キハ30100+3062 木更津駅ホームより
2011年12月31日(土)
君津に用事があった帰り、京成船橋ー京成津田沼間4.6Kを歩きました

 本年最後の歩きは京成千葉線で済ませる予定でしたが、木更津駅で下車、久留里線の気動車の写真を撮ったりしていたら、時間が押してきて、結局首記区間を軽く流して終りました。
 木更津駅で見た久留里線の車両はどれも薄汚れており、「そろそろ引退かな?」と誰しもが思うような、異変の前兆を感じました。

 泣いても笑っても今年はこれで終了、明日から始まる新しい年に期待したいものです。自分は来年70才、それにいつ大地震が来るかも判らず、そろそろこの「歩き潰し」の引退興行も考えないといけない、と思い出したこの頃です。


東武1800型、野田線:八木崎駅、編成はいつもと逆?
2011年12月4日(日)
東武伊勢崎線:姫次ー大袋、野田線:豊春ー春日部の歩き潰しをしました。

 首記区間、計13.9Kを歩きましたが、本日のハイライトは何と言っても、図らずも会った東武1800形でしょう。
一瞬の内に通り過ぎましたが、野田線でこの形式を見るなど思いもよらず、ちょっとビックリ、感激でした。
 たまたま駅の写真を撮っている最中で、同じ場所からシャッターを押しただけでしたが、写真の出来栄えは構えて撮った写真とさほど変らず、改めて日頃の撮影技量の低さを嘆くことになりました。
 なぜか中学時代、デコイチの1号機を中央線の辰野駅で見掛け、慌ててシャッターを押した時の興奮が、長い忘却の闇から突然迷い出ました、、、
 帰宅後ネットで調べると、野田線開業100周年を祝う団体臨時列車だったようです。


東武鉄道クハ8154他 野田線:七里ー岩槻
2011年11月27日(日)
11月のまとめ

 今月もまた1泊2日の那覇週末出張アルバイトが2週連続で入り、遠出はできませんでした。
 しかし,空時間をこまめに拾って脚力維持を兼ね,首都
圏内私鉄の沿線歩きに精を出し、これは計6回、55.6K
に達しました.
 もう少々活発に動きたいという気持ちがいつも心の底にあり、何かすっきりしませんが、来月も次女の出産予定があり、その世話で女房が出掛けるとなると、留守番は当然自分の役目で、今年も大したことをしないで、このまま年を越してしまいそうです、、、


宗吾車庫正門の柵からカメラを入れて撮りました クハ3648他
2011年10月16日(日)
京成成田ー京成佐倉間、10.2Kを歩きました

 首記区間の歩き潰しをしました。同区間は、東1.5K位の間隔を置いてJR成田線が平行、自分が12年ほど前歩いた時は、台地の長い掘割区間に沿う道が無く、かなり遠回りを強いられた覚えがあり、今回も、公津の杜の杜駅から宗吾参道駅間など、短いトンネルもあるし、「すんなり抜けられないのでは、、」と心配でした。
 しかし、林の中に細道があり、ちょっとモタモタしましたが、何ということもなく過ぎ、途中1Kほど宗吾車両センター沿いに歩ける道もあり、愉快な歩き潰しができました。成田付近の丘陵は、東から西に緩く下っており、京成線の方が低い所を行くので、それだけ住宅地、田畑として利用されている所が多く、道路も発達しているのでしょう。


久喜駅:JR側の西口に比べひっそりしています
2011年10月9日(日)
東武伊勢崎線:久喜ー姫宮間を歩きました

 宇都宮方面に用事があり、帰りに首記区間を歩きました。同線を本格的に歩いたのこれが初めてですが、JR線がカバーしない地方都市を結んでおり、今後の歩き潰し線区の有力候補です。しかし首都圏に位置、年を取っても歩けそうで、これまで老後に備え温存してきました。沿線には和戸駅の様に汽車旅の雰囲気を色濃く残す木造駅舎もあって、あまりほったらかしにしておくと、8000系の様にいつの間にか姿を消してしまいそうで、自分にとってはその兼合いが難しいところです。


松本電鉄:新村駅 今にも壊れそう?
2011年10月1日(土)
松本電鉄全線の歩き潰しをしました

 前夜発のムーンライト信州を利用、大糸線の信濃常盤駅最寄りの、北アルプスの眺望が良い鍬ノ峰に登ろうと出発しました。しかし、予報通り現地の雲は厚く、雲の流れも速いので断念、信濃大町駅から引返し、替りに松本電鉄の歩き潰しに向いました。天気は時間を追うごとに良くくなり、日も射してきましたが、北アルプスなど高い山々は最後まで姿を現さないまま14.4Kを歩き、終点の新島々駅まで来てしまいました。
 この路線には何度もお世話になっていますが、実際に歩いてみると、松本盆地の奥行きの広いことを実感し、「山がすぐそこ」という従来のイメージが間違っていたことがわかります。
  なお、往路ムーンライトの出発が翌日にずれこみ、鉄道記念日切符利用の自分は、いつも支払う新宿から立川までの運賃、¥450を支払わずに済みました。何度も利用していますが初めての経験で、こんな遅れなら実害は無いし大歓迎です、、、


クハ84111 越生駅八高線ホームより、
2011年9月9日(金)
東武鉄道越生線沿線を歩きました

 東武鉄道越生線の全線歩き潰しをしました、沿線はしばらく来ないうちに宅地化が急速に進行、毛呂地区など東京郊外のそれと全く変わらない瀟洒な住宅街も出現、デハ3200系が似合う「典型的な埼玉の田舎、、」といった景観はもうどこを探しても見られないのかもしれません。
 電車は全て8000系更新車の4連、確か全社で700両余りありますから、代替するといってもスカイツリー2本分の金額を要し、そう簡単にはいかぬと思って安心していましたが、いつの間にか伊勢崎線からは姿を消し、気が付いてみれば東上線でも日中、その姿を見ることは少なくなりました。いずれ鉄道ファンから追い回される日も遠くはないだろうと思い、今日は写真も撮りました。この電車、特に更新車両は、どこから見ても隙のない均整の取れた編成美を見せ、奇をてらうことの無い、会社の堅実な気風を感じます。


西桐生駅舎内
2011年9月6日(火)
上毛電鉄:西桐生ー新川缶を歩き、全線の歩き潰しを完了

 相変わらず遠出はせず、近間でこれまで行ったことがない区間をコツコツと歩いています。首記区間は8K足らず、軽く流すにはうってつけの距離で、時間を気にせず気楽に歩けました、なお桐生球場前から赤城間の2.2Kは東武鉄道桐生線が完全平行、以前歩いたことがあるわたらせ渓谷鉄道との平行部分も併せ、同線の相生ー赤城間、3.4Kも歩き潰し区間に入れました。
 今日は、往き帰りの途中、そろそろ建替えられそうな両毛線、上越線の木造駅舎数軒を訪ね写真に収めたので、日帰り温泉には寄れませんでした。


キハ3710−02 中根駅付近
2011年8月14日(日)
ひたちなか海浜鉄道:勝田ー那珂湊を歩き、阿字ケ浦温泉を訪問

 猛暑のなか首記鉄道の歩き潰しを敢行しました、同路線は延長14K余、勝田駅を9時頃出発した際は、充分歩き通せる積りでした。那珂湊駅到着が12時ちょっと前、途中、中根駅付近で列車写真を撮るためちょっと待機したから、そんなに遅いペースでもありません。しかし、那珂湊駅舎のベンチで小休止した辺りから急に体力の消耗を感じ、このカンカン照りのなか、残り6.1Kを潰す気力が湧いてきません。
 取敢えず終点の阿字ヶ浦まで列車に乗り、駅から5分足らずの日帰り温泉「のぞみ」を訪問、水風呂で火照った体を冷やしながら体力の回復を待ちましたが、車内から見た、全く日陰の無い畑中の道を歩いて那珂湊駅に戻る気にはなれず、ギブアップしました。悔しい気分は全く湧かず、この点でも年を取ったものと思いますが、「これでいいんだ、、、」と妙に納得する気持もあり、自分で自分がおかしく、ヘンな気持ちでした。 


流山駅(島式)ホームより、旧西武クモハ2005
2011年8月8日(月)
流山電鉄線を歩く

 やっと暑さが戻ってきたなか、体調維持も兼ね流山電鉄の歩き潰しをした、全線5.7K、軽く流すにはちょうどよい距離だ、実は自分はこの電鉄、沿線歩きどころか乗車をした覚えが無い。
 起点の馬橋から次の幸谷(北松戸駅至近)まで1.7KはJR常磐線と完全平行、車内からは住宅に邪魔され注意しないと判らないが、両線の間は100Mもない。その先もまだ畑地が僅かに残るものの、思ったより開発が進んでおり、住宅街を渡り歩いている内に終点の流山に着いたというのが実感だ。

 この電鉄、資金難だったのか、駅、線路敷などの鉄道用地は、最小限の空間を確保するに留まり、いざ写真を撮ろうとすると格好の場所どころか、電車が収まる地点も少なく、この点でも、気が付いたら終点だったという感じだ。

2011年8月2日(火)
関東鉄道:取手ー新守谷間、11.4Kを歩きました

 7月20日頃、九州から四国にかけて台風が上陸、猛威を振るった。以来日本上空に寒気が居座り、8月に入っても最高気温が連日30℃を割るなど、異常気象が続いており、ネットの山小屋便りなども、「昨日の最低気温は10℃近かった、寒さ対策も忘れないように、、、」といった文言が多い。
 そんななか、高い山に行くような気分でもなく、首記区間を歩いた。カンカン照りなら、木陰など殆ど無い、関東平野真っ只中の苦しい歩きとなる筈だが、今日は薄晴れ、勿論汗はかなり出るが、この月としてはこの上なく良い環境で、頻繁にやってくる気動車の走りを肴に、単調な景観のなか10K余を歩いた。
 つい最近まで、旧国鉄キハ35、キハ30が我が物顔に走っていたこの線区も、今では新型気動車ばかり、しかし何故か、「ちょっと早く訪問して写真を撮っておけば良かった、、、」という後悔の気持ちは湧かなかった。


東武クハ6253 堀切ー鐘ヶ淵 ’11.07.24
2011年7月31日(日)
7月のまとめ

 7月の活動も低調でした、例年なら月の後半,ムーンライト信州で夜行日帰りの山行をして、足腰の調子を確かめるのですが、今年は月の後半気温が上らず、第一、青春きっぷの購入もまだです。
 しかし往時の自分なら、ちょっとくらい天気が悪くても出掛けており、やはり背景には、今般の大震災で2万人近くの市民の命が一瞬の内に奪われ、「いい年をして余り無理をしなくても、、、」という気持ちが、いつも心の底にあるからかと思います。
 そうは言っても何もしなくては体調も狂うので、冷夏を幸い、散歩を兼ねて首都圏の私鉄沿線歩きは続け、8回、計62Kを歩きました。
 プールは3回、3,900M泳ぎましたが、こちらは外気を避けるためか、水泳実習の保育園児がやって来るようになり、いつもガラガラの小プールにチビッ子の無邪気な声が飛び交い、これもこたびの大震災がなせる業でしょう。

2011年6月30日(木)
6月のまとめ

 6月の活動は低調でした、アルバイトで週末を2回、土日跨りのほぼ同一日程で那覇に出掛け、日曜の帰宅は零時近く、この年になるとこの種の疲れは残り易く、他の活動に影響が出ました。
 それでも那覇滞在中、空いた少しの時間に、沖縄モノレールの旭橋〜小録間2.6Kを、2回に分け歩き潰した他、主に東京都内の私鉄線を3回歩き、合計で28.4Kにはなりました。
 あと水泳は区立プールに2回行って、2,700M泳ぎました。震災後、入場者はかなり戻ってきましたが、まだ完全ではありません。しかし山と同様、一時、妙齢(?)の女性の姿が殆ど消えた頃に比べれば、格段の回復ではありますが、、、 


しんとう温泉、日本中央・群馬バスが玄関前に入る
2011年5月22日(日)
榛東村:しんとう温泉ふれあい館

 横川駅まで仲間にクルマで送ってもらい、今日は群馬総社駅最寄りの首記日帰り温泉を目指す。
 榛名山麓の片勾配道路を行くが、歩き出すとすぐポツポツ落ちてきて、標高が上っていくせいもあろうが、雨足がどんどん強くなり参った。
 温泉まで1時間30分余り、その内の半分は土砂降りの中を行ったが、こんなことは久しぶり、「大震災の犠牲者、被災者の難儀を想えば、これしきの事は、、」と、昨日の猛暑とは打って変り、結構冷えこんだなか、ひたすら温泉に浸ることばかり考えながら前進した。
 やっとのことで辿り着いた温泉は、施設はなかなかの物だったが、お湯の方はごく平凡、露天風呂から見る前橋、高崎の夜景は素晴らしいそうで、晴れていればそれなりの期待もできようが、今日の天気ではどうしようもなく、バスの出発まで、大広間の隅で、結構レベルの高いカラオケ演歌をさかなに、缶ビールを楽しんだ。


長野新幹線の短い明り区間:(高崎起点)34.5K地点
2011年5月21日(土)
霧積温泉:金湯館

 今年も大学時代の同好会の集いが霧積温泉で開催され、嬉々として参加することに、、、
 集合は夕刻なので、その前に上信電鉄の歩き潰しをする積りだったが、予報は最高気温が30℃を超えるとのことで急遽中止、これは正解で、事実32℃になり、歩いたらメタメタになったかもしれない。
 代りに「碓氷峠鉄道文化むら」を訪問、赤く塗られてしまったキハ35901などを見学して時間を潰し、そのあと若葉でむせかえるなか、霧積川沿いに4時間かけ、途中静まり返った霧積ダムの堰堤で休憩もして、谷の一番奥にある旅館に辿り着きました。
 温泉は泡付きの炭酸温泉、40℃あるかないかで、加熱はしておらず、長湯をしないと寒いくらいだが、大層いいお湯でした。


山梨貸切自動車の(臨時)路線バス 柳沢峠バス停
2011年5月4日(水)
柳沢峠〜黒川鶏冠山

 このゴールデンウィークから土日、休日に限り、塩山から柳沢峠まで路線バスが通うことになり、これまでタクシー代がかさみ敬遠していた首記コースを試みてみた。
 今日は黄砂がひどく、富士山はどうにか見える程度だったが、大菩薩嶺は勿論、国師、金峰、笠取山などの眺望は非常に良く、往復4時間半、帰りのバスが決っていることもあり、いつになくゆっくりしたペースで歩き、人の少ない静かな山歩きを楽しんだ。
 帰りは大月からホリデー快速に乗換え、しかも八王子まで一マス占領できた。往きの中央線もガラ空きだったが、大型連休のこの様な惨状は初めての経験、休日のこの時間、外国人観光客でほぼ満員の富士急電車が着くと、多数の乗客が列の後に並ぶ筈なのが、今日はほんの数えるだけ、ちょっと恐いくらいの静寂さを感じた。

  林佐和戸バス停より見る宮地山(中央)、最初の登りはきつい
2011年4月29日(金)
奈良子〜宮地山〜セイメイバーン〜トズラ峠〜大月駅

 例年3月の声を聞くと、自分は低い山から始めて足腰の調子を確かめ、夏の長丁場へと体力造りを図っていく、しかし今年は大震災に出鼻を挫かれ、実は本日が今年最初の山歩きとなった。
 このコースはひとつも難しくはないが、一般コースを大体登った人が、ちょっぴり通の気分にひたれる様なコースでもあり、一部案内標識など無い区間もあって、自分も広い尾根で踏跡が幾筋にも分れた所などに出くわし心細かった。そんなこともあろうと、人の多いこの時期を選んだ積りだったが、バスで一緒だった男性があっという間に消えた後、金山の民宿に下るまで誰にも会わなかった。
 山はやっと新芽が出始めた頃で、枯葉の厚い吹溜りに足を取られるような場所が随所に残っていた。
 それにしても山から人が消えた!いつもなら藤野、相模湖駅などから大勢乗込み騒々しかったおばちゃん達はどこに行ってしまったのかな、、、 


上信電鉄:福島変電所
2011年4月10日(日)
上信電鉄:吉井ー神農原を歩き、予定した日帰り温泉は休業中でした

 青春きっぷ有効日の最終日、上信電鉄沿線歩き潰しの続きをしました。
 鉄道の運行も節電ダイヤとか、かなり地域によって変動があり、前回訪問して状況が判っている地区の方が安心だと思ったからです。
 しかし帰路訪問しようと予定した日帰り温泉「甘楽の湯」は、前回のクタビレモウケに懲り上州一ノ宮駅より電話したところ、「大震災救援物資の保管、仕分け場所として使用中で、当面の間休業している」とのこと、電話して本当に良かったと思いました。 
 それならともう一駅、神農原まで歩き、この駅最寄りの(温泉ではない)健康ランドも訪ねましたが、ここも(最近のことらしいが)廃業していました。いつもなら不幸の連続を呪うところですが、今日は運命のいたずら(?)を甘受、おとなしく帰宅の途につきました。 


吉井温泉:山伏の湯、後方は上信越自動車道
2011年4月5日(火)
上信電鉄:高崎ー吉井を歩き、吉井温泉:山伏の湯(廃業)を訪問

 このところの原発対応ほど、TVを見ていてもどかしいものは無い、初めての(想定外)事象が多いとはいえ
「学識経験者」の権威も地に堕ちたものだ、、、

 そんなイライラがつのるなか、今日も首記区間を歩き潰し、帰りには日帰り温泉に寄ったが、ナントこの3月1日に廃業しているではないか!しかし吉井駅から1時間もかけて歩き、当然帰りも歩きだが、全く頭に来ずただ苦笑するばかり、「震災犠牲者、被災者のことを想えば、他人に訴えるのも憚られるような些細なことよ、、」と笑い飛ばし、写真を撮って馬庭駅に戻る、今度は40分で歩けた。
 こんな不幸(?)もあった方が何か安心して遊べるような、今はそんな雰囲気が各人の心に浸透しているのかもしれない、、、

 今日1日の歩数は42,399歩、結構歩いたもんだ、、、


伊豆箱根鉄道クハ3503 於:三島駅
2011年3月30日(水)
伊豆箱根鉄道:三島ー伊豆長岡温泉を歩き、[湯ートピアかんなみ」訪問

 外出したい気持はあるが、被災者の方々のことを考えると自制心が働き、家でグズグズすることになる。  今日は思い切って「歩き潰し」に出掛け、併せて日帰り温泉も訪問しました。
 いつも新宿などで夜通し遊んだ若者で混んでいる小田急の始発電車に乗ったら、車内はガラ空き、特に女性の姿は殆ど無い。明らかに大震災の影響で、やはり若者でも不要不急の遊びは控えているのだ、、、
 出だしに気分の高揚を挫かれたせいか、淡々と沿線を歩き、これも混雑している割に何か気のせいか静かな日帰り温泉で一風呂浴び、いつもより早く粛々と帰宅しました。
 それでも歩数は3万歩ちょっととなり、気分転換が図れ、適当に疲れたせいか夜は良く眠れました。


甲府市:国母温泉
2011年3月24日(木)
青春きっぷで甲府市の国母温泉を訪問

 連日の新聞、TV報道を見ていると気分が暗くなるばかり、実にやりきれない暗澹たる気持ちになる。犠牲者数も当初は1万人だったのが、1万5千となり、2万を超えるかもしれないとの報道も出てきた。
 当然外出をする気分ではないが、人間何もしないと体調がおかしくなる、青春きっぷもまだ4回分残っており、今日は重い腰を上げて甲府の日帰り温泉を訪問する、予定通りなら歩行時間も合計1時間ちょっと、単なる時間つぶしと言えるかも。
 温泉の方は加水無しの、体に泡が纏わり付く炭酸水素塩泉で、湯量も豊富、それにしても甲府市内のこの種温泉銭湯の水準は高い。
 訪問したのは午前中、この時間、入場者は自分も含め老人ばかり、聞えてくる話はやはり津波、原発関連のことが殆どで、余り気分転換にはならなかった。

2011年3月11日(金)
東日本大震災発生!

 来年70才になる我が人生に於いて最もショッキングな事件が起こりました、自分の貧弱な表現力では、この無念さをうまく言葉に表せないのが、何とももどかしいです。
 被災地の鉄道は全て乗車したことがあります、仙石線の野蒜駅で下車、近くの大鷹森から眺めた松島湾の光景、田老の国民宿舎:三王閣に泊り、松林の間から海の彼方に沈みゆく夕日など、思い出のシーンが次々と脳裏を巡ります、本当に残念だと思います。
 月並みですが、今後被災地が一日も早く元の姿を取戻し、被災者が元気になられることを祈る者であります。 


上毛電鉄721+711 新屋ー粕川
2011年3月9日(水)
上毛電鉄:大胡ー新川を歩き、前橋市荻窪:「あいのやまの湯」を訪問

 春の青春きっぷを利用、首記区間の歩き潰し(9.4K)をすると共に、大胡駅から赤城山麓の緩斜面を上ること約45分、高台に位置して市内の見晴らしが良い日帰り温泉に行ってきました。
ネットなどでは評判の良い温泉で、建物は公営施設として十分すぎる位立派だし、受託会社従業員の教育も行届いていましたが、お湯の方は塩素臭がきつく、自分の評価はマーマーです。しかしこんな立派な温泉に¥500で入れるなんて、本当にうらやましい、公的負担の帳尻合せは心配になりますが、、、


永代橋から見る東京スカイツリー 11.02.10
2011年2月28日(月)
2月のまとめ

 2月の活動は鉄道も山も例年低調です、寒いのと山道も凍って、想わぬ怪我をすることがあるからです。
 加えて今年は、毎年受診している区の定期検診で、バリューム検査に引っ掛かり、この1日に胃カメラを飲み、結果が出るまでの結構長い間、自分の様な小心者はその間落ち着きませんでした。
 そんななか、家にじっとしているのは不安で、こまめに地下鉄沿線など、まだ歩いたことがない区間の歩き潰しに出掛け、終ってみると7回:49.8Kとなったのは意外でした、しかし日帰り温泉の新規訪問はかなわず、水泳も2回、2,800Mに留まりました、温泉については青春きっぷの使える来月に期待したいと思います。


上大岡駅方面を望む、32.18K地点より
2011年1月26日(水) 快晴
京急横浜から富岡まで歩き、赤井温泉を訪問

 前々から行きたいと思っていた赤井温泉を訪問、その前に首記区間の歩き潰しをしました。
 今朝は横浜駅でうっかりして降り損ね、「焼きが回った、、、」とがっくりきたのも束の間、温泉最寄り駅が金沢八景なのに金沢文庫で下車、今度は「ついに来たか、、、」とショックを受けました。昨年5月、ゼミ同窓会の開催日を間違え、キャンセル料(全額)を払って懲りた筈ですが、下山の際の足のメロメロ化といい、老化が着々と進んでいるようで、「まさか、、、」とは思いながらも時々心配になります。


京王電鉄6867 於:東府中駅
2011年1月17日(月)
京王6000系とのお別れに競馬場線を歩きました

 京王6000系がこの3月末で全車引退になると聞き、お別れ乗車に行きました。競馬場線は歩いたことが無く、沿線を歩きながら走行写真でも撮れたら、、、と思いましたが、全長僅か900Mの沿線は住宅に囲まれ、恰好な撮影場所は無い様で、途中出会った望遠片手の鉄っちゃん大学生2人組も、どこから狙うか迷っているようでした。
 自分は結局終点の府中競馬場正門前駅まで行ってしまい、電車に乗って改装中の東府中駅に戻り、対向ホームから6867を撮ってお茶を濁し、帰宅の途につきました。


伏見稲荷
2011年1月4日(火)深夜〜6日(木)
ムーンライトながらで奈良線などの歩き潰しに、、

 今年の“仕事始め”はムーンライトで関西方面に出掛けようと、暮に4日発の指定券を確保していたところ、出発当日の予報は6日に雪マークが入り、今回は中止と決めました。
 ところが19時の更新で雪マークが消え、急遽出発することに、現地でも天気を気にしての旅となりました。
 夜行明けの5日、京都周辺は晴れており、急遽下車して奈良線沿線を歩き、伏見稲荷にお参りした後、宇治駅まで行って切上げ、悪天候に備え三宮の、大手私鉄系のような名のチェーンホテルに泊りました。
 翌日はお湯の良いことで評判の某日帰り温泉訪問を予定しましたが、曇り空なものの充分持ちそうで、それならと大阪市営四ツ橋線沿線を歩き、終点住之江公園最寄りの日帰り温泉を訪問、1時間半ばかりノンビリして、本年最初の温泉を楽しみました。
 帰りは大阪発12時の新快速を捕まえ、これがこの上無く効率的なスジで、6つの普通列車に次々と接続、帰宅は21時前でした。
 詳細はいずれ別項に改める積りです。