東海道本線:名古屋ー関ヶ原
西大路ー神戸

      (21) 名古屋―尾張一宮 17.1K 2003年3月13日(木)

 どうでもいいことですが、標記区間ではなく蒲郡ー岡崎間を歩くのが順序です、しかしムーンライトの蒲郡到着時間は5時そこそこ、今の季節、明るくなるまで駅で待つことになる、しかも目下高架化工事が進行中で、待合室はおろか、人が待つ様な場所も無いようだ、名古屋なら到着は6時5分、ちょっと待てば明るくなる、そういう訳で、後先を逆にすることにしました。
6:27 名古屋駅桜通口を出発、名古屋中央郵便局を過ぎると、早くもビル街は疎らになる。
6:40 即武新町交差点、ガードは左90M、367.2K地点、線路はこの辺り3M高の盛土上を行く。
    なお、名鉄線が地上に現れるのは367.4K辺りから、
6:50 レンガ造りの旧工場を再利用したトヨタ系の産業技術記念館が道の右手に建つ、今となっては立派な産業文化財だ。 

  名鉄:栄生駅  2013年12月24日
6:53 名鉄栄生(さこう)駅に到着、「名鉄病院前」と副標記がある高架島式ホーム1本の駅、川に挟まれた狭い地所を指す「狭所」(さこ)が地名の由来とのこと。JR368KPあり。
 線路沿いに細長い名鉄病院を過ぎ、庄内川を渡るため上流に回る名鉄線をくぐり、 
7:10 庄内川堤防上に出る、国道67号線で橋を渡れば西枇杷島町、渡って300M程行き、
7:23 庄内川を渡って戻った名鉄西枇杷島駅ホーム端を国道から見下す、この先すぐ名鉄線はJR線の西側に抜ける。
7:31 枇杷島駅着、新幹線高架下に隠れた小駅、JR上下線に挟まれ東海交通城北線の小ホームあり、名古屋方出外れに370KP、小駅舎の真ん前が明治ガム工場、早くも出勤者が多い。
7:35 出発、通勤車などで大渋滞の67号線を行き、新川を渡り新川町に入る、鉄橋は左250M、駅から700M位、 すぐ城北線をくぐる。
8:07 寺野踏切(371.3K)からキリンビールの工場に沿い、線路との間に小道が伸びる、工場敷地は800M余も続いた。
8:28~8:41 4層の清洲城前で一休み、この先すぐ赤塗欄干の五条川を渡るが、新幹線と並ぶ鉄橋に372.5KP立つ。

  枇杷島駅

  清洲駅
8:58 東名阪自動車道をくぐると程なく清洲駅着、島式ホーム1本、373.8KPあり、地平駅舎は東側、右手やや名古屋方はパロマ清洲工場、左手はノーシンホワイト工場が占める。
 新幹線は駅の250M程西を行く、周囲は新興住宅街、まだ農村ムードも色濃く残る、頭上に飛行機の姿が絶えない、刈谷と異なりここは上昇専門ルートの様だ。
9:28 EF200-901が下りコンテナ貨物を牽いて過ぎた、六角堂踏切(374.8K)のちょっと先。 
9:37 村社日吉神社を過ぎる、この先線路右手すぐの道となり畑が多くなる、11.6KP(稲沢貨物線)あり、また線路左手に稲沢操車場が展開、道は12.1K辺りから舗装が無くなり、小春日和のなか気持ち良く歩ける。
9:45 左にJR貨物の稲沢貨物駅稲沢機関区の入口がある、「中は通り抜けられません」とあり、右100M行って、住友セメント工場の敷地を巻いて進む、前方に銀色に光る跨線橋も見え出した。
9:58 新設の跨線橋を渡り橋上駅の稲沢駅に到着、島式ホーム1本、ホーム東側の旧鉄道用地が公園として整備中、一方、岐阜方隣接地はまだ草ボーボの更地だ、13KP(稲沢貨物線)あり、東海道線KPは見当らず。
 コンコース及び構内の一部を半透明の膜で覆って屋根とした、なかなか前衛的な駅舎だ、 なお稲沢の地名は、付近の集落、稲葉と小沢に因む合成地名とのこと。
10:08 出発、進行左手すぐの道を行き、 
10:18 JR貨物稲沢社員研修所が建つ、独身寮を改装した簡素な造りだ、378KP立つ。

  稲沢駅
 程なく、まず畑、そして広大な田園地帯となる、雪を被った山並みが遠望されるが、伊吹山がどれだかはっきりせず、線路右手はまだ冬枯れの枯草茂る鉄道跡地だ。
 この辺りから稲沢貨物線が西側に出て、電車の走りは見えなくなり、379.5K辺りで両線は合流。この先100M、シャチハタ工場が左手すぐ、この名前、何となく親近感がある、、、379.6K辺り、
10:53 名神高速道をくぐる、380.1K辺り、この手前に市境の小用水があり、例により道が急にはっきりせず、渡るのに手間取った、この先は線路と街道の間の、住宅街の細道を行き、
11:06 妙興寺踏切(380.7K、渡らず)を過ぎる、線路はここから緩やかに高架線へと上る。

  尾張一宮駅
11:20~11:30 彦田公園で休憩、381.65K
辺り、公園の一宮方は県営花池団地。
11:42 北園通りを渡る、この辺りで名鉄本線の高架が左80Mに近付く、もう駅まで500M足らず。
11:52 尾張一宮駅着、高架島式ホーム2本、383KP名古屋方に、3階建の雑居ビル内に駅舎がある、ビルはかなりくたびれが目立ち、近々取り壊されるようだ、並ぶ名鉄ビルは7階建、名鉄百貨店が入る。 
      


       あいち健康の森温泉:もりの湯 13:15~14:15在 ¥600
場所:大府駅から約2.4K、駅前大通りを西に約800M、案内板に従い遊歩道を300M、道なりに次の大通りに入る、迷うことは無いだろう、徒歩36分だった、帰りは名鉄バスで7~8分、1時間置きに出るようだ.
施設:愛知県の第三セクター(?)が経営する医療系11階建てビル「あいち健康プラザ」の4階を占める、ビルの正面、及びロビーはガラス張りの吹き抜け構造、バブル時代の産物かも、、、整備状態は良い。
浴室:20人ほど収容の主浴槽の他はサウナとやけに冷たい水風呂があるくらい、洗い場は11、露天風呂、気泡風呂等は無く、水のゴーゴー音が無く静かなのは良い、ガラス窓が広く、浴室は明るい。
お湯
:無色、無匂、甘辛く、肌にややヌルヌル感があり、マーマ―のお湯だった、地下870Mから汲み上げ、湧出量は158トン/日。
その他:ビル内の温泉で期待しなかったが、お湯は標準以上と感じた、値段も手頃、近在の人には格好の日帰り温泉だ。  

  あいち健康の森温泉:もりの湯(の入るビル)


   (22) 尾張一宮―穂積 19.2K 2003年4月9日(水)
 今春の青春きっぷもこれで2枚:10回分使い切ることになった、内6回を“大垣夜行”に充て、我ながら健闘していると思う、この夜行日帰りスタイルは、前夜の寝不足がある分帰りの長丁場は夢の中となり、それほど苦にならないのが助かる、どこまでやれるか分らないが、関ヶ原を越えると歩行時間がかなり短くなり、非効率が目立つ様になるだろう、それまで節制して頑張ろうと思う。  

  尾張一宮駅  2013年12月24日
6:40 尾張一宮駅を出発、高架右すぐ下の道を行く、岐阜方向に商店街は無く、右手はすぐ中小倉庫、住宅街となる。
6:45 東邦ガス一宮営業所を過ぎる、屋上に小電波塔が立ち、車窓からの目印になる、383.6K地点。  
 この先一宮駅から左手に完全平行する名鉄線側に移り、
7:04 郷東踏切(384.5K)でまた線路右手に戻る、踏切右手は大型商業施設の駐車場、3000坪位あり、残っている塀から工場跡地利用と判る。
7:10 宮後道踏切(385KP)を渡りすぐの名鉄今伊勢駅着、無人駅で、駅右手に12階建てのマンションが建ち、周囲は住宅街、なお駅の300Mほど手前からJR線路が地平に降りた。 
7:20 385.5KPを過ぎる、通勤時間帯で、2M横の上り線に主力の311系に加え、特急用681、485系、それに日中は姿を見せない117系が加わり、時を忘れる。通勤電車は立ち客の間から線路反対側が良く見え、名古屋圏の通勤者が羨ましい。
7:26 名鉄石刀駅着、石刀踏切(385.8K)のすぐ先、この駅も右手に11階など大マンションが3棟建つ住宅地だが、畑も残り、農村地帯の雰囲気も色濃く残る。
7:49 更にJR線右手を進み、高野踏切(387K)で左手に、この辺りから急に田園地帯となり、すぐ東海北陸自動車道をくぐる(387.1K)、また名鉄本線はこの先200M程、JR線と間を置く。
8:02 左に黒田小学校を見る、388KPあり、もう400M先に駅が見え出す、なおこの辺りは戦国時代、織田家の家老山内家の所領で、夜襲を逃れ生き残った少年が後の山内一豊との案内があった。
8:12 木曽川駅着、ホーム島式、388.5KP立つ、地平木造駅舎が進行左手に、駅周辺は古くからの集落、駐輪場の自転車数たるや圧倒される、整理員が数名出ていた。
 線路右手の住宅街をしばらく行った後、 
8:22 架道橋で線路左手すぐの農道に入る、389KP地点、名鉄線は田んぼの先200Mに平行、岐阜城が前方の丘上にはっきり見え出す。
8:39 また線路右手に移り、373系上りホームライナーに会う、前夜乗車のムーンライトの片割れ、389.9K辺り、北方中学校が右手に、線路は鉄橋を前に盛土上を行く。

  木曽川駅

  木曽川鉄橋(岐阜県側)  
8:48 木曽川鉄橋の袂に立つ、390.6K地点、天気だと車窓から左真横に伊吹山の美しい山容が見えるのだが、今日はポツリポツリの状態で雲の中。
8:55 鉄橋から250M上流の国道22号線、新木曽川橋袂に到着、橋は約400M長、カメラを構えるも大型トラックが多く、結構揺ら揺ら、風も強く手元がおぼつかない。
9:11 国道橋の方が長く途中で降りられず、ちょっと時間を喰い、鉄橋の岐阜側袂に到着、391.2K辺り、天気が急速に回復、ここで小休止を取り、 
9:20 出発、盛土線路沿いに行く、この区間は200M幅のいわゆる高水敷で、その間は田んぼと畑、そしてまた立派な堤防上に出る、乗客用の「木曽川看板」はここにある。391.4K地点。
9:37 下田橋橋梁、392KP見える、車内からの目印は、右手200M、8階建のピンクとグレイのド派手なラブホテルだ。
9:54 線路を背にして建つ岐南町総合体育館、右手の町立図書館など過ぎ、高規格道路国道21号線をくぐる、ちょうど393K地点、この辺り前後各1Kが直線、総じて名古屋以西の線形は良い。
10:12 境川を渡る、堤防に菜の花が咲きのどかさが残る、渡った真正面に厚見小学校があり、道路は左右に巻く、鉄橋は左130M、394KPが見える、鉄橋の先で線路は盛土から高架線に変る、なお境川はてっきり木曽川の支流かと思ったら、はるか西に進んで長良川に入る、他所者にはヘンな川だ。
10:26 境川の支流の新荒田川を渡る、左90M、名鉄線が地平を平行、395K地点で、この先線路は左長大カーブを描き、395.44K辺りで真っ直ぐ西進してきた高山本線と完全平行する、周囲は住宅街。 この後500Mほど両線が並走、ホーム100M手前で名鉄本線を跨ぎ、
10:47 高架の岐阜駅に到着、駅ビルの2階に出改札口、3階に島式ホームが3本、東海道上下線で高山線島式ホームを挟み込む格好、396.4KPあり、駅南側の名古屋方では公園の造成工事中。
11:12 駅前の小川を配した小公園で小休止後出発、高架線路沿いの大通りの左手は有名な金津園、店の前に黒服の男が立つが、流石リュック姿の自分には声を掛けない、しかしこの通り駅ホームからもよく見え、入るにはちょっと勇気がいるのでは、、、
11:23 高架右手に移る、すぐ大型商業施設「オーキッド」がある、NTTの電波塔付ビルもあり、車窓から目印になる、「オーキッド」の大垣方端は397.5KPが対応。

  岐阜駅(南口)  2013年12月24日

  西岐阜駅
 静かな住宅街を見ながら高架沿いを進み、線路左手の大変電所を過ぎ、399KP辺りで線路が地平に降り、
11:53 西岐阜駅着、駅舎は線路を跨ぐ広幅道路に面し、島式ホーム1本、399.5KPあり、、国鉄民営化直前の1986年11月の開業、ここまで岐阜駅から線路は真っ直ぐ、岐阜のお城もはっきり見える、
12:06 線路左手を行き、ドブ川:論田川を渡る、鉄橋は399.9K、ここから岐阜貨物ターミナルの敷地が始まり、コンテナが多数置かれている、400KPが敷地の端に立つ。 
12:16 乙下野橋りょう、ここから日通ペリカン倉庫が大垣方に始まり、すぐ右手に岐阜貨物ターミナル駅の簡素な建物が現れる。
12:27 長良川堤防に上る、歩行者専用踏切があり、401.26K地点、穂積大橋が900M下流に見え、少々意気消沈。
12:42~12:48 長良川を渡る、片側3車線、歩道完備の立派な橋、途中、熟年女性2人とすれ違う。
13:03 小休止後、鉄橋の大垣方袂着、401.7K辺り、450M進むのに36分要した、この歩き潰しの宿命です、、、
 古い住宅のぎっしり詰った集落内の道を、右手に盛土線路を見ながら歩き、
13:13 穂積駅に到着、盛土線路上に島式ホームがあり、駅舎と出改札口はその下に位置、402.3KPあり、ホーム上から眺める街は結構大きい、駅前には程よい駅前広場もあり、路線バスも発着。 

  穂積駅

     スーパー銭湯:ユートピア大垣店  13:35~14:05在 ¥400

場所:国道21号線の高速ICの様な分岐点の西側、小野3丁目にあり、線路からも300M足らず、407.9K辺りに相当、目印はパチンコ屋「金星」、大垣駅からタクシーで7~8分、¥1,030、帰りは歩いたが、駅まで22分だった。
施設:いわゆる天然温泉付き銭湯、主浴槽、サウナ、やけに冷たい水風呂、岩風呂風露天風呂もある、洗い場が26と多く、石鹸、シャンプーが無いのが銭湯と同じ、
お湯:無色、無匂、無味、弱アルカリ性単純含土類重曹泉、平凡そのもののお湯だが、「日本健康開発財団」の温泉成分分析書が掲出されていました、、、
その他:結構老人で賑わっていた、皆クルマ、自転車で来るようで、駐車場は広い、追記:2008年11月廃業とネットにあり。 




   23)穂積―荒尾11.1K 大垣ー荒尾5.5K 2003年10月8日(水)曇り

 “大垣夜行”も167系で運行の輸送力列車2回を含め、本年1月以来今夜で8回目、これまで全て自由席に乗車した。しかし昨7日、自宅最寄駅の私鉄系旅行代理店前を過ぎると、たまたま大変暇で、試しにたたいてもらうと取消が出ており、大枚¥510をはたいて購入する。
 指定席車は別段設備に差があるわけでは無いが、静岡、浜松など深夜停車駅で客の出入りが殆ど無く、眠りを妨げられることが少ないのが良い、また携帯が頻繁に鳴る訳あり的な人、ホームレス的な人も見掛けなかった。なお373系の場合、ご自慢のワイド窓が災いして、窓際席は深夜冷える。 
6:53 穂積駅を出発、首都圏全く変らない住宅街の道を行く、ここの出勤時間は早く、通勤客が徒歩、自転車、そして家族運転のクルマでどんどんやって来る、右手100Mに築堤線路が平行。
 程なく旧集落に入り穂積中学校を過ぎ、さらに1K,五六川を渡る、鉄橋に404.3KPが見え、駅からちょうど2K来た。
 「穂積は別府輪中に囲まれた町」と駅近くに案内があったが、長良川、揖斐川に近いことは確かだが、特に堤防により守られている感じはしない。と思ってしばらく行くと、前方に犀川の堤防が現れ視界を遮る、普通の川なのにやけに堤防が高く、どうもこれが輪中らしい、先刻の五六川は川幅90Mと広かったが、堤防の高さは普通、或いは交通の邪魔になり削ってしまったのかも、、、
7:32 宮前橋梁(405.1K)をくぐり線路右手に移る、ここにも広大な田園地帯が展開するが、所々、新築住宅、アパートによって蚕食されつつある。
ここからちょっと1Kばかり寄道をして、樽見鉄道の十九条駅へと北に進路変更する、樽見鉄道は東海道線と一緒に大垣駅を出て約4K完全平行、揖斐川を渡ったら北に進路変更、樽見に向う第三セクター鉄道で、十九条駅周辺は律令時代の条里制の名残が現在も残る地区として知られ、訪問してその片鱗だけでも味わいたかった。  

  樽見鉄道:十九条駅
7:48 田んぼと農家の間の道を行き、樽見鉄道:十九条駅着、片面ホーム、ホーム前に児童用の小さな十九条公園あり。
 
 大垣に向い線路右手近くの道を行き集落に入るが、結局ぐるっと小集落を一回り、犀川が大きく蛇行していることが原因。或いは輪中の影響かもしれない。 
8:10 犀川を渡り、道路から分れ右岸堤防を行く、堤防に渋い赤色の彼岸花が咲き乱れる、程なく犀川鉄橋が現れ、大垣起点5067Mと標示あり。
8:21 横屋駅着、片面ホーム直前の踏切で4717M地点、駅の周囲は田んぼ、住宅少々。 
8:26 たまたまややくたびれた下りレールバスがやって来た、写真を撮って出発。
 なお、この辺り棚橋さんという苗字が大変多い、立派なお屋敷の表札、たまたま見掛けた国会議員のポスターもそうだった。
8:34 T字路に出る、角に2階建アパートが建つが、ここにも棚橋さんの名が、、、先刻十九条駅方向に分かれた左手に東海道線を見る道の続きだ。
8:48 宮前橋梁先の分岐点(7:32)まで行ってまたT字路に戻る、ちょっとこだわり過ぎ?

  樽見鉄道:横尾駅

   樽見鉄道:東大垣駅
8:55 樽見鉄道揖斐川鉄橋の袂に到着、4KP立つ、東海道本線のそれは下流250M、鉄橋長約400M。
9:00~9:07 歩行者・二輪車専用鉄橋が、東海道線鉄橋(中央に406.2KPを確認)の右50Mに平行、旧鉄橋を転用したもので1886年製と刻印がある、東海道本線の全通は1989年だから、その当時のもので、今や貴重な鉄道文化遺産だ。 
9:10 樽見鉄道鉄橋の大垣方袂に到着、3.6KP、伊吹山が霞んでシルエットで見える、 薄日が差し始め歩くには最適の日になる。
9:24 東海道線築堤右下すぐの道を行き、樽見鉄道東大垣駅着、島式ホーム、交換可能、木造小駅舎あり、大垣方出外れに2.8KP
あり、左30Mを東海道線が行き、407.1K辺りが相当、北側は広い田んぼが展開。 
 この先線路左手に移る、線路を跨ぐ国道21号線を過ぎると突然視界が拡がり、半年前に訪れた「天然温泉ユートピア」(407.9K)の看板が見え出す、この辺りまだ田んぼも残る。 9:54 温泉前を過ぎ、道なりに線路左手すぐの道となる、408.6KPあり。
 やがて左手にテイセンの大工場跡地を見る、南側にジャスコの大型店舗が建つが、これもテイセン跡地だろう。 

  樽見鉄道:東大垣駅 右は東海道本線 

   大垣駅  2013年12月24日
 労基署前を過ぎ、ちょっと寂れた感もする昔からの商店街を200M程歩いて、 
10:13 大垣駅着、駅ビル「アピオ」の2階が出改札口で、ホームは地平片面に島式ホームが2本、②③島式ホームの米原方を切欠き、赤坂支線用④番ホームを設け、樽見鉄道は⑥番線を使用、410KP立つ。
 商業ビル、ビジネスホテル数軒、近鉄養老、揖斐線も発着する南口に比べ、オーミケンシ工場のあった北口は、一段寂れた感が否めない。
10:30 北口を出発、線路近くの細道を行く、SC横を過ぎ、鐘紡工場前に出ると、右に迂回するしか無く、線路左手に、410.6K辺り、線路左手近くに道が伸びる。
 やがてJR東海大垣運輸区の検修庫、事務棟を右に、広大な工場跡地を左に見ながら進み、7~800Mも行けば近鉄揖斐線の踏切を道なりに渡る、車両区はここまで、411~411.8K辺りと帰路確認。
11:15~11:25 彼岸花が咲誇る赤坂川の堤防で、大垣駅ビルで購入した弁当で昼食、堤防から見ると、100M先にもう1本小川が横断、その先は広い田畑で道路は見当らない。
11:26 右手すぐの赤坂川橋りょうをくぐり線路右手に移る、411.9Kとある、線路近くに道があるものの、広い田んぼの中に小川や用水が隠れている可能性大で、 
11:30 手戻りを恐れ300M近く離れた県道231号線に入る、笠木町、コスモSCが角にある、すぐ先刻堤防で休んだ赤坂川を渡る、線路左250Mを行く。 
11:42 熊野町交差点で国道21号線を横断、なお、線路がくぐるのは413KP地点。
11:48~12:00 熊野町公園のベンチで一休み、食べたら疲れが出てきた、左手すぐを線路が行き、ちょうどこの413.08K辺りで下り本線から上り本線を亙り美濃赤坂支線が分岐する。
12:04 美濃赤坂支線:荒尾駅着、右カーブした片面ホームが1本、右手は道路を挟み宇留生小学校、左手100Mを東海道線が行き、美濃赤坂方は鎮守の杜を擁する御首神社の境内。
 ホーム出外れの踏切で(荒尾信号場起点)0382Mとあり、東海道線は413.4K辺りが相当。 

  美濃赤坂支線:荒尾駅 前方が大垣方
 さてこの先500M行くと、“新垂井迂回線”が分岐する、詳細は略すが、戦時下の1944年、勾配緩和による輸送力増強を目的に建設された下り別線(単線)で、1981年までは途中に新垂井駅もあり、短編成の普通電車が僅かだが運行されていた。
 実はこの登攀専門の別線、一時は鉄道趣味誌のグラビア写真に何度も現れ、自分も少年時代、心躍らせた覚えがある。本日はこの別線沿いに歩き、途中切りのよい地点で切上げ、運が良ければ路線バスを捕まえて、垂井駅経由、帰宅の途につきたい。 
12:13 御首(みくび)踏切脇を出発、413.4K、複線の本線が左10Mを行く、線路はここから築堤で北方向に上り始め、築堤右下すぐに道が沿う。
12:36 415KPを過ぎる、サラリーマン住宅が右手に続く、迂回線の沿線がこんなに都市近郊の雰囲気も併せ持つとは知らなかった。
12:54 線路と200Mほど離れ、左に方向修正、右に行けばすぐ昼飯八幡神社で、この辺り「昼飯」という名の集落だ。
13:04~13:11 円光寺踏切(416.5K)で線路左手に、広大な田んぼの一隅で小休止、ここも彼岸花が満開、この花は群生する性質がある様だ、この辺り東海自然歩道の一部だ。 
 線路は雄大な左大カーブを描きながら、前方に近付いた丘陵を目指し上っていく、少年時代、趣味誌のグラビアで見た光景が瞼に焼付いており、初めて来た気がしない、、、
  この踏切から先は、線路近くの道が無くなり、田んぼの中、200M程離れた農道となる、線路は丘中を10‰連続勾配で上って行く。
 美濃国分寺跡として案内板のあった樹林帯は、道路もまた浅い切通しで抜ける、線路は300M長のトンネル内の筈だ、この後、道は丘裾沿いに進み、途中一度だけ、右200M、丘腹の15M程高い所まで上った線路をちょっと見たが、後はまた丘中に消える。
 この先は目印になるような集落、構築物が無く、時間の記入が難しくなる、丘裾もくねり、道路もくねるなか、線路は地形に捉われずほぼ直線で主に丘中を上って行く。
 丘裾を行く道は段々線路から離れて行くようで、やがて広田の中の農道となり、県道215号に出る、線路が右手400M程まで離れた山腹を行くのが見えた。
  先は長いが、今日中に(各停で)帰るには、「そろそろ切上げ場所を決めねば」と案じているなか、
13:55 県道215号と216号線が交差する、ガソリンスタンドが角にある交差点に到着、今日はここで終了、215号線を一路南方向に垂井駅へと急ぎ、
14:12 案内に従い、中山道旧道に入る、角にコンビニ店があり、発泡酒などを購入。
14:22 垂井駅に到着、次の上りは14時37分発、南武線の登戸駅まで6両の電車で繋ぎ、自宅到着は22時30分、8時間の道中の大部分を寝て過ごしたが、もう夜行日帰りの限界に近付きつつあるようだ。    



   (24) 近江長岡~伊吹山頂~柏原 4.3K 2003年10月16日(木)

 東海道本線歩き潰しも、本年1月以来、「ムーンライトながら」の活用により、順調に距離を伸ばし、今回は滋賀県に足を踏入れられそうだ。しかし、夜行前泊で歩き、当日中に帰宅するコースがそろそろ体力面ばかりでなく、時間的にも不可能になりつつあり、今回からいよいよ宿泊を考え、これで姫路位まではどうにか凌げるのではないかと思っている、果してどうなることやら、、、
 さて今回は、前々からその優雅な山容に魅せられ、一度登ってみたかった伊吹山に挑戦する、この機会を逃すと、冬は勿論、春の青春18きっぷシーズンも、まだ雪がありそうだし、夏は樹木が少なく日影が殆ど無いそうだし、結局1年待つことになりそうで、急に決行を思い立った次第。 

  近江長岡駅
7:32 近江長岡駅を出発、登山口行バスは
8時43分まで無い。なお、近江長岡駅は島式ホームが2本、434.4KPあり、駅の東200Mまで山が迫る。進行線路左手すぐの道を行き、 
7:44 道なりに伊吹道に入る、線路は右手100M、丘裾を行く、
7:48 新幹線築堤をくぐる、396.8K地点、その先は3M幅遊歩道が伸び、快適な歩き。
8:13 高番信号、沿道の住宅はどれもしっかりした造作で、岐阜県側に比べ歴史を感じる。
8:23 大阪セメント前バス停(湖北バス)着、工場は以後、登山道からよい目印となった。
8:26 3階建の伊吹町役場を過ぎる、この辺りが町の中心で、滋賀銀行の支店もある、来月から山東支店の出張所になるとの掲示が寂しい、、、
8:31 伊吹山登山口バス停着、待合室があり、シーズンは混雑するのだろう。
 最初は階段だがすぐ終り、杉林の中の石の多い道に変る、傾斜は結構きつい。 
9:03 一合目、標高420M、リフトの終点、ここまでリフトで上って来る人もいる、この先はスキー場の斜面を登る、樹木が一切ない草地の急傾斜の道、第2リフトもあるが休業中。山頂まで5000Mと案内板あり。琵琶湖がきれいに見え、こんなに近いとは思わなかった。

 山は石灰岩で構成、水分を保てず、樹木が育たない

 九合目より直下の三合目スキー場、麓の伊吹町を望む
9:41 三合目、標高720M、高原状の鞍部にあり、少し先に麓からも見えた伊吹高原ホテルが建つ、
 ポツポツ降って来て、山頂などあっという間に雲の中に隠れる。
10:04 五合目、標高880M、ここまで、雲の中で視界があまり利かず、登山道が自動車道と交差して判り難いなか、リフトの支柱を目指して上った。 
 この先さらに傾斜が急になり、ジグザグの繰返しで高度を稼ぐ、この辺りも雲の中で、本当にこの道でいいのか不安に駆られながら、
10:30 七合目、標高1080M、この先雨が上ると共に、急に視界が開け、琵琶湖が大きな姿を現わし、竹生島もよく見える、湖岸には新幹線高架線も走る。
11:01 九合目、1300M、
11:08 伊吹山頂に到着、1377M、山頂は台地状、駐車場から80M上れば、山頂まで来られるので、登山では誰にも会わなかったのに、急に賑やかになる。薄日が差すものの冷たい風が応える。
 展望は濃尾平野側は殆ど見えない。 

  伊吹山頂 

 近江長岡駅より大阪セメントへの引込線跡
11:30 出発、同じ道を下る、
13:50 三乃宮神社のある登山道入口に戻る、登山道は総じて傾斜はかなり急で、特に二合目からのスキー場斜面の下りは、ウォーキングシューズのせいもあり、雨で濡れた土の道につま先をやられ、上りより時間が掛ってしまった。
 なお、山頂まで標高差1200M余を7時間で往復したのは標準タイムとのこと。
14:00 登山口バス停に到着、20分待てばバスがあるのだが、これから柏原駅に行こうと思っており、乗らなかった。 
14:51 朝方くぐった宮西架道橋のちょっと米原よりの琴岡架道橋に達する、396.8K、天野川堤防のすぐ近くだ。
 さて近江長岡から柏原まで、在来線は山裾を行く、山塊は始め東に1K、後はほぼ直角に南に方向転換、線路もそれに従う、つまり車窓からは、進行左は広田の先に伊吹山を望みながら、右はすぐ近くに山肌を見ながら柏原駅に至る、また道は東側の山裾沿いに付いているが、伊吹町からだと、順路として線路西側を行きたい。
15:02 天野川を渡る、この先南に転身した天野川を渡る鉄橋袂(4334K)まで行ったが、人橋は無く、
15:20 かなり引返し、天野川右岸,先刻渡った橋の袂まで戻る。あとは時々、広田の中に隠れる小用水に行手を遮られながら進み、線路の左手、3~400Mの主に農道を南に向ってに歩く。
 駅の北側近くにある、線路がその西側を巻く小さな独立丘陵は、東側を巻く道が判り易く、集落に入り大垣方ガードをくぐって駅に。 
16:03 柏原駅着、島式ホーム2本、米原方に431KP立つ、汽車旅時代の雰囲気充分な好ましい小駅舎が南側に建ち、屋根越しに朝方登った伊吹山がよく見える。北側150M、人家を挟み先刻巻いた小丘陵が視界を塞ぎ、その向うに広大な田園地帯が展開するなど、知らなければちょっと想像できない、駅の南側にも2Kほど平野が拡がる。
 柏原駅  2004年3月27日
 明日は「関ヶ原逍遥」を予定しており、大垣で下車、ビジネスホテルを探すが、結構値段が張り適当なのが見付からない、大垣は大企業系の工場が多いせいか値段は高いようだ、こういう時乗り放題きっぷは便利で、名古屋まで行くことにして駅に戻る。
 途中、岐阜駅に進入する高架線から、ソープ街に近いホテルの看板「宿泊料5000円」を見て、気が変る。 


        ホテル山水: 406号室(SB) ¥5,000

 駅南口から200M位、ソープ街の隣に位置、車窓からもよく見える、深夜人の出入りが多いのは覚悟の上、前夜殆ど寝ていないのだから良く眠れる筈と読んだ、、、 
 泊ってみると普通のビジネスホテルで、意外なほど静かだった、築25年は経過しており、水回りが劣化、風呂の湯を抜くと一時洗面所のタイル上に迄、水が溢れ出たのは気になったが、料金からみて贅沢は言えない。
 20時前に就寝、眼を覚ましたらちょうど5時、6時半ころチェックアウトしたが、その頃ホテルに戻る妙齢のご婦人が1人、それで判ったが、このホテル、ソープに遊びに来る人ではなく、そこで働く人の基地になっているようだ。 


    (25) 美濃赤坂ー荒尾1.9K 荒尾ー関ヶ原ー荒尾13.6K 
                      2003年10月17日(金) 
快晴

 岐阜駅から大垣へ向う、やって来たのは前夜東京発のムーンライト、連日の乗車になる、美濃赤坂行は7時25分、大垣駅ビル1階のコーヒー店に、開店と同時の7時に入り、モーニングセットの朝食、今日まず美濃赤坂駅から歩き始め、荒尾経由関ヶ原駅を目指し、、、、頑張って行きます、、、

  美濃赤坂駅 構内は荒尾方に長い 
7:41 美濃赤坂駅を出発、古びた無人木造駅舎に片面ホーム1本、貨車の留置線が多く、旅客線の影は薄い。付近の山で産出される石材は有名で、国会議事堂にも地元の石材が使用されているとのこと。
 線路左手の道を行く、石材工場が沿道に並び、白の大石板が何枚も置かれている。
 赤ナンバーEF651078 号機が右手すぐの副本線で待機中、駅から約400M、荒尾信号場起点1.2K、ここまで駅から側線が伸び、かつて長大編成貨物の発着があったことを偲ばせる。
8:04 大垣共立銀行、JA西美濃の支店がある四つ角に達し、
  
8:07 片面ホームの荒尾駅に到着、これで美濃赤坂線の歩き潰しを完了、本線を関ヶ原駅に向けて歩き始める。 
8:10 上り線御首踏切(413.4K)、続いて下り線同踏切を渡り、本線左手の田んぼの農道に入る、線路は右手80M、今日の伊吹山は雲一つない、ヒバリの大合唱。
 やがて大谷川にぶつかるが橋が無く、左250Mに平行する国道21号線(中仙道)まで行き、
8:37 大谷川を渡る、地元では矢道川と呼んでいる、渡ってすぐの長松町東交差点を右折、道の左手に4階建団地を見て、
8:47 矢道踏切で線路右手に移る、415KPが近い、右手も広い田んぼで農道が伸びるが、大谷川の堤防上を線路方向に500Mほど進む、
 右手2Kに金生山が見える、美濃赤坂駅から近くに見た時は全く普通の山の姿だったが、ここから見ると山の芯まで削り取られ痛々しい姿だ。
9:04 新築の町営デイサービスセンターを過ぎる、この先住宅街の端に取付くが、道筋定まらず。 
9:23 垂井町立東公民館前を過ぎる、JA西美濃の支店も近い、左の線路方向に行きたいが、古い大煙突の立つユニチカ工場が介在し、塀沿いに歩くしかない、線路は荒尾から垂井までほぼ直線なのに、なかなか前進せずもどかしい。
9:30~9:37 「ユニチカパナタウン」という案内図に189戸とある戸建て住宅団地を、私設(?)6M道路で過ぎると、
9:40 突然県道215号線、それも昨8日、発泡酒を購入したコンビニ前に出る。
9:48 相川を先日より250M下流で渡る、鉄橋は左150M、中央に417.9KP、渡ればホーム端まで50Mほど。

   垂井駅
9:52 垂井駅着、新しい瀟洒な駅舎の橋上駅、片面ホーム、島式ホーム各1本、コンコースから見ると、左500Mの山裾を新幹線が行き、この先徐々に在来線に近付く、要は谷幅が狭まり、鉄道も道路も狭間に収斂し始める、その戸口に位置するのが垂井駅なのだろう。 
10:07 出発、線路右手を行き、程なく町役場を見る、筑30年は経過しており、簡素な造りに好感が持てる。
10:17 架道橋で線路左手に、まだホーム端から250M程、住宅街の細道を少し行って、国道21号線に入る。
10:26 前川踏切で位置確認、419.1K辺り、新幹線が左手400M位を行く、この辺り田んぼが姿を消した台地で、工場が多いが、まだ谷合の感じはしない。
10:47 線路をくぐり右手に抜ける21号線のバイパス工事現場に出る、歩行者は左手の旧道に誘導される、新築のデイケア―センターが近い。
 この先、旧道のまた旧道が伸び、沿道の住宅も古く、道の曲線に手作りの温もりを感じる、この辺りから谷幅が400M程に狭まり、左手山裾を行く新幹線も近付く、在来線は右60Mに平行、沿道に松並木が現れるが、近年の植樹でまだ小さい。 
11:10 野上踏切で位置確認、421.8K辺り、線路右手20M下に田んぼが見える。新幹線がさらに近付き、左手80M、15M程上を行く、
 この先、町で設けた石畳道が道なりに50Mほど、六部地蔵が祀られている、ちょうど422KPがあり、ベンチで小休止。
11:29 すぐ右手の堂街道架道橋で位置確認、422.7K辺り、                        
11:34 道なりに21号線に吸収される、中山道は関が原東町交差点の手前から2車線に狭まり、大型トラックの通行も多く、バイパスが増強中なのも頷ける、なお、歩道は少なくとも片側に防護柵付で確保されていた。
 但し、2車線道になってからの街並は、旧街道の雰囲気を濃厚に残し、トラックなどがバイパスに回れば、将来格好の歴史街道に変るのではないかと思う。
11:47 関ヶ原駅着、大きく堂々とした木造平屋建駅舎に島式ホーム2本、米原方ホーム出外れに424KPあり。左手に集落、5~600Mで山、右手は300Mで山。 


   関ヶ原駅
 昨日登った伊吹山は標高差が1,200M、傾斜もきつかった、そのせいか今日は爪先が痛み、並足で歩けないほど、垂井から関ヶ原まで営業キロで5.7K、線路近くの平行道を行ったのに、2時間近くを要し、実はもう切上げて帰りたいが、それでは新垂井迂回線が中途半端な形で終ってしまう、“足”に鞭打って出発した。 
11:53 出発、大垣方に向い線路右手すぐの道を行き、程なく先刻歩いた21号線に入る。
12:07 関ヶ原東町交差点を左折、御所街道架道橋(423.1K)を始め、続けざまに計3つの架道橋をくぐる、関が原変電所があり、一番北側の盛土をこれから辿る下り迂回線が行く。
 程なく山裾を行く東海自然歩道に入るが、この辺り「関が原の役」古戦場が幾つもある。
12:14 道なりに大高橋りょう(425.5K)をくぐり、盛土右手に、谷幅は約600M、新幹線は右手の山裾、田んぼより50M高い所、在来線は右手400M、15M上を行く、迂回線は左120M、4~50Mの低い丘の腹を下り、時々樹林に隠れる。この辺りは大垣市街の眺望も利く、農家の赤い柿の実が映え、天気最高、素晴らしいハイキングに足の痛みを忘れるほど。
12:22 東海自然歩道を道なりに垂井町に入る、小道にバッタが多数跳ねる。
12:40 伊富岐神社が丘を背にして建つ、この地の豪族伊福氏を祀った由緒ある神社だが、今は無人のようだ、杉の大木が歴史を感じさせる。線路は神社裏手の丘中をトンネルで行き、300Mくらい離れるようだ。 
13:06 丘が後退、田中の未舗装農道を300M程行って、長尾踏切で位置確認、423.4K、この辺りからも濃尾平野の眺望が良い、423.1K辺りにトンネルの関ヶ原側坑口が見える。
13:27 竹中氏陣屋前に出る、豊臣秀吉の軍師であった竹中半兵衛の子孫が5000石の御旗本になり、子孫がこのお屋敷に現在も住んでいるとの案内あり、
13:36 宮前踏切で位置確認、422.1K辺り、線路は珍しく前後1.5Kに亙り真っ直ぐ、南側は広い田んぼが展開。
 この先、200M離れた農道を行く、突然線路検測車:008-32Uが停車しているのが見え
13:53 新垂井駅(跡)に到着、駅舎は撤去されて無いが、駅前小広場と大垣方に伸びた長い片面ホームがあり、汽車旅時代の雰囲気が残る、ホーム脇の岩田橋りょうで421.5K地点、駅前に円形3階建のY病院が建つが人の気配が無く、廃業したのかも、北側は低い丘が近く、小集落もある。 
 この先また線路近くに道が無く、300Mも離れた、立派な直線舗装道路に入り、

 新垂井駅跡 ホーム寄り副本線は撤去、前方が大垣方面
14:17 53号線との交差点に出る、線路は左200M、丘裾に沿った緩い長大カーブを行く、たまたま下りコンテナ貨物がやって来たが、400M近くある長大編成の全景が見渡せる。
14:21 道路から80M程に近付いた下之尾橋りょうに出て位置確認、419.8K地点、この後道は右に折れ、田んぼの中を500M程行くが、途中から見覚えのある風景になって、 
14:34 先日切上げとした216号線との交差点に到着。これで新垂井迂回線の歩き潰しを完了。
 今日のスジは前回より1時間遅くなっただけだが、ほぼ全線に亙り、高校生、通勤客の帰宅時間帯ピークに重なり、浜松から藤枝まで立つなど、靴を一度も脱げないまま川崎まで来てしまった。
 帰宅すると、右親指の大きな水豆、その他左中指のマメが破れるなど、かなりひどい状態になっていた。 



        (26) 大阪―高槻 21.2K  2003年12月22日(月)

 鉄道の日記念きっぷ2回分を東海道本線に投入、初めて宿泊も取りいれ、穂積から関ヶ原まで新垂井迂回線を含め歩き潰しを完了、併せて伊吹山にも登った。
 順序からすると次は米原、彦根と歩くのだが、雪こそないが、伊吹山塊から吹き降ろす北風は半端で無く、ちょっと歩けたものでない、それで冬の青春18きっぷは京阪神方面歩きに充てることにして、ムーンライトながら91号の人になる、この輸送力増発列車も、今夏から車輛が167系から189系に変り、走りは確かに静かになった。 
 大阪は2000年2月の出張以来4年近くのご無沙汰、今朝はスモッグが出て空はボンヤリ、東京に比べ少々大気が汚れているようだが、気のせいかな、、、
8:15~8:32 大阪駅北口2階、阪急連絡道沿いの飲み屋街でモーニングの朝食、実は大阪によく出張した頃、会社指定の駅内ホテルに泊るも、朝はこの辺りで済ませ、帰路、浮いたお金で新幹線100系食堂車でビールを飲むのが、ささやかな楽しみだった、当時は「会社の人に見られたら、、」と思い、目立たない外れの店に入ったものだ。 

 大阪駅   2014年1月10日
8:34 大阪駅北口を出発、阪急電鉄の3つに分かれたガードをくぐり、
8:48 趣のある平屋建てカトリック北野教会前に出る、道の右手は阪急インターナショナルホテルの高層ビルだ、100M先には何度か泊ったTOYOHOTELも見える。 
9:02 豊崎東4交差点で、東側に膨らみ堤防に向きを変える東海道線高架に近付く、高架反対側に報知新聞ビルが建つ。
 道なりに淀川堤防にぶつかるが、金網が厳重に張られ、堤防上に出られない。
9:06 新淀川橋りょうの袂に到着。
9:14~9:23 淀川を新淀川大橋で渡る、橋の中央を車線に挟まれ北千里急行線が行く、鉄橋は右手500M、554.1~553.7K辺りとなる、
9:25 堤防上を鉄橋の新大阪方袂まで行き、線路右手に移り阪急京都線を地平踏切で渡る。
 ビルの間の小道を何度か筋を変えて進む、ちょうど駅の真上をジャンボ機が大きな車輪を出して次々に伊丹空港へと降下するのが目に付く。 
9:49 新大阪駅着、駅ビルに入ってから改札口に辿り着くまで4~5分要した。

  新大阪駅 駅内は綺麗だが、、、 2014年1月9日

  缶ビール住宅 新大阪駅上りホーム横
 ホームと道路を隔てる金網沿いにホームレスの手造り住宅が並ぶ、中には全てピカピカに磨いたビール缶で建てた「芸術品」も混り、気付かれないように写真に収める。 

 次の東淀川駅まで営業キロで700Mだが、ホームの端からは500Mあるかないかで、良く見える。
 線路右手すぐの道をちょっと歩いて、
10:04 東淀川駅着、島式ホーム2本、モルタル平屋造りの小駅舎がある。
 ホーム出外れすぐの踏切を渡ると、線路端に道が伸びる。
10:17 神崎川を渡る、対岸は吹田市だ、鉄橋は右手70M、551.4~551.27K辺り、
10:33 吹田警察署、裏手は線路に接する。
10:42 吹田市役所、同郵便局などが建つ、その真正面は千里線:阪急吹田駅だ。
 あとはアサヒビール工場の敷地沿いに進み、工場正門前(ちょうど549KPが立つ)で道は行止り、地下道で線路右手に移り、

  東淀川駅

  吹田駅
11:01 吹田駅着、橋上駅、島式ホームの外側線側に柵を設け、相対式ホームの様に使用、駅前は大型スーパーが入る公営高層団地に囲まれ、銀行も幾つか揃い賑やか、
北西側はアサヒビールの工場が占め、工場に隣接して30階はある高層マンションが建ち、東淀川駅辺りからずっと目印になった。
11:17 線路右手近くの道を行き、JR西日本吹田工場にぶつかる、548KP見える、この先は南東側に張出す工場敷地に沿って進む、周囲は住宅街だが、場所柄、倉庫、通運業者の車庫もあった。
 やがて線路左手に冬枯れの広大な更地、旧吹田操車場跡が現れる。 
11:41 岸辺駅着、地上駅舎が南側に、島式ホームが2本、北側は再開発を待つ操車場跡の広大な更地がひっそりと展開、駅舎側もビジネスホテルの鉛筆ビルが目立つくらい、大阪学院大学の最寄駅でもある。
11:50 出発、更に線路右手の道を進み、程なく右手を阪急正雀工場、アルナ工機工場が占める、546.25~545.9K辺りの300M余が相当、なお、阪急の新車製造を一手に引受けてきたアルナ工機は最近電車製造を止めてしまった。 

  岸辺駅

  千里丘駅
12:15 千里丘駅着、島式ホーム2本の橋上駅、他駅と同じく、快速の通過するホーム外側に柵を設置、ホーム北側に電留線が4~5本見えるが、電車の姿は無い。
12:22 出発、線路右すぐの道を500M行き、 
12:28 蔵垣内踏切で線路左手に、544.2K辺り、すぐ街道に入る。
12:47~13:00 宇野辺北三叉路の一画にレストランが並び、天婦羅ウドンで昼食、線路右手を東洋製罐工場が占めるが、542.8K辺りと後日車内より確認。
13:04 下穂積三叉路を過ぎる、上を高速道と大阪モノレールが跨ぐ、万博公園まで2K程。
13:20 茨木郵便局(本局)の角を右折、エキスポロードに入り、250M程で茨木駅西口に到着、島式ホーム2本の橋上駅、駅周囲はなかなか活気がある。
13:33 出発、線路方向に道が無く、線路とほぼ直角に茨木市役所方向に進む、狭い道を路線バスが頻繁に通る、400Mも歩いた市役所手前の養精中学の角を左折、線路方向に旧い住宅街を進み、 
13:47 盛土上を行く線路端に出る、541KPが立つ、この先線路進行右手の住宅街を行くが、道は時々くねる。

  茨木駅

 
   茨木駅
13:54 青少年センター、川端康成文学館が建つ地区に入る、周囲は結構風格のある昔からの住宅が多い、かと思ったら新築の文化住宅が文字通り軒を連ねて建つ一画もある。
 川跡の緑道を渡る、鉄橋が残り540.4K辺り。14:11 勝尾寺川を線路左手、100M長の橋で渡った後、また線路右手に戻り、茨木駅からも見えたエレベータ工場の赤白マダラの大煙突を右に見る、539.65K辺り。  
 光明寺の辺りでは古い住宅街の迷路に手こずり、一時線路左手も少し歩き、また戻って、 
14:44 府立高槻養護学院が線路との間に、右はJRの5階建社宅が10棟位、538.5KPがチョイ先にある。
14:55 摂津富田駅着、橋上駅、外側に危険防止柵を設けた島式ホームが2本、
 この先線路左端の歩行者自転車専用道を行く、左手を松下電子工業の大工場が占め、道路も会社用地かもしれない、続いて明治製菓系スポーツセンターが建つ、537.5KPあり、続いて同社工場に至る手前、537.2K地点の架道橋で右手に、駅から800M来た。 
 一転、乱開発の典型の様な文化住宅街が田中に散在する地域となり、住宅排水がこれも気ままに流れ、今後どんな街になるのだろう、、右100Mを阪急京都線が走る。

  摂津富田駅
 しかし両側3階建文化住宅に挟まれた日のよく届かない道では、こどもが大勢歓声をあげながら遊び、知らないお爺さんが通ることなど全く気にしない、どの子も元気そうで、「日本の活力ここに残れり」と心強く思った、どの家も共稼ぎなのか、おかあさんの姿を全く見掛けないのが、自分の育った時代と違うと思うが、、、  
15:28 芥川の堤防上に出るが、橋は左250Mの国道171号線まで無い、鉄橋は536.3KP辺り、後は171号線を進み道なりに、

  高槻駅   2003年12月23日
15:45 高槻駅に到着、島式ホーム2本の橋上駅で、大阪方に535.5KPあり、駅北口には西武高槻SCがあり、目下28階建て高層マンションが建設中、南口では松坂屋と10階建総合市民センターが目立つ、駅も一部改装中で、活気はある様だが周囲がざわつき落付かない。 
 この時期はもう夕暮れが迫り、今日はこの高槻駅で切上げ、今宵の宿でも探すかと、周囲を見回すと、たまたま駅前に、日帰り温泉の送迎用レトロボンネットバスが停車中、聞けば16時発とのことで、余りのタイミングの良さに思わずニンマリ、、、 


          花の里温泉:祥風苑  16:25~17:10在  ¥800(90分)

場所:高槻駅から市営路線バスで 約20分、塚脇バス停(終点)下車徒歩5分、駅から北北東に約4K、摂津峡のある丘陵の麓に位置、住宅地がもうすそこまで迫っている田んぼの中に立地。
施設:民営なのか場所的には詰込んでおり、1階にフロント、食堂(94席)、家族風呂、2階に源泉主浴槽、サウナ、水風呂、階段で行く露天風呂がある、主浴槽は全身浴を考え、一部深さが90Cある。
お湯:無色透明、無味、微弱硫化水素臭とあるが、自分は感ぜず、PH9.12、42℃、肌にヌルヌル感あり、お湯は近くからタンクローリーで運ぶ。
その他:お湯の質には自信があるようで、客の数も多い、自分も湯冷めしない、なかなかいいお湯だと想った、バス停は近いのだが、暗くなると他所者には判り難い。人がいたら確かめた方がよい。


 高槻駅に戻ったのが18時ちょっと前、温泉に入って暖まったのは良いが、前夜泊の疲れが一気に出て来た、ホテルのネオン看板も見えるが、直接行って「もし断られたら、、、」と思うとそれも億劫で、茨木駅至近の、駅ホームを見下せるビジネスホテルの電話番号を控えたことを想い出し、掛けるとOK、207系は初乗車だが、走りの感触を確かめる間もなく、僅か6分で到着。



     (27) 高槻―西大路 19.1K  2003年12月23日(火)

 今日は京都駅まで歩く、自分の歩行時速は4Kちょっと、駅の観察は平均7~8分、それに線路観察を入れると、実速度は3.5K位となり、途中、例えば鉄橋近くに人橋が 無かったりすると、本日中の帰宅が覚束なくなるギリギリの行程だ。頑張らなくては、、、
7:40 高槻駅を出発、駅近くの京都信金の角で府道67号線:昔の西国街道に入る、右手線路との間をユアサ電池の工場が500Mに亙って占める。
8:01 吹田工場高槻派出所が右手に、順序が逆の様だが、ユアサ電池の方が早かったのかな、、
8:12 山手町1-1番地を過ぎる、昔からの大きな住宅が並ぶ高級住宅地だ。
8:18 松尾川踏切で位置確認、532.9K地点、高槻駅前に建設中の高層マンションがまだはっきり見える。左手の丘が100Mまで近付き、丘腹を名神高速道が行く、沿道には住宅が絶えない。 
8:36 梶原東バス停、、折返し用小広場の左手は竹藪、この辺り丘陵が険しくなり、高速道はトンネルに入る、なお、171号線は高槻駅手前でJR・,阪急両線の南側に移っており、そのせいか西国街道は往時の風情を存分に残している。
8:49 急に竹藪の丘が張出し、道なりに線路右手へ架道橋をくぐる、その先線路方向に11階建白亜の細長いマンションが3棟並ぶ、530.5K辺りが対応。続いてNTT島本社宅が建つが、これも大きい。

  島本駅  2014年1月9日 529.7KPあり
9:06 楠正成、正行親子の分れの場所で有名な、桜井駅跡に入る、左手は線路に接し、楠の大木数本を中心に鬱蒼とした杜になっている、50M先の桜井村踏切で529.6K地点。
 この先線路近くに道が無く、戸建ての広々した阪急B団地に迷込んだ後、結局は67号線に戻り、追記:島本駅は2008年3月開業 
9:30 水無瀬川を渡る、鉄橋は左160M程。
 西谷踏切に出るともうホーム端まで300M程、高槻方に、まだ紅葉の残る丘陵を背にサントリーのウィスキー工場が建ち、雄大なカーブを走る上り列車を収めようと鉄道少年が数名、カメラを構える、鉄道ファンならご存知の有名撮影スポットだ。
9:45 山崎駅着、駅舎は南側にあり、島式ホームが2本、駅北側はすぐ丘、阪急線の大山崎駅は右手150Mと近い、大山崎町に入ってすぐの所で、駅の一部は高槻市に属する。
9:55 出発、すぐ踏切を渡る、527.5K辺りで、まだホーム端から100M足らず, 阪急京都線も150M先でJR線の左手に移る。
10:05~10:10 山崎聖天の休憩場で小休止、線路は25M下を行く、少し手前が王山の上り口で、頂上まで1.2Kとあった。 
10:17 名神高速を阪急、JR線と並んでくぐる、526.3K辺り、JR線はこの先北東に向うが、追随する道路は無い。

  山崎駅 後方が有名な天王山
  神足公民館前の旧駅名標  10:25 府道10号を右折、すぐ阪急線をくぐる、左手の丘陵が後退、平野に出た感あり。
10:33 67号線も少し歩き、小泉川を渡り長岡京市に入る、
10:43 線路下を府道204号がくぐる架道橋あり、525.1KP、京都方を山崎聖天からもよく見えたサントリー工場が占める。
 この先成安学園の広い敷地を巻くため、線路右手にちょっと移り、524.6K地点の跨線橋でまた戻る。
10:59 成安学園正門前からまた西国街道の旧道:67号線に入り、 
11:10 道なりに小さな神足公民館前を過ぎる、(長岡京駅の旧名)神足駅の駅名標が保存されているので写真を撮る、
11:20 長岡京駅着、危険防止柵のある島式ホーム2本、橋上駅、駅周辺は区画整理を実施中、駅東側で高層マンションの建設中。 
11:26 出発、線路左手近くの道を500M程行って、
11:32 小畑川を渡る、鉄橋右100M、右手すぐにも道があり、やがて堀之内踏切に達する、522.65K辺りで、ここから向日町車両区が始まる、道の右手はまだ田んぼもたくさん残る新興住宅地、田んぼの先500Mを新幹線が見え、天気が良く、暖かくてセーターを脱ぐほど。

  長岡京駅
11:47 左手に581系のA寝台車:サロネ581-2と4、サロンカー客車、宮津線用エーデルなど、首都圏にいては滅多に会えない希少車両を見ながら歩く。右手は6階建もある府営上植野団地を中心に住宅が並ぶ、こんな団地ならしばらく住みたいなー、、、 
12:00 お昼のチャイムは京都総合運転所の正門で聞いた。この先国鉄色キハ181-22、キハ65721
などを見て、
12:20 地下道で線路左手に移る、520.3K辺りで、もう車両区は終っていた。

  向日町駅
12:25 向日町駅に到着、駅舎は西側、地下道で連絡する危険防止柵付島式ホームが2本、東側は生コン工場が隣接するが、その先は住宅街だ。 
12:30 出発、線路左手の道は程なく行止まる、麒麟ビール工場跡が広大な更地になっており、中を突っ切る道は無いようだ。
12:43 地下道で右手に、セメント工場に挟まれた地区をクリアすると、すぐ線路方向の道に入る。
13:04 下津林中島バス停(京都市営)を過ぎる、この辺り、田中に無秩序に文化住宅団地が散在、畦道伝いに団地の間を亙った。
 この先桂川の支流の新川を渡る、新幹線高架が右100Mに近付く、
13:15 桂川堤防上に出る、左右どちらも人の渡る橋は約1Kも離れ、ガッカリして急に疲れが出た、時間が押しており、足に鞭打って先を急ぐ。
13:34~13:38 上流の新桂橋を渡る、京都側の河川敷は野球グランドなどに利用。 
13:52 鉄橋(517.2KPあり)の京都方袂に到着、堤防の外側すぐに平行する天神川は、道路転用のため、埋立て工事が進行中。
                 2014年1月9日 →

  桂川駅 519KPあり 2008年10月18日開業

  西大路駅 
 この先は桂川を斜めに跨ぎ、在来線に並走する新幹線高架右下すぐの道を行く、周囲は工場を主に住宅も多い、
 ワコールの流通センターの存在が大きく、同本社前を過ぎれば駅はもうすぐだ、なお、線路左手は天神川の先から駅までずっと約1キロを、日本電池の工場が占めた。
14:13 西大路駅着、新幹線高架下に小駅舎と柵付の島式盛土ホームが収まり、上り島式ホームは青空の下にある。駅前広場は猫の額ほどに狭く、クルマは入れない。         
    
 予定していた次の京都駅まで営業キロで2.5K、行って行けないことは無いが、体力の消耗もあり、残念だが本日はここ西大路駅で切上げる、普通列車を利用して、自宅まで帰る積りだったこともあった。
 しかし、米原駅での接続が悪く、結局名古屋までこだま号に乗る破目になり、結果的には、切りのいい京都駅まで歩き、ひかり号で名古屋に出た方が、金銭的にも余り変らず、気分的にもすっきりしたと思う、帰宅は川崎経由、23時17分でした。 



      (28) 大阪―立花 10.7K  2004年1月5日(月)

 暮に大阪から西大路まで歩き、そのちょうど2週間後の1月4日、また臨時ムーンライトに乗車、大垣からも各停で繋ぎ、大阪駅にやって来た。今回の目標は阪神地区だ。
 なお大阪から尼崎までは、97年3月新規開業の東西線と近接、重複する区間が多く、手戻りを避けるため、チマチマした小細工を弄して歩いた、分りにくくて恐縮だが、お許しを願いたい。
 今日は仕事始めの日、しかし車内の雰囲気は2週間前と全く同じ、皆、押し黙ったままスポーツ新聞に目をやったり、居眠りをしたり、、、和服姿のお嬢さんも皆無だ、自分などがこの仕事始めの日に持つ、「総合朝礼の後、冷で一杯やって、特に何も無ければ女性から先に返し、昼頃には誰もいない、、、」 といったイメージは急激に姿を消しつつあるようだ。
8:18 今日は大阪に宿を予約してあり、大阪駅のコインロッカーに着替えなど入れて、出発。
8:38 大阪環状線の福島駅に到着、後は東西線の新福島駅から海老江駅の先の淀川大橋南詰まで、その他を歩き、
10:00 福島駅に戻る。そのまま空港連絡特急「はるか」が通る貨物連絡線の地平踏切を渡り、続いて本線の架道橋をくぐり、東海道線高架の進行右下の道を行く、なお福島駅は東海道本線の海側100Mに位置、557.3K辺りが相当する。 
10:12~10:27 本線高架西側すぐの鷺巣北公園で小休止、558KPを車内より確認。
10:43 東陽インキ、凸版印刷工場などを過ぎ、下淀川橋りょうの大阪方袂に達する、558.9K地点、なお鉄橋は558.5K辺りから始まる。堤防の下に沿う狭い道を引返し、
10:56~11:06 淀川を淀川大橋で渡る、鉄橋と高速道路は右800Mを行く、ビルや住宅が無くなり、遠く六甲の山並みが見え出す。
11:53 淀川大橋北詰に戻る、東西線の御幣島駅まで往復したので、こんな時間になった。
12:02~12:08 下淀川橋りょうの塚本方袂近くで小休止、ちょうど対岸に東陽インキの赤い看板を見る、鉄橋の袂で559.3K辺り。

  塚本駅
12:17 盛土線路の北側すぐの住宅街の道を400Mほど行き、塚本駅に到着、外側に柵がある高架島式ホームが2本、559.7KPあり、旧市街は駅の北側、ビルは海側に多い。
12:28 出発、高速道路、盛土線路に沿った住宅街の道を行く、海側に膨らむ高速道に押され、しばし線路から離れるが、
12:43 グリコ工場沿いの線路沿いの道に戻る、グリコは560.5~560.85K辺りを占め、昼休み休憩の従業員が大勢舗装広場に出ていた。
12:56 みてじま筋を線路と一緒にくぐる、更にその上を新幹線高架が跨ぎ越す、大阪に寄らず西に直進した新幹線が、大阪駅経由の在来線とここで再会したのだが、またすぐ右手に離れて行った、561.55K辺り。
13:03 東西線の加島駅に到着、
13:44 同駅を出発、なお、この間に東西線の御幣島駅から加島駅まで歩き、これで新福島から加島まで5.5Kが繋がったことになる。
 線路左手すぐの密集住宅街の道を300Mも行くとタナベ製薬工場にぶつかり、
13:58 道なりに神崎橋の袂に出る、
14:04 堤防上の歩道の無い道を、タナベ工場沿いに500M近く行って、下神崎川橋梁の塚本側袂に至る、562.66K地点だ。
14:08~14:12 戻って神崎橋を渡る、2週間前、吹田駅の手前で渡った時に比べ大河に成長していた。
14:28 若草中学を過ぎると、天然温泉「極楽の湯」が線路右手に建つ、昨年後半に開業したばかり、その存在は知らなかった、563.1Kが対応。  
14:34 ガードで右手に移り、563.5KPを過ぎる、線路山側にクボタの本社阪神事務所が建つ。 
14:42 尼崎駅着、島式ホーム4本の橋上駅、564KPあり、駅の山側はすぐ高層マンションが10棟も建つ、東西線開業後の同駅の変貌振りは、昔を知る者は驚くばかり。
 線路左手すぐの道を行き、 
14:55 市のどでかい総合体育館が左に、周囲は遊歩道など整備された公園になっており、右手線路との間は15階建の市営団地が占める、ちょうどこの辺り、564.7K辺りから、海側を行く福知山線が東海道線を斜めに跨ぎ、北に進路を転ずる。
 

  尼崎駅(南口)  2014年1月10日
 この先すぐ工場跡地で行止り、歩行者・自転車専用地下道で右手に、564.9K地点。
15:16 566KPを過ぎる、右手に入江金属工業が建つ。  
15:29 立花駅着、危険防止柵付の島式ホーム2本の橋上駅、ホーム神戸方に567KP
あり。駅北側は昔からの商店、住宅街、なかに1軒、阪神淡路大震災の被害を留め、若干傾いたまま応急処置だけした住宅もあった。海側には尼崎保健所なども入る、30階建の近代的な市営団地が2棟、まだ新しく、震災復興再開発事業かもしれない。
 ← 立花駅前(北側) 2004年1月6日



        尼崎:天然温泉「極楽の湯」  15:50~16:48在、 ¥650 

場所:神崎川鉄橋の尼崎方に近く、563.1K地点に位置、勿論車内からも(山側に)よく見える。尼崎駅からタクシーで¥660、帰りは歩いたが15分要した。道は分り易い。
施設:1階は駐車場、フロント、食堂、浴室等は全て2階にある、ここまで来ると土地が安いのか、民営温泉にありがちなせせこましさは無い。
浴室:主浴槽、寝湯、サウナ、水風呂、露天風呂、一応全て揃っている、洗い場は35。
お湯:無色透明、無味、無匂、ナトリウム・塩化物・硫酸水素塩泉とあり、ごく平凡なお湯だ、湧出量は560L/分と豊富だが、全て温泉では無く、白湯の浴槽もあった。
その他:温泉としてはともかく、真冬、夜行で来て、朝早くから歩き、文字通り体の芯まで冷え込んだ自分には、ここのお湯は有難く、開業して間がなく、建物などまだピカピカなのも気持よかった。 



 

     (29) 立花―神戸 22.4K  2004年1月6日(火)薄曇り

8:33 立花駅を出発、駅近くは拡幅工事中でゴチャゴチャ、やがて両側に歩道のある線路右手すぐの道となる。桜の若木は震災後のものかも、、、
8:46 大鳥川橋りょう、567.9K地点。
8:58 武庫川橋りょうの大阪方袂に到着、568.7K辺り、橋は上流500M程、その中央で西宮市に入る、右手200Mを名神高速道が。 
9:15 鉄橋の神戸方袂に至る、ホームレスの青シートテントが並び、前夜集めたビール缶の整理をしている人も数人、また線路右手すぐの道が伸び、

  立花駅

  甲子園口駅
9:23 甲子園口駅着、昔ながらの駅舎が盛土ホーム下に位置、私鉄郊外駅の雰囲気あり、狭すぎる駅前広場にタクシーが10台ほど客待ち、路線バスも発着、整理員もいるが成すすべがない。
9:37 線路が地平に下り、570KPを見る、223系、221系は勿論、この時間EF210、EF66など特に上りコンテナ貨物が多い、高速で走行を真近に、その迫力に圧倒される。 
9:44 570.5KP、創価学会西宮文化会館が右手に、この手前で過ぎた伊藤ハムの工場は200M近く続いた。
9:51 571KP、上を阪急今津線が跨ぐ、西宮駅が前方800Mに、この先すぐ津門川と一緒に線路左手に移り、
10:04 西宮駅に到着、島式高架ホームが2本、出改札口は半地下部分に収まり、571.5KPが大阪方に、山側に昔からの住宅街が展開、海側は高層ビルが建つ新開発区域だ、山側の10階建て公団はどれも線路方向に縦列で並ぶ。
10:14 出発、線路右手を行き、 
10:26 自動車道路が横断するが交通量が多く、線路左手の跨線橋で渡り戻る、572.5KP
地点だ。
10:33 市立安井小学校が右手に、ちょうど盛土法面の補強工事を大規模に施行中。

  西宮駅
10:42 片鉾橋で夙川を渡る、鉄橋は左150M、573.5KPが神戸方にあり、この辺り堤防沿いに桜並木を設け景観が良い、散歩をする老人も多い。この先川岸の小公園で小休止、
10:50 出発、すぐ大手前大学を線路左手に見る、こじんまりした学園だ。この先線路から一時ちょっと離れ、六甲山系から繋がる台地へと上ると、芦屋の高級住宅地が展開。
10:58 道なりに線路端に戻る、ちょうど574KPあり、そしてまた右にちょっと離れ、歩道付きの6M道を行く、歩く人の見なりがきちっとしているとみたが、コンプレックスかな、、、
11:08 また線路端に道なりに出る、574.7Kのチョイ手前だ、芦屋駅が前方1Kに見える。 

  芦屋駅
11:21 芦屋駅着、商業ビルに囲まれた橋上駅、山側駅前広場は奥行が70M程とゆったり、旅客は2階レベルの人工地盤を歩いて改札口に、山が5~600Mと近くなった、高さも600M位、ホームは島式2本、575.6KPあり。 
11:39 出発、線路山側の結構長い商店街を行く、3階以上はマンションになっているのが多い。
11:47 芦屋川を線路共々くぐる、KPは見付からなかったが、駅から600Mくらいの所、周囲は住宅街、庭のある家が多い。
11:59 甲南山手駅に到着、盛土下に半地下式地平駅、島式ホーム1本、577KPが神戸方に、1996年10月開設と新しい。 
12:13 577.5KPを過ぎる、右手40Mを街道風の道が行く、周囲は同じく住宅街だが、住宅、アパートに庭があるのは少なくなった。
12:18 線路右手の道をさらに進み578KP
を見る。

  甲南山手駅 
12:24 摂津本山駅着、駅舎もホームも地平レベルに位置、
12:36 人影の少ない駅前ベンチで小休止後出発、
12:49 平地なのに坂を登り、ヘンだなーと思っていたら、天井川の住吉川を渡る、川岸に外壁等の装飾がやけに入念で、1階毎の天井が高い超豪華マンションが数軒、1K程に近付いた六甲山や海の眺めが良いのだろう、、、 

  摂津本山駅
12:58 住吉駅に到着、JR西日本系列「神戸ステーション開発」が経営する、専門店を集めた6階建てビル内に収まる橋上駅、島式ホーム2本、
13:16 出発、ここでも小休止、ちょっと疲れが出てきた。
13:29 上下各2線、中央分離帯付、北に500Mの阪急御影駅に通ずる高規格道が横切る、線路は架道橋で跨ぎ、580.87K地点。 
13:33 綱教天満宮(581.28K)を過ぎる、続いて石屋川をくぐり、市交通局石屋川車庫が広い敷地に展開するのを見るが、この川をくぐった鉄道初のトンネルは、高架化と共に姿を消した。

  住吉駅

  六甲道駅
13:48 六甲道駅着、改札口上に高架島式ホーム2本、神戸方出外れに582.5KP、山側ロータリーに市営バスの発着が多く、海側には高架線に寄添う形で駅ビルが建つ、阪神大震災の際は、この駅周辺の傾いたビルやホームなどの生々しい様子が報道され、ショックを受けたが、現在はすっかり復旧していた。       
14:10 コロッケパンで遅い昼食後、出発、今度は進行左手すぐの道を行き、
14:23 大石川を渡る、傾斜が急で、川床から護岸まで全てコンクリで覆われたなか、清流が駆け下る、この辺り六甲山系が一段と大きく、海側200Mには阪神電鉄大石(高架)駅が見える。

  灘駅
 この先かつての東灘操車場跡の広大な敷地沿いに交通量の少ない広幅の道路が伸び、
14:38 駅手前の灘橋跨線橋で線路右手に移る、584.35K辺り、なおこの少し手前で海側に分岐する頼り無げな非電化単線を跨いだが、神戸臨港線だろう。
14:41 灘駅着、危険防止柵付の島式ホームが2本、584.6KP、車寄せと半円アーチ形の明り取りが特徴の、洒落た木造モルタル造りの地平駅舎が山側に、駅前広場はレンガ敷きで、一般車輛の乗入は禁止、花壇も整備されなかなか豪華、灘の酒造組合でも寄付したのかな?  
14:52 出発、夕日が射して来た、高架線右下すぐの道を行き、程なく右手から阪急神戸線高架が近付く。
14:55 阪急神戸線をくぐる、584.85K辺り、この先阪急高架線を左に、立派なイチョウ並木の分離帯付4車線道路を進むが、周辺の建物は古ぼけたのが多く、何となく侘しい地区だ。
15:06 阪急の春日野道駅着。 
15:20 生田川を渡るが、大規模拡幅工事中、阪急線、JR複々線の下を拡げるのだから難工事だ、586.25K辺りとなる。

  灘駅  2014年1月10日

  三ノ宮駅(南口)  2014年1月10日
15:30 三ノ宮駅(東口)に到着、島式高架ホーム2本、587KP立つ、
 次の元町駅まで800M、線路高架下の、両側に小商店が並ぶ狭い道を、肩が触れ合うノロノロ歩きで次駅まで、冬休み中の学生さんが多く、相当な人出だ。 
15:47 元町駅着、高架島式ホーム2本の下に地平改札口がある、海側は道路を挟みすぐ商業ビル街で、駅前広場は無し。
 更に高架下商店街を進む、ハーバーシティ元町が建つ辺りで商店街は終了、あとも木工所など続き、 

  元町駅  2014年1月10日
  神戸駅  16:15 レンガ造りの風格ある神戸駅に到着、人出は数段少なくなった、島式高架ホーム2本、589340Mと高架塀にペンキ書き、姫路方改札口近くに「成城イシイ」が店を構えていたのには驚いた、洗練されていることで全国的に知られた神戸に、何故?と思った。 
 8時間近く要して立花から神戸まで歩いた、営業キロで22.4K、昼食もコロッケパンで済まして先を急いだ割には、時速3Kにも満たないが、これくらいゆとりを持って歩く方が楽しい、明日も大阪環状線方面を歩き、青春きっぷで帰京する予定で、体力を温存したこともあるだろう、自分としては充実した歩き潰しとなり、満足している。 



           神戸市灘区:灘温泉 8:50~9:20在、¥380
                       2005年4月7日(木)(和田岬線歩き潰しの帰りに訪問)

場所:六甲道駅から海岸に向い、コンビニFMの角で左折、徒歩5分くらい、(注意すると)コンビニの角に小案内板がある。
建物:外から見ると、外壁の部分に経営者の住居部分、事務室などがある様だ。 
浴室:浴室の中央部は3階吹き抜け、41℃の主浴槽と,ジェットバスに寝湯部分のついた白湯の浴槽、他には別料金のサウナ、その入口に28℃くらいの2人用源泉風呂があり、このお湯が良いらしく、いつも誰か入っていた。洗い場は9、銭湯だがボディ石鹸、シャンプーは備え付け。

お湯:薄茶色、無味、無匂のナトリウムー炭酸水素塩、塩化物低温泉、肌に気泡がたくさん纏わりつくのが特徴。
その他:1932年開業の銭湯が、神戸大震災後の1999年、温泉を掘り当てたとのこと、駅から近いし、朝からやっているし、お湯の質も良く、値段も格安、時間が許せばいつでも行きたい。