東北本線:大宮ーー西那須野
(5) 石橋ーー岡本 20.3K 1998年9月6日(日) 曇り
この夏から「歩き潰し」に青春きっぷの利用を加えたことは、日光線を鹿沼まで歩いた際述べた。前々から頭にはあったが、きっぷの購入が8月の末で 、この時期いくら休暇が取りやすいからといって、9月10日までに5回の使用は少々きつい、今日は石橋駅から歩くが、大宮からここまでが空白区間となった。こういうのって、ちょっとの倹約が、後で辻褄を合すのに苦労するんだよね、、、 |

東北本線:石橋駅 1999年4月3日 |
8:15 石橋駅を出発、ホーム相対式、95.3
KPあり。線路進行左手100M、国道4号線の旧道を行く、沿道は静かな住宅街、約1Kで左の本道に道なりに入る。
なお線路の右手、宇都宮貨物ターミナルが
96.1Kより始まり、駅中心は97.95K辺りとなる。
8:40 街道左に石橋警察署を見る、駅から約2K、日本橋起点95KP立つ。
8:52 建設中の北関東自動車道工事現場を過ぎる、橋脚は東北新幹線高架上を横切るため一段高い。
宇都宮市に入ると左手を自衛隊駐屯地が占め、これが1.5K近く続く。 |
9:37 雀宮中央小学校を過ぎ雀宮駅に到着、地平駅舎に改札口直結下り、島式上りホームの駅、宇都宮方端に102KPあり。
住宅街を過ぎ畑地と農家の残る地区で道が行止り、押出されるように4号線に戻る。
10:35 横川西小の先で一時線路と国道が寄添う、105.7K地点、この辺り陸運局事務所が近いせいか、自動車販売、修理関係の店が多く、1K余も宇都宮方に続く。
11:00 富士重工業正門を過ぎる、続いて台地上に出る途中の日光線を跨ぐ。この200M右手で日光線は東北本線と2Kほど完全平行、宇都宮駅に至る。 |

東北本線:雀宮駅 2011年10月9日 |
11:07 程なく不動交差点に、ここから宇都宮駅まで約2Kは、日光線歩きで(逆方向に)既に歩いている、バス停は無いようだが、台地を下った辺りでタクシーが拾えた、駅まで¥740だった。 |

東北本線:宇都宮駅 2011年10月9日 |
11:27 宇都宮駅到着、昼食用の駅弁を購入してすぐ出発、駅に109.6KPあり。
4号線に入り道なりに新幹線高架下をくぐり、
11:47 第2奥州街道踏切(110KP)で右手に移る、線路脇のコンサートホール付近、今泉新町交差点付近で、線路近くの道に出て見たが、いずれもしばらく行くと行止りとなり、4号線に戻った。
12:14 農協牛乳宇都宮工場が線路を背にして建つのを過ぎ、また4号線に。
土手に草花を配し、環境美化にも意を用いた松下電工、パナソニック、コカコーなど日本を代表する企業の大工場が次々と現れ、4号線は片側2線、レーンも歩道も幅広だ。ただ歩行者は自分1人、大型車の轟音が物凄い。 |
三菱製鋼を最後に工場地区は終り、住宅街を少し歩いて、
13:05 岡本駅に到着、ホーム相対式(元島式ホームを利用)、115.7K地点、駅前広場は駅の規模の割には広い。
今日は川とか丘に邪魔されることも無く、大平野の主に国道を歩き、途中重複区間をタクシーでスキップもして、順調に歩けた。
駅横のコミュニティーセンター前のベンチで駅弁を食べ宇都宮へ、JRバスの連絡が良く、芳賀町の日帰り温泉:ロマンの湯にも寄れた。 |

東北本線:岡本駅 2011年10月9日 |
(6) 大宮ーー東鷲宮 21.3K 1998年11月29日(日) 快晴朝曇り

大宮駅、以前はこの東口にしか街は無かった |
7:36 大宮駅東口を出発、アーケイド商店街を行く、日曜の朝で人通りは殆ど無い。
線路反対側と結ぶ陸橋を抜けるとソープ店が10軒ほど、こんな時間に殆どの店がネオンを点け営業中だ。
この辺り31KPの先で線路は右カーブ、高崎線から分れる、開業が2年早い(明16)高崎線の方はそのまま直線で進む。
東武野田線北大宮駅(31.7K)のすぐ先で線路左手に移る、線路方向の道は無い。
大宮法務局、盆栽町の暗渠上を行く植竹遊歩道、大宮病院と、何度か道を変えて進み、線路端に出て駅に。
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8:31 土呂駅着、島式ホーム1本の橋上駅、下り線外側に大宮車両センターへの出入庫線が1本、33.5KPあり。開設が新しいせいか、スーパー、マンション、低層アパートに混り、駅前には狭いが畑も残る。
進行右手の住宅街を行く、34.2K、東大宮自動車学校の辺りで、出入庫線が左手の車両センターへと大きくカーブ。
この先は雑草の茂る広い休耕田が展開、農業用水も渡る。
ずっと線路右手すぐの道を来て次駅に。 |

土呂駅 開設は1983年10月 2011年11月27日 |
9:01 東大宮駅に到着、ここも島式ホーム1本の橋上駅、35.4KPあり。
線路左手すぐの住宅街の道を500Mほど、36KP地点に建つ屋敷林を擁する大農家を巻いて戻り、36.2K地点で線路右手に、この先1K、農家と畑地が主だが一般住宅街も混り、道はグネグネする。 国道16号線をくぐると見沼代用水が現れ、 37.2K地点の踏切でまた左手に移る。
続いて前方に綾瀬川が流れ、橋を求め一時用水沿いに300Mほど西に線路から離れる。
やがて用水は綾瀬川の下をくぐり、川の左岸に出る、水路の立体交差で、人橋と並び用済みとなった、レンガ積みの風格ある旧用水が遺跡として保存されており、記念公園もあり一休み。 |

東大宮駅 2011年11月27日 |
公園の辺りは専業農家が多く、田畑や農作物の整備状態もきれいで気持ちが良い。
そういえばこの辺り見晴らしの利く大水田地帯で、鉄道写真の撮影ポイントとして人気がある、低地で住宅が無いから、邪魔物が入らなくて好都合なのだろう。
線路からちょっと離れてしまったが、大農家の多い集落内の道を、適当に右へ右へと歩き、大波踏切(38.3K)を渡り右手に。
あとは線路近くの住宅街の道を行き、JR東日本の従業員寮が線路を背にして建つのを見れば、駅は近い。
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10:10 蓮田駅着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、39.2KPあり。
10:20 線路右手の道を行き、元荒川を渡る、駅から約600M地点だ。
10:30 黒浜貝塚前を過ぎる、5,500年前、地球温暖化によりここまで海が入り込み、台地の裾に古代人が生活していたようだ、地名も「黒浜」といい、昔の歴史を示しているが、こういうことってまたあるんじゃないの、、、近くに市役所もある。
右手から急に現れた掘割を行く東北自動車道沿いに進み、 |

蓮田駅 2011年11月27日 |
10:50 菖蒲岩槻踏切(41.5K)で線路左手に、ここまでの約1K、積水化学の工場群が線路と高速道に挟まれた広い地面を占めた。
11:03 道なりに南新宿という紛らわしい名の信号を過ぎる、ここが蓮田市と白岡町の境界となり、進むに連れ住宅が多くなる、白岡は想ったより歴史のある町のようで、格式を感ずる旧家も多い。 |
11:19 白岡駅着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、43.5K地点、駅の左手すぐにあさひ・足利の各銀行、東武ストアなどがあり、駅前広場は狭い、右手は未開発の畑地。
線路進行右手すぐの道があり、すぐ田園地帯に出る、
11:57 東北自動車道の下をくぐる、駅から1.4Kくらい、その先もまた線路近くの田んぼ道を進み、 |

白岡駅 2016年8月6日 |

新白岡駅 |
12:15 新白岡駅着、相対式ホームの橋上駅、45.9K地点、開設は1987年2月、駅舎にガラスを多用、過日訪問した総武本線物井駅に感じが似ている。駅の周囲はまだガラガラ、近々土地区画整理事業が行われるようだ、西側300M、広田を挟んで東北新幹線高架が行く。
引続き線路右手の道を行く、駅から2〜300Mで隣の久喜市に入る。
12:26 備前堀川という用水を渡る、岸辺でしばし小休止、線路左40Mを行く。 |
約1K進んでもう1本、備前前堀川という同じ様な用水を渡る、線路左手は広大な田園地帯だが、新幹線高架線が徐々に在来線に近付いてくる。
なお谷田袋踏切(46.9K)より道は線路沿いを行き、途中ちょっとの間畦道になったが、またすぐ次の住宅街の端に入れた。
12:55 JR線の踏切(48.3K)を左に見て、平行する東武伊勢崎線の踏切を渡り、線路左手の道に入る、ちょうどこの辺りで新幹線高架も在来線に合流、その上を同一方向に進むようになる。道の右手は住宅街、この道駅まで600M、線路と共に直線で進む。 |
13:04 久喜駅着、JR/東武の共同管理駅、ホームは下り島式、上り片面、49KPあり、JR側の西口が賑やかで、各銀行、生保、ダイエービルがある、東側の東武は島式ホームが1本、貨物側線には日本石油の専用タンク車とD型電機が停車中。
久喜からは進行左手を行く、新幹線は在来線と並んだのも束の間、そそくさと右斜め前方に離れて行く。
13:30 東武線がJR線を跨ぐ(50.4K)すぐ横で築堤下をくぐる。 |

久喜駅(西口) 2011年10月9日 |

東鷲宮駅 2011年11月27日 |
築堤をくぐりすぐ 小川を渡る、その先は線路をすぐ右に見て進み、駅近くで新興住宅街に入り、
13:45 東鷲宮駅に到着、ホームは重層式で、改札口直結下りホームに上りホームが乗っかる形、51.7KP、開業は1982年と比較的新しい。
駅東側は本来貨物ターミナルとして建設されたが、現在その広い敷地の一部が、ダイエーが入居するSC,高層マンションなどに利用されている。西口には商店が見当たらず、低層住宅街が占める。 |
大宮から久喜まで電車に乗れば20分、関東平野の住宅地と田園地帯の混在する地域をひとっ飛びした印象しか残らないだろう。しかし歩くとなるとそこは極く緩い起伏の連続で、せいぜい5M足らず小高い所が畑と住宅、低地が田園地帯となり、田んぼの中には用水が周到に散りばめられ、川と用水路の立体交差など、当時の農業土木技術の粋が結集されていることがよく判る、印象深い歩きが出来たのは幸いだった。 |
まだ2時前だが、昨夜飲過ぎて疲れたこともあり、5分後にやって来た上り電車に乗って、帰宅は15時30分だった。
追記:駅至近の場所に、湯量豊かな日帰り温泉が開業したのはこの翌年で、当時は無かった。 |
(7) 岡本ーー蒲須坂 15.9K 1998年12月10日(木) 快晴
冬の青春きっぷ有効初日、岡本駅に降り立つ、東京より少し寒いが風は無く、天気は最高だ。
宇都宮方面は赤羽発6時53分の快速ラビットが便利、これだと自宅から2時間程度で着く。
小田急線で前に座った若者が、新品の週刊誌を網棚に置いていったので有難く頂戴し、車内で退屈せずに済んだ、不景気の昨今、こういう人が少なくなった気がする。、 |
8:37 進行右手すぐの道を行く、駅付近は、大工場の従業員相手の料理屋、飲み屋さんが結構多い、この道約800M続いた、なお線路は鬼怒川を渡る高低差調整のため、駅出ると掘割に入る。
116.5KP地点で右手100M、線路方向の道に入り、さらに道なりに国道4号線に押出される、大型トラックが高速で走る高規格道路で、専用歩道も完備。
台地から下の広い田園地帯に出ると、築堤線路が左300Mを行き、距離は徐々に狭まり、鬼怒川渡河時には100Mほどになる。
9:20 鬼怒川を渡り高根沢町に入る、鉄橋は車内から見ると118.3〜118.8K、4号線が線路を跨ぐのは118.9K地点となる。
線路はそのまま深い掘割で台地の中に突っ込み、2K近い10‰連続勾配と左長大カーブで北に進路を変える(戻す)。
なお東北本線は建設当時宇都宮から真っ直ぐ北上、ここより上流で渡河したが、数度の出水被害で現在地に変更、路線長が3K増えたようだ、明治30年のことですが、、、
線路方向に進む2車線の旧国道に入る、この辺り小高い台地の上で田んぼは無く、畑地が主、時々茶畑も見る。線路は右手に近い筈だが、長い掘割の中を行くので見えず、樹林や畑の方から走行音だけが聞えてくる。
台地上に抜け出た線路が姿を現すと駅は近い。 |
9:58 宝積寺駅着、木造地平駅舎が国道側に建ち、改札口直結の下りホームと、外側線が烏山線専用の島式ホームが1本、黒磯方に121.3KPあり。 駅東側は灌木が藪を形成、総じて駅周囲は寂しい、街の中心は駅の東700M、ちょっと低い所に位置する。
さらに1車線になった旧道を行く、周囲は住宅、700Mほどで阿久津中前に出る、台地の端に位置、グランドは下の広い田んぼに接する。
広大な田園地帯の農道を行く、国道4号は左400Mほど、その先1K足らずで鬼怒川だ。 |

宝積寺駅 2011年10月9日 |
線路は右手100M、台地の端を行く筈だが、樹林に隠れ見えない、電車の走行音だけが伝わって来る、黄葉が陽光に輝き、素晴らしい天気だし気分は爽快。
10:48 農道を1Kほど行くと左手から近付いた4号線の新バイパスに入る、その先低い台地は切通しで抜け、次の田園地帯に出る、右手に東北本線が近い。
11:15 旧国道4号線と道なりに合流。
11:25 駅が近付いたところで架動橋をくぐり右手に、126.55K地点、あとは住宅街を7〜8分で駅に至る。 |

氏家駅 2007年3月4日(自由通路完成後) |
11:34 氏家駅着、改札口直結上り片面、下り島式ホームで構成、大宮方に127KPあり、駅西側の住宅街に行くにはかなり大回りするようだが、地下道でもあるのかな、、、
線路右手すぐの住宅街の道を500Mほど行って田んぼの細道に出る、線路左手も田んぼが展開。
12:18 129.7K地点で小用水に捕まり、右手400Mをずっと平行してきた4号線に入る。
「駅入口」の標識に従い左折、ゴーストタウンの様に静まり返った駅前通りを300M行き、 |
12:55 蒲須坂駅着、駅舎進行右手に、ホームは島式ホームが2本、1317KPあり、駅西側は広い田んぼが展開、平行する新幹線高架は1.5Kくらい先かな、、、
本日はこの駅で終了、烏山線仁井田駅最寄り、「高根沢町営温泉:元気あっぷら」を訪問、一風呂浴びた。 |

蒲須坂駅、駅員は一部時間配置 |
(8) 蒲須坂ーー西那須野 20.2K 1999年3月21日(日) 曇り
8:48 蒲須坂駅を出発、駅員は9時15分から出勤とある、線路進行右手すぐの道を行く。
8:55 132KP横を過ぎる、この先132.3K地点の踏切で道が行止り、右手400Mの国道4号線に、
9:04 国道に入ると200Mで荒川橋だが、橋の手前で矢板市に入る。
9:22 国道が一時線路に寄添い、134KPを過ぎる。
9:30 4号線より100M線路近くを平行する旧奥州街道に入る、昔の宿場町の面影を留める旅館、民家も時々見掛ける。 |

片岡駅 2011年10月9日 |
9:42 片岡駅着、上り片面ホーム、下りの島式ホームは内側Aの架線が無い。今日はお彼岸、墓参の親類を迎えるクルマが多い、タクシーも忙しそうだ。 135.4KPあり。
9:48 ホーム出外れの第4奥州街道踏切で線路左手に、135.7K地点、続いて新幹線高架を道なりにくぐる。
9:59 矢板ICと4号線の連絡道を抜ける、道は丘中を行き、右80Mを線路が平行、ICが近いせいか沿道には中規模工場、流通業者が点在、左手上に一時東北道が見えた。 |
10:34 内川を渡る、鉄橋は右手に近い、139.5K辺り、ここから矢板の里に入る。
10:38 250Mほど行った木幡交差点に「矢板城の湯温泉」の看板があり、ちょっと早いが行ってみることにして西方向に左折、前方300Mの丘上に、温泉名の由来となった「川崎城址」の大看板も見える。丘の手前で丘裾を流れる宮川の遊歩道に入り、
10:58〜12:10 入浴に昼食、少々石油くさい茶色のお湯を楽しむ、今日は風が冷たく風邪をひきそうで、生ビール我慢した。
内川を旧東武鉄道矢板線の鉄橋を利用した東武橋で渡り、県市庁舎前を過ぎ、矢板駅に。 |
12:42 矢板駅着、駅舎は市役所のある西側、下り片面、上り島式ホーム、かつての貨物駅の雰囲気を残す、141.8KPあり。
ホーム出外れの喜連川街道踏切で右手に、EF66のトップナンバー牽く上りコンテナ貨物が行った。
道はすぐ丘中に入り、住宅街から市営グランド、丘をくり抜いた霊園と続く、線香の香りが広い園内一杯に漂う。
13:04 道なりに「日光北街道(旧道)」と案内のある、手掘り特有の柔らかい曲線の道に入る、樹林の赤土の中に石畳も少々残り、想わぬ街道歩きを楽しめてニンマリ。 |

矢板駅 2011年10月9日 |
“街道歩き”は僅か5分で終了、樹林から出ると簡易舗装の小道が4号線へと伸びていた。
13:12 針生(はりう)という集落で4号線に入る、その先は深い切通しの丘陵の道となり、長い下り緩勾配で次の小平野に入った辺りで、線路が左手すぐに寄添う、144KPが立つ、線路はこの区間、700Mほどの長い切通しと80M長の針生トンネルで抜けるが、これは同線最初のトンネルとなる。
13:40 塩尻温泉方面から来た箒川を渡る、鉄橋長は300M余、鉄橋の矢板側岸は切立ち、流れが岩崖を洗う、渡った地点が145.3K地点、なお先程抜けた丘陵が分水嶺で、この箒川は那珂川の支流となる。
4号線は鉄橋のすぐ先で道なりに線路左手に移るが、線路沿いに旧道が伸び、もう駅は500M先。 |
13:55 野崎駅着、駅前はひっそり、寂しい駅だ、蒲須坂より人家は多いが駅周辺の雰囲気は似ている、上りは島式ホームだが、Aは使用していない様だ、146.5KPあり。
さらに駅まで来た県道306号線を行く、ついにポツリポツリ降り出し、傘を差し先を急ぐ。
14:20 新幹線が在来線の左手に移る、駅から1.5Kほどの地点。
この先およそ600M置きに用水が横断するが、これ無くしてこの地の農業は成立しないのだろう、県道は処々歩道が欠け、雨が強くなってきたし、クルマが来ると気になる。 |

野崎駅 |
14:29 雨が強く名前は失念したが信号のある交差点を渡る、駅まで2Kほど、この先は歩道が付いた。
前方にしゃれた時計台付の建物が見え出した、あれが駅だろう、足取りが軽くなるのが判る。
何と時計台ビルは駅ではなく、駅から200Mほどの所に位置する西那須野庁舎だった。
15:00 西那須野駅に到着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、黒磯方に151.8KPあり。蒲須坂駅から32,888歩だった。 |
(9)−1 小山ーー石橋 14.8K 1999年4月3日(土) 晴
赤羽から快速ラビットで小山を目指す、このスジは黒磯辺りまでなら新幹線よりも少々早く、経済的だし有難い。この時期、学生は進級、卒業も決まり解放感一杯、誰の顔も嬉しそうで、特に女子高生のはしゃぎ様は尋常でない、この頃こういう若者の姿に気押しされ、その若さをちょっぴり羨ましく感ずるようになった。 |
小山駅西口 2017年4月10日 |
8:01 小山駅西口出発、新幹線も停まる“大駅”だが駅前広場は300坪程度と狭い、小商店街はすぐ尽き、広い構内に桜が咲き始めた工場が新幹線高架を背にして建つのを過ぎれば、次はキンカ堂、池袋に本店があるローカル衣料量販店だ、法務局の出張所がある辺りで旧4号線に入る。
8:25 道なりに両毛線:第一奥州街道踏切を渡る、1.6K地点,東北本線が右200M先に、なお東北本線との分岐点は0.9K地点、本線の81.6K地点。
8:44 喜沢三叉路で左手を平行して来た国道4号線に道なりに入る。あとは単調な国道歩きが待っていた、線路は右手200M程を行くが住宅が邪魔して見えず、線路沿いの道は無いようだ。
9:07 羽川という大きな集落に入り、JA桑支店が右手に、小山から約5K、線路は右70Mを行く。 |
小金井駅(東口) 2011年10月9日 |
9:37 小金井駅着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、小山方に88KPあり、電車区があり多くの列車が増解結を行う、小山駅からここまでずっと線路は直線、ホーム真横北東方に筑波山が遠望され、30Kはあるがその間ずっと関東平野が展開。
さらに4号線を行く、途中旧日光街道の一里塚があり、お馴染みの榎の大木に並び、同じ高さのクヌギの古木が見事だった。
左折して国分寺町役場に寄る、周囲に広い畑も多く、ヒバリが空に囀る、男体山など日光連山も遠望され、環境の良い所で気分爽快。
また4号線に戻る、自治医大病院が常に前方に見え、目印になる。 |
10:50 自治医大駅着、島式ホーム1本の橋上駅、小山方に90.5KPあり、駅前は住都公団の分譲地、パチンコ店などある普通の新興郊外住宅地区だが、大きな書店があるのは、自治医大(付属病院)が250M離れてあるからだろう。
4号線と線路の間に挟まれ、見事な松林沿いに遊歩道の様な道路が伸び、これを25分間楽しみ、野天養鶏場沿いに4号線に入る。
11:22 石橋町に入る、脇にトラック会社が見える。
11:55 石橋駅に到着、駅前にカラクリ時計塔が建ち、正午のチャイムが鳴ると人形が現れ挨拶をするのを見ることができた。 |

自治医大駅 2011年10月9日 |

石橋駅からくり時計塔 |
小山駅の標高は37M、石橋駅のそれは67M、14Kの間に着実に上って来た、この区間、線路は関東平野を一直線に進み線形は最高、西側に国道4号線が平行するが、線路沿いの道はごく断片的で、線路観察はあまりできなかった。
これで小山駅から西那須野駅まで繋がったことになるが、今日はまだ時間も早くもう少し歩く。 |
(9)−2 栗橋ーー東鷲宮 5.6K 1999年4月3日(土) 晴
とってつけたように首記区間を歩くのは、時間がまだ早いこともあるが他に理由がある、こうでもしないと次回歩く距離がかなり長くなってしまうのだ。注意力を保ちながら歩き、途中駅の写真ぐらい撮るとなると、朝早くから始めたとしても、せいぜい最大25K、願わくば20Kが限度だと、これまでの経験から分ってきた。 |

栗橋駅西口 2005年12月12日 |
13:44 栗橋駅東口を出発、駅前広場が無いなか客待ちのタクシーが 10台、当然大混雑、現在東武日光線側の畑地に、西口と広大な駅前広場を造成中で、来年完成予定。
13:55 第1加須街道踏切を右手に、56.7K地点、結構歩いた積りだが、駅舎が小山寄りに建ち、ホーム端から幾らもない、続いて東武日光線をくぐる。
松永信号を左折、道なりに踏切に、56.3K地点、線路沿いに畑中の農道が伸びる。
この先線路は一度右カーブがあるが、殆ど直線で広い畑の真っ只中を進む。 |
14:06 幅員2.5Mの小踏切で線路左手の農道に移る、56K地点、この先55K辺りで線路はR780の右カーブ。
14:24 黒小屋踏切(54.6K)を過ぎる、この先を横切る8M幅の用水は左150M先の橋で渡る。
14:39 八甫踏切(53.5K)で線路右手の農道に。
しかしこの先、細道の先に農作業をしている人が数人見え、遠慮して右手の台地上に建つ大流通倉庫の方に遠回り、白地に2本のピンク線が入った建物で、車窓からもよく見える。
倉庫下の道を過ぎ農家や民家の間を行く、上り線だけ高架になった線路を目印に駅を目指し、
15:17 東鷲宮駅に到着、上り高架ホームに51.7KPあり。帰宅は16時50分、 小山駅から栗橋経由自宅まで35,909歩だった。 |
(10) 栗橋ーー小山 23.4K 1999年4月23日(金) 曇り午後から雨
土日の天気予報は雨、今日は年休を取り、節約のため東武日光線で栗橋まで行く。途中駅の越谷など、ホームは通勤客で溢れかえっていたが、自分が乗車する8000系6連には僅かながら空席が見える、これが東急、小田急などとの収益力の差となるのだろう。 |
8:03 栗橋駅東口出発、駅前は今日も工場勤務のパート女性が迎えのバスを待ち、通勤・通学客を送るクルマなどでごった返す。
線路沿いの道はすぐ行止りになり、住宅街に入り線路から離れて行く。
8:18 利根川上流管理事務所前を過ぎ、堤防上に出る。鉄橋は上流500Mを行く。
国道4号線で利根川を渡り茨城県に入り、旧日光街道の228号線を進む。集落は中田宿といい、沿道にはどっしりと構えた旧家が多い、以前は堤防内の高水敷にあって、渡し船、その他の御用を栗橋方と交互に務めたが、明治の河川改修でこの地に移転したとの案内があった。 |

栗橋駅東口 |
なお鉄橋の袂までは行かなかったが、車中から見ると鉄橋は750M長、58.4〜59.1Kくらい、その後も高架線が60.2Kまで続く。
9:02 道なりに日光街道踏切に至る、60.7K地点、この先右手線路沿いの住宅街の小道に入り、これが61.1Kまで持った。
さてこの先は鬱蒼とした林が控える、以前車中からみてこの樹林帯が線路両側に500Mほど続き、一時的に森中の雰囲気を味わえることは知っており、興味があったので入ってみる。林の入口に犬小屋とニワトリ小屋がありちょっと不安だったが、犬はウーウー低く唸るだけだったので、緊張を隠して脇を通り過ぎた。線路は見えなかったが、電車の走行音は聞え心強い。 |

2017年4月10日 |
林を抜けると農家と畑が少々、そして次の林が控える、今度は道が見付からず、仕方なく道なりに右手の街道に出た。
9:29 日光街道の大堤交差点に出る、同じ茨城県でも総和町に属し周囲は純農村地帯、土地整理計画があるらしく、反対看板が随所にあった。
この先国道を行けば迷わずに駅まで行けそうだが、折角ここまで裏道を来たので、日光街道には入らず、左斜め前方に進む旧い細道に入ってみる、沿道は農家と畑が続き、何度か筋を変え、
|
9:43 線路端に出る、ちょうど高架線が古河駅方に上り始める地点で63.3K辺り、ここから高架下に側道が伸び、最初の交差点で遊歩道のある左手に(この日初めて)移り、
10:04 古河駅に到着、東北本線唯一の茨城県内の駅で、高架島式ホームが2本、64.7KPあり、駅の西口脇に複合高層マンションが聳え目印になる。
栗橋から営業キロで利根川を挟み7.5K、これにちょうど2時間を要したが、もう少し掛るだろうと覚悟していた、、、 |
古河駅 2017年4月4日 |
さらに高架左下の遊歩道を行く、桜並木が500Mほど続き、まだ若木だが花見時は見事だろう、その先も線路左手すぐの道が66.2Kまで続いた。
次は跨線橋で右手すぐの道に移り、これが67.4Kまで、この辺り線路沿いの工業団地で、日本ピストリングの大工場などが目立つ、EF651057牽くコンテナ貨物とすれ違った。
10:50 野木踏切(67.9K)を過ぎる、この踏切を境にまた工場団地から農業地帯に戻る、前方に野木駅の跨線橋が見え出したが、まだ1Kはありそう、EF651055牽くハワム専用列車とすれ違う。 |

野木駅東口 2011年10月9日 |
11:20 野木駅着、島式ホーム1本の橋上駅、69.3KPが上野方に、、開設は1963年と比較的新しく、駅周辺は一般住宅が占め、旧い家は見当らない、銀行などある西口の方が賑やか、なお同駅は東北本線最初の栃木県内駅となる。
線路両側に道があるが、左手の道を行き、
11:35 70.5KPを過ぎる、この手前にツツジの花がきれいな築山を配した小公園あり。
11:49 71.3k地点の踏切で右手未舗装の農道に移る、この辺りは広い畑、それに白い花が満開の梨園で、昼食に帰宅する耕運機と数台すれ違う、運転はおじいさんの役目。 |
12:00 農道が行止り、第2磯宮踏切(72.1K)で線路左手に、線路近くに道が無く、200Mほど引っ張られやっと線路方向の道に入る、この辺りも畑作の農家が多く梨園も多い、左7〜80Mに国道4号線が行く。
結構進み、最近畑を潰して宅地化したばかりの戸建て建売団地脇に出る、もう駅は近い。
地場のドラッグストアが脇に建つ飯田踏切(72.9K)に出るともうホーム端がすぐだが、駅舎まではまだちょっとあった、東北本線の構内有効長は広い。 |
12:31 間々田駅着、下り片面、上り島式ホームの橋上駅、73.3K地点、駅の両側に住宅があるが、街の中心は西の国道沿いに展開、結構広い、徒歩10分くらいある。
進行左手の旧道を行き、
12:50〜13:20 街の中心に位置するそば屋さんで昼食、ランチビールも注文。
13:30 国道4号線に押出される、右手200Mに新幹線高架が見えるが、在来線の左に寄添うのはちょうど76KPからだ。
14:01 粟宮(あわのみや)のY字路で右の旧道に入る、いよいよポツリポツリ来た。
14:17 大きなゴルフ練習場の横を過ぎる、線路は右100M位、78.1K辺りとなる。 |

間々田駅西口 |
14:32 神鳥谷交差点(裏)を過ぎる、上を横切る自動車跨線橋は新幹線の下、在来線の上を抜けるせいか、普通の橋より高い所を行く。
14:53 小山駅に到着、栗橋駅から37,505歩、雨足が早くなり、駅の写真も撮らずにすぐやって来た上り普通電車に乗車、小山駅には5分といなかった。
これで東京駅から西那須野駅まで自分の足で繋がったことになる。 |