東海道本線:横浜――
静岡

         (1) 東京――品川 6.8K 1997年10月26日(日)晴

  13:40 東京駅丸の内北口前を出発、中央郵便局向いのガード下、はとバス定期観光コース待合室を過ぎれば、いつの間にか有楽町駅、東京駅から営業キロで800Mです、、、

  
   写真の旧国鉄本社ビルは、右が1937年竣工、左にチョッピリ見えるのが1963年完成の新館で、旧館に東鉄局(後に南・西局に分割)、輸送センター等が、新館に本社組織があった。一見したところまだ現役に見えるが、出入口は既に封鎖、近々解体、更地化される予定、敷地面積は約12,000㎡。
 なお、自分が定年まで勤め上げた旅行会社は旧館の先、新大手町ビル向いに、小さなビルを構えていたが、同時期に解体された。丸の内にいたのは通算7年くらい、懐かしさが込上げてくる写真です。
13:54 有楽町駅着、営業キロの0.8KPが、高架ホーム中央部に対応、ホーム出外れすぐ、晴海通り先の中規模ビル脇に1KPが立つ、ビルに入居の「F海外旅行」は、国内外のロータリー会員集客に滅法強く、気になる存在だったが、海外渡航の大衆化に伴い、徐々に戦列から遅れるようになり、やがて看板は「AUショップ」に変った。
 
 高架線進行右下を行き、帝国ホテル納入業者通用門を過ぎる、大阪万博開幕時の1970年、ピカピカの同ホテル内営業所に1年ほど勤務したことあり。
   有楽町駅 2017年4月11日
  2012年4月30日 14:10 新橋駅到着、 
 駅近くの新橋支店には、万博閉幕に伴う業務激減で帝国ホテル内より異動、4年ばかり勤務した、管理駅の新橋駅長は確か「参事」で、夜食など作る専任(正規)駅員も付いていた良き時代です。
  SL広場 C11292 自分には全く馴染みのない機関車  
15:08 浜松町駅着、ホーム進入直前、竹芝桟橋に通ずる架道橋を渡った所に3KP立つ。 

 以前は特徴の無い小駅、駅近くに乗車券印刷所があり、夏休みシーズン、房総方面割引硬券が出払った時など、配属間もない自分が、何度か行かされたことを想い出す。時には一升瓶も持参、「度重なれば報告するよ、、、」と怒られるものの、この時に備え(?)、当時当社の女子社員には、助役、駅長の娘さんは少なくなく、予め鉄電で話が通じてあったりして、「口頭注意」で「マル」にして頂き、「国鉄一家」の肌の温もりを感じた良き時代でした。
   浜松町駅 2012年4月30日
  田町駅 2012年4月30日  15:29 田町駅着、一番海側の下り京浜東北、山の手線、島式ホームの東京方端海手に4.5KPあり。
 
 駅出てすぐ、ビル新築工事現場を仕切る塀に 風光明媚な砂浜沿いに、明治時代末期、山手線の単行木造電車が走る、風景写真が掲示されており、話には聞いていたが、こんなのどかな風景は、現在、山陰本線、五能線等々でも、絶対見られない!
 田町車両センターの完全移転は、2013年3月ダイヤ改正を期して終了。 
  クハ210-6他  2011年4月6日
   品川駅 2011年4月6日 16:00 品川駅に到着 
 この後、新八ツ山橋の袂で、五反田駅に向う八ツ山通りに入り、ソニー本社沿いに進み、御殿山小の手前で左折、
16:25 大崎駅着、今日はここまでとする、、、
 他でも書いたが、自分の勤め上げた旅行会社は当時、一般社員は満55才で関連会社・団体等に移籍するのが普通で、飲み会、ゴルフなどを含め急に暇になった。そこで健康維持のため始めた本日のウォーキングだったが、その後、延々と続いて20年余、駅伝いに日本列島横断を目指すなどおおそれた考えは、まだ全くありませんでした、、、 

   
      
        (2) 品川――川崎 11.4K 1997年11月2日(日)晴

   9:45 新八ツ山橋を出発、第一京浜国道を行く。
 道なりに京浜急行:北品川駅に寄り、同新馬場駅手前では、右手を行く東海道本線とを隔てる、台地上の品川神社に参拝、石段を踏みしめ「フジサン登山」もしました。
10:09 京浜急行:青物横丁駅に至る。この先進行斜め右に「池上通り」に入り、
   大井町駅 2013年1月8日  10:20 大井町駅着、台地を西方向に切り取って、ホームを嵌込んでおり、出改札口からホームには階段連絡、9.2KPが見える。 

 また「池上通り」に戻る、このまま大森駅まで行けるようだ、沿道は昔からの商店が延々と続くが、活気は見られない。目黒川沿いの品川宿が発展拡大したものと説明あり。
10:43~11:10 品川区立歴史博物館があり、寄って行く、米国人モースが発見した大森貝塚、品川宿についての展示が豊富で、興味深かった。
11:22 大森駅着、1日平均乗車人員は約9万3千人、他線連絡が無いなか、これは日本一とのこと。

 この先駅海側に移ると、路線バスが東急から京急に変り、JR線と京急線に夾まれた細長い地区のほぼ中央を進む。途中東邦医大、同付属病院を左に見ながら約500M余 抜けたら右のJR線に方向転換、
10分程で次駅に。
 

   蒲田駅(海側) 2013年2月5日
12:15 蒲田駅着、14.5KPが構内川崎方に立つ、
12:22 出発、線路に近く平行する(国道ではない)バス道を行く、京急バスが頻繁に過ぎる。
12:45 京急:雑色駅入口前を過ぎる、この辺り韓国の匂いがする、土地に溶け込んだ焼肉屋、店に並ぶ洋服の色柄も何かチョッピリ異なる。
 更に進むとJR、京急線が近付き、京急:六郷土手駅の架道橋を潜り海側に出て、
13:00 多摩川の都側の土手上で小休止、打放し練習場は大入り満員。なお、六郷川橋梁は520M長、蒲田方端の17.1KPは、過日車内より確認済み。 
第一京浜の六郷橋は拡幅工事中、海側の2車線と歩道が完成間近だ。
13:38 川崎駅到着、営業キロは18.2K、 18.5KP
あり。

 今日は同駅から南武線に入り、同線:平間駅まで歩く、南武線は川崎駅から東海道本線と完全平行、丁度19KPが立つ、東芝情報システムビルが目印となる辺りで、R280も含む右連続急カーブで本線と離れ、カーブを抜ければ、次駅:尻手駅は近い。
   川崎駅(海側)  2012年4月2日


           (3) 鶴見――川崎 3.5K 1997年12月14日(日)晴     

 標記区間は、南武線が川崎駅から丁度19KP地点までの800M、また品鶴貨物線が東海道本線を跨ぎ越す20.5K辺りから、21KPのある鶴見川鉄橋を経て、鶴見駅(21.7K)までの1.2K、各々東海道本線と完全平行しており、残る1.5Kについても、19.4KP地点では南武線:浜川崎支線が立体十字交差することもあり、関係本支線の歩き潰しを、この際手戻りを避け1回限りでせんものと、本日は武蔵小杉~鶴見~八丁畷駅~19KP地点~八丁畷~東海道本線:並木踏切(19.58K)~南武線:尻手駅、の経路で歩きました。
 なお、こういうマニアックな行動は、今後可能な限り、避けたいと思っています、、、 


          (4) 鶴見――横浜 7.1K 1998年1月11日(日)晴

   鶴見駅(山側)  2019年2月24日  9:31 鶴見駅を出発、鶴見線高架下は、鶴見臨港バスの車庫になっている、鶴見線が東海道、横須賀、京浜東北線などを渡り越すのは、駅から500M程行った22.2K地点、歩行者専用跨線橋は22.56K辺りとなる。
9:50 京急花月園駅に通ずる歩行者専用通路入口を過ぎる、22.6KPが同駅に対応。
 この先は、小住宅の細い帯を夾んだ丘裾を行く、右手は丘を削って均した瀟洒な住宅街が続く。
 道なりに丘を下り平地の住宅街に入り、
10:01 安養寺バス停を過ぎる、京急:生麦駅が近いが、花月園駅から800Mしか来ていない。
 この先浅野工学専門学校横から上りに掛かり、線路眺望が利き、列車走行が絶え間なく、興味が尽きない。
10:20 新子安駅着、小振りのJR駅は活気が無く、隣接する京急駅に気押しされる。
 この先海側に近接する国道15号線で、ちょうど1K先の子安駅まで進む、完全平行するJR線に25.8KPあり、なお横浜線が東海道線などを跨ぎ越すべく上り出すのは、25.7K地点からだ。
 この先は線路山側に近付いた国道1号線に入るため、小架道橋を潜ったり、薄暗いゴチャゴチャ入組んだ小道を辿るが、程なく国道に入った後は、また左手すぐに東海道・横須賀線などを見て進み、

   新子安駅  2019年2月22日
    東神奈川駅 2012年5月5日 10:54 東神奈川駅着、地平島式ホーム2本、京浜東北・横浜線のみ停車の橋上駅、27KPあり、1908年9月、横浜線開業と共に開設、既に京急:神奈川駅があり、この名称になった。
 更に国道1号線を行き、線路を跨ぎ高島町方面に繋がる大三叉路で海側に、京急:神奈川駅のすぐ先で、駅の横浜方端に対応してJR線28KP立つ。 この先は線路海側沿いのクルマ道が、約500M先に見える横浜駅へと伸びる、駅を目前に運河に掛かった歩行者用仮設道路に入るが、東横線の同駅地下乗入れ工事の一環だろう。
11:20 横浜駅に到着、営業キロの28.8KPはまだ未確認だが、海側、ホーム出外れすぐに29KPあり。




       (5) 横浜――大船 17.7K
 1998年7月12日(日) 曇り 


 横浜駅(東口) 2012年4月28日
10:54 横浜駅西口出発、最近完成のシェラトンホテルがピカピカで目立つ、相鉄の駅ビルを抜け、程なく帷子川の歩行者専用道に、対岸には相鉄、JRの列車が頻繁に走る、やがて川の護岸が高くなり、列車の走行音だけが聞える。

 なお、完全平行するJR線車内からも良く見える、相鉄線:平沼橋駅は29.5KP辺り、同鉄横浜駅起点
0.9K地点となる。
11:24 相鉄西横浜駅着、JRは30.4K地点、この先相鉄線は右急カーブで分岐、自分は左手すぐに平行する国道1号線に移る、線路との間は柵だけ、各列車の走りっぷりが真近に見える。

11:44 保土ヶ谷駅着、島式ホーム1本、横須賀線専用駅、31.8KPあり、丘陵が迫る南口前を国道が平行、北口に古くからの商店が並ぶ。        更に1号線を行き、保土ヶ谷町信号で右の小道に、 
  相鉄西横浜駅脇の跨線橋より
 元町ガードで線路右手に、盛土線路沿いに県道が伸び、右手はすぐ丘裾、丘を削って大規模なマンション工事が数個所で行われる。途中横浜横須賀道路をくぐるが、線路は34.08K辺り。
 県道が右に曲る辺りで横須賀線が品濃隊道(34.8K~約1K長)に入り、この先丘の陰になり電車の音は聞こえない。
 やがて横浜新道にぶつかり、塀沿いの細道を行くと、ほぼ完成した環状高速道の工事現場に迷込み、高速道の専用歩道を道なりに1Kも進んだ後、真新しいマンション地区に出て、途中でトンネルを跨いだのだろう、線路を前方右手に見ながら坂道を下り、
 保土ヶ谷駅(北口) 2012年10月31日

 東戸塚駅(東口) 2013年3月28日
13:15 東戸塚駅(西口)着、島式ホーム1本、横須賀線専用駅、36.7KPあり。線路は丘裾に敷かれ、東側からだとレベルはそのまま、西側からは階段で出改札口に連絡、駅は下りの場合、トンネルから切通しを抜けた辺りになり、往時はかなり山深い区間との印象があった。
13:32 改札口脇の「パル」で昼食後出発、進行左手の道を7~800M進み、小糸製作所工場が線路との間を占める角で東海道に入ると、しばらく右手に線路を見て進む。
 バイパスを右に分けた後は、ブリジストン工場、ダイエーの大型店舗などが目立つ存在。、
 道なりに粕尾川左岸の遊歩道に入る、左手は大型団地、頭抜けて大きな敷地を構える日立情報システムなど、右岸は細長の工場敷地の先に線路が見える。約1K歩いて、
14:33 戸塚駅着、島式ホーム2本の橋上駅、40.9KPあり、横浜方面は東海道、横須賀線に同一ホーム乗換可能で便利、横浜市営地下鉄も乗入れており、駅前ロータリーも広く、東戸塚駅と同様、近年大きく様変わりした。なおホーム大船方で柏尾川が横断、以後大船の先まで線路西側に並ぶ。
 
  戸塚駅 2012年7月1日
 柏尾川と一緒に線路をくぐり、しばらく行って右岸の遊歩道に移る。
 右手の日立情報通信の大工場を過ぎるのが42.1K辺り、続いて低層マンション群を挟み、住友電工の大工場となる。
 散歩、ジョギングの人が多く、自転車も多く過ぎる、ベンチが処々に配置され、疲れが出て来た身に有難い。
 左手には東海道、横須賀線の長大編成が次々と過ぎ、駅間の長い力行区間で、高いモーター音が周囲に響き、思わず気分が高揚する。

 上り特急「みずほ」 EF60503 1964年9月27日
15:33 線路の東西を繋ぐ跨線橋脇に至る、化粧品工場が線路左手に建ち、かなり離れてファンケル工場の看板も見える。
 この少し先が住友電工とニコンの工場敷地の境界で、ちょうど45KPあり、根岸線が線路左手の丘陵地帯を抜け、東海道本線と完全合流、1.5K程並走して大船駅に入る地点でもある。
 実はこの10日前、根岸線沿線を歩いており、雨も降り始め、宮前バス停でたまたまやって来た神奈中バスに乗車、
15:50 大船駅到着。藤沢方ホーム出外れに46.5KP立つ。

 急行「宮島」 「大船の大カーブ」は45.4~45.7K辺り、
 生ビールを飲みたかったが駅近くに適当な店が見当らず、名物駅弁「鯵の押し鮨」を購入、特急退避待ちの113系で帰宅の途に、、、今日は終了間際に小雨となったが、最高気温は24度、この時期としては望みうる最高の日だった。 


 

              (6) 大船――平塚 17.3K 1999年7月8日(木) 晴


 大船駅(南口) 2012年4月2日
7:18 大船駅南口を出発、駅は南北口とも道路、住宅が迫り駅前広場が無く、江ノ電、京急のバス停もちょっと藤沢寄りに離れており不便だ。
7:25 横須賀線踏切を渡ってすぐ鎌倉方面の街道を分ける、この先大船工場の引込線を渡ると右に市の浄水場、左は東洋化学、三菱電機の工場となり、特に後者は広大で500Mも続く、いつの間にか右手に道路を挟み柏尾川が平行、鉄橋は47.9K
辺りとなる。
 大船工場正門前を過ぎる、引込線に1.2KPあり、右は大船電車区、48K~48.5K辺り、道路とは低い丘を挟み300M離れる。
8:00 柏尾川を渡り、しばらく右岸を行くが、
8:12 老人施設「清流園」前から道路に移り柏尾川ともお別れ、改修が施され、深く掘られ真っ直ぐなこの川、水流は豊かだが園名とは裏腹に工場・生活排水で汚れがひどく、太った真鯉が可哀想だ。 
 道なりに小高い所を行く線路沿いの道となる、50KPの横が山武の工場、この時間、通勤者と女子高生が多く、その流れに逆らう様に幅の狭い形ばかりの歩道を遠慮しながら進む。
8:27 藤沢駅着、地平島式ホーム、橋上駅、北口には広い人工地盤を擁する。51.1KPが大船寄りに。 
 進行右手を行く、小田急江ノ島線が車輪をきしませながら上を跨ぐのは51.7K地点。
 さらに線路右手すぐの広幅の道を進む、この時間、185系ホームライナーが20分毎に、また上りコンテナ貨物も意外と多い。
8:54 橋の袂にヤクルト化粧品工場が建つ引地川を渡る、鉄橋は52.7K辺り。
9:12 54KPを過ぎる、線路反対側、お寺の松が如何にも湘南らしい光景を醸す。 

  藤沢駅(南口)  2012年2月1日

 辻堂駅  2012年2月1日
9:21 辻堂駅着、島式ホーム1本、茅ヶ崎方に55KPあり、賑やかなのは海側だが、北口にも広いロータリーにタクシーが7~8台、近くの霊園参詣客用だろう。 
 海側、線路沿いの道を行く、藤沢からと違い道の左手は住宅街。
9:47 56KPを過ぎる、56.3Kで道は左の松の木が多い閑静な住宅街へと線路から離れる、この先何度か道筋を変え、
10:03 2車線街道へ押出され、程なく茅ヶ崎若松郵便局前を過ぎ、
10:22 旧道をちょっと歩いて茅ヶ崎駅着、島式ホーム2本、山側の1本は相模線用、58.5KPあり。工場跡地に大型スーパー、都市銀行支店が進出した北口が、今では勢いがありそうだ。
 山側の商店街を300M程行って東海道:国道1号線に入る。
11:02 小出川を50M長の橋で渡る、鉄橋は400
M下流、60.8K辺り。

  茅ヶ崎駅
   11:19~11:29 相模川を渡る、鉄橋は左手近くに平行、644M長、茅ヶ崎方袂に61.5KP立つ、もっと長いように見えるが、、、  

 平塚駅北口付近にて
11:35~11:45 線路に近い樹木の多い蔵邸公園で小休止、蒸してきて疲れが出て来た。
 この先平凡な街並みをまだ結構歩かされ、
12:03 平塚駅に到着、地平島式ホーム、63.8KPあり。
 実は今日は「平塚の七夕」の当日、駅は老人クラブ等を中心に待合わせグループでごった返し、支社からの助勤者も出て整理に大わらわ。
 祭りの場所は北口商店街、一通り見て巡ったが全く商業化しており、1人で楽しむ類のものではなさそう、早々に退散、茅ヶ崎駅に戻り、相模線沿線を少し歩き、帰宅の途についた。




       (7) 平塚――小田原 20.1K 1999年11月21日(日) 快晴

7:46 平塚駅北口を出発、この7月七夕祭りで大賑わいだった商店街はまだ静まり返り、そんな中、東南アジア系外国人が2~3人ずつ数組、熱心に何やら語らうのが目立つ。
8:10 道なりに跨線橋で左手に、65.5KPあり、貨物ターミナルがここから右手に展開する。 
8:25 下花水橋を渡る、鉄橋は右400M、65.8KP、この先国道134号線を行き、程なく大磯町に入る。
 NCR工場の裏手は線路で、66.5KPを中心に前後250M程を占める、過ぎると線路右手から移った東海道と合流、線路近くを7~800M程行って、 

 花水川と高麗山、線路右手に貨物ターミナル

  大磯駅
8:50 大磯駅着、地平島式ホーム、67.8KP、北側はすぐ山、駅前広場は狭く、商店街は昭和の姿を留め、落着いた感じの駅舎が周囲とマッチする。 線路左手すぐの小道を行く、コンクリ塀が邪魔して電車の屋根しか見えず、統監道バス停で東海道に入る、松並木も展開、何となく気品が漂う。 
9:16 大磯プリンスホテル滄浪閣前を過ぎる、松並木はここで終了、日本橋から69Kの標示あり。
9:35 切通しの先で分れ、城山公園展望台に到着、50M上っただけなのに、富士山、箱根連山、勿論相模灘の素晴らしい展望が得られた。
10:10 二宮町に入る、右手に日本観光学院、二宮斎場と続く。 
10:21 二宮駅着、島式ホームの橋上駅、ホーム東京方出外れに73KP立つ。
10:32 出発、海側線路沿いの細道を行く、金網があるせいか、簡易梯子を持参した鉄っちゃんを何人か見掛ける、EF6647牽く「さくら」が過ぎた。
10:52 74.8K地点、ここで細道は行止り、右手に平行した丘陵は黄葉、紅葉が始まったばかりできれいだった。この先工場を巻く様に進み、
11:00 押切橋で同名の川を渡る、鉄橋は75.3K
辺り、渡った先は小田原市だが、100M程また二宮町が顔を出したり入組んでいる。 
11:12 前川集落、「車坂の碑」を過ぎる、「十六夜日記」・「阿仏尼」の名は聞いたことがある、、、

 二宮駅 展望の良い吾妻山が顔を出す 2009年2月1日 

 国府津駅
11:31 国府津駅着、島式ホーム2本と改札口直結の片面ホーム、3番線は御殿場線専用(JR東海)、77.5KP、駅舎は海側、4階建、全館事務棟として使用、駅の北側はすぐ高い丘陵となる。
 なお東京方にあった名門「国府津機関区」は撤去され痕跡も無くなった、JRの家族寮が建つ辺りがその一部だと思うが、、、
 
 海側に平行する国道1号線を進み、
11:50 親木橋を渡る、ここは森戸川と酒匂堰の合流点、線路は78.5K辺り。
 この先線路は内陸部に進路を取り、東海道と最大1Kほど離れ、酒匂堰の左岸沿いの自動車道に入り、
12:07 クボタ小田原工場正門前に、裏手が線路に接する工場敷地は6~700Mは続いた。
12:22 線路が酒匂堰を渡った左手は県立西湘高校が占める、80.1K辺り。
12:31 鴨宮駅着、線路が駅前広場より2M高い所を行く橋上駅、島式ホーム1本、東京方出外れに80.5KPあり。  
   ED1722 国府津機関区  1962年5月3日

 鴨宮駅
 整然と区画された新興住宅地の道を歩き、
12:54~12:59 酒匂川を渡る、鉄橋は上流200Mに、81.65~82.1K辺り、小田原方河川敷はスポーツ公園になっていて、橋の袂にカネボーの小田原工場が建ち、高架右手は富士フィルム工場が占める、113系より新幹線の走りの方が格段と静かなのが面白い。
13:25 山王川を渡る、右手の高架線は83K地点となる。
 駅方向に右折、神奈中スポーツプラザ前を過ぎ
13:43 小田原駅着。84KPが熱海方出外れに。




      (8) 小田原――熱海 20.7K 1999年11月27日(土) 快晴

 先週に引続き、今週もまた東海道本線に挑戦です、この秋口は、両毛線の全線歩きが完了、中央本線は笹子峠越えを果し甲府盆地に進出するなど、体力的にも20K歩行がそう無理なくできる様になり、安定した“歩き潰し”を楽しんでいます。
7:50 小田原駅を出発、旭丘高校前を右手に折れ、城山隧道(84.6K~260M長)と並ぶ殆ど完成している道路用隧道を過ぎ、坂道を上り、
8:02 小田原城内高校(女子高)前に出る、眺望の良い高級住宅街にも入り、戻って小田原高校沿いに城山の反対側へと下る、一部だが、人しか通れない細道もあった。
 線路を くぐり(85.15K)箱根に向かう東海道を横断、
8:24 早川を渡る、右手すぐの鉄橋は85.55K~
85.7K辺り。

小田原駅 ついに工事のクレーンが入った 2001年12月22日

  早川駅
8:35 早川駅着、島式ホーム、86KPあり、改札口は非自動、小田原魚市場はすぐそこ。
 住宅街の細道を約500M、青木、鈴木さんがやけに多い、
8:48 国道135号線に入る、左手はすぐ海、右手50~70Mを線路が行く。
 振返れば小田原市街の眺めが良く、小田原城も見える、背後の丹沢の山々もくっきり。
8:58 石橋バス停を過ぎる、右手上、薄青色の鉄橋が小谷にある集落を一跨ぎする辺りだ、87.5~87.7K地点、なお87.8K辺りから線路は262M長の佐奈田隧道に入る。 
9:06 案内に従い135号線と分れ、山腹を行く線路へと坂道を上る、石橋山古戦場に通ずるらしいが行かなかった。
 線路脇に出ると海縁を行く135号線が50M下に見え、ちょっと恐いくらい、
9:20 歩行者専用「根の上」踏切に至る、88.6
K、鉄道ファンが約10名、どうも趣味誌用に、寝台特急牽引機の縦長写真を狙うセミプロのようだ、帰路念のため車窓から目を凝らすと、まだ三脚が数本据えられていた、明朝、上り寝台を撮るのだろう、本人はクルマで仮眠かな?
9:32 市の片浦選果場が建つ、今は使われていないかも、、、周囲に人家は数軒と寂しい。 

 88.3K辺りより小田原市街を望む、小田原城が見える、、、 

  根府川駅  2012年4月2日
 やがて白糸川を、谷を詰めた狭い場所で渡るため上って来た135号線に合流、この辺り「東海道線で最も海の景色がきれい」、と云われる、300M程の短い区間です、89.8K~、
9:42 関東大震災列車海中転落事故の犠牲者慰霊塔前を過ぎ、道なりに線路山側に出て、
9:47 根府川駅着、改札口より6M下に下り片面、上り島式ホームあり、90.4KP、昔の汽車旅駅の雰囲気を残す木造駅舎が山側に,下りホームの下はすぐ相模灘。
 さて根府川駅から先の約4K、線路は鉄橋とトンネルが殆ど、道路といえば段丘上を行く135号線しかない。   
  駅前の135号線を上って行く、小商店、住宅はすぐ尽き、
10:00 小谷を詰めて白糸橋を渡る、同名の鉄橋はホームの端、90.6K~200M程だが、こちらは谷の一番奥、小川を渡る小橋だ。
10:10 白糸川の谷を逆U字形に廻り込み、白糸川鉄橋、根府川駅跨線橋を見下す場所に到達、線路は鉄橋の先で寒ノ日山隧道(356M)に入る筈だが、そこまでは見えない。
10:34 江の浦バス停、天気良くなり明るくなった、大型トラックが時々通るが、135号線は素晴らしいハイキング道だった、この辺り線路より概ね100Mは高い。 
  白糸川鉄橋  1962年12月21日

 135号線が真鶴町に入る地点から小田原方面を
11:00 真鶴町に入る、小田原方に眺望が開け写真を撮る、線路は現在真鶴隧道(92.25K~ 
1710M)で町境を抜けるが、以前は断崖絶壁を進み景色を楽しんだ後、トンネルに入った。
 それにしても昭和の初期、よくもこんな難地形に線路を敷いたものだ、たとえ丹那トンネルの必要が無くても、明治の御代なら御殿場線経由になるのは当然では、、、
11:28 橋の上バス停、場違いのマンションが1棟建つ。
 電車の走行音で気付き、崖下50Mの線路へと細道を下る、駅が250M先に見えた。
11:42 真鶴駅着、島式ホーム、熱海方出外れに96KP立つ、駅舎は海側に建つ。
 営業キロ5.4Kに2時間を要し、なかなか手強い区間だった、湘南というと海と温泉、温暖な気候と楽しいイメージばかりだが、歩いてみて厳しさを実感! 
 さらに真鶴道路、ちょっと間を置いて135号線と線路左手近くの道を行き、
11:57 東台福浦小学校前を過ぎる、この先135号線は海岸に向うので、線路方向の小道を繋いで進み、
 96.8K地点で線路右手に移り、行止ってまた戻ったりもして、

 真鶴駅 2012年4月2日
 小谷に下りまた上って、
12:29 吉浜小学校前に出る、「吉浜」とは言うが、海岸まで400M位ある、ここに看板があり、「嵯峨沢の湯まで600M」 とあった、聞いたことのない温泉だが、、、
 この先住宅が程よく並ぶなか、北側に位置する小丘へと尾根筋を行くバス道を上り、
12:40 嵯峨沢バス停着、一般民家風の日帰り温泉がすぐ近くで、折角なので寄ってみる。
 ここは標高50M程の丘上、下を一本松トンネル(97.45K~156M長)が抜けており、時々下から電車の走行音が聞こえるが、直下過ぎて見えない。 


   新湯河原温泉:嵯峨沢の湯 12:40~13:40在 ¥1050+100(ロッカー)


 嵯峨沢の湯
場所:湯河原駅まで徒歩33分、湯河原駅から真鶴行き箱根登山バスが1時間1本程度出る。
施設:主浴槽は5~6人用、ヒノキ製、他に海の見える露天風呂と小洞窟風呂があり、ジャクジー、サウナ等は無し、洗い場は6つ。
お湯:無色、無味、若干硫黄の匂い、単純アルカリ性イオン泉、飲泉可能、お湯の質は良い方だろう、日量400トン。
その他:直下を短いトンネルが抜け、露天風呂に電車の走行音が上って来る。
 ¥1050+100(ロッカー)とは強気だが、ご婦人方を中心に2階の食事処など人が入り、休憩室は20+50帖、鉄板焼きコーナーもあった。上品というか落着いた雰囲気が感じられた。 
13:57 休憩室で発泡酒を飲み良い気持ちになって出発、すぐバス道に入る、東方の線路方向に歩ければいいのだが、新崎川の谷が邪魔していったん上流に迂回する、道中幕山などの眺めが良い。
 やがて温泉駐車場からも列車が走るのが見えた新幹線高架前に出て、側道を湯河原方に進み、
14:15 在来線の海側に架道橋で抜け、中央4丁目交差点に出る、97.9K辺り、700Mほど北に引っ張られたので、まだ300Mくらいしか進んでいないようだ。 
14:23 線路左手100Mのバス通りを行き、湯河原町役場前を過ぎる、隣は箱根登山バスの車庫。
14:30 湯河原駅着、島式ホーム1本、99KP,傾斜の急な山が迫り、駅舎はホームより一段下にあり、階段で連絡、この時間温泉宿泊客が多く、駅前広場がやや狭く、発着するタクシーとバスが加わり大混雑。
 線路と商店街を挟み平行する大通りを行き、静岡県との県境を成す境川縁に出る、右150M
湯河原温泉に通ずる架道橋(99.7K)が見える。
 線路はこの先鉄橋を渡り、100KPの先で泉越トンネルに入り、出ると102.6K、そのあとも3つ、延820Mの隧道を抜け熱海駅に至るのは既に確認済み、道路は海岸沿いの135号線しか無い。

 湯河原駅  2012年4月2日

 熱海駅  2012年4月2日 
 千歳川沿いに海岸を目指し、
15:12 135号線で境川を渡り静岡県側に。
15:30 熱海市ごみ処分場の大煙突を過ぎる、大黒崎バス停が近い、日没が迫り足早になる。
15:53 興亜観音バス停、ホテル「桃李境」がある、135号線はこの手前で泉越隧道の坑口付近を渡っており、102.6K辺りとなる。
 この先道路は山腹を縫って湾曲、なかなか前に進まない、この辺り中銀マンションの老人高級施設が多い。
 途中伊豆山神社へ至る長い石段があった、伊豆山隧道の出口近くを横切る様に伸び、103.2K辺りだ。
16:10 「水葉亭」前に、この旅館が伊豆山温泉で一番熱海寄りだが、この先まだ結構あり、 
16:24 熱海駅に到着、島式ホーム2本を東と東海で1本ずつ、海側片面ホームを伊東線が使用、104.5KPあり。改札口がホームより一段低く、この点湯河原駅とよく似ている。

 クハ210-2022他  2012年4月2日




     (9) 熱海―(玄岳)ー函南 9.9K 2000年11月11日(土) 快晴

 この5月、伊東線の歩き潰しを終了、その際、来ノ宮駅=丹那トンネル(106.1K~7804M長)の入口前まで歩いており、「この先も今年中にやらなきゃ、、、」と思っていた、年も押詰って来た本日、熱海地区最高峰:玄岳に海岸から登り、丹那盆地を歩いて函南駅に抜けようと、重い腰を上げた。このコース、当然情報は少なく、大事をとって少し早く家を出たが、正解だったようだ。 
7:50 熱海駅を出発、駅前の土産物屋が並ぶ通りを下り、静観荘、ニューフジヤ、市役所、金城館と過ぎる、静観荘は解体中、ニュ-フジヤはリニューアルのため防護網を被り、他のホテルも元気が無く、定年を控えこれまた元気のない自分の身に照らして、哀れを感じる。
 何故か急に思い立って135号線に入り、眼下に後楽園ホテルを見て、結構お客さんの入っていたニュー赤尾を過ぎ、
8:27 錦ゲ浦展望台に到着、ここは熱海湾の西端、市街の眺めが良く、旅行会社の新入社員時代、慰安旅行の添乗で何度か来たことを思い出し、しばし感傷に浸る。あの頃は良かった、週末は熱海や伊東に貸切バスが何台も出て、それでどうにか商売になったのだから、、、
 金城館の少し熱海駅寄り三叉路を左折、バス道に入るとすぐ和田川沿いの上り坂となり、
9:03 和田架道橋(1.6K)をくぐる、伊東線:来宮~伊豆多賀間、2つのトンネルの間に僅か200M開けた明り区間で、後者の不動トンネルは1795Mと長い。
9:16 さらに道なりに上り、箱根登山バス熱海営業所のすぐ先、土橋バス停に到着、ここにはこの5月、伊東線歩き潰しの際、「頼朝ライン」という眺望の良い道伝いに来ている。
 登山口が谷のどん詰りに位置する「ひばり丘団地」の先にあるものと思い、団地内まで行ってから人に聞いて引返し、30分損した、この団地、標高は256Mと高い。 
10:07 玄岳ハイキングコース入口バス停を出発、立派な案内板がある、最初は別荘風の住宅が点在する舗装路だったが、10分もすると本格的な山道となり、スニーカーで来たので、石ころが薄い靴底に当り痛い。
10:40 伊豆スカイラインを横断、「才槌の祠」と案内板あり、標高は534M。 
 この先視界が開け、広いカヤトの原の尾根筋を緩やかに登る、富士山、それに昨年暮に登った別名、湯河原富士:岩殿山などがきれいに見える。
11:16 最後の70~80M、ちょっと傾斜が急になり、玄岳山頂(798M)に到着、駿河湾は霞んで見えないが、直下に丹那盆地が眠れる桃源郷の様な姿を見せ、その牧歌的な雰囲気に時を忘れる。
 しかし我に返れば、吹きさらしの強風が冷たく、軽装のこともあり、長居はできなかった。
 丹那盆地側は傾斜が急な所もあり、スニーカーでは滑りやすい土の斜面を噛めず、笹に掴まったり苦労した。
11:43 氷ゲ池に到着、同年輩男性が1人、黙々と釣糸をたれる、相変わらず風が冷たく鼻水が垂れてくる、なお、ここまで登山口付近で初老の男性1人を追越しただけ、誰にも会わなかった。 
 風が当らない場所を見付け、熱海駅の幕の内弁当で昼食、この弁当熱海駅名が入る掛け紙を使うが、製造は小田原の本店に変った。
 さらに薄暗い杉林の中を下る、たまに鳥が威嚇するように大きな羽音で飛出し、段々心細くなって自然に足早となる。
 樹林に点在する別荘に人影は無く、まだずっと下の丹那の集落も畑に出ている人は見当らず、寝静まったように動きを見せない。

 熱函道路より眼下に丹那盆地を見る
12:36 林を抜け熱函道路に出て一安心、まだ丹那盆地まで標高差で7~80Mある。
13:05 丹那断層公園に到着、1930年の北伊豆地震により発生した大断層を見学できる場所に位置、小用水がクランク型に捻じれ、自然の威力の物凄さを実感させられる。
13:25 田んぼと酪農農家の間を歩き、記念碑バス停に至る、ここから135号線に入る。
 この先下丹那橋で11号線に入り、盆地の外に向う、進行右手(北側)は丘裾、左に柿沢川の流れ、やがて山中に入り人家は姿を消す、7~800Mのことだが寂しい所だ。  
14:30 熱海峠より下って来た熱海街道との分岐点に達する、この街道を上れば道なりに丹那トンネルの上に達する筈で、物好きにも行ってみる、途中玄岳の眺めが良かった。
14:48 伊豆函南病院前に出る、この手前地中をトンネルが通っている筈だ。
15:06 分岐点に戻る。
 次の三叉路まで約1K、角に函南駅まで2Kの案内があった。
15:42 段々人家が多くなり函南駅に到着。

  熱海街道より望む玄岳  


      湯河原温泉:ゆ処こでん 16:20~17:10在 ¥1000+100(ロッカー)

場所:(湯河原厚生年金)病院入口バス停下車、徒歩2分、病院と反対方向の千歳川との間に建つ、湯河原駅から2K余、徒歩約30分。
施設:小旅館兼業の日帰り温泉、館内にタヌキの置物が目に付く、2階の無料休憩室は行かず。
風呂場:ほぼ同じ大きさの浴槽が露天風呂まがいを含め4つ、サウナ、水風呂、ジャクジーなどは無い、本格的(?)露天岩風呂は今日は女性専用だった、有名温泉の中心街のせいか、いろいろあるので狭く感じる。
お湯:無色、無味、無匂、ナトリウム-塩化物、硫黄塩温泉、ぼこぼこ沸上がってくる湯船のなか、1つの蛇口だけチョロチョロとお湯が出ており、微かに硫黄の匂いがしたと思う、平凡なお湯に見えたが、電車内でも湯冷めはしなかった。




           (10) 函南―沼津 11.7K  2000年11月18日(土) 快晴
                (御殿場線)下土狩ー沼津 4.6K


  函南駅 駅長主催ウォーキングラリーが催され、駅前は参加者で賑わう
9:05 函南駅出発、 ホームは島式1本、待避線が上下各1本ずつ、114.5KPあり、なお丹那隧道出口に114KPが張付く。
 さてこの先線路は三島市境まで山中を行き、トンネルも2つ、線路近くに道は無い様だ、街道も大きく南に張出し三島方面に向う、沿線歩き潰しに徹する自分としては、もう少し頑張ってみる。
9:17 20Mと高い築堤下を一方通行の架道橋で抜ける、傍らで大竹架道橋を建設中。
9:22 在来線と250m離れた新幹線高架下に、反対側神社の樹齢850年の楠は一見の価値。
 ここから急坂を上り台地上に出ると、一転戸建て大住宅群が展開、「パサディナハイツ」という、
 この団地、富士山を中心としたまさに絵の様な景観が素晴らしく、一度住んだらなかなか他所には移れないかも、、、
 団地を過ぎれば丘陵の樹林の細道がくねり、あっという間にハイキング気分になる。、
10:02 石神バス停近くの三叉路で県道142号線に入る。
10:12 新幹線玉沢架道橋をくぐる、117.5K地点、程なく在来線もくぐるがキロ程不明、トンネルの明り区間、115.4~116.1Kの中間辺りとなる。
10:19 竹倉バス停、集落の片隅に同名の温泉があり、旅館が数軒、静かに佇む、ここはもう三島市の外れとなる。

 パサディナハイツより望む富士山
 すぐ先の柳郷地バス停で142号線と分れ、用水沿いの遊歩道的な道で高い築堤を行く線路方向に、
10:34 15M築堤下に至る、小川の造った小谷が築堤で堰止められた格好の地形、この先前に立塞がる台地上を目指し、急坂を上るしかない。
10:41 国立遺伝学研究所の正門前に、ここまで200M、立派な桜並木の道を来た、箱根、伊豆の山々の眺めも良い。後も研究所の広大な敷地沿いに進み、
10:54 サトイモ畑と小さな新興住宅が建ち並ぶ中、台地の端に出て、切通し下30Mに線路を見る。 

 
  東海道より三島方向を望む、直線500M、右手は大学病院
 再度台地下に、中規模団地を造成中で、「約60坪、2000万円」で売出中、地名は松ゲ丘、線路脇に118.5KP立つ。
11:07 地形が複雑で少し遠回り、箱根から下って来た東海道に入り、東海病院前バス停を過ぎる、白亜の大病院が片側切通し線路上に建つ。
11:20 1号線は線路から徐々に離れるので、線路方向へと向う道に切換え、三島山田川を渡る。11:25 大場川を渡る、橋長35M、この川は結構大きい、この先川沿いを行き、途中三島神社から発する「推定箱根古道」を横切る、古道が東海道線を跨ぐのは119.45K辺り。
11:39 鉄橋脇に達する、120KPあり、この先住宅街から段々商店が多くなり、
11:50 三島駅着、地平島式ホーム2本、121KPあり、海側に間を置いて伊豆箱根鉄道修善寺線の島式ホームが1本。 
 進行左手を行き、程なく修善寺線を渡る。
12:10 左手の道が行止り右手に、車窓から大看板が目立つ立正佼成会の教会が建ち、すぐ先に新幹線基地に接し御嶽堂公園がある。
 この先線路沿いに道は無く、時々道を変えながら、
12:43 「特殊製紙」工場前に出る、敷地は東海道、御殿場線両線の間を占め、周辺では断トツの存在感、御殿場線の特殊踏切が56.6Kに。

 三島駅

 御殿場線:下土狩駅
 両線が近接していることは知っていたが、それを目の当りにして、それなら三島駅から1.2K程、ここから1K程の下土狩駅も訪問しようと思い立つ。 線路西側、進行左手の住宅街に道を行き、
12:58 新幹線高架下を道なりにくぐる、この辺りまで三島基地の先端が届く。
13:02 長泉架道橋で線路右手に、もう駅は近く、立派な昔からの邸宅もあった。
13:05 下土狩駅着、東海道新線の開業まで三島駅を名乗っていた、島式ホームが1本、
 他に留置線が数本、僅かに過去の栄華の痕跡を残す、55.6KPあり。
 駅周辺に商業施設は見当らず、図書館が入り、駐輪場が併設された黄塗りのコミュニティー施設が建つくらい。
13:37 特殊踏切に戻る、56.6K地点。
13:42 上の山踏切を渡り右手に、57KPあり、真上を1号線バイパスが横切り、海側を平行する東海道線まで100M程。
 この先橋を求めてバイパス直下の歩行者専用道を北にちょっと行き、

 御殿場線:大岡駅
13:52 黄瀬川を渡り沼津市に入る、流れの幅は25M、結構大きな川だ。
 今度は東海道線近くに戻る、同線は線路沿いに住宅街があるが平行道路は無い様で、また御殿場線の方に行くなど、(二股を掛け)なかなか前に進まない。
14:11 東海道と御殿場両線に囲まれた細長い地区をぐるっと回るように歩き、天理教踏切で左手に、57.55K地点、もうホームの出外れまで来た。 
14:15 414号線をちょっと歩いて、大岡駅着、ホーム片面、57.8KP、駅員1名配置。 
 414号線を行き、御殿場線58.5Kの踏切で左手に移り、続いて、
14:34 東海道線第1高田踏切に至る、124.6K地点、 しばらく線路沿いの道があったが、田んぼの中で行止り、あとは小用水沿いにあっちに行ったり、こっちに行ったり、、、
 沼津駅(南口)  2013年8月14日 14:58 金網柵で仕切られた沼津電車区の端に、クモハ123-5043が単車で休む、この辺りで金網内を行く御殿場線と、その外を行く東海道本線が一緒に並ぶ。
15:04 西寺脇踏切(125.7K)で線路左手に、歩行者専用道が伸びる、プリンス系沼津ホテル横を過ぎ、
15:15 沼津駅に到着、島式ホームが御殿場線も含め3本、ホーム熱海方端に126KP立つ。
 ホーム山側の広大な客車区跡は、留置線数本を残し跡形も無くなり、今まさに商業施設か何かを建設中。御殿場線ホームに60.2KPあり。



      (11) 沼津―富士川 23.5K   2001年1月6日(土) 薄晴れ
              (身延線)富士――柚木 1.5K

 本年第1回目、いや21世紀に入って最初の「歩き潰し」です、1997年10月、解体が近い旧国鉄本社ビル前、東京駅北口から歩き始め、今日で120回目、これまで高崎線、両毛線など20線の完全歩き潰しを達成、累計営業キロで1,944キロになります。
 今後どのような展開が待っているのか、皆目見当が付きませんが、JR完全乗り潰しの際の教訓から、「趣味に追いかけられたくない、、、」という意志は強く持っており、誰にも言わず、というか誰も聞いてくれないなか、記録だけはきちんと、めんどくさがらずに付けていこう、と思っている次第です。 
8:11 沼津駅南口を出発、駅前に沼津港行東海バスなど7~8台が停車、路線バスがこれだけ集まる駅はこの頃少なくなった。
 裏通りの小さなスナックなど見ながら線路近くの小道を行き、倉庫地区を抜けると、
8:24 藤倉電線入口バス停を過ぎる、同名の大工場が線路反対側に見える、架道橋に127KP。
8:33 市立第一中を過ぎ、運河の様な川を渡ると地平踏切(128.3K)に達し、ここから沼津貨物駅が線路左手に展開、入替DLの短笛が聞える。  
8:50 今度は片浜中が現れグランド沿いに巻き、128.2Kで線路右手に移る、周囲は住宅と畑、それに小工場も点在。
 なお線路は沼津駅を出てすぐ右カーブ、あとは全くの直線で片浜駅に至り、その後も基本的に富士駅まで直線なのは、以前車内から確認済み。 

 片浜駅
9:16 片浜駅着、地平相対式ホームの橋上駅、130.3KPあり、民営化直前87年3月の開設、北側はすぐ道路が平行、南側に駅前広場がありバスも発着。 
 北口から5F棟が20もある今沢団地が西方向に500Mも伸び、その先は一般住宅街となる。
 そのあと何度か道筋を変え、やがて旧東海道に入る、道は直線。
9:49 大塚集落の高木神社前を過ぎる、他にも整備状態が良い立派な寺社が何軒もあり、ゆとりと落着きのある地区のようだ。
 
10:04 銀行支店を過ぎ程なく原駅に到着。駅舎直結の上りホームに島式ホームで構成され、132.8KPあり、現在工事中で、どうやら島式ホーム1本に纏めてしまうようだ。
10:18 出発、駅を境に寺社は姿を消し、住宅街を歩く。
10:28 沼川第2放水路を渡る、鉄橋左100M
に、この辺り富士山の豊富な伏流水の関係か、水量の多い小川が何本も横断する。
10:46 桃里東バス停、線路海側にパールライス工場が建ち、135.4K辺りだ。
10:56 道なりに植田踏切で左手に、136.4K、すぐ富士市に入り、線路近くの住宅街を行き、 

  原駅
 
 東田子の浦駅
11:10  東田子の浦駅着、富士山が雪を被り真横に大きい。下り片面、上り島式ホーム、137.3KP、ホーム北側はすぐ住宅と狭い畑、100M先には工場も点在。
 さらに旧東海道を進む、前方に白煙を吹上げる製紙会社の大煙突が何本も見え、放水路の流れは藍色、用紙を巻いた大コイルを幾つも積んだ大型トラックの数が急に多くなる。
11:37 右に線路を跨ぎ富士市街に入るバイパスを分ける、旧街道を行くと急にトラックの数が減り、格段と静かになったのは有難い。
12:03 農協鈴川支所前を過ぎる、この辺り落着いた風格のある住宅が多い。
12:08 吉原駅着、駅舎は山側、島式ホーム1本、141.4KP、海側に貨車留置線が7本、その横はすぐ掘り込まれた港が控える、岳南鉄道への跨線橋がホーム静岡方端に、この駅からも富士山をほぼ真横に眺められる。 
 倉庫等港湾施設の並ぶ広幅の道を行く、チップ材の山が聳える集積場もあり、木片の甘い香りが漂い、道路にはチップ片が散在する。
 
 岳南鉄道線は800Mほど本線と平行後、右急カーブで消える、工場の間の引込線の様な線路に1KPが見える。 

 吉原駅  2013年8月14日

 岳南鉄道7003 JR吉原駅より  2013.8.14
12:36 東海道バイパスをくぐり、続けて新幹線高架下を抜ける、右手に近い在来線が抜けるのは143KP地点だ。
12:40 続いて潤井川を渡るが、渡った先は新幹線高架橋のすぐ近く、在来線鉄橋は200M上流、143.5K
Pが見える。
13:00 第一藤間踏切で在来線右手に、144KPがすぐ先、 この辺り線路の様子が見たくて小道に入り、なかなか前に進まなかった。
13:06 藤間三叉路を過ぎる、自動車道をずっと歩けば、道なりにここに出ただろう。
13:16 「蓼原大橋北」で広幅道路を横断、左折すれば新幹線の新富士駅まで約1.2K。
13:25 駅の800Mほど手前で葦原踏切を渡り海側に、もう広大な駅構内に入っており、駅方向に長い貨車留置線が伸びる。
 なお富士市と言えば大昭和製紙だが、工場は144.5K辺りから富士駅に向って広大な敷地を占め、海側は新富士駅近くまで伸びる。
13:35 富士駅に到着、身延線用を含み島式ホームが3本、146KPあり、橋上駅で、山側に人工地盤の歩行者用広場があり、

  富士駅  道路を隔て王子製紙の大工場と対峙する 

 富士川方より富士川鉄橋を望む
14:11 繁華街を抜け住宅街を進み、身延線との分岐点、0.8K地点に達する。なお身延線が分岐しても、同線用留置線が4~5本、400Mに亙り更に張付く。
14:15 身延線踏切を1.03K辺りで渡る、線路はこの辺りから高架へと上りだし、築堤左下に道路が伸びる、近いので行ってみる。
14:20 身延線:柚木駅着、高架相対式ホーム、無人改札口は地平レベルに。 
 同じ道を少し戻り、近道もして、
14:36 東海道旧道の4丁河原バス停に。
14:42~14:47 富士川を渡る、専用歩道があり、自転車3台と会ったが、歩行者の姿は無い、鉄橋は下流500M、147.2~148.1K辺りと車内から確認。
14:58 鉄橋袂に達する、築堤沿いに細道があり助かる。
15:08 富士川駅に到着、駅の右手150Mまで低い山が迫り、海側には富士川製紙、王子製紙の工場、下り片面、上り島式ホーム、150KPが静岡方ホーム出外れ80Mに立つ。 

 富士川駅 静岡方300Mを新幹線が横切る  



      (12) 清水―富士川 19.3K  2001年4月1日(日) 快晴

 本日の行程は途中に名勝:薩埵峠を含み、前方に終始富士山を望みながら歩ける、上り方向に歩いた方が良さそうだ、幸い快晴にも恵まれ、期待した通りの歩き潰しが出来て満足です。 
8:54 清水駅北口を出発、線路左手すぐの道を行く。
9:04 線路左50Mを平行する国道1号線に入り、清水郵便局前を過ぎる、この少し手前で線路左すぐの道は行止りとなった。東海道は中央に樹木が育ち、歩道も整備された趣のある街道だ。
9:15 袖師公民館前バス停、この先線路と平行する遊歩道に入るが、1974年まであった旧清水市内線跡のようだ。  
9:26 庵原川にぶつかり、橋を求めてまた東海道に入り、渡ったら線路近くの袖師横砂自転車歩行者専用道(630M長と案内あり)に入る、ここも明らかに市内線廃線跡だ、なお鉄橋は167.05K辺り。

   清見寺  丘陵を背に、門前は東海道線の切通し
9:37 踏切を渡り線路右手に移る、166.4K辺り、住宅街に段々丘陵が迫ってくる。
9:50 丘陵を避け線路を跨ぎ右手海側に移った東海道をくぐる、この辺り川が横切り、橋を求め少々時間を喰った。
 この先細長い公園、運動場沿いに進み住宅街に出る、線路は左、張出した丘の裾を行く。
10:05 丘を背にした清見寺に到着、参道が跨線橋で門前へと通ずる、165.4KPあり、家康が少年時代、人質として過ごしたことで有名。
10:23 旧水口屋旅館を右に見る、外国人を泊める高級旅館として知られ、現在は地場大企業の研修寮になっていた。 
10:30 興津駅着、地平駅舎が海側に、改札口直結片面ホームに上り島式ホーム、164KP
あり。
10:44 住宅街の細道から東海道に入り、興津郵便局前を過ぎる、街道右手は、コンクリ堤防が邪魔して見えないが、すぐ大海原。
10:56 興津川を浦安橋で渡る、50M先に架道橋が見え、163.01K地点。
11:03 線路から遠ざかるように進み、案内に従い峠に至る小道に入ると、すぐつづれ折れの登り坂となる、途中、丘の形が変るほど大規模に、農地改良工事の施行中で情緒が無い。
11:20 (意外と早く)薩埵峠に到着。  

  興津駅

 薩埵峠より望む駿河湾と富士山
 快晴の中、駿河湾が眼下に展開、伊豆半島の山々、白雲が掛るが大きな富士山も見え、眼下には東海道本線、東海道が海崖にへばりつき、新参者の東名高速は一部はみ出して平行する、素晴らしい景観を我が物に出来た。
11:40 富士に掛る雲が去るのを待っているカメラマンを残し出発。
 全長0.9Kとある丘の尾根道は程なく舗装道に変る、ここまで由比方からクルマでやって来られるのだ、さらに周囲がミカン畑の道を下り、
 線路と人家の狭い帯を挟んで平行する細道を結構長い間歩き、
12:37 由比駅着、改札口直結上り片面、下り島式ホーム、さらに海側に番線の無い片面ホームが1本ある、静岡方に158.5KPあり。
 さらに旧東海道を進む、線路は右手に近い。
12:54 由比の町役場を過ぎる、駅から1.5K、北田という集落で、続いて渡る由比川は現在工事中で仮橋、右30Mの鉄橋に156.9KPあり。
 続いて由比本陣跡(=広重美術館)を過ぎるが、この辺りは観光客が多く、自分も屋台で桜えびの掻揚を食べる(¥150)。 
13:30 東海道本道と合流、続いて東名高速の下をくぐる、線路がくぐるのは155.8K地点。

  由比駅

 蒲原駅
13:42 蒲原駅着、上り改札口直結、下り島式ホーム、155KP立つ、駅前を東海道(396号)が走り、その50M先は山で、小高い所を東名高速が行く。 
14:02 さらに396号線を行き、蒲原文化センター前を過ぎる、近くに警察署、銀行が2つある、駅から1.2K地点。
14:09 さらに500Mほど、蒲原町役場が街道左70Mに建つ、この先しばらく旧街道を歩き、次駅直前で右手に移り、
14:25 新蒲原駅着、1968年10月開設、高架相対式ホーム、152.6KPあり、396号線が山側に平行、その背後は6~70M高の急斜面の山で、たまたま桜が満開一歩手前、観桜客が多い、海側至近に大ショッピングセンターあり。14:55 線路右手すぐの道が途中で細くなって151KP地点に至る、ここまで主に住宅街を来たが、152.1K地点を中心に海側に向け、日軽アルミの広大な工場が展開した。
15:03 幸町踏切(150.5KP)で、線路反対側を来た東海道に入る、線路はこの先左大カーブした後、新幹線をくぐり、もう200M行って、
15:13 富士川駅に到着。 

  新蒲原駅




       (13) 清水―静岡 11.2K  2002年1月12日(土) 快晴

 今日は青春きっぷの使える最終日、9時前に小田原から乗換なしで清水駅に到着、そのまま清水港線の廃線跡歩きに出発、12時頃、路線バスで清水駅に戻り、駅至近の食堂に入る。ここは今は撤退したが、元駅弁屋さんがやっている店で、1階はコンビニ、2階で中華を主に大衆食堂を営み、自分の好みのタイプの店だ。
 ところが、理由は聞き漏らしたが、たまたま半額割引の最中で、まず生ビールが¥275で飲める、これに引っ掛かり3杯飲んでしまい、気が大きくなってあとはどうでもよくなった、、、
 別に計ったわけでは無いが、今日の後半コースは静鉄の清水線がほぼ完全平行、途中エスケープはいつでも可能なようで、折角なのでフラフラと出発してみる、そういう訳で、清水駅の写真は撮り忘れました。 

   清水駅北口  2013年8月14日
12:43 清水駅北口を出発、線路近くの商店街を行き、
12:50 東海道が線路北側から清水港方面へ移る跨線橋下にある波止場踏切を渡る、まだ駅から300M余だが、カーブで駅は見えず。
12:55 巴川を渡る、静鉄線が右200M、JRは更にその60M上流、169.8KPあり。 
13:07 右手線路方に戻り、静鉄:入江岡駅着、駅南側は4階建て市営団地など。
 この先JR、静鉄線が完全平行、線路脇に道が伸びる。
13:13 静鉄:桜橋駅着、170.65K、上下ホームはスペースの関係で互い違いの千鳥式。
13:25 元追分踏切(171.15K)で線路左手に、この辺り小住宅が密集して建つ、
 この先JR、静鉄線に絡みながら住宅街を進む、静鉄:狐崎駅は低い切通しの中、周囲の雰囲気は東京近郊私鉄のそれにそっくり、JR線も近く172.25K辺りが相当。
  172.6K辺りは細切れの畑と茶畑が住宅に混在、172.9Kで狐崎駅辺りから近付いて来た新幹線盛土線路が在来線と完全平行。
13:59 JRと静鉄の間に伸びる旧東海道を来て、静鉄:御門台駅着、銀行もあり商店街もそれなりの構え、周囲はゆとりと落着きのある古くからの集落の様だ。
14:15 草薙駅着、下り島式ホームの海側は柵があり使用せず、中線を挟み上り片面ホーム、174.5KPが静岡方一番端に立つ。
14:37 70M離れた静鉄駅経由、線路左の道を行き、県立美術館前駅着、駅近く、中吉田公園は1000坪位と広く、周囲は高級住宅街。
14:50 静鉄線と一足早く分れ、小川沿いの東名高速高架橋を目印に、中吉田踏切に至り、線路右手に移る。175.12K、草薙駅ホームがまだ見える。
 この先新幹線が邪魔で左の視界利かず、右手は車検場など自動車関係の施設が占める。

 草薙駅

 東静岡駅南口
15:03 静鉄の長い跨線橋がJR在来線、新幹線、貨物線を跨ぎ北側に、175.9K地点だ。
15:17 更に800Mほど、長沼大橋で海側に、250M長、新幹線の走りっぷりを堪能できる、海側に電波塔が林立する日本平の眺めも良い。 線路左手すぐの道(と云っても貨物線が多く、旅客線は良く見えない)を行き、
15:30 東静岡駅着、98年10月の開業、島式ホーム1本、177.7KPあり、草薙方に大きな船の形をした「静岡コンベンションアーツセンター」が建つ。北側は静岡方に静岡車両センターの敷地が展開。  
 線路右手、国道1号線を行く、国道に入る手前には古びた鉄工所もあり、近代的インテリアのトヨペット、マツダの販売店とは対照的な姿を見せる。
15:54 静鉄:柚木駅前を過ぎる、ホームは片面が2つ並び、成田線は東我孫子駅を想い出す、80
M先に2KPあり。
16:01 春日町駅を国道右手すぐに見る、ここで静鉄線は右カーブ、新静岡を目指す、左50MのJR線はもう高架線になった、なお、高架へと上りだすのは178.8K辺りからだ。 
16:19 さらに東海道を進み、静岡駅に到着、高架幅広島式ホームが2本、180.2KPあり。


     静岡温泉:美肌湯  16:45~17:45在 ¥1000(2時間、平日は¥800)

場所:く頻発する市内線バス⑦で行った、所要12分、妙見下バス停から150M、阿部街道の右手に位置、静岡駅から2.8Kほど。
施設:木造モルタル2階建、10年くらい前によくあった日帰り温泉タイプ、駐車場は広く100台は入る。
1階が浴場で、サウナ、打たせ湯などあるが、露天風呂無し、水風呂はパンフレットにはあるが見付からず、2階に食堂と休憩室、大広間は120畳、舞台付、その他宴会場にもなる個室が数室。
お湯:源泉は無色、無味、無匂の平凡なアルカリ泉と含イオウ泉の2つ、後者はタンクローリーで運んでくる(ネット)ようだが、黒湯で硫黄の匂いがきつく格段と温泉らしい。湯船が狭い割に洗い場は30もある。
その他:値段は高いがほぼ満員状態、地元の人に支持されているようだ。、