崎線:上尾駅 2011年8月31日 
10:00 「桶川駅入口」で左折、旧い面影を残す商店街を150Mほど歩き桶川駅に到着。下り島式、上り片面ホーム、11.6KPあり。
帰路乗車の普通はここで快速に接続だが、飲んでいたこともあり跨線橋を渡るのが億劫で、もう大宮は近いし、そのまま車内に残った。 
桶川からは線路右手の新興商店街を行く、小さな飲み屋が多い道だったが、やがて住宅街となる。
13.1K地点の踏切で線路左すぐの道に移る、この辺りが桶川・北本両市の境界で、なぜか道はしばらく砂利道、やがて三菱マテリアル桶川製作所、同社員グランドが左に沿うが、同社の敷地は北本市にもはみだしている。 
 高崎線:桶川駅 2011年8月31日
 10:36 14KPは下石戸公園横にあった、この手前で踏切を渡るが、大宮方は見渡す限り直線が続き、実際地図を見ても宮原駅から殆ど直線と言っていいくらいの良好な線形だった。
 やがて県営北本中丸団地が現れると、線路との間が幅30Mの細長い林となり、林の中で憩う人も多い、この樹林はこの先500Mほど続き、日差しが強いなか木陰の道を歩けた。駅までの最後の1K余、またカンカン照りの住宅街を行って、その有難味をなおさら強く感じた。  












 高崎線:北本駅 2011年8月31日
11:19 北本駅着、ここも上り片面、下り島式ホームの橋上駅、高崎方に16.5KPあり。

この先はまた旧中山道を行く、沿道の光景は何の変哲もなく退屈だが、鴻巣市に入ると屋上に大きな看板を掲げた人形屋さんが多くなる、第一、この辺りは「人形」という名の集落だった。
また線路端の道に移ると、鴻巣南小学校の先が大きな鴻巣公園で、ここでお昼のチャイムが鳴るまで一休み。
この先駅まで線路沿いに500M余で着いた。
12:27 鴻巣駅着、ここも前駅と全く同じ構成の、高崎線標準タイプの橋上駅、下りホーム上野方に20KPが立つ。東口は民家が樹木共々駅前まで張出し、商店も少なくそば屋と東海銀行があるくらい、典型的な田舎の駅前風景とも言える。大体、駅の高崎方半分はゴルフ練習場が占め、これでは発展の余地が無い。西口も駅前広場だけは整備されていたが、商店は無く、小さな自転車置き場があるくらい。街中は歴史を感じ、落着いたいい感じだったが、駅を中心にした開発プランなど念頭に無いようだった。
駅前の瀧乃屋でざるうどんで昼食、田舎町の食堂の雰囲気が従業員、店の造作、お客、そしてうどんと全てに残り、思い出に残るお店となった。
12:47 出発、西口から細道を行ってみる、これまで歩いた街中と異なり、住宅は小振りなのが多い、段々畑や田んぼが多くなる。
 やがて線路をくぐって旧中山道がこちら側に移って来たのに合流。
13:35 道なりに箕田という集落に入り、大銀杏のある氷川神社で小休止、この神社から線路まで100M足らずだ。
暑さにやられいい加減グロッキー気味になってきたが、我慢してさらに歩くこと1K, 荒川に通じる武蔵導水路を渡り、農家の間を抜ける。 
 急に広大な田んぼが展開、その向うには駅が見える。しかしあぜ道伝いに辿りついた駅の西側には出入口が無く、結局500M先の踏切まで持って行かれた、この踏切、先刻の旧中山道がまた本道と合流するため渡る踏切だ。
14:10 住都公団の大団地を左に、駅に戻る形で北鴻巣駅に到着、10分ほど損をした筈だが、上り電車が2分後に来たので実害は無く、そうなると現金なもので、西口の広い田んぼがいつまでもこのままの姿を保つことを、切に希望する気持ちが沸上った。
島式ホーム1本の橋上駅、24.2KPあり。

  高崎線:北鴻巣駅西口
 今日歩いた区間は、荒川沿いの沖積平野の裾の部分で、勾配も殆ど無い。昔の人は洪水にも強いこの高台部分に集落を発展させ、中山道がそれを結び、旧日本鉄道もそれに倣ったのだろう。車内、公園などちょっと高い所では展望が利くので話は別だが、晴れた日に長時間歩き、山を見ないで一日を終るのは珍しいと思う。    




 
 高崎線(4) 北鴻巣-深谷 21.5K  1999年3月13日(土) 曇り昼頃から薄晴れ
 また北鴻巣駅に降り立った、半年前の前回は暑い日で少々参った覚えがあるが、今日は深谷辺りまで歩いておかないと、次がきつくなりそう、さてどんな「歩き潰し」になることやら、、、
 8:00 北鴻巣駅を出発、駅前の小さめのロータリーには、時間の切りがいいのか、専門学校の2台をはじめ、学校、企業の送迎バスが大小数台待つ。
線路横の自転車置き場を突っ切って進み、前回西側に着いて駅に入れず、ずっと遠回りさせられた踏切に至る。
この先は三ツ木土地区画整理組合の手になる、戸建て住宅を中心とした開発事業が施工中で、線路右手に沿う工事中の道路を行ったら、道が未舗装で細くなった。
 8:15 造成中の調整池の脇を通る、これも開発事業の一環として整備中だ、この辺が開発区域の端になるようだ。
 この先道路は斜め右に線路から分れ、程なく埼玉県消防学校前を過ぎる、さすが立派な校舎、訓練施設で、隣に防災学習センターも建つ、この施設は車内からもよく見える。 
 8:21 角に1,400台駐車を謳う大商業施設がある吹上町袋交差点に至る、この先中山道(本道)には入らず線路により近い町道を行って、適当に住宅街の細道に入り駅に。  
 
  高崎線:吹上駅 2011年8月31日 
8:42 吹上駅着、上り片面、下り島式ホームの橋上駅、27.1KPあり、ホームの西側は変電所が占める。
あさひ銀行前を過ぎすぐ左の住宅街の道に入る、やがて17号線に押し出され、元荒川の岸に出る、桜並木が結構長く続いた。段々線路に近付き、28.8K地点からは線路右手すぐの道となる。間もなく500M先に次の駅の跨線橋が見えてくる。  
 9:23 行田駅着、島式ホーム1本の橋上駅、29.5KPあり、開業は1966年と遅い方だ。駅の周囲はビルも無く静かなもの、ホーム左手は住宅街と接する、駅は行田市の中心部から4Kくらい離れ、快速も停らないから、行田の人は熊谷に出て乗換えた方が便利だろう。
 駅からちょっぴり進行右手を行き、その後左手をしばらく進むが、30.9K辺りで一時行止りとなり、右手の旧中山道に入る、沿道にはクルマのディーラーが集中して並ぶ。
10・05 先刻から右手に見えた新幹線高架が斜めに国道を跨ぐ、高架下側道を行く手もあったが、そのまま17号線を進む。大体、この辺り沿道の光景は単調で退屈する。
 行田に行く国道が分岐する三叉路の先で左下の道に入り、程なく秩父鉄道の築堤にぶつかる。道なりに進み、新幹線高架も併せ架動橋をくぐると、段々辺りが賑やかになる。
 10:31 熊谷の目抜き「銀座通り」を歩き、駅ビル内の熊谷駅に到着、地平島式ホームが2本、34.5KPはホーム高崎方に立つ、秩父鉄道は在来線の南側を占め、島式ホームが1本、留置線が数本並ぶ。なお在来線ホームは、新幹線高架下にあるせいか、照明倹約のためか知らないが、いつも感ずるが少々薄暗い感があり、イメージ的によくないのでは、、、
 券売機横にデスクを置き駅員1名が立ち、ホリデイパスの手売り発売をしており、これが結構女子高生などに売れる、この駅は同パスが通用する最遠駅なので、原宿辺りに行く人にはお得なのだろう。

 熊谷駅西口、ビルは秩父鉄道本社 2011年1月12日 



 駅横から線路脇を伸びる裏通り然とした小道を行く、最初は飲み屋、スナックなどが続き、先刻歩いた銀座通りの「表の顔」とは対照的な通りだ。
10:51 高崎線に完全平行する秩父鉄道上熊谷駅を過ぎる、駅から800M位、35.3K地点だが、まだ繁華街が続き、さすがに熊谷の街は大きい。
この先さらに1K余、線路右手近くの住宅街を行き、線路脇の小公園で小休止もした。
11:20 石原北信号でまたまた中山道に入る。
 熊谷警察署を過ぎると「旧中山道」と案内があり、左のやや狭い道に入ってみる、中山道と100M間を置いて平行する道で、沿道には建替えられているが、落着いて余裕を感じる農家が並ぶ。左手300M、田んぼの先に高架線が見え、入替DL機のホイッスルもヒバリの声と一緒に聞こえる、熊谷貨物ターミナルの辺りだろう。
 「旧中山道」は何となく終り、その先は貨物ターミナル方向に続く新道がある、時々大型コンテナトラックを見るようになった。
11:54 熊谷貨物ターミナル駅に到着、駅舎入口は2階部分にある、なお駅は39.3K辺り、熊谷方端が37.3K地点だから構内は相当広い。
 この先、小規模乱開発の典型のようなゴチャゴチャした住宅群に迷い込み、なかなか前に進めず、イライラする。
12:15 八幡踏切(渡らず、40.01K)まで来たが、もう線路近くの道は無いようで、結局右手500M離れた17号線まで歩く破目になり参った!天気は薄日も射し、その点では楽になったけれど、、、
 
 高崎線:籠原駅 2011年8月31日
12:37 籠原駅に到着、島式ホーム2本の橋上駅、中央部に41KPあり、南側に隣接して籠原車両センターの留置線が7本、構内は下り方42.5K地点の踏切まで続く。

 線路進行右手をしばらく進むと、用水上を覆った奈良堰用水道路が始まり、やがて道なりに17号線に入る、片側1車線だが、沿道左手はエヌケーホーム、東芝など大工場が並び、道幅は広い。工場の裏手を道1つ隔てて線路が走るのは知っていたが、400Mほど離れており、またそこまで歩く気もせず、「中山道歩きもいいだろう、、、」と都合よく解釈してそのまま進んだ。 
13:10〜13:45 沿道にファミリーレストランが並んだ一画があり、そこの焼肉屋で昼食、生ビールも飲んだ。
 17号線をさらに1.5Kほど進み、深谷第一高が建つ角で左折すると、一転旧市街の風情漂う街並みに入り、今どき東京でもなかなか見られない品の良い旧い西洋館もあった。
15:00 市街をブラブラしたので時間を食っ たが、深谷駅に到着。東京駅のミニ版のような駅舎は、深谷名産のレンガで建設された東京駅を模したもので、上り片面、下り島式の橋上駅だ。ホーム熊谷方に45.7KPあり。
 今日は予定通り深谷駅まで辿り着けたが、沿線は地形、景色など単調で、緊張を持続させるのに苦労した、北鴻巣駅から自宅まで39,481歩になった。





 
 高崎線(5:完) 深谷ー新町 18.4K  1999年4月10日(土) 曇り午後
楽々使い切る予定だった春の青春きっぷは、先月の末から仕事が忙しくなって予定が狂い、ついに最終日を迎えてしまった。今日は午後から雨との予報だが、何としても出かけることにして、深谷駅にやって来た。 



  高崎線:深谷駅 2011年8月31日
 8:05 深谷駅を出発、駅南側に深谷城主の菩提寺だった龍宮寺が建ち、前を流れる用水沿いの見事な桜並木がまさに満開、川面に散る桜花のピンクの流れに風流を感ずる。この桜並木はずっと線路沿いに500Mほど続き、花曇りのお花見で始まるなんて、今日の歩き潰しはなかなかついている、、、
  並木が尽きる頃、元々右手に近かった線路が寄り添い住宅街の道を行く、線路右手にも住宅が並ぶ。
 47.8K地点の女子高踏切を過ぎると急に畑が多くなる、道の左200Mにガスタンクが畑中に1基、ポツンと聳える。
 広い畑はさらに続き、右手を行く線路との間に柵は全く無く、EF651043牽く下り石油タンク貨物が過ぎる、道はいつの間にか農道に変るが、関東平野の西端を北に向って歩いて行く旅人の感じだ。   深谷駅を出て直線線路の彼方に遠望され、「あれが次駅だろう」と勘違いした上原跨線橋を過ぎると、舗装農道が一時砂利道となる。
もう1Kばかり歩き、埼玉工大深谷高を過ぎれば、駅はもうすぐだ。
 9:09 狭い駐車場のある他は広大な畑の拡がる駅南側に着き、自由跨線橋で岡部駅に到着。、一昔前の木造駅舎が静かに佇み、島式ホームが2本、上野方に大宮起点50KPあり。他に貨物側線を有し、駅北側にある新日本石油の油槽所まで石油タンク列車が入る関係で、小貨物駅の機能も持つ。 

 駅から線路右手の道を約700M行って左に移り、51.05地点の児玉街道踏切までは線路端に農道があった。この辺り純農業地帯の色合いが濃く、農家も旧家が多いが、それだけに道などよそ者には非常に分りにくい。 

 高崎線:岡部駅 
  段々線路から離れ、支戸川を鉄橋(52.5K辺り)より500M上流の榛沢小学校近くで渡る、この辺り左手の視界が開け、約1K先を行く新幹線高架橋が見えた。
 また道なりに線路方向に戻り、六部ゲ池架動橋で右手に、ちょうど架動橋近くの畑の一角に食品会社の工場が建ち、車内からの目印となる、53.2K地点だ。
 この先の小山川の手前で本庄市に入り、段々住宅が建て込んできて本庄東校、東小と過ぎ、そこだけ突出して線路脇に聳える大マンションを見れば、もう駅は近い。


 




  高崎線:本庄駅 2011年8月31日  10:44 本庄駅に到着、下り島式、上り片面の橋上駅、55.7KPホーム中央部にあり。ホーム南側に11階建ての大きなホテルがあるが、市役所などがある街の中心部は北側に位置する。 
 なお岡部駅からこの駅まで線路はほぼ直線で来るが、途中小河川が2本介在、道路が集落を迂回することもあって、線路沿いに歩く者には、結構骨の折れる厄介な区間だった。

 線路右手すぐの道を行く、左手すぐにも道があり、周囲は住宅街、駅から約2K、57.5K地点は住宅公団の集合住宅が占める、本庄市街はなかなか広い。   
 この先線路左手は沖電気の大工場が占め、その先は公園、小グランドなどが続く、右も58K辺りで住宅街が尽き、あとは畑中で売出中の小住宅団地、空地、最後は産廃業者の分別場となる。
 右手に平行した自動車道に入り50Mほど、ホーム手前100Mまで来て線路左手に移り、駅南側の区画整理が完成したばかりの住宅分譲地に到着、自由連絡橋で右手に。    
11:50 神保原駅着、下り島式、上り片面ホーム、汽車時代の小木造駅舎が北側に建つ、ホーム大宮方手前に59.5KPあり。自動改札機は未設置、駅の北側を東北電機鉄工の工場が占め、北側から駅を目指すと迂回を強いられる。
12:02 誰もいない駅前小公園で小休止の後、出発。
 線路右手の住宅街に入り、6〜7分、広い駐車場を擁するジャスコ前に出る、さらに進むと道は線路端に出た。  
  高崎線:神保原駅 2011年8月31日 
  60.8K辺りで道は農道から立派な舗装道に変り、右手金網越し、広い草原の中に「松下電工新工場予定地」の大看板が立つのを見る、ひばりの囀りがうるさいくらいのこの広大な更地は、約500M、61.35K地点まで続いた。この先福音館の印刷工場(?)を過ぎると、道なりに畑中を抜け、右手を行く国道17号線に入る、勅使河原交差点がある。
 やがて神流川を渡り群馬県新町に入る、鉄橋(702M長)は左100Mを行き、大宮方袂に62.5KPが立つ、左手に秩父連山、右手に赤城山が遠望されるのだが、今日は曇り空で見えない。
 あとは道の右手に自衛隊新町駐屯地を見て過ぎ新町駅に、橋から1Kほどとなる。
13:07 昨年の9月、高崎から歩いて以来の新町駅に到着、これで高崎線歩き潰しが終了自宅から渋川まで線路沿いにつながったことになる。 
 天気が予想に反し持ちそうで、それならと大宮まで戻り、川越線に残った一駅間を歩き潰そうと考えたが、14時半頃の大宮駅は土砂降りのにわか雨、「道中で降られなくて良かった、、、」と感謝しつつ自宅に戻った。