WEB日記 2017
(1) 2017年1月29日(日)
東武野田線:野田市ー流山おおたかの杜 7.5K
つくばエクスプレス:流山おおたかの杜ー柏たなか 5.5K を歩く
流山おおたかの杜駅:北側階段より1月は寒い日が多く外出を控えていましたが、たまたま「寒さが緩む」との予報が出て、今年最初の「歩き潰し」を試み、首記区間を歩きました、今回は併せてつくばエクスプレス線にも足を伸ばし、次の柏たなか駅まで行きました。同線にはこの先利根川鉄橋が控え、人の渡る橋が付近に無く、5K程の迂回を強いられることが、数少ない同好の士、おかぽん氏のブログで判っており、苦しくてもこの際同駅まで歩いておくことが、次回の歩行に大きく効いてくると考えました、、、
なお、東武野田線は、今回をもって全線の完歩を達成しました。
本日の万歩計は32,500余歩でした。
(2) 2017年2月26日(日) 晴 秩父鉄道:宝登山頂ー宝登山麓 0.82K を歩く
月初めに大学時代の級友が亡くなり、少々気落ちして、気張れば充分可能であったろう「歩き潰し」からも遠ざかっていましたが、この日は前々から出席通知を出していたこともあり、秩父鉄道の野上駅から始め、ちょうどロウバイが満開の宝登山経由長瀞駅まで、中学時代の同窓生とハイキングに出かけました。 なお、山頂からの下り道はロープウェイとほぼ平行しており、歩行記録に掲載することにして、月間ゼロ記録をどうにか免れました。
秩父鉄道デキ505 長瀞駅にて
(3) 2017年3月11日(土) 晴 東武鉄道伊勢崎線:伊勢崎ー木崎 13.3Kを歩く
852-1他 新伊勢崎ー剛志
853-1他 木崎駅上りホーム
(4) 2017年3月23日(木) 薄晴れ 養老鉄道:大垣ー美濃高田 11.2Kを歩く
クハ185ー113 大垣駅「ムーンライトながら」の指定券取得は、季節運行になってから益々至難の業になりつつあり、まずはきっぷをゲット、それからどこへ行くか考えます。今回も関西本線を奈良まで行こうか、北陸本線に米原から入ろうか、等々いろいろ考えましたが、いざ当日になってみると、まず天気は結構寒そう、無難な所で、首記区間を歩き、美濃高田最寄りの日帰り温泉を訪問、この所少々ペースが落ちている、日帰り温泉を一湯増やそう、ということに落ち着きました。
結果は、歩きの方は距離も手頃、道路も殆ど線路近くを行き、昼前に美濃高田駅に到着、後は温泉で一杯やるだけだと、意気揚々(?)と目的地に向ったのですが、30分余要して辿り着いた温泉は、ナント年に1回の定期点検でお休み、どうしようも無く、スゴスゴと引返す羽目になりました、、、
(5) 2017年3月29日(水) 薄晴れ 東武鉄道伊勢崎線:木崎ー足利市 14.4Kを歩く
クハ207-6他 韮川ー野州山辺 83.1K(北千住起点)
今日も伊勢崎線沿線を歩きました、東武鉄道沿線は線路の保守状態も良く、ホームにも出札掛の他にホーム監視員が配置されるなど、相当軟化したとはいえ、省力化に厳しい労組のお陰(?)で、JR等に比べ人肌の匂いを強く感じ、沿線を歩いていて、一種の安らぎを感じます。
太田市駅も久し振りの訪問で、駅周辺の高架化と周辺整備はほぼ完成、以前の懐かしい(入ったことありません、、、)歓楽街も姿を消し(そんなわけ無いと思うけど、昔の場所にはありません)、すっきりしました。駅近くの富士重工工場もそのままですが、時間帯のせいでしょうか、近代化されたコンコースに見る乗降客は、一段減ったような印象を受けました。
(6) 2017年4月4日(火) 快晴 東武鉄道日光線:柳生ー静和 13.7Kを歩く
デハ6164他 柳生ー板倉東洋大前この所東武鉄道沿線ばかりを歩いています、実は気付いてみると、自宅近辺で日帰り可能な沿線というと、もう同鉄道くらいしか残っていないのです。
そうなってみるとおかしなもので、この日光線もやろうと思えば、この頃体力がとみに衰えつつある自分でも、1回で終らせることも可能でしょうが、敢えてゆっくり2回に分け、内容を噛み締めながら、完歩しようと思ったりします。
日光・鬼怒川・野岩鉄道線の主力:6000系も、この6月からの新特急600系の導入に伴い、そろそろ引退が始まるかもしれず、今のうちにその活躍振りを少しでも多く、これまた引退の近い自分の瞼の内に納めたいなど思うこの頃です。
(7) 2017年4月10日(月) 晴 東武鉄道日光線:静和 ー栃木 7.6Kを歩く
クハ253-1001他(JR東日本乗入車) 静和ー新大平下
今日は標記の通り歩いた距離は短く、昼前に栃木駅に到着、しかしこれで東武日光線も全線完歩となり、残るは伊勢崎線の一部、それに小泉線くらいとなりました。
小山駅で昼食がてら時間を潰し、古河駅に移動、徒歩1時間くらいの、古河老人福祉センター:「ふれあいの湯」 を訪問、茨城県の日帰り温泉を一湯増やしました、薄黄色のお湯はマー平凡な方でしたが、狭い休憩場は満員、渡り廊下のベンチにも元気な老人が溢れかえり、そのパワーに圧倒されました。帰路は始発のコミュニティバスに乗車、¥100でしたが、養護学校などいろいろ廻り、古河駅まで30分要しました。
(8) 2017年5月2日(火) 快晴 上越線:浦佐 ー越後川口18.9Kを歩く
クモハE128-104他下り2連 浦佐ー八色
2009年6月、浦佐駅で留ったままの上越線でしたが、ゴールデンウィークに外出がしたくなり、前々から行ってみたいと思っていた公営ホテルが、まだ空いているとのことで、出掛けてみました。
8年ぶりの同線に、新潟塗装の115系の姿は全く無く、新型の128系が我が物顔に走り回っていましたが、広い駅構内に2連、たまに来るのも3~4連では、ほぼ1時間おきに「とき」や「さど」の長大編成が駆け抜けた往時を知るものにとっては、遠い異国に来たみたいで、寂しいというか、年寄りの悲哀を感じながら歩いた次第です。
(9) 2017年5月3日(水) 快晴 上越線:越後川口ー越後滝谷13.8Kを歩き、小出温泉:見晴らしの湯
を訪問。
宿泊した越後川口温泉:ホテルサンローラの部屋の窓から、魚野川鉄橋を渡る飯山線の単行DCが、眼下に見えました越後川口駅の先で、魚野川は千曲川と合流、信濃川と川名を変えて、新潟市に向います、合流地点では、魚野川の方がやや広い様に見えます、、、谷川岳を清水トンネルで抜け新潟県に入り、土樽駅の手前で初対面、ここまで付かず離れず一緒に来た魚野川ですが、随分と成長したものです。
合流後は谷幅も急成長、次に向った小千谷市は、駅対岸に位置する市の中心部には寄らずに前進、長岡市との境界、線路がトンネルで抜ける榎峠は、左手に広い信濃川の流れを見ながら、山崖下の国道を、数年前の痛ましい崩落事故を思い起こしながら足早に過ぎ、越後平野の入口の街、越後滝谷駅に至りました。
(10) 2017年6月29日(木) 田沢湖線:盛岡ー雫石 16.0Kを歩く
盛岡ー大釜大人の休日倶楽部:全線乗り放題きっぷは、目下力を入れているIGRいわて鉄道・青い森鉄道も全線乗車可能、まさにお誂え向きだが、今夜の八戸のホテルが、贔屓にしている某フェイク私鉄系ホテルを始め、その他幾つかトライしたがどこも満員、それで、表記区間を歩き、盛岡に宿泊することにした次第。
沿線は線路近くに概ね道があり、天気良いなか、盛岡近辺では岩手山の優雅な長い稜線を眺めながら歩け、小岩井の、今となっては簡素のなかに神々しさ(大げさかな?)すら感じる木造駅舎も、まだ残っており、写真に収められて良かったです、、、それにしても雫石駅の、開拓時代の面影を残した駅舎が、何かとってつけた様な、モダン駅舎に変ってしまったのは、残念でした。
(11) 2017年6月30日(木) IGRいわて鉄道:金田一温泉ー青い森鉄道:諏訪ノ平 13.1Kを歩く
標記区間は出だし、馬淵川がクランク状に複数回絡み、線路はトンネルと鉄橋で抜け、奥州街道も次宿の三戸まで西に4~5K離れ迂回します。しかし、「なるべく線路近くを行こう」などヘンな趣向を貫こうとすると、ここは結構面倒な区間です。 因みにこの日の全歩数は、翌日営業キロで3.3K長い区間を歩いたそれより、4300歩程多くなりました。なお、金田一温泉駅を出て程なく、最初に西に張出した低い山塊を「舌崎」と呼びますが、「言い得て妙」とは、まさにこのことかなと思いました。
目時ー三戸 クモハ7001-2他
(12) 2017年7月1日(金)青い森鉄道:諏訪ノ平ー八戸 16.4Kを歩く
青い森鉄道:クハ700ー4他 苫米地駅昨日は奥州街道など街道歩きは、「横断」はありましたが、殆どご縁がありませんでした。本日は一転、出だしの部分で、国道4号線:奥州街道を歩き、この道が八戸に寄らず、野辺地を目指し直行、西に去った後は、代って八戸街道が線路近くを平行、八戸駅近くは新幹線高架の横に側道があり、足だけ動かせば距離が稼げた様な気もします。諏訪ノ平駅を出発したのが8時24分、八戸駅着が15時02分、ホテルは駅の真ん前、近くの八戸日帰り温泉に行ってユックリできました。
(13) 2017年7月2日(土)青い森鉄道:八戸ー向山 16.3Kを歩く
今日も線路近くを歩ける区間が多い様で、気分的には楽ですが、下田駅最寄りの日帰り温泉も訪問したいし、今日中の帰宅がマストなので、若干の余裕は必要で、5時30分に八戸駅を出発しました。
下田駅到着が9時51分、ここまで営業キロで11.2K、駅手前1K余、小さな轟木トンネル上を越すのにちょっと手間取った他は順調でした。
この先、おいらせ町役場に近い米寿温泉でゆっくりして、今日はこれで切上げようと、奥入瀬川を渡り温泉に向い、気分も上々到着した温泉はナンと廃業、ガックリ来ました。次の向山駅まで5.2K、内1Kは既にこなしており、もう一踏ん張りすることにしましたが、平行国道の照返しが、一段ときつく感じられました。クハ702-11他 陸奥市川ー下田
昨日は「北海道&東日本パス」を利用、終日掛けて八戸まで来ました。途中大枚(?)¥1700をはたき、郡山から福島まで新幹線を利用、19時前のホテル到着を狙ったのですが、小牛田の先で線路工事の不具合が発生、全コース普通利用と同じことになり、年金生活者としてチョッピリ悔しい思いをしました。
今回は某大手(?)ホテルチェーンに連続4泊、軽めのリュックにも手こずる老人への負担を軽減しましたが、肩こりの程度が抑えられるのか、いつもよりグッスリ眠れるような気がしますが、、、
(14) 2017年8月26日(土)青い森鉄道:向山ー乙供 22.1Kを歩く
小川原駅前:姉戸川温泉 乙供駅最寄り:すもも温泉 訪問
早朝の八戸駅在来線風景出だしの三沢駅まで、未開の樹林地帯を行く線路に対し、道路は東に一時1.5K程離れ、人に聞くにも辺りに人影は無く、営業キロで4.7K進むのに、2時間10分も要し、この先どうなることかと心配しましたが、あとは順調、線路近くに国道がありました。
途中、小川原駅の真ん前と、乙供駅に近い国道脇に日帰り温泉があり、ここまで近くにあると、いくらナンでも黙って通過は出来ず、温泉訪問箇所も2つ増やせました。青森の温泉は、サウナ、ジャクジーなど余計なものは無く、どこも主浴槽で勝負!、といった所が多く、長居は無用というか、不可能、効率良く回れるのは、旅を急ぐ者にとっては助かります。
(15) 2017年8月27日(日)青い森鉄道:乙供ー清水川 24.2Kを歩く
この区間は野辺地を境に、山間地域と、その先の海岸地区と、はっきり風景が分れ、出だし乙供~千曳まで、営業キロで6.6Kは県道8号線で1本です、乙供の集落を抜ければ、クルマはそこそこ通るものの、日曜日のせいか、人影は全くありませんでした。
野辺地駅は、複線電化完成の1968年春、青森発の集団就職列車で到着、田名部からの小グループの接続を待った思い出があります、上りホームは見送りの親類縁者、先生等で身動きも出来ないほど、泣き腫らした赤いほっぺの怯えた風の少女が、職安担当者に促され乗車する様が、親元から無理矢理引き剥がす人さらいを想わせ、何か悪いことに加担しているようで気落ちした一コマが、急に瞼に蘇りました。日本も豊かになりました、、、千曳駅 文字通りの無人駅です、、、
(16) 2017年8月28日(月)青い森鉄道:清水川ー野内 22.7Kを歩く
浅虫温泉:ゆーさ浅虫訪問
青い森鉄道700-7 清水川駅当該区間は清水川駅から2K程、それに浅虫温泉の手前からが 海岸地区を行き、あとは夏泊半島を根っこの部分で抜けており、人家の少ない丘陵地帯歩きも多かったです。市街地は津軽黒石支藩が治めた陣屋のあった小湊、それに浅虫温泉駅周辺にあるくらいで、あとは人口希薄地帯です。線路は概ね直線区間で、防雪林が成長した森に囲まれた地区も多く、線路観察は疎かになった感が拭えません。
(17) 2017年8月29日(火) 乙供駅最寄り:東北温泉、上北町駅最寄り:玉勝温泉 訪問
今日の天気予報は終日雨、明日も同様な雨模様の様で、雨中の長時間歩行はこの頃体に応えるし、本日は駅から近い日帰り温泉を訪問、いわて銀河鉄道で盛岡に出て、帰京することに。しかし、主浴槽で勝負、休憩施設も申し訳程度の訪問温泉では長居は出来ず、また最初の温泉入場が7時頃だったこともあり、八戸駅に戻ったのは11時ちょっと前、パスにこだわると盛岡行は3時間待ち、¥1440奮発して県境を越えた二戸まで新幹線を利用、あと郡山まで普通列車で繋ぎましたが、温泉に2つ入った体は、アルコールの力を借りるまでもなく、いや良く眠れました。 因みに25~29日まで5日間、総歩数は169,048歩でした。
玉勝温泉、乙供駅から200M余、線路脇に建つ。
8月末、青森までもうちょっとの所まで行きながら悪天候に阻まれ、東北本線完歩は成らなかった、、、
たまたまタイミング良く、大人の休日倶楽部会員専用:4日間全線乗り放題きっぷが、8月末~9月12日まで利用可能なのだが、つい先日出掛けたばかりで、そうそう勝手もできず、高齢の母の世話をする妻の顔色を伺いながら、脱出の機会を求めグズグズしていたところ、ついに最終購入日の9月8日が到来、実はこの日は自分の75才の誕生日、後期高齢者入りのお祝い(?)にかこつけ、やっとのことで「東京脱出」が叶った次第。
(18) 2017年9月9日(土) 青い森鉄道:青森ー野内 10.7Kを歩く 小柳駅最寄り:こやなぎ温泉 訪問
クモハ703-11他 於、矢田前駅青森駅に入る2K程手前、車窓から広大な更地、及び操車場跡を見ます、連絡船長期欠航に備えた貨車留置の必要もあって、斯様に膨大な用地になったのでしょうが、跡地に建設予定の「青い森セントラルパーク」の整備はかなり遅れているようです。
今日の歩きは奥羽本線と分れた後は、この操車場沿いに進みます、平行幹線道路は無く、小道の方向も線路と同調せず、時々線路端に出て確認したりもして、住宅街を行きつ戻りつ結構手こずりました。
しかし、私鉄小駅の様な筒井駅を過ぎると、一転平行道路も整備され、野内川手前、旧線跡利用の遊歩道など快適に歩き、野内駅到着です。
土曜の青森、ホテルはどこも満員、野辺地に泊りました。
青森まちなか温泉
(19) 2017年9月10日(日) 奥羽本線:青森ー大釈迦 17.3Kを歩く 鶴ヶ坂駅最寄り:・たらポッキ温泉 訪問
一番電車で青森着が7:20、雨足強く駅から7~8分の日帰り温泉に行くのもままならず、駅内ドトールでモーニング、頃合いを見て出発、青森の日帰り温泉は、どこも朝から営業しており、都合が良い。
温泉で1時間程ユックリ、雨の上った9時半頃歩き始める、線路近くに平行道路があり、順調に距離を稼ぐ。
新青森の次、津軽新城駅で、早くも市街地は尽き、低い山が近付くと、狭い谷を線路と道路はほぼ並行して進み、鶴ヶ坂駅、この先タラタラと長いが高低差は殆ど無い大釈迦峠を越え、同名の駅に到着して終了としました。
なお鶴ヶ坂駅の300M手前、線路脇にも日帰り温泉があり、通過する訳にもいかず、一風呂浴びました。
クハ700-29他 大釈迦駅
(20) 2017年9月11日(月) 奥羽本線:大釈迦ー弘前 20.1Kを歩く 撫牛子駅最寄り:境関温泉 訪問
クハ700-1他 北常盤-川部 456KP付近今日の歩きは、浪岡が想ったより大きな集落でしたが、五能線(かつては黒石線も)を分ける川部駅も広い田園地帯のまん中とも言え、弘前市街地の端に当る撫牛子駅まで、津軽平野の真っ只中を、どこまでも続く広田の農道歩きも堪能、奥羽線の走りに満足したと言いたいところですが、貨物列車は日中殆ど設定がないようで、たまにやって来るE751系が色を添えるなか、淡々と足を進めた感じです。
途中、撫牛子駅最寄りの日帰り温泉にも寄り、薄曇りの穏やかな日、一足早い秋の訪れを感じながら、マー満足した「歩き潰し」となり、40年ぶりに弘前の街を見ました。
(21) 2017年9月12日(火)雨 北常盤駅最寄り:ときわ温泉、 浪岡駅最寄り:和の湯温泉 訪問
本日は雨、今日中に帰京せねばならず残念、弘前市周辺はどこを歩いてもすぐ広い田園地帯となり、風を遮る山も無く、雨天の長期歩行は体を芯から冷やすので、75才の老人には無理です。
天気は前日から判っており、駅から近い日帰り温泉をピックアップして2箇所ばかり訪問しました。 贅沢を言えば、訪問した温泉はどちらも銭湯形式、お湯の豊富な主浴槽で勝負するのはいいのですが、供食設備は勿論、休憩所も申し訳程度で、あまり間が保てず、予定よりかなり早く終了、新青森駅を14時近くに出る新幹線に乗車、東京駅着は18:24でした。クハE751-3 浪岡駅
(22) 2017年11月26日(日) 快晴 東武伊勢崎線:南羽生-館林 11.5Kを歩く
クハ11660他 伊勢崎線:利根川鉄橋
本日歩いた区間は、南羽生~川俣間で利根川を渡り、鉄橋から人の渡る橋まで片道1.6K、日光線程ではありませんが、単調な堤防歩きがいやで、後回しになっていました。しかし、9月から10月にかけ、音楽会に行ったり、山に登ったり、そのうち日が短く、寒くもなり、気になっていた遅々として進まぬ歩き潰しに出掛けました。
本日の総歩数は36千余歩、元々短足で歩幅が短い小生、年のせいでさらに速度の低下が目立ちますが、それでも営業キロで20K近く進んでもおかしくない距離を歩いた気がします。
(23) 2017年12月3日(日) 快晴 東武伊勢崎線:館林-足利市 12.2Kを歩く
本日の総歩数は30.8千歩程、前回より営業キロで700M 多いのに、歩数は6千歩少なく、途中撮影スポットが幾つかあり、数が少なくなった8000系電車の姿をカメラに収める時間も割けてラッキーでした。
なお今回で、東武伊勢崎線の全線完歩を達成したことになります。
特急りょうもう 208-1他 県ー福居 北千住起点75.2K辺
(24) 2017年12月30日(土) 快晴 北総鉄道:新鎌ケ谷-印旛日本医大 19.6Kを歩く
京成高砂起点22KP地点、列車撮影ポイントは僅少、本年最後の歩き潰しは、北総鉄道の完歩に充てました、成田新幹線としてルート設計が行なわれた同線は、成田空港への往復が安価なこともあり、時々乗車の機会がありますが、車内からも確認できるように、新鎌ケ谷以遠は、平行道路がどこまでも続き、線路を追っかける苦労は全く無いと言っても過言ではありません。
今日は印西牧の原駅で切上げ、駅前の日帰り温泉で一年の垢を洗い流す予定で来ましたが、休日料金が¥1.700 と高く、またリゾートホテルの様な豪華フロントに列が出来ており断念、標記の結果となりました。