2012年12月31日(月) 薄曇り
 東葉高速:西船橋ー北習志野、新京成:北習志野ー前原、計11Kを歩きました。

 首記区間を歩きました、東葉高速線は旧鉄道建設公団が建設したのでしょうか、鹿島臨海鉄道、愛知環状鉄道などと感じがそっくりで、歩いていてあまり共感が湧きません。1
 さて、あれこれ忙しい筈の大晦日の外出は、何となく気がひけます、しかし昨年の大晦日も京成船橋近辺を歩きました、、、
 正月を祝わないわけではありません、我が家の構成が93才の老母と我々夫婦だけ、2人の娘も結婚、しかも内1人は海外におり、勢い正月準備も近頃は簡単になってしまいました。

 門松を据え付けたり、マイカーの洗車に余念のない民家のご主人を横目に、我が家はこれから一体どうなるのか?と一抹の不安感を抱きながら、ちょっぴり寂しい歩き潰しで今年を終えた次第です。


新京成8811-1(先頭) 習志野ー薬園台

新京成:8889(先頭) 薬園台ー前原 

新京成8801-1(先頭) 幕張本郷ー京成津田沼、1.5KP付近
2012年12月29日(土) 晴
京成千葉線:京成幕張ー京成津田沼,他を歩きました

 首記区間4Kを歩き、京成千葉線の全線歩き潰しを達成、併せて新京成電鉄線の一部も歩きましたが、途中で電車の走行写真を撮ったり、歩行距離は6.6Kに留まりました。
 
これまで全国のJR線、私鉄を6,000K余歩き潰しましたが、70才になって気持にゆとりができたというか、気が弱くなったというか、この先1万キロまで歩けるわけもなく、「あまりギスギスしないで健康に留意して趣味を楽しめたら,,,」と考えるようになりました。


クハ21807(先頭) 西新井-竹の塚 5.3KP付近
2012年12月7日(金) 快晴
東武伊勢崎線:松原団地ーー大袋間 9.3Kを歩きました 

 この2日前の5日にも小菅駅から歩いており、これで同線は以前に歩いた区間も含め久喜駅まで繋がりました。小菅から大袋間は、「開かずの踏切」で有名な竹の塚駅周辺を除き立体交差化が完了しており、ほぼ全区間に亙り側道が設けられ、河川などに妨げられ迂回を強いられても、高架線路が目印となるため道に迷うことが無く、順調に距離が稼げるので気が楽です。
 10日からは青春18きっぷが使えるので、中央西線の残存区間、または阪神地区の歩き潰しを考えており、この伊勢崎線訪問は、この頃ちょっと手を抜くとすぐ筋力が衰えるので、それを防止しようという意味合いもありました。 

2012年11月28日(水)
 55年前の西武鉄道萩山駅の風景です

 偶然ですが、70才になったのを機に整理を始めた昔の黒白写真にこんなものがありました、当時自分の通っていた中学校の農園がこの近所にあり、自由行動時間にでも抜け出して撮ったのだと思います、カメラはさくらフィルムが少年向けに販売したニコレットという固定焦点カメラで、お恥ずかしい話ですが、自分は大学1年の終りまでこのカメラ1台で過ごしました。


西武鉄道萩山車庫 1957.10.12撮影

西武鉄道国分寺線:萩山駅
2012年11月27日(火) 快晴
西武鉄道:萩山ー西武遊園地ー西武球場前間、7.4Kを歩きました

 首記区間を歩きました、実は昨22日にも近辺を歩いており、これで国分寺、小平を起点に稠密な連絡網を形成する、同鉄道の多摩湖・国分寺・拝島線等の歩き潰しを終了しました。
 沿線は玉川上水沿いに線路が敷設された区間もあり、狭山湖に伸びるサイクリング道路も平行、歩いていて楽しい地区です。
 また狭山湖(貯水池)近辺はたまたま紅葉の真っ盛り、好天にも恵まれ快適なハイキング気分を楽しみ過ぎ(?)、歩行距離は伸びませんでした。


クハ2519他 八坂ー武蔵大和

西武球場近くの湖岸にて
2012年11月18日(日) 快晴
 東急こどもの国線:こどもの国ー長津田、3.4Kの歩き潰しを完了

 こどもの国駅:横浜高速鉄道と東急の社紋が並んでいます。

Y002+012、こどもの国ー恩田

 今日も天気が良く、昼食後思い立って首記区間を歩きました、こどもの国駅は小田急線の鶴川駅から県道を南南西に徒歩3.5K程の所にあり、鶴川駅近くの結構広い田んぼ、季節柄柿の実がたわわに実る農家の庭先、某TV局の大スタジオ・イベント用運動場などを囲む丘陵の見事な樹林などを過ぎ、小一時間の散歩を楽しみ到着です。
 同線は横浜高速鉄道が線路等の施設、それに同線専用車4両を有し、東急電鉄は第2種鉄道事業者としてその運行を担当しています、中間には恩田駅が1つあるだけ、なかなか立派な駅で交換可能の島式ホームを有します、隣接して東急長津田工場(支所?)がデンと構え、利用者は多いようでした。
 沿線はこどもの国駅からずっと線路近くを住宅街の道路が伸び恩田駅に至り、東急電鉄工場を過ぎると恩田川左岸にまだ広い田んぼが残るなか、線路は築堤と鉄橋で長津田側の台地に取付き、一転ゴチャゴチャした住宅街を左急カーブで本線横に並ぶとすぐ、長津田駅到着です。
 なお、本日の歩行数は17313歩でした。

2012年11月14日(水) 快晴
 西武池袋線:保谷ー秋津間、7.7Kを歩く

ひばりが丘駅北口、昔のままです

クハ6014他 於:清瀬ー清津

 今月は内職でやっている貸画廊にお陰様でずっとお客様が入り、家内が居ない時は留守番が必要で泊りの遠出はできません、会社を辞めたらもっと楽になるかと思ったのですが、なかなかそういう訳には行かないようです。
 実は会社時代から25年以上続けてきた水泳を、右肩から二の腕にかけて慢性的な痛みが引かずこの7月から休んでおり、健康・体重維持の唯一の手段が山行を含み「歩き」になっており、時々外出する必要があります、今日は天気も良し、この1年ほどご無沙汰している西武池袋線を訪問しました。
 沿線は武蔵野の広々とした平坦地、住宅開発が進み線路近くに道がある区間も多く歩きやすく、武蔵野の面影もちょっぴり残った緑の多い地域です。ふと気付いたのですが、
小田急、中央線沿線などとは異なり、小川が南から北、つまり荒川方向に流れ、最初少々不思議な気がしました。本日の歩数は23435歩でした。 

2012年11月9日(金) 薄晴れ
 相模鉄道いすみの線:ゆめが丘ー二俣川9.3Kを歩き、同鉄道の歩き潰しを完了しました

クハ7707 於:西横浜駅

いすみの線:緑園都市駅前にて

 このところ9月、10月に各1回、同鉄道沿線を歩いており、本日で相模鉄道全線の歩き潰しを完了しました。いすみの線沿線は東急の田園都市線、小田急・京王線の多摩線、相模原線の様な風景を想像していましたが、基本的には同じものの、地形の関係からでしょうか住宅用地の奥行きが浅く、その分乗降客も少なく、そのことが駅の施設などにしわ寄せされているような印象を受けます。電車は全て10両編成で運行されていますが、とてもそれだけの輸送量は近い将来を含め期待できないように感じました。JR羽沢貨物線、東急東横線への乗入れ工事の早期完成が期待されます。

2012年11月4日(日) 快晴
奥多摩:鹿倉(ししくら)山に登り「小菅の湯」を訪問しました

尾根中央に仏舎利塔が見えますよね!

パゴダ脇から鷹ノ巣山など石尾根を見る

 多摩川(奥多摩湖)は深山橋付近で丹波川と小菅川に分れ、この2川に挟まれ標高1288Mの鹿倉山を頂点とする山稜は、奥多摩のなかでは地味な存在です。しかしその分訪れる人も少なく、天気最高、黄葉も高い所では今が盛りなのに、キノコ採りの地元の人を含め4〜5人に会っただけでした。ちょっと樹木が伸びて眺望を遮り、尾根に出ると自然林も結構あるのに黄葉は期待した程ではありませんでしたが、静かな山歩きが楽しめます。この山、深山橋からの出だし15分は傾斜が非常に急で、年配者は急ぎ過ぎない様に注意しましょう、、、
 なお途中の大成峠に白亜の仏舎利塔(パゴダ)が建ち、これは鷹ノ巣山頂などから緑の中の白一点でよく目立ちます。 

2012年10月26日(金) 快晴午後曇り
 庚申山に登りました

国民宿舎「かじか荘」

庚申山の絶壁を背にした庚申山荘

 この山はなかなか懐の深い山で侮れません、まず一の鳥居まで、工事関係車両以外通行禁止の林道をちょうど4K歩かねばなりません、鳥居から沢沿いの緩い山道が始まり、約1時間で庚申山荘に至ります、2階建の立派な小屋ですが夏季シーズン以外管理人は居ません。山荘は標高1490M、庚申山の絶壁を背にして建ち、この山崖の手掛りとなる所を辿って、鎖、ジュラルミン製の簡易梯子を多用した細道が行き、これで一気に400M近く上りきれば、あとは高原状の広い尾根をしばらく緩く上って眺望の無い山頂(1892M)に至ります、山頂からちょっと行くと樹林が切れ展望が利く所があり、そこから皇海山がよく見えます。
 実はこの皇海山に登れるかな?と思って偵察を兼ねて行ったのですが、何でも庚申山から先は小さいがきつい小峰が11あるそうで、山荘からの往復で10時間、このところとみに弱ってきた自分の足が耐えられるかどうか何とも自身が無く、結論を出せずに帰ってきました。

2012年10月25日(木) 
わたらせ渓谷鐡道の全線歩き潰しの後、備前大楯山に登りました 

足尾本山駅、線路はあるが廃線です

備前大楯山頂

 この6月、あと一駅を残し断念した首記鉄道の歩き潰しを、足尾本山までの貨物専用線を含め完了、さらに静かな林道歩きを船石峠まで、そこから山道を約50分登って備前大楯山に至りました。山頂から男体山、庚申山など山々の眺望を満喫しましたが、林道に入ってからは道路工事関係者を除き誰にも会わず、少々緊張して歩きました。
 今日は銀山平に下り国民宿舎「かじか荘」に宿泊、薄茶色のスベスベしたお湯を堪能しました
、なお国民宿舎の近くで猿の一群に遭遇しました、この頃猿、鹿などにはよく合います。


建物にはアスレチッククラブ、ユニクロが入っています
2012年10月13日(土)
「SPA成城」の朝湯に出掛けました

 自宅から2番目に近い温泉施設が「SPA成城」です、名前は成城だが正確には千歳台という所にあり、近くの同じ環状線沿いの成城警察署が目印です。最寄りは小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅、1.5K、徒歩15分ほど要します。お湯は本格的な黒湯、肌にツルツル感が強いのと風呂場など施設の造作が豪華なのが特徴です。
 普段は平日の割引コースでも¥1,260、そう気軽に行ける所ではありません、それがどうしたことか、7〜10時までワンコイン500円で朝湯を楽しめるとの折込広告が入りました。自分が行ったのは7時ちょっと過ぎでしたが、既に先客が数人、すぐマーマーの入りとなり、土地の顔見知りの人にも会いました。この企画は翌11月限りとのことですが、またちょくちょくやって頂ければ有難いです、往復散歩を兼ねて歩き、自宅から片道35分、往復で9000歩ちょっとになりました。

2012年10月9日(火) 快晴
 坂下ーー美乃坂本間、16.3Kを歩きました

 今朝は坂本駅から続けます、次駅の落合川まで6.1K、坂本駅から断続的に続く集落が尽きると約4K近く、県道は人家を殆ど見ない山間部に入ります、線路、特に上り線がトンネルを多用してこの区間を抜けるのに対し、県道は標高400Mほどの小峠を越え、また90Mほど下ってダム湖岸と山崖の間に張付くように建つ落合川駅に至ります。 駅を出ると山は後退、1K先の落合宿で木曽川左岸を来た19号線、そして南木曽で分れた旧中仙道と再会、ご子孫が住む旧本陣跡を見てしばらく旧中山道を辿ります。この辺り急勾配の小起伏が3〜4回連続し、結構足に来ました、小さなコブや小谷をブルドーザーで均して19号線が丘陵を抜けた辺りで、自分は線路方向に進路を修正、北恵那交通営業所脇から線路端の道路に入り、そのまま中津川駅に至りました。
 駅前大通りの先に美しく品が良い恵那山が存在感を強調する中津川駅を出発、駅近くの本町公園で整備の良いデコイチ機を前に小休止の後、更に次駅を目指します、この辺り線路は平野部に出て、木曽川から5K近く離れ西に進みます。
 さて市街地を抜けるまで線路近くにはっきりした道がなく、自分は進行右手を行きましたが、駅から1.5Kほどの青木信号からは一転線路すぐに平行道が伸び、旧街道の風情を残す集落も見て、美乃坂本駅に到着、2日に亙る歩き潰しを終了した。


(岐阜)県道6号線、坂本ー落合川、左下に上り線

    クハ312-8004(先頭) 於:中津川駅
   この駅まで来ると名古屋の匂いがします



追記:例年この時期に発売される「鉄道の日記念乗り放題きっぷ」は今年から制度が変り、3日連続の使用が条件となった、発売額が2割ほど安くなったが、使い勝手は以前の方が格段と良い、この15年、毎年この種のきっぷを利用して普通列車に乗っているが、中央線など乗客数は明らかに減少している、損得勘定は大所高所からした方が良いと思うが、、、
 今回は普通の本数が少なく、かつ特急停車駅が少ない中央西線だから利用したが、来年の目的地が浮かばない、大体3日連続で普通列車に毎日2,500円分乗る旅って、“乗り潰し”しか無いんじゃないの、、、
2012年10月8日(月) 快晴
中央西線:大桑ーー坂下間、21.3Kを歩きました

 首記区間出だしの南木曽までの10K余はこれまでと同様、木曾谷の左岸に線路と国道が近接、所々で旧中仙道歩きも楽しめました、また南木曽駅の先で木曽川から離れ、山中を妻籠、馬篭宿を経て落合宿に至る中仙道と分れた後も、木曽川の右岸に移り長いトンネルに入る中央西線に、ダム湖岸に張付く19号線が山口ダムの堰堤先まで平行します。しかしその先また左岸に戻る19号線に対し、線路はそのまま右岸に留まり、道幅が狭まり交通量が格段と少ない県道6号が後を引き継ぎ静まり返った田立駅に至ります。なおこの先で岐阜県に入りますが、木曽川の蛇行が強く、線路はいったん岐阜県に入ったのも束の間、また長野県の端を500Mほど掠めて再度本格的に岐阜県入り直します。この辺り里の秋を感じさせる何とも旅情に溢れた歩きができ、風情のある木造建築の坂下駅に到着、この日の歩き潰しを終了しました。 


野尻駅近くから中央アルプスを望む

中央西線:坂下駅

先頭はクロE654-101の筈ですが、、、信濃町駅にて
2012年10月6日(土) 晴
 お召列車の写真が計らずも撮れました

 この日自分は2週遅れでお彼岸のお墓参りに行き、用事があり中央線緩行に乗車したところ、各駅のホーム端にカメラを構えた鉄っちゃんが待ち構えており、その数は進むにつれて数を増し、自分も誘われるように信濃町で下車、聞くともなしにお召電車が快速線を通過することを知りました。何でも両陛下が山梨市の旧恩賜林に完成した記念公園に行かれるとのことです。
 緩行線上りホームの端に陣取り、押されて線路に落ちないようマジ注意しながら撮った写真が上掲のもので、自分は長い間鉄っちゃんをしていますが、お召列車を撮ったのはこれが初めてです。なお、右手の影は立位置でカメラを構えている若者です。 

2012年9月5日(水) 晴
 中央西線:上松ーー大桑、14.7Kを歩きました

 首記区間の歩き潰しをしました、今回は立川に前泊、現地の歩行時間を6時間確保、野尻駅までは行けると楽観していたところ、上松駅周辺での木曽森林鉄道廃線跡の探索に時間を取られ、また最高気温(長野)が33℃を超えてなかなかペースが上らず、首記のような結果となりました。
 今夏の歩き潰しは、これで飯田線、中央西線を2回ずつ訪問、帰りの普通列車は全て同じスジで立川21時ちょうどの到着、これだと帰宅が22時ちょっと前になります。

 8月半ばまでは日野春駅での特急退避時間に、中線に入った乗車列車の撮影が可能でしたが、今日はもう真っ暗、南アルプスの山稜も、韮崎辺りでちょっとの間姿を拝める形の良い富士山も全て闇の中に溶け込み、発泡酒片手にウトウトして過ごす時間が多くなりました。

 旧中山道:須原宿

飯田行快速、先頭クモハ115-1021 於:塩尻駅
2012年8月29日(水) 快晴
餓鬼岳〜東沢乗越〜中房温泉

 山小屋を出発したのが6時少し前、最初の難関:剣ズリ尾根は所々大岩が突出、細道で巻きます、右手がスパッと切れた個所も珍らしくなく、木梯子やロープがあるものの1人の場合は緊張します、ペンキ印があっても、それを辿るのが容易でなく、少々慎重過ぎたようで、東沢乗越に10時50分着、標準時間よりナンと2時間もオーバー。
 この先中房温泉まで標高差850M、道は最初花崗岩の細粒の土の急坂、ゆっくり歩くしかありません、高山植物が豊富なのに写真を撮る余裕も無く、50分で広幅の沢の河原に出ました。
 沢を何度も渡るのに橋は無く、岩伝いに飛ぶしかありません、一度など片足を流れに突っ込み、しばらく靴をズボズボ鳴らしながら進みました、こういう時は周囲に誰もいないのが幸いです。
 こうなるともうどうでもよくなり、時間も気にしなくなりましたが、運はまだ自分に付いていたようで、見覚えのある中房温泉旅館を抜け、駐車場から路線バスがまさに出発する所に出くわし、車内の皆さんから祝福されました。


剣ズリ尾根、槍ヶ岳もチョコッと見えます

剣ズリ尾根、餓鬼岳が右手端に
2012年8月28日(火) 快晴午後曇り
餓鬼岳に登り、餓鬼岳小屋に泊りました

 なかなか手強い山でした、まず切立った崖、河原の大石、砂利など全て真っ白な、その名に恥じない白沢沿いを2時間掛けて500M上り、次に崩落地帯を右手に、緊張する区間もある急登を約1時間続け稜線に出ます、そして風が通らず蒸し暑い樹林の中、熊笹がうるさい道に辟易し始めた頃、中間地点の大凪山に到着しました。
 この後結構下りまた上り返し、最後に「百曲り」のつづら折れの急坂に苦しむこと約1時間、やっと山小屋に到着です。山小屋泊りでノンビリ行ったこともありますが、標高差1650Mに8時間を要しました。山頂までさらに70Mほどありますが、重いリュックは小屋前に置いていけますし、もう楽なものでした。
 本日の宿泊者は自分を入れて5人、白沢口から終始自分に先行した、栃木県:佐野市からクルマで来たというご夫婦と、燕山荘から来た中年女性の2人、計5人だけ、もっと混んでいると思っていたので少々拍子抜けでした。


餓鬼小屋と餓鬼岳

餓鬼岳小屋から穂高町方面を見る、左手奥の山は八ヶ岳連峰
2012年8月27日(月) 快晴 35℃
餓鬼岳登山のため信濃大町に前泊しました

 前々から計画していた餓鬼岳訪問がやっと実現しそうです、10時頃山小屋と大町の駅前旅館に電話、お昼頃家を出ました。ムーンライトの運転は21日で終了、信濃大町まで今年4月から運行を始めた夜行バスで行く積りが満員、今回も得意(?)の青春きっぷでタラタラと行くことになりましたが、115系もそろそろ引退かと思うと苦にはなりません、途中、特急退避の合間に写真も撮れましたし、、、
 宿は駅から徒歩5分のかなりくたびれた旅館でした、この旅館往時は地元客対照の割烹旅館でもあったようで、大広間、大風呂も(昔は)立派、降雪地によくある、玄関が道路より数段高くなった所にあります。部屋の窓を開けるとJR職員宿泊所のフロントがよく見え、電車のホイッスル、車輪の軋みも聞こえて来て、泊って良かったと思います。


クモハ115-307 甲斐大和駅中線にて

クハ115-360 酒折駅中線にて

西黒尾根:左のほぼ直線道を急登で上ります、右はマチガ沢
2012年8月21日(火) 快晴
西黒尾根〜谷川岳〜天神尾根〜田尻尾根〜土合駅

 西黒尾根は聞いての通り手強かったです、最初尾根の入口に出てずっと先に見える頂上を見た時、本当にあそこまで登るのかと思ったくらいです、また尾根に出ると身を隠す木陰は皆無で、熱中症を気遣いながら苦しい息のなか一歩一歩急登するしかありません、ロープウェイ駅先の登山口に入ったのは相当早い方だと思いますが、この頃いつものことながら、途中女性を含め若者に何度も抜かれました、今日は高齢者は少なかったようです。
 頂上には10時ちょっと前に到着、しばらくするとローウェイ利用の健脚者が現れ、その後その数が徐々に多くなり、狭い頂上がそろそろ満員になる頃下りにかかり天神尾根に入りました、道の格段の歩き易さは言う迄もありません。なお、案じていた足のヘタリは生ぜず、ロープウェイにお世話になること無く田尻尾根に入り、ロープウェイ直下の保守点検道路に出てホッとしたのも束の間、河原の照返しの熱気に悩まされつつノロノロ歩きをしばし、やっとのことで見覚えのある自動車道路に出れば、土合駅はもうすぐでした。


土合駅に進入する上り電車(クハ115-1150他)
2012年8月20日(月)
谷川岳登山のため「土合山の家」に前泊しました

 餓鬼岳に登るべく好天日を選んでグズグズしていたら、そろそろ8月も終りです、それでもう一つ予定に入っている谷川岳に登ります、この山はロープウェイの世話にならない場合、早朝からの行動開始が必要で、夜行列車のない昨今前泊となります、10時頃「土合山の家」に電話したら朝食替りの弁当が付いて¥4,200とのことでした。
 土合駅上りホームを見下す山荘は昔と変らぬ佇まいで迎えてくれました、今日の宿泊客は熟年者を中心に10人足らずと寂しく、5〜6人のグループ客の部屋からは関西訛りが廊下に漏れ出てきます。部屋に冷房はありませんが夜になると涼しくなりました、それにしても今日の高崎駅ホームの暑さは尋常でありません、明日も暑くなりそうだぞ、、、


旧中山道:木曽福島の関所、線路は関所裏手を行く
2012年8月16日(木) 快晴
中央西線:原野ー上松間12.8Kを歩きました

 今回も引退迫る115系の惜別乗車的な要素が強く、現地での自由時間は3時間半、上松駅まで行けるかどうか少々心配でした。
 しかし実際に歩くとわかりますが、木曽谷は伊那谷に比べて幅が狭く、特に今回歩いた区間は、木曽川左岸の狭い平地に線路と国道、それに旧中山道が集中、道と線路が平行している区間が多く、またトンネル、それに道路と線路間の段差が線路観察を邪魔して、欲求不満はあるもののひたすら歩くしか他なく、想ったより進み具合が早いのが意外です。 結果は休憩を殆ど取らなかったこともあり、上り電車に30分近くの余裕をもって上松駅に到着しました。

 なお本日も好天に恵まれ、往復とも車窓から南アルプス、八ヶ岳、そして木曽谷に入っても木曽駒などの中央アルプス、御嶽山を存分に眺めるこがも出来、また甲府、日野春駅などで115系の写真も撮れ、満足な1日となりました。


クハ115-1008 於:伊那大島駅
2012年8月5日(日) 晴
飯田線:伊那大島ー元善光寺間、9.3Kを歩きました

 10日前の“冷房の効いたガラ空き普通電車内でやり過ごす猛暑”が気に入り、本日また飯田線を訪問しました。今回はタクシー(¥2,000)を奮発、南武線登戸駅から始発電車に乗り飯田線は1電車早くなりましたが、それでも歩ける時間は4時間ほどです。なお飯田行は数少ないJR東日本線からの115系3連乗入車でした。
 今日は出だしの伊那大島駅から先、台地を急勾配で下る線路近くに道は無く、台地上から下の田畑へと、線路を挟んでかなり遠回りをしたのが祟り、歩数は22,000歩を超えたのに営業キロでは9.3Kと低調で、目的が歩き潰しよりは避暑とはいうものの、飯田到達予定がこのような結果となりました。

2012年7月30日(月)深夜〜7月31日(火)
信濃大町市の里山:鍬ノ峰(1,623M)に登りました

 ムーンライト信州を利用、餓鬼岳・蓮華岳などの眺望が良い鍬ノ峰に行ってきました。登山口は信濃常盤駅から6Kほど歩いた、餓鬼岳の登山口を過ぎちょっと行った所にあり、今回は餓鬼岳の偵察も兼ねての訪問です。
 訪れる人は少ない様で、結構長い笹薮区間の刈払いはされてはいましたが、早朝だったこともあり自分のズボンは朝露でグッショリです。
 山頂まで眺望は殆ど効きませんが、朝方うまいことに太陽を遮っていた霧が頂上に達する寸前に晴れ、どうにか眺望にも恵まれたのは幸いでした。また大町高校生が整備したという仏崎への下り道は、最後の鐘撞堂近くなど、花崗岩の細石が一緒にズルズル滑る急坂にロープは無く、最初「巻道があるのでは、、、」としばらく周囲を探したほどで、里山とはいえ決して一般向きのコースではないと思いますが、、、
 仏崎集落に下った後、カンカン照りのなか80分ほど信濃大町駅まで歩く破目になり、今日の万歩計は37105歩に達しました。


新宿駅 クハ183-1528

鍬ノ峰山頂

伊那大島駅 塩見岳がちょっと頭を出しています
2012年7月26日(木) 晴
飯田線:高遠原ー伊那大島間、7.6Kを歩きました

 飯田線の辰野方は07年4月に歩いた高遠原駅で止ったままです、高遠原を普通電車で日帰り訪問する場合、一番早いのが高尾発6時14分発の松本行に乗り、岡谷乗換で高遠原着が11時29分、そして3時間歩くともう帰りの電車に乗る時間が来て、それでも帰宅は22時ちょっと前になり、考えただけでも億劫でなかなか腰が上りません。
 しかし今日は家人に客人があり、邪魔者の自分は家に居られず、熟年者を中心に混雑する図書館で周囲に気兼ねしながら過ごすより、夏休みで学生がいない中央線115系冷房車で足を伸ばし、移り行く山々の景色を眺めながら長時間を過ごすのも悪くないと、逆転の発想(?)を思い付きました。
 今日は、伊那大島駅を前に小松川を渡る橋が線路近くに無く遠回りを強いられたりして、短時間にしても予定した距離も行きませんでしたが、何せ主目的が「家に居ないこと」だったので、自分としてはマー満足しています。
 なお引退が時間の問題になた115系電車のスナップも何枚か撮り、また特に帰りの車窓から、甲斐駒、鳳凰三山に入道雲が山頂高く絡んだ崇高な姿を、缶ビール片手に堪能できたことも幸いです。本日の車内滞在時間は乗換時間を含め約17時間、これで2300円は安いと思います。


第三吾妻川橋梁  鉄橋は錆だらけ
2012年7月23日(月) 薄晴れ
吾妻線の全線歩き潰しを完了しました

 川原湯温泉から群馬大津間、8.1Kを歩き、同線の歩き潰しを終えました。同区間は八ツ「場ダムの完成と共に湖底に沈むため、歩くのは新線・新駅に移行するダム湖の完成後にしようと控えて来ました、しかし工事が大幅にずれ込み、引退の迫る115系電車の健在な内にと、今回の訪問となりました。
 実際行ってみると、既に供用が開始されている山の高い所を行く数本の高規格道路などと対照的に、旧川原湯温泉旅館街の廃墟の様な姿を始め、川原湯温泉駅、吾妻川鉄橋など水没区間は、補修が最低水準に絞られ、大げさですがちょっと廃線跡を見る様で、正視に堪えません。
 元々吾妻渓谷沿いを行く吾妻線は、高崎から榛名山塊を抜けて走る街道が改良された後は、草津温泉など遠回りとなり、ダム湖が完成しても同線の基本的背景が変るでもなく、吾妻渓谷の新緑、黄葉期の素晴しい車窓景観が消えるだけマイナス要素が増える様な気もします。


クハ204-69他、片岡ー八王子間、右手に京王本線が平行
2012年7月20日(金) 曇り
京王電鉄全線の歩き潰しを完了 

 7月の活動実績はこれまで低調で、月初に横浜市営地下鉄の歩き潰しを10K程しただけです、天気がパッとしないこともありますが 実は最近50肩ならぬ70肩に悩まされ右肩が自由にならず、ヘンに動かなければ支障は殆ど無いものの、それこそ痒い所に手が回らないなど意気が上らず、この30年続けてきた水泳も一時中断しているくらいです。
 しかし今日は何か体の奥底から湧出てくるような活動欲求があり、京王電鉄線で唯一残っていた北野ー京王八王子間を歩き、標題の如きことになりました、完全歩き潰しを達成した大手私鉄線は同社が初めてとなります。


モオカ14-6、久下田駅にて
2012年6月18日(月)
久し振りに真岡鐡道に乗車、真岡井頭温泉を訪問しました

 この温泉は公営にも拘わらず、ドイツの温泉システムと聞く、巨大な水着着用バーデプールなど豪華な施設で有名で、以前2回訪問したがいつも満員、特に前回の98年ゴールデンウィーク訪問時の混雑は、自分の現在350を超える日帰り温泉訪問でも最高で、主浴槽、露天風呂はどちらを向いてもおじさんの裸ばかり、ほうほうの態で逃げ出した思い出があります。
 14年たった今日は、平日のせいもあるでしょうが、主浴槽も露天風呂も人影は少なく、こんなに広かったかなと思ったくらいです、また超満員で中に入れず、続きの縁側で生ビールを飲んだ記憶がある舞台付の大広間も、今日は後ろの方は充分空いており、座布団に寝そべりウトウトしだしたら、自分の数少ない持歌の「北へ流れて」を上手に歌う老人がいて目が覚めました、蛇足ですがこの歌の歌手名を言える人は「演歌の通」だと思います、、、
 今回は往路は真岡駅より1日1便の無料送迎バスを利用、帰りは1時間掛け北真岡駅まで歩く予定でしたが、30分歩いた飯貝交差点そばのバス停に立っている人を見付け、念の為寄ってみると、昼間は1本しかない飯貝経由真岡駅行が5分足らずでやって来るそうで、この僥倖を逃す手はありません、こういう小さな幸運に自分は年甲斐も無く興奮します。


わ89-101他  神戸駅にて
2012年6月11日(月)
わたらせ渓谷鐡道完全歩き潰しは成りませんでした

 同鉄道は神戸以遠が未達で、本日“完歩”の予定で訪問しました、ところが草木ダムの先から小雨が降り出し、国道を避け湖岸の入り組んだ東岸を歩いたせいか意外と手間取り、帰りのダイヤも不便で、終点までの残り1.3Kを次回に繰越してしまいました。
 前回神戸駅まで歩いたのは2003年の11月、紅葉シーズンの最後の頃で、片道利用のバスツアーなども入り列車は大混雑、旧東武特急車両を利用した直営食堂も満員でした。オフの本日は時間が早いこともあるのか列車はガラ空き、観光スポットの草木ダム湖展望台も人影はまばらでした。
 なお県境の沢入トンネルは渡良瀬川沿いに旧道が残り、通行止の柵がありますが入ってみました。下の川面まで80M位、対岸120Mに山崖にへばりついた線路を見下ろすなかなか景色のいい所ですが、終盤僅か15Mに崩落区間があり、大石等が旧道を越えんばかりに3M程堆積しており、引返すのも業腹で、上の転んでも大丈夫そうな場所を選び巻きました。傘を仕舞いかなり濡れながら、多少恐い思い出となりました。


渋沢ー新松田、デハ7003(先頭)
2012年5月31日(木)
小田急線:秦野から新松田間を歩きました

 5月も今日で終りです、大したこともできないままもう1年の半分近くを来てしまい、この分だとこのまま5年ぐらい簡単に過ぎてしまいそうで焦ります、最近こういう気分になることが多く、矢張り人生最後の活躍段階に入ったことをいやでも痛感します。
 さてこの区間は、西丹沢や箱根のハイキング、或いは新幹線で名古屋、大阪への出張の際などそれこそ何度となく利用したことがありますが、歩いたのは今日が初めて、殆ど全区間に渡り線路近くに旧道などがあり、小田急車両の走行を真近に見ながら歩け楽しかったです。


西沢ノ頭(1298M)より大月市方面を望む
2012年5月27日(日)
上和田バス停〜大峯〜大樺ノ頭〜雁ゲ腹摺山〜ハマイババス停

 雁ゲ腹摺山から東に伸び、上和田集落に至る雄大な楢ノ木尾根は、中央線猿橋駅付近からもその姿が見え、一度訪問したかった、しかし密生するスズタケの藪は刈払われたと聞くものの、上和田方から入る場合標高差は1,500M余、アップダウンもきつく、加えて大峠に下りてもバス停まで2時間の林道歩きを覚悟しなくてはならず、なかなか実行できないまま今日に至った。
 でも精査してみると、南武線の始発に乗車、富士急猿橋営業所6:45発のバスを捕まえれば、日の長い時期ならやってやれないことはないとも思い、本日、おっかなびっくり決行してみた。
 なお万が一を考え人出の多い日曜を選んだのに、雁ゲ腹摺山でさえ男性が1人いただけなのは計算外で、天気にも恵まれ、富士山を眺めながら静かな尾根歩きをを楽しんだと言いたいところが、小心者の自分には少々寂し過ぎ、ちょっぴり緊張しながらの山歩きとなり、万歩計は久し振りに4万台:43279歩を示しました。

2012年5月14日(月) 晴
嵯峨塩鉱泉〜景徳院〜甲斐大和駅

 嵯峨塩館はなかなか良い旅館でした、元々の柱、梁などを随所に活かし、一部内部に手を加え近頃の水準に合せた建物には、人肌の優しさが残っています。また食事は熟年者向けに少量・多品種主義が貫かれ、自分の様な酒飲みにも有難かったです。
 いつの間にか「秘湯を守る会」から抜け「鉱泉」として営業しており、PH
は10.2もあるアルカリ性の鉱泉ですが、それだけでは基準をクリアできないのでしょう。しかし今朝は前夜の酒が全く残らず快調で、矢張り評判通りの良いお湯だと思いますが、、、

 出発は景徳院経由中央線の甲斐大和駅まで歩いた自分が最後となりました、それにしても鉄っちゃんの集まりはどうしてこんなに素っ気ないのでしょう、全員50年来の友人で、一緒に全国各地を巡った思い出は数多くありますが、深酒をしたりカラオケで歌ったことは一度もありません、思えばお互いヘンな人達と付き合いを重ねてきたものだ、、、


源次郎岳山頂より
2012年5月13日(日) 快晴
塩山〜恩若峯〜源次郎岳〜嵯峨塩鉱泉

 鉄道研究会同期の集いが今年は嵯峨塩鉱泉で開催され、同鉱泉に近い源次郎岳に中央線塩山駅から登ることにしました。
 標高差1,100M、出だしの恩若峯までの道が判り難いようですが、下山路の終点脇に鉱泉宿があるのが気に入りました、源次郎岳手前100Mはロープの連続で、近頃あまり山に行かない体には応えましたが、眺望が利かないと聞いていた山頂は、最近樹木の伐採が行われ、富士山の雄大な姿が見事でした。
 天気最高、旅館泊りで時間はタップリ、こんなに長い間山頂でゆったり過ごせたことはそう何度もありません。
 宿到着後は旧友との再会に楽しいひと時を過ごし、昔から評判の鉱泉に浸った後、山梨のワインとお酒、それに食膳を飾った山梨牛など豪華な夕食に舌鼓を打ちました。


C11292 新橋駅前広場
2012年4月30日(月) 薄曇り
汐留ー大門間を歩き、都営大江戸線全線歩き潰しを達成しました

 昨日昼の段階では晴だった予報が夕方には曇りに変り、急遽山登りは中止、そうかといってちょっと歩きたいので、有楽町線の永田町から桜田門間など、幾つか飛び飛びに歩き残している区間を訪問、また普段は人が多くなかなか写真の撮りにくい有楽町、新橋駅にカメラを向け、人出が少ない新橋駅前広場ではSL機を撮ることも出来ました。


百蔵山頂より望む富士山
2012年4月15日(日) 薄曇り
久し振りの山行:浅川峠〜扇山〜百蔵山〜猿橋駅 

 殆ど1年振りの山行となりました、気にはしていたのですが、大震災と津波で気が萎えたのと、身内の病気などが重なりなかなか行く気になれず、また天気と暇な時間が噛み合いませんでした。
 コースはちょうど4年前に歩いたルートを、まだ行ったことのない浅川峠側から扇山山頂に上り、足を伸ばした百蔵山では、扇山では見えなかった富士山の雄姿にも接し、想ったより足の調子も良く、結局猿橋駅まで歩いてしまいました。
 百蔵山からの下り、例によって膝が少々痛み出しましたが、最後までストックを使用することも無く、慎重にやればまだしばらく山にも登れそうでホッとしました。


本当はD51を撮る筈でしたが、、、先頭クモハ115-1034
2012年4月8日(日) 快晴
 D51列車は運休でした、、、

 青春きっぷの5回目は子持村(現渋川市)の公営日帰り温泉を訪問、その前にシーズンの特定日のみ運転されるD51列車を撮って、久し振りに鉄っちゃんの真似事をしようと思い、まずは久しぶりに敷島駅で下車しました。
 駅から1K余り渋川方の畑の端から、榛名の山々をバックに築堤を行くD51を撮る積りで待機、その内、望遠カメラを数台携えた本格派鉄っちゃんもやって来ました。
 しかし発車時間の11時を過ぎても、そう遠くない筈の渋川方面から汽笛の音が聞こえてきません、ヘンだとは思いましたが、何回も来ているという現役鉄っちゃんが「今日は遅れているようだ」と言うので、待つことさらに20分、結局彼が持参の時刻表を見て、運転日が昨土曜日だけなのを“発見”しました。
 不思議に頭には来ず(わざわざこの為に首相と同じご当地ナンバーのクルマでやって来た彼は残念だったでしょうが)、学生時代、小海線のC56牽くキャベツ専用貨物を撮りに行って、同じ様な目にあったことを懐かしく思い出し、利根川を渡って日帰り温泉に寄り、近くの白井宿を歩いて帰宅の途につきました。


伊東線:伊豆多賀駅 海に近いが標高52Mある
2012年4月2日(月) 晴
伊豆多賀:妙楽湯温泉を訪問

 JR伊東線の伊豆多賀駅より徒歩約35分、宮川という小川近くにこの小温泉はある、駅から宮川鉄橋まで1K足らずだが、この辺り海岸近くまで丘陵性の傾斜地が占め、駅から一度海岸近くの道に下り、また急坂を川沿いに上り返すので時間がかかる。
 ここも主浴槽と眺望の無い露天風呂があるだけ、別な言い方をすれば温泉で売るしか誘客の方法が無く、無色、無味、無臭、ツルツル感無しの単純温泉だが、それなりの固定客が付いているようで、男湯は自分1人だったが、女湯の方は数人入っており、砂糖、乳製品を一切使用しない健康食を出す食堂も、5〜6人が昼食中だった。入浴料は1,000円と自分の基準としては上限だが、マーそれなりの静粛なり清潔さは保たれているようだ。
 なお帰路は42分要して網代駅に出た。


ミキ300-103 於:中根駅 温泉は左、高速の付近
2012年3月29日(木) 快晴
ひたちなか海浜鉄道:那珂湊ー阿字ヶ浦間を歩き、中根温泉訪問 

 今日は昨夏歩き残した首記区間を訪問、同線の完全歩き潰しをした後、中根駅最寄りのひなびた日帰り温泉も訪ね、青春きっぷを利用する場合、自分が最も好きな形で小さな旅を纏めることができ満足です。
 中根温泉は丘裾に細々と湧く小鉱泉で、主浴槽のみ、露天風呂、サウナ、ジャクジーなど一切ありませんが、足腰を弱めた人に効能があるとのことで、少ない浴客は皆地元の膝など痛めた人ばかり、ヌル湯に長時間浸かって退屈のせいか、足腰の状態を中心に話の花が咲き、他の日帰り温泉とはかなり雰囲気が異なっていました。


いすみ201号 小谷松駅付近にて
2012年3月27日(火) 快晴
 内房線:浪花ー御宿、いすみ鉄道:大多喜ー上総中野間を歩き潰しました

 久し振りに好天気に恵まれたなか首記区間を歩き、長らく一駅間のみ欠けていた房総半島一周線、及びいすみ鉄道全線の歩き潰しを完了しました。
 本日の万歩計は37,334歩を示し、実際久し振りにばっちり歩いた感じがして満足です。


火気厳禁とあるからガスも出るのかも、、、
2012年3月7日(水) 曇り
 青堀温泉:静養園に行ってきました

 このところ義兄の体調が優れず、事情があって女房が入院の世話をしており、留守番その他で外出の機会が無い、それで春の青春きっぷ第1回目は近間の、内房線:青堀駅最寄りの日帰り温泉訪問と相成った。
 しかし行ってみると、かつて磯遊び客で賑わい、かなりくたびれてはいるが元々結構豪華な造りのこの観光旅館は、温泉もなかなか本格的で、小一時間の入浴時間中、終始1人で浴室を独り占めして、新鮮なお湯を存分に味わった。
 今は空室の一部を貸間に転用しているようで、更衣室脇には下宿人の洗濯機なども置かれていたが、こういう人間の飾らぬ温もりのなかの、自然のままの入浴の方が、現在の自分の趣向には合うようだ。
 建物の正面玄関前に黒湯の湧出口があり、お湯の新鮮さは保証付きだ。


小田急:片瀬江ノ島駅 これだけ人のいないのは初めて
2012年2月19日(日) 快晴
小田急江ノ島線、江ノ電の一部歩き潰しをしました

 2月に入っても寒い日が続き、まだ一度も歩き潰しをしていない、というかまだ2万歩以上歩いた日がないのだ、、、
 そんななか本日は気温は低いが風が無く、10時を過ぎて出掛ける気分になる、たまたま江ノ島線付近にまだ歩いたことの無い区間が残っていた、この地区は線路沿いの道が多く、久し振りに電車の走りを真近で楽しむ。
 しかし快晴の日曜日、江ノ島の観光客の出足は鈍い、2〜3年前、鎌倉からの帰りに乗った超満員の江ノ電も、4両編成の車内に乗客の姿は2割程度と寂しい限り。大震災に世界的な経済低迷、大変厳しい状態だが、せめて天気だけは平年並みを保ち、景気の底支えをして貰いたいものだ。
 なお、今日の万歩計は22.321歩でした。


吾妻山頂より 2009年2月1日撮影 左端に見えるは金時山
2012年2月1日(水)
東海道線二宮駅最寄り:吾妻山に登り(?)ました

 会社時代の仲間と吾妻山に行った、この仲間とはかつて頻繁に泊りも入れた山登りをしていたが、体の故障などで1人欠け、2人欠け、現在は休眠状態、時々飲み会や以前の基準では山とは言えない山に登って、僅かに命脈を保っている。
 山頂からの展望は空が霞み、富士山の素晴らしい姿を拝めなかったのは残念だが、相模灘から伊豆半島、それに箱根、丹沢の山々はばっちりで、無料の大望遠鏡からは塔ノ岳の山小屋まで確認できた。
 あとは国府津まで歩き、同じ会社に若い頃いた仲間が経営する旅館で、地元で上った魚だけを料理してもらい昼食会とした。

2012年1月4日(水)
京成千葉ー京成幕張間、8.3Kを歩きました。

クハ209−2156 JR千葉駅

京成千葉駅

 新年を迎えたものの、昨年12月に孫が生れ、女房がその世話で初の米国東海岸旅行、残された自分はやもめ暮らしが続き、某牛丼屋のトン汁朝定食の常連になった。知らなかったが、スーパーの食品も小品化、サラダなど品数も拡大、一人暮しはずっと楽になっており、自分の単身赴任時代に比べると隔世の感がある。
 とは言ったものの、かつては両親も子供も住んだ住居に1人ぼっち、正月を迎えても意気は上らない。そんなことが影響したのか、70才を迎える今年の「歩き始め」は首記の通りお茶を濁した感じとなりました。
 蛇足ながら、「定年後は“サンデー毎日”で時間は余るほどある、、、」というのは、友人を見ていても両親の介護に始まり、子供の出産、夫婦の病気など、なかなか思う様に行かないのが実情のようです。