内  房  線

   (1) 千葉ーー本千葉 1.4K  1998年2月28日(土) 薄曇り一時

 今日は幕張本郷から千葉駅まで歩き、まだ時間も早いし歩き足らず、千葉駅前で小休止の後、一駅だが延長してみた。
14:40 千葉駅を出発、広い大通りをちょっと歩く、途中新交通システムの千葉駅が工事中、もう殆ど完成している。  
 一杯飲屋、スナックなどが多い裏通りを過ぎ京成:千葉中央駅に至る。
 駅内のファーストフード店でハンバーガーが大割引の1個80円、これで遅い昼食を慌ただしく取る。
  外房線:本千葉駅 2011年12月31日   駅に隣接して京成ホテルが建つが、かなりくたびれており、早晩リニューアルが必要、この辺りのビルは少々安っぽい感がする上、経年劣化も隠し難く、街の景観を暗くしている。 JR高架線の左下に出て、
15:25 本千葉駅着、高架島式ホーム下に出改札口がある。千葉起点1.8KPがあるが、営業キロは1.4K、自分の見間違いかもしれない。なお海側に隣接して平行する京成線は、千葉中央駅起点0.8K辺りとなる。
 



  キハ1061  (旧)千葉駅  1962.10.27



           (2−1) 蘇我ー浜野 3.4K  1998年8月1日(土) 薄晴れ

 今日は通算40回目の歩き潰しで京葉線の海浜幕張から蘇我駅まで歩き、同線を完歩、余勢を駆って首記区間も歩いた。なお浜野駅だが、自分が旅行会社で国鉄券の発行に携わった1960年代後半、夏の海水浴といえば、湘南海岸に加え水のきれいな内房海岸が人気で、「季割」乗車券が何枚も出た、そして富浦、館山などの往復常備硬券に印字される経由駅がこの浜野、勿論下車したことは無いが、駅名は若い頃から頭に入っており、何となく親しみはある。


13:00頃 蘇我駅を出発、進行右手、線路沿いの道を行く、駅から100M足らずにトラス式鉄橋の陸橋があり、そのすぐ先で外房線は左に分れて行く。
 やがてJR貨物の千葉機関区に至る、事務所も小さく、配置機関車もEF6544,EF8111など数台が休むだけ、京葉臨海鉄道に業務委託しているようだ。
 この先機関区沿いに本線から少し離れ、右手の旧国道に押出される、線路は左300Mほど、その間の田んぼが今まさに大規模宅地へと造成工事中だった。
 途中「旧国道」の石碑もあったが、散見される旧家などの状態は悪く、街道の風情もそう長くは持たないかもしれない。  

 外房線:蘇我駅 2011年12月31日

 内房線:浜野駅 駅舎新築工事を施行中、99年3月供用開始
 さらに進むと線路を背にした小湊鉄道バス塩田営業所前に出た、道理で同社のバスが田舎にしてはやけに頻繁に通る筈だ。
 なおこの区間、線路は一度R600の緩い右カーブをするだけだが、旧国道は農家の間をクネクネと曲がり、うっかりすると方向感覚を失いかねないほど。
 浜野駅入口バス停からさらに200Mも歩き、
14:00 浜野駅着、島式ホーム1本、蘇我起点3.5KPあり、新駅舎を建設中で、既に鉄骨が組み上がっている、駅の山側は住宅が疎らだが、新たに地下道で結ばれるようだ。 


      (2−2) 蘇我ーー本千葉 2.4K  1998年8月1日(土) 薄晴れ

14:35 蘇我駅を出発、地平線路山側に沿って道が(次駅まで)伸びる、まず京葉線が高架に上り千葉起点3.4K地点で左に分れる、そして千葉急行線が2.8K地点で上を横切り右手後方に去ると、線路はそれを待っていたかのようにこちらも高架に上る、沿道はずっと住宅が絶えない。
 この辺りは羽田空港への着陸進入路に当り、上空を旅客機がほぼ3分おきに黒いシルエットで横切る。
15:10 本千葉駅に到着。  
 お断り: 千葉から蘇我間は正式には外房線に含まれるが、内房、外房線とも全列車が千葉 、さらに東京方面に乗入れ、この区分は便宜的なものと言えよう。自分は実際歩いた順序に 従って、内房線の方に含めた。 




           (3) 浜野ーー巌根 24.1K  1998年12月27日(日) 薄曇り

7:55 浜野駅出発、線路近くの住宅街の道を行き、押出されるように国道24号千葉鴨川線に。なお、前回8月の訪問時に鉄骨だけだった新築駅舎の躯体はほぼ出来上り、シートを被っていた。
8:10 新村田橋を渡る、鉄橋50M長は左200M、4.1K辺りとなるのを車内より確認。
8:20 八幡本宿バス停を過ぎる、古くからの小商店が多い。  

 八幡宿駅  2011年12月31日
8:25 八幡宿駅着、島式ホーム1本の橋上駅、5.5KPあり、海側が商店街それに宿場名の由来となった八幡神社があり、一段と賑やか。 
初詣の準備に忙しい神社前を過ぎ、更に街道を進む。
8:49 金杉橋バス停、小さなドブ川の袂にあり、線路は左100Mくらい。
9:04 1号道路角バス停、この先200Mで白旗川を渡る、鉄橋は左手300M、7.9K辺り。渡った先で広幅の市役所通りと立体交叉。
 街道はその後左、次は右にカーブ、駅に近付く。
9:20 五井駅着、橋上駅でJRは島式ホーム1本、9.2KPあり、他に小湊鉄道の島式ホーム1本があり、時代物の車庫に今となってはこれも時代物のキハ20系オリジナル気動車が休む。隣接したスポーツジム、貸会議室などが入る「サンプラザ市原」が目立つ。
 この駅から街道と離れ、線路近くの住宅街の道を行き、
9:55 線路近くの狭いボロ橋で養老川を渡る、流れはすぐ先に堰があり殆ど無い。鉄橋は120Mくらい、10.35〜10.49K辺りとなる。
 なお高水敷には「立入禁止」の札もあるが、未舗装の細道が伸び、小住宅が建つ。 

 五井駅 2011年12月31日
 あとも線路近くに道があり、新興住宅が多くまだ田んぼも多く残る。
10:31 また国道24号線に戻り、j程なく白塚バス停を過ぎる。そして道なりに跨線陸橋を渡り線路左手に、陸橋から駅近くのスーパーが見える、まだ1.5K位ある、、、線路は五井から真っ直ぐ。
 陸橋チョイ先の小川が白塚川、線路が渡るのは13.3K辺りだ。    

 姉ヶ崎駅 2011年12月31日
11:00 姉ヶ崎駅着、島式ホーム2本の橋上駅、15KPあり、広い駅前広場は最近整備されたようで閑散としていた。
 線路を柵越しに見て約450M、道なりに先刻と別の県道に入る、右手1.5K先の臨海地帯に火力発電所の大煙突が3本目立ち、ちょうど線路が姉ヶ崎川を渡る16KP辺りだ。
この先梅津踏切からはずっと海岸台地の裾を行く、線路は右手やや低い所を平行。
11:36 袖ヶ浦市の標識がある、線路は右手すぐ下。
12:12 長浦駅着、駅左手まで台地が迫り、ホームは道路よりやや低い所に位置、島式ホーム1本の橋上駅で、海側が一段低い、20.5KP立つ。 
 さらに県道を進む、道はちょっと線路から離れ、かつ高い所を行くが、基本的な関係は同じ。駅の近くは「工事関係者歓迎」の看板を掲げた旅館も多かった。
12:35 袖ヶ浦電話局バス停、陸橋の先、21.7Kから線路を柵越しに見る道が伸びる、道の左の住宅は台地の崖を背にして建つ。
12:54 23KPを過ぎる、この上を木更津バイパスが跨ぎ、ちょっと行って県道に戻る。

 長浦駅  2011年12月31日 

 袖ヶ浦駅 2011年12月31日
13:15 袖ヶ浦駅着、地平木造駅舎が山側に建つ島式ホーム1本の駅、24.5KP木更津方に。
 姉ヶ崎の先からずっと海岸団地の裾を線路と平行してやって来たが、駅近くで台地が急に後退、この先は平地が展開する。 
 駅前ベンチで小休止10分、駅近くのやけに立派な市役所前を過ぎ県道に出る、静かな住宅街が沿道に展開する。
13:49 小櫃川を渡る、鉄橋150M長が右手120Mを行く、25.9K地点、この川は久留里線の終点、上総亀山方面を源とする。
13:56 アクアライン道路の下をくぐる、立派な造りで線路がみすぼらしく見える、県道との取付道はまだ工事中。線路は26.6KP地点。
 この先すぐ右斜め前方に伸びる広い田んぼと蓮田の中の細道に入り、徐々に線路に近付き、数軒固まって建つスーパー近くの踏切を渡って海側の木造平屋駅舎に、海側にも商店が数軒。
14:11 巌根駅着、相対式ホーム、木更津方に27.5KPあり。   


       (3) 巌根ーー佐貫町 23.2K  1998年12月31日(木) 本曇り午後快晴

 昨日歩く積りが、仕事納めの29日に飲過ぎ本日になったもの、予報通り今日は雲が厚く、木更津辺りでは霰まで落ちてきて気が滅入ったが、君津辺りから天気が回復、午後は快晴になった。
8:22 巌根駅を出発、線路左手近くに直線細道が伸びる、商店は無く、住宅に粗末な造作のスナック、飲み屋が15軒もあり、なかには廃業した店も、ちょっと変な雰囲気、、続いて田んぼの舗装農道に入る、時々蓮田も混じる、この線路近くの道は29.1K、根切踏切まで続いた。
 木更津の小ビル街が近付き、「そごうデパート」の看板もはっきりしてくる、市街上空に5分毎に、厚い雲の中から突然、羽田に降りる大型ジェット機が現れる。
 住宅街に入り久留里線踏切(1.1K)を渡る、内房線は右150M、霰が落ち出し、このまま歩き続けられるか気に懸る。 
 
 内房線:巌根駅 2012年3月7日




 内房線:木更津駅 2011年12月31日
9:22 住宅街、小工場のなかを行き、木更津駅に到着、島式ホーム2本の橋上駅、4番線ホームは久留里線専用、館山方出外れに31.4KPあり、こじんまりした久留里線気動車車庫が隣接、キハ37、38形に加え、キハ30
型までおり、現役鉄道博物館とも言える。
 駅周辺はこの時間静寂さが漂い、降下する旅客機の爆音だけが重たく響く。

 気動車庫を右に線路左手を行き、すぐ矢那川縁に出て、橋を求めて左手の街道に。 
9:59 33KPを過ぎる、この100M先で線路端の道は行止り、左手に近い国道127号線に入る、 この先丘が近付き、丘上に木更津駅からも遠望された君津中央病院の大きな病棟が建つ、33.5KP
辺り、線路右手はやや低い平らな台地で、住宅も多い。
10:11 34KPを過ぎる、この先34.3Kから国道を離れ線路左手すぐを行く、34.9K辺りに上り線トンネルの木更津方出口が見える、この辺り約1K、丘陵の中にカメレオンの舌の様に喰い込んだ狭間で、人家は殆ど無く寂しい、ローカルムードが濃厚だ。 
 下り線もトンネル内に消えいよいよ行止りかと思ったが、丘の斜面に農家が2〜3軒、その先目を凝らすと、トンネル入口上の丘腹をクルマが時々横切るではないか!農家軒先の踏み跡伝いに2車線道に出た、ニワトリがコッコ、、、と鳴いたが、犬はおらず助かった。
 しばらく丘中を行き君津の住宅街の端に辿り着く、全てにゆとりを感ずる雰囲気の団地は、新日鉄系会社の家族寮のようだ。
 中清水公園を過ぎる、延々と続く住宅はモダンで明るく道幅も広い、最近歩いた根岸線の洋光台、港南台付近の住宅街に似ている。一時右手の丘が切れ、丘陵下に近代的な大コンビナートが見えその規模に圧倒された、住宅街も大規模なわけだ。
11:08 片側2車線のバス道でユルユルと丘を下り、やっと線路端に出た。 
11:20 もう1Kほど線路沿いの道を歩き、君津駅に到着、海側に今も数本残る貨車留置線跡があり、その分跨線橋がやけに長い橋上駅、ホームは島式2本、38.3KPあり、海側にスーパー、銀行があるが、商店街は小さい。旧貨物駅跡地転用の分譲住宅が売出中で、50坪の土地に30坪の住宅が付いて4,500万円だった。

 線路右手に沿う住宅街の道がある。
 右手500M、丘上を新日鉄の大社宅群が占める、40KPあり、この辺り線路左の山側も平地で、感覚的に戸惑う。 

 内房線:君津駅 2011年12月31日  
11:54 線路を背にした池田西公園に到着、小休止、右手100Mに常緑樹が鬱蒼と茂る小丘が目に付く、平地にポッカリ浮かび、如何にも以前は海上の小島だった感じ。
12:11 小糸川を「なかはし」で渡り富津市に入る、鉄橋は300M下流、41.2K辺り、渡ってすぐが青堀温泉、旅館が3〜4軒ある。商店の構えもしっかりしており、往時は繁盛していたのだろう。
 この先街道は道なりに線路に近付く、
12:29 青堀駅着、田舎っぽい木造地平駅舎に島式ホームが1本、41.9KPあり、駅前は結構大きな古墳があるが商店は僅か、海側500Mに火力発電所の大煙突が2本見える。  









 
内房線:青堀駅 2012年3月7日
 駅から国道をちょっと行くと、広幅の県道が左に分れ、42.3K地点の踏切で線路左手に移る、しかしこの県道は一時かなり東に離れるため、すぐ線路方向の農道に入る。
 青堀を過ぎると周囲は一転砂地の広い畑作地帯で、昔のままの曲りくねった小道が少しあるだけで心細い、県道を行けば簡単なんだけれど、、、
13:15 当ては無いが44.3K地点で右手の小道に移ってみた、600Mしか続かず。
13:35 45.5K地点で再度右手に、しかし道は農家のビニールハウス前で消え、戻った左手も常緑樹の小樹林が占め、
 左300Mほどに近付いた街道に出ることにする、市役所隣りの4階建て郵便局が目印となった。
14:08 大貫駅東口に到着、細い地下道で駅舎に、島式ホーム、46.6KPあり、この駅も商店が数軒あるだけで寂しい。
 ここからは海岸の富津市街を周ってきた国道を行き、
14:25 街の中心の大佐和地区に入る千葉銀があり、堂々とした構えの商店にも歴史を感ずる。 

 内房線:大貫駅 2011年12月31日
  内房線:佐貫町 2011年12月31日  この先丘に挟まれた狭間となり、300M幅の空間に線路と道路、それに集落が並ぶ。下り特急が過ぎたが、自由席車に大勢立つ光景を久し振りに見た。
15:00 観音下バス停、この先小サミットがあり、国道は緩い上下で越える、鉄道の方は深い切通しと110M長の佐貫トンネルで抜け、抜ければ駅はもうすぐだ。 
15:06 道なりに跨線橋(50.35K辺り)で線路左側に廻り、佐貫町駅に到着、島式ホーム、50.6KPあり、ホームの海側は広い田んぼ、その先は丘、山側も平地が開け、1Kほど先は山、街の中心は東700Mくらいに。



     (4) 佐貫町ーー安房勝山 20.1K  1999年1月17日(日) 快晴

 昨日歩く積りが三連休で気が緩んだのだろう寝過ごしてしまい、日曜の今朝はそれが利いたのか1時過ぎに目が覚め、あとはウツラウツラ、もう寝付けず参った!
 予定より早い電車で行ったら、君津でこの駅から普通列車になる特急に乗れ、僅か15分だが183
系電車の走りを楽しむ、車内の造作はシートなど少々くたびれているものの、固定窓に空気ばね、この時期気になる隙間風は無いし、流石にその走りは重厚で静かだった。  
8:07 閑散とした佐貫町駅を出発、街道を200Mも歩けば道なりに踏切に出る、51KP辺り。
 線路が前方の丘中に切通しで入っていくのが見えるが平行道は見当らず、街道はこの丘陵を巻くため海岸方向に進む、沿道は広田、右手300M、(別の)丘上に東京湾観音のお顔だけが出ている。
8:24 八幡神社前バス停、もう海が近く、会社の保養所などが並ぶ。街道は段丘上を行き、右手は20M高の崖が海に落ちる。
8:46 丘中の笹毛集落を過ぎ程なく同名の踏切を渡る、53.1K、遠回りした街道と、切通しとトンネル(150M、出口が52.35K辺り)で丘を突っ切った線路が再会したことになる。
 ここからは道路も上りに掛り、丘中の深い切通し区間も抜けて湊集落に入る、海寄りを行く線路も帰路車内から見ると街道に劣らぬ難路で、2つの100Mほどのトンネルと深い切通しの連続だった。 
 内房線:上総湊駅  9:12 127号線と合流、上総湊駅に到着、佐貫町とよく似た駅舎に島式ホーム、55.2KP
あり、ホーム右手は雑木林、風が強いのか樹木はどれも低い、海は近い筈だが見えない、車窓からだと駅手前で三浦半島が意外と近くに見えるのだが、、、
 
9:27 127号線で湊川を渡る、鉄橋は河口に近い右150Mに、55.9KPあり。渡ると富津警察署が建つ、銀行もありこの橋の周囲が街の中心の様だ。
9:34 街道が道なりに線路を跨ぐ、線路は切通しを上り勾配で進む。
 先に進むにつれ先刻歩いた上総湊の街があたかも大河の対岸の街の様に見え、この街がその昔良港として賑わった理由が一目瞭然に分る、東京湾観音もかなり小さくなったがまだよく見える。
9:47 活魚料理のドライブイン横を過ぎる、左手崖下をトンネルを出たばかりの線路が行く、57KP
あり。街道右下はすぐ海、対岸の浦賀方面も今日ははっきり見える、この景色1Kばかり続く。
 線路が短いトンネルに入る59K地点(車内より)からの500Mほど、右手の丘中に集落が出現、この辺り丘陵が海岸まで迫り出し平地は殆ど無く、集落は細長い帯の様に続き、歩行者専用の城山隧道は137Mとあった。  
10:30 竹岡駅着、ホーム相対式、60.2KP
あり、街道から上り坂を70M入った所で、下りホームの一部はすぐ丘崖、集落は海岸近くにあり駅前は寂しい。 

 さらに127号線を行く、短い隧道を2つ抜けるが、洞口隧道は歩道が無く駆け抜けた。
11:00 61.5KPを過ぎる、この辺り丘が一時的に後退、線路も道路も500M先まで直線、道の右手はすぐ海で富士山が真横に大きい、右斜め前方に大島がシルエットで海上に浮かび、コバルト色の東京湾は湖のようだ。
11:12 また丘が張出し、丑山トンネルに入る、線路も同名のトンネルを抜ける、62.4K辺

 内房線:竹岡駅
 この先もまだ断続的に2回、丘が海岸に迫る個所があり、特に駅に一番近い山は大きく、これを抜ける芝崎山トンネルは200Mほどあり、出ると63.8K辺り、もう駅まで200M足らずだ。
 街道の方は昔の小断面の手掘りトンネルの転用、歩行者専用切通しなどいろいろ歩いて、いったんフェリーの船着場に寄り、左折して6〜7分で駅に。
 竹岡駅の先から浜金谷港の手前まで、東京湾を見晴らしながらずっと線路近くの道を来て、天気は最高だし快適な歩きが出来た。  
 内房線:浜金谷駅  2011年12月31日 11:34 浜金谷駅着、島式ホーム、64KPあり、ホーム左手はすぐ浜金谷小学校が建ち、その先は常緑樹の山、前方に鋸山が聳えるが、首を相当曲げないと山頂は見えない。街は港の方にあり駅前は寂しい。 

 さてこの先の鋸山だが、線路は同名のトンネル(1252M、64.75〜66K辺り)で抜け、道路は127号線旧道が海崖にへばり付いた洞門とトンネルで巻く、山頂経由で繋ぐ手もあるが、今日は海岸廻りで行ってみる。
 127号線を行く、これだけ高い山がほぼ垂直に海に落ちるのを見ると、枝道などある訳がないと妙に納得、ただただ国道が頼りだ、7〜8分でロープウェイ乗場に至る、この辺りで線路はトンネルに入る筈だが、左500Mは離れており見えない。
12:10 最初のトンネル口前に出る、トラックがビュンビュン素っ飛ばし、勿論歩道は無く、ちょっと入れた雰囲気ではない。
 右手、小岬の突端に喫茶店が見え行ってみる、造りがバッラックなのは構築物は建てられないのかも、、、この先も小道が続き、先刻入らなかったトンネルの出口横に到着、なおこの岬が鋸南町との境界、というか上総国と安房国の境界となる。
 続いて館山自動車道入口に至る、やけに急勾配の道を観光バスが登る、歩行者通行不可とある。
 次の小トンネルは先に出口が見えており、車両の流れを見計らって駆け抜けた。
 最後の洞門とトンネルの併設区間は参った!洞門の横に突出た庇の下を右に海を見て進むが途中で行止り、ここは山頂からの稜線が100M近い断崖となって海に落込んでいる所で、海は断崖の30M下、上は50Mくらいしか見えぬが、どちらを見ても本当に怖い、やはりトンネル口に戻り内を行くしかないと思った、、、
 しかし気を取り直して下の波打ち際をよく見ると、切立った崖をトラバースするように微かな踏み跡が付いており、その先は岩場に続き、100M先の砂浜のそのまた先には人影も数人見える。 
 「この傾斜だと一度踏出せばもう戻れない」と思い、慎重にルートを頭に叩き込むが、岩場の中の様子などはここからは掴めず、大丈夫だとは思うが、いい年をして無様に助けを求める自分の姿も脳裏を掠める。
 乾燥してズルズル滑る砂岩の壁を転ばないように滑り落ちる、いつも用意している軍手が非常に役にたった。
 結果的には岩場までうまく斜めに滑り落ち、その先も越えられない岩場の裂け目など無く、無事砂浜に辿り着いた、この間6〜7分くらい、浜辺で遊ぶ子供たちを捕まえておじさんの冒険談を聞いて貰いたいほど気分が高揚していた。
 振り返れば鋸山が海に落ちる100M高の断崖は殆ど垂直、マーよくもこんな所を来たものだと想い、無事に通過できた幸運を神に感謝した。    このコースは危険でお勧めできません、、、



 内房線:保田駅   海岸から連絡階段ですぐ近くを行く127号線に戻る、するとそこが鋸山登山道の保田口で、トンネルを出たばかりの線路が近い。
 まだ駅まで1.3Kくらいあるが、これまでの「難関」と比べれば何のことも無く、白ペンキで仕切っただけの歩道を、大型車を気にしながら歩き、
12:45 保田駅に到着、ホーム島式、67.5
KPが立つ。
13:00 保田港前バス停、漁協直営食堂で昼飯と思っていたが、観光客で混雑しており断念、線路は67.6〜67.7K辺りが相当。
 小岬の根元を過ぎる、線路は69KPの先で小トンネルに入りしばし姿を消す。
13:27 また海辺に出て「道の駅鋸南」に到着、周囲の道路には幅広の並木付遊歩道が設けられ、鋸山周辺のひど過ぎる127号線も見ており、そのアンバランスに釈然としない、ここの小食堂も満員だった。
 70.2K辺りで別荘風マンションが2棟並ぶ小岬の根元に出てこれを巻き、小漁港の脇から住宅街に入り、
13:55 安房勝山駅着、ホーム島式、70.7KPが千葉方に、駅の左500Mに山が後退。
 ちょうど外房の海岸だろうか、線路方向に高く飛ぶ旅客機が頻繁に見える、海上を北上、西にカーブして木更津上空に至るのだろう。
  自宅往復で33,553歩だった。

 内房線:安房勝山駅 



      (5) 安房勝山ーー館山 15.1K  2000年1月15日(土) 曇り午後

 先週の3連休は天気がぱっとせず、おまけに少々風邪気味で家にいた、青春きっぷがまだ2回分残っており、今日辺りどうしても出掛けたかった。
 お茶の水で乗換えた総武緩行線は、209系500番台に追われ、この頃めっきり少なくなった103系、この3月ダイヤ改正でまた激減するだろうと、千葉まで乗り通した。 
 勝山から次の岩井まで営業キロでちょうど3K、全区間右手に127号線が沿う、しかしこの館山街道は歩道が未整備の区間も多く、景色も海から7〜800M離れ単調だ、それで主に海辺を行く「房総ふれあいの道」を行ってみることにした。 
 
9:00 安房勝山駅を出発、駅前から127号線をちょっと行き、佐久間川の右岸沿いに勝山漁港へ。
 ひっそりした漁港を一回りして、落着いた昔からの集落に入り、
9:45 100M長の小隧道で小丘を抜ける、道なりに下ると小さな入り江に小漁港がある、岩井袋という戸数30ばかりの小集落だ。
 道なりにいったん小丘の方に戻り、小尾越隧道(70M)を抜けるとまた右手が浜となる、大島が黒いシルエットで迫るように浮び、伊豆の伊東などから見るより遥かに近い。
 練馬区立少年自然の家、台東区立岩井学園などが浜辺、丘上に見える、どれも建物は立派だ、
あとは海水浴客目当ての民宿が絶えない集落内の道を行き、駅に至る100Mのみ127号線の世話になり、






  内房線:岩井駅
10:20 岩井駅着、島式ホーム、73.7KPあ
り、モルタル造りの瀟洒な駅舎が海側に建つが、1日平均乗車客は500人に達しない様だ。10:39 127号線を行き、踏切で左手に移る、74.4K地点。
10:49 線路左手すぐに道が伸び、75KP近くの高崎公園遊歩道入口に達する、線路横の急坂を上り、線路がどんどん下になるのを見て道なりに左へ、さらに登って、
11:00 高崎公園展望台着、海抜約100M、ちょうど岩井の浦の反対側に位置し、先刻歩いた小尾越隧道、練馬区の自然の家などが真正面に見え景色が良い、三浦半島、城ケ島なども見える。
 
 高崎公園展望台より岩井の浦を眺望、 
 遊歩道入口まで戻り線路沿いに進むが、ビワ畑の先は落葉に覆われた踏み跡に変り間もなく行止り、75.3K辺りで、線路は200M先で小涌トンネルに入り、周囲は里山の中だ。
 線路を渡り、細道を下り、人家の裏手から127号線に出た、海抜5.2Mとある。 
 やがて道は小漁港に面した小浦集落に入る。小浦隧道は80M長、歩行者道は旧道を転用し、照明が無く真っ暗、不気味な感じ。
 抜けると次の隧道との間の狭い窪みに、温泉ファンの間で評判の高い弁天鉱泉がある、食事込み要予約なので今日はパス、いつ訪問できるかな、、、
 次の岩富隧道は200M長、他に道が無く意を決して早足で進む、歩道が無く怖いがそれはクルマの方も同じ、闖入者に気付きライトを一段明るくして間隔を取る、この辺りは富山・富浦両町の境界で山深い所、線路の岩富トンネルは76.1K〜711M長となる。
11:55 小浜隧道(50M長)を小走りに抜ける。
12:16 新田橋で同名の小川を渡る、この辺りから海まで張出していた山が少し後退、その分平地が開け出す。地図を見るとまだ駅まで2Kちかくあり、ちょっと気落ちする。 
 山は低くなったがさらに小隧道を2つ抜け、おまけに駅に入る道を行過ぎて20分も損をして、
13:02 富浦駅着、島式ホーム、79.7KPあり。 
13:15 岡本橋の袂に、先刻ここまで来て駅に引返した。127号バイパスを少し行き、
13:25 「道の駅とみうら」に到着、「枇杷倶楽部」で昼食、三芳村のお母さんが造る枇杷の地ビール(330o、¥500)も飲む、味について言葉が浮かばない、まずくはないけど、、、
13:45 出発、さらにバイパスを行ったら線路を跨ぎ結構遠くまで持って行かれ、
13:57 バイパス高架下の踏切で線路右手に移る、80.6K地点。
  内房線:富浦駅
14:06 岡本踏切で線路左手に移る、81.25K地点、線路はこのちょっと手前で岡本川を50M足らずの小鉄橋で渡るが、C57型牽く海水浴臨客の写真が一頃よく趣味誌を飾ったのを懐かしく想い出す、1970年頃のことだけど、、、
14:12 また線路右手に、81.5KPがチョイ先に見え、もうホーム端まで300M。  

 内房線:那古船形駅
14:20 那古船形駅着、ちょっとくたびれた木造駅舎が海側に建ち、島式ホームの左手は広い田んぼが展開、82KPあり。 ここはもう館山に続く広い平野の端で、この先一転して住宅が多くなる。

 線路右手2〜30Mに平行する広い自動車道を進む、天気良くなり、太陽が真正面から射し込みまぶしい。
14:48 平久里川を渡る、左の鉄橋は70Mくらい、渡った10M先が84.3KP、続いてイオンの店舗が線路との間を占め、84.6〜84.8K。
 駅が近付くと右手に直接海岸を望むようになり、リゾートホテル、ヤシやフェニックス並木などの演出もあり、ロス近郊のサンセット海岸を想わせる。
 館山は岩井に比し大きいと感じた富浦よりまたさらに一段大きな湾だった。
15:25 館山駅西口に到着、片面・島式ホームが各1本ある橋上駅、86KPあり、駅の手前山側に電留線が6本あるが、あまり出番は無さそうだ。99年3月に完成した新駅舎は鉄骨造りの2階建、オレンジの屋根と白壁はサンセットでは無く地中海をイメージしたとあった。 

 内房線:館山駅


     (6) 館山ーー和田浦 20.9K  2001年12月15日(土) 晴風強く冷たい

 本日の日程(青春18きっぷ:1回目)
  新宿5:22−−千葉6:55−−7:42君津7:47−−8:45館山8:50ーーーーー15:06和田浦
     クハE231−41   クハ111-1064       クハ183-27        徒  歩
  
  和田浦15:27−−15:59館山16:01−−16:59君津17:06−−千葉17:59−18:29錦糸町−新宿
     クハ111-1027            クハ183-35          クハ111-164   クハE217-34  モハE213-81



  キハ2875  於:館山駅  1963.4.29
8:50 館山駅東口を出発、 ホーム端から100Mの踏切で右手に、なお線路はこの先すぐR400の左カーブを開始、南に膨らみつつ東に向きを変える。 
 粗末な造りのスナックが両側に並ぶ線路方向の道を行き、流れの澱んだ汐入川のほとりに出て、
9:02 第九館山街道踏切(86.53K)でまた左に戻る、なお街道を右に行けば、布良から房総半島の突端野島崎に至る。
 線路と道路の向きが噛み合わず、この先また線路右手を行った後、88KP辺りより左手すぐの広幅の道に入る、この辺り広い畑地でビニールハウス栽培農家が多い。
9:42 山本踏切で線路右手の農道に移る、89.1K地点、右100Mの丘裾に館野小学校が建つ。
 この後も線路近くに(農)道はあるがいずれも長続きせず、線路左〜右を繰返し、
9:58 90KP近くの踏切で館山駅から直行した128号線に入る、近くに安房医師会病院が目立つ。 
10:20 九重駅着、相対式ホーム、91.7KPあり、小駅前広場の横を128号線が行く、ホームの右手は丘、丘の先端がホームの一部まで迫る。小集落が左手にあり、丘陵まで主に畑地を挟んで500Mほど。
10:35 誰もいない無人駅舎で小休止後出発。128号線を行くが駅の先から歩道が無くなる、線路右手の低い丘に牧場も見える、段々丘陵地帯に入っていく。
10:59 ついに丘にぶつかり線路共々トンネルで抜ける、嶽ノ堂トンネルは93.7K辺りから199Mとあり、道路隧道は100M長、なおこの手前で千倉町に入る。 
  内房線:九重駅 窓など塞がれ改築が近い?
 植木栽培などに利用された人影の無い寂しい丘陵地帯を下り、
11:31 尾登踏切で線路右手の未舗装農道に移る、95.86K地点。
11:40 千倉駅着、駅舎は和田浦に向い右手、改札口直結の上りホームに島式ホーム、96.5KPあり。駅右手後方にギザギザの尾根が特徴の低い丘が連なる。海抜22.8M。
 
 観光客相手の活魚食堂など過ぎると3階建ての立派な町役場前を過ぎる、ここまで来ると海原が見えるが、海岸は隠れて見えず。  

 内房線:千倉駅






  内房線:千歳駅 2012年3月7日 
12:05 少し手前で国道410号線に入り、瀬戸川を渡る、右手は海がすぐ、鉄橋は良く見えないが200Mほど上流、97.7K辺りとなる。
海は風の割には静かだ、朝方竹岡辺りから見た東京湾はかなり荒れていたが、内海より太平洋の方が静かとは、ちょっと変な感じ、 410号線を進み、千倉白子郵便局前を過ぎ、
12:23 千歳駅に到着、駅舎は有蓋貨車の転用改造、片面ホーム、98.6KPあり、駅の前後各500Mは直線だ。
 ホーム左手は田んぼを挟み100Mで丘、丘裾に住宅が並ぶ、60M高の丘上にも住宅がパラパラ、太平洋の眺望は最高だろう。 
12:30 出発、線路右手10Mの小道を行く、住宅はあるが誰にも会わない。
12:40 99.5KPを過ぎる、右手に生垣のある広いグランドがあるがここも人影無し、夏の合宿用なのかな?この50M先で道が行止り、左に移る(が、200M足らずで右手に戻った)。
 この辺り勝手に増殖した竹藪が多く、強い風に擦れ合ってギシギシ、ゴリゴリ、心細い。
13:05 三島川を渡る、左に近い鉄橋は100.7K辺り。 
13:10 丸山川の岸辺に出る、左100Mを鉄橋が行き101.2K辺りだ、人様の渡る橋は下流4〜500
Mと離れ参った!
13:22 丸山川を渡る、右手すぐに410号線の新橋が並び、その向うに大海原が控える、橋の袂には町が造成した公園と広い駐車場があり、国民宿舎「しおさい荘」も近い。
13:33 対岸の細長い公園を抜け、あと細道を歩いて線路端に戻った。
13:45 南三原駅に到着、一頃の標準タイプの駅、千倉駅に似ている、相対式ホーム、102.3KPあり、山側は丘まで200M無い。駅前広場に続き商店が1軒、九重駅手前で線路と分れ、千倉駅に寄らず南三原駅に直行した128号線が近くを平行。
13:59 沿道に住宅が絶えない128号線を行き、安房農校前を過ぎる、距離確認のため近くの農学校踏切に出ると、102.9K地点。
14:17 南三原公民館のある下三原交差点に、街道と分れ海沿いの遊歩道に入る。

 内房線:南三原駅 2012年3月7日 
14:30 三原川河口を新斜張橋で渡る、128号線がすぐ左手を行く、遠く10Kほど先に見える白い断崖の連なりは御宿海岸近辺だと思うが、、、なお線路が三原川を渡るのは104KP辺りだ。
 この辺り白渚海岸といい景色が良い、街道と1Kほど平行、線路は左60Mの丘裾を行く。
14:45 和田浦漁港を過ぎる、この先住宅が多くなり、緩い上りで道なりに左手の段丘に向う。
14:58 千葉銀の支店が建つ和田バス停を過ぎる、線路は和田トンネル(250M、106.1K辺り)を抜けたばかり。この先106.5K地点で線路左手に、この辺り丘がやや後退、平地が開けてきた。
15:06 和田浦駅に到着、駅舎の木材は木肌を活かし無塗装、風情がある。観光案内所を併設、委託駅員が1名、ホームは相対式、106.8KPあり。100M高の丘陵は左7〜80Mに後退。 
 今日は別に図ったわけではないが、往復とも君津ー館山間は特急用183系に乗れた、しかもすいており車内は静か、なのに何故か寝付かれず、却って君津から111系に乗り継ぐと爆睡した、矢張り根っからの貧乏性らしく、思わず苦笑が漏れた。







        (7) 和田浦ーー太海 9.2K  2002年3月7日(木) 晴風強く冷たい

 内房線を歩くのもこれで7回目、今日は安房鴨川まで歩き全線歩き潰しを完了する予定だ。たまたま自分が見た某新聞の山コーナーで、和田浦駅最寄りの烏場山が紹介され、「花嫁街道」というキャッチフレーズにも誘われ、天気が良ければ寄っていくことにして和田浦駅に降り立つ。
 なお前回に味を占め、今朝も君津から特急用モハ183-42に乗車、しかし座席のバネが長年の使用でウマシカになっており、体重を支えきれずお尻が痛い。これで特急料金を取るのはちょっと、、、
 内房線:和田浦駅   9:25 和田浦駅を出発、山側の道を500M行って線路右手に移る。
 小川を長者川橋で渡ると「ハイキングコース入口」の案内あり。
9:44 花園踏切で左手に、108KPあり、温室など見ながらユルユルと上る。
9:54 花嫁街道入口に達する、 
11:26 烏場山頂に到着、晴天だし、富士山、伊豆大島などの姿を期待したが、春霞が掛り伊予ゲ岳はともかく眺望は望めず。
12:50 花嫁街道入口に戻る、道なりに線路近くに至る。 
13:04 道なりに108.3K辺りで線路端に、この先の踏切(108.5K)で右手に移り、線路方向に伸びる鴨川市道を行く、周囲は住宅、それに大型の温室が多い。
 なお踏切すぐ近くに日帰り温泉がある、建物はテント張りのような簡易な造り、土日月の営業とあり、写真だけ撮って引返した。
13:25 道なりに128号線に入り、右手の海岸堤防道を行く、強風に砂が飛び、風上を向くと砂粒で顔が痛い。
13:48 白亜の11階建て京王マンションの建つ洲界川の袂で道なりに128号に戻る、鉄橋は35M長、110.8K辺りだ。

  和田町:瑞廣温泉(2002年休業) 
  内房線:江見駅  14:00 江見駅着、駅員1名、相対式ホーム、111.5KPあり、感じのいいこじんまりした木造駅舎だが、すぐ横に14階建ての白亜の高層マンションが建ち、雰囲気ぶち壊しで残念。駅の反対側は50Mで丘。
14:12 小休止の後出発、進行右手の旧道を行く、128号線には江見吉浦三叉路で入る。14:48 房州大橋バス停、この辺りは40年前写真を撮りに来たので見覚えがある、海まで張出した山裾を線路は鉄橋で進み、太平洋の大海原を背景にシャッターが切れたが、今は海寄りに自動車橋が並び、景観が悪くなった。 
15:00 天面バス停、このバス停の先で線路は海に張出した丘を鷹ノ巣トンネル(114.35K〜421M
長)で抜け、128号線はこれを巻く。
15:12 太海小前バス停、右手はすぐ岩浜、線路反対側に丘を背にこじんまりした小学校が建つ、この辺り海岸が入り組み地形は厳しく、線路には2つの小トンネルが連続する。 この先フラワーセンターが近く、車中からもよく見えた。 
15:28 太海駅着、山側は平地が少なく少しの住宅があって50Mで低い丘、相対式ホーム、鴨川方に116KPあり、この駅も周囲の景観と不釣り合いな10階建てマンションが近くに建つ。




 今日は烏場山ハイキングに意外と時間を取られ、この先安房鴨川まで営業キロで3.4Kを残し、この太海駅で切上げる。内房線の全線歩き潰しが出来なかったのは残念だが、残った区間は今後外房線と一緒に歩くことになろう。 


  江見ー太海 先頭キハ17172 1963.4.29

  江見ー太海  1963.4.29 その後海側に自動車道が完成、景観が悪化

 DD13163+ワキ89+マユニ7827 於:太海駅 1963.4.29